第八十四話:兄妹の、絆<紅の鬼>
遅れました。すいません
side:紅?
「なあなあ、もしもし? 聞こえているのか?」
「……敵意、ビンビン。逃げた方が、いいかも」
「お前の吸血食らって立ち上がれる相手だしねえ……。俺達の手には余りそうだし、”上”に報告しときゃ、充分か? 約束はまあ、この場合しょうがないだろ。お嬢様連れて、とんずらさせてもらいますかね」
……逃ゲル?
そんナノ、許サネエ。
目の前の敵二人。最適な処分法は何か?
思考する。
結論が出た。
圧倒的暴力を下せ。
蹂躙し、殲滅せよ。
ペキリ。
右手に並んだ鉤爪を、弓に矢を番えるがごとく引き絞る。
こいつで二人の首と胴体とを切り離す。
これナラ、アリスを巻キ込むこともねえ。
食ラエ。
そシテ、死ネ。
ゆっくりと腰を落とし、腿に力を集中。
足元を爆砕させ、全力での跳躍に挑戦する。
今でははっきりと視認できる人一人の輪郭、その首元に右手の毒手を叩きつける。
男の首筋に食らいついたかに見えた裁断の刃は、しかしその役目を全うできなかった。
「ぬあっ!? 何だこりゃ、洒落になってねえぞ!?」
チッ、避ケヤガッタ。
男の神業めいた反応は狙いの甘かった超速の鉤爪の一撃を男が躱すことを許した。
音速を越えて繰り出した鉤爪の一撃は耳に弾ける衝撃音波を発生させ、男と、その傍に立った少女の体を洞窟の壁まで吹き飛ばす。
ガラガラと音を立てて崩壊を始める岩の床を、両の足でしっかりと踏みしめた。
素早イナ。ソレナラコイツで仕留メテヤル。
先ほどから身体中を巡り、行き場を求めて荒れ狂っていた魔力を解放する。
鉤爪から、頭から、左肩から、膝から、全身至る所から凝縮された魔力の塊が吹き出していく。
高い熱量を伴って現れた魔力の塊は、狭い洞窟の空間を次々と埋め尽くしていく。
そして視界に映る全ての場所に、赤々と燃え盛る、百は下らないの火球の群れが出現した。
燃え盛る火球群の熱で、周囲の温度が急上昇する。
後は、発射の合図を飛ばすのみ。
対象は、愕然とした表情で周囲を取り囲む火球を見渡す、二人の男女。
焼ケ焦ゲロ。炭焼キにナッチマエ!!
合図は、右腕の一振り。輪郭を赤光で形成された凶悪な鉤爪を、前に突き出す。
火球の群れが、個々は一直線に、総体は怒涛の激流となって一部を除いたあらゆる角度から二人の体を襲う。
「くっ……。仕方ねえ!」
――ッ!?
男が、抱えていたアリスを盾のように翳し、のみならず、ぶんぶんと、好き勝手に振り回し始めた。
爆砕の範囲は絞れるが、数百に至る火球の軌道全てを微細に調整することなどできない。
つまり、アリスを巻き込まない火球を選別することは不可能だった。
下衆野郎ガ……!
魔力を充溢させた鉤爪の左足を、足元の脆い床に叩き込む。
岩盤が床ごと砕け散り、それを合図に周囲の火球が一斉に破裂する。
燃焼の意思を込めた炎の弾丸たちは、しかし狭範囲の破壊能力のみを設定してある。
分裂した弾丸たちは光と音を撒き散らす数百の小花火となり、本来の役目を果たせぬまま消え去った。
「あー、やっぱりこの娘には攻撃しないのか。火球の軌道からしてそうじゃないかとは思ったけれど、一体今のあんたはどういう状態なんだ? 宿主――捨てるべき殻の人格が表なのか? それとも、”中”がもう完全に浸食し、融合した後なのか? いや、どっちにしろ俺達を敵視してるのは変わらないか」
「……そんなこと、聞いてる暇、無いみたい」
破壊こそ巻き起こらなかったものの、高温の火球の破裂はその場の空気の体積と熱とを膨れ上がらせる働きを齎した。
アリスをこちらに向けたまま、逃走を図ろうとじりじりと後退している男女たちは熱波を受けても一切動揺する様子を見せない。
しかし、熱とは別の理由でだろう、乾いた笑いを浮かべつつ、額に、首筋に、幾筋もの汗を垂らしていた。
……アア、メンドクセエ。
コノ手デ直接、息ノ根ヲ止メテヤル。
やや手加減した速度で地を蹴り、男女の前まで跳ぶ。
先導は背から生えた二本の赤翼。
皮膜と鱗上の紋様が浮かび上がって形成された、”竜の翼”を模した仮想の翼を、裁断の凶器として振るう。
二人の両側から包み込むように翼を叩きつけつつ、本命の鉤爪を右手の中で握りしめる。
「……”大旋風”!」
あと僅かで翼と爪が届くかんとする時、少女が風魔石を足元に叩きつけた。
狭い洞窟内に、豪風が吹き荒れる。
脆くなった床や壁の岩盤が完全に崩壊を始め、洞窟全体が悲鳴を上げているかのような音が響いた。
「よし、いいぞ! これで凌い――!?」
「凌イダ? 何ヲ?」
喝采の声を上げた男の腹を、引き絞った鉤爪の右手で貫いた。
「ぎ……ごッ……。何故……吹き飛ばない……?」
鋭い鉤爪と化した赤光が、男の体内を蹂躙し、そのまま背中を突き破る。
掴みだされた男の臓器が、べしゃりと音を立てて地に落ちた。
尾でキャッチしたアリスを、その汚らしいものから遠い地点にそっと配置する。
喉から掠れた息を吐くシルクハットの男だが、まだ死んではいない。さすがは亜人の体力と言ったところだろうか。
――マダダ、マダ、殺サネエ。
魔力の干渉、魔法の干渉すら跳ね除けられるよう進化した”獣化”の赤光を突き破れる者などいない。
ならば、焦って殺す必要もないのだ。
生きていれば、もっといたぶる喜びを味あわせてくれるる存在を、殺してやることはない。
痛みに気を失ったらしい男を傍に放り捨て、翼にからめとった仮面の少女の方を振り向く。
――次ハ、オ前ダ
目の前の少女の仮面を握り潰す。
その表情の、仔細な変化を楽しむために。
砕けた仮面多くから、爪と鋭利な仮面の破片で血だらけになった顔が、露わになった。
「いやぁぁあああああああああああああ!」
少女は必死に抵抗してきた。翼に自身の牙が通らないとみるや、風魔法で作った刃を叩きつけ、或いは火魔法で高温の炎を作り出して羽根を炙り、何とか拘束から逃れようと試みる。
しかし、それらは何の効果も示さない。
半狂乱に身を捩りながら、自身の身体が巻き込まれるのも構わず、火焔を、風刃を振るい続ける少女。
だがその健気で愚かな行動は、このアタシを喜ばせる役にしか立っていない。
「……いや。来ないで……。こっち来ないで!」
絶望に染まった表情を直に楽しむため、少女の顔に自身の顔を近づけた。
アア、良イゼェ、ソノ表情。
逆ラエヌ暴虐ヲ前ニ、自身ノ無力サヲ心ノ底カラ実感シ、
上位者ニ対シ、恐怖ノ眼差シヲ向ケル。
涎ガ出チマウ程ニ極上ノ御馳走ダ。
最高の気持ち良さからくる笑みが、自身の口の端に宿るのを自覚する。
それは、弱者を嘲笑う愉悦の笑み。
「やだ! 嫌! 誰か――助けて! 助けてよお兄ちゃん!」
――。
どくん。
――アレ、アタシ……?
何ダロウ?
何カ、大切ナコトヲ忘れてしまっていルような。
不意に、頭の中に何かの映像が浮かんできた。
古いビデオ映像のように擦りきれた画像。
自分の前に、誰かがいる。
あたしを、抱きしめてくれている。
涙と嗚咽をこぼす、あたしのことを。
誰だっけ?
この人は、誰だっけ?
あたしの良く知っている人間のような気がする。
「ねえ、お兄ちゃん。何で私はこんな体になっちゃったのかなあ? 何で、ものを壊して、人を傷つけて、それを喜ぶような体に、そんな嫌な子に、なっちゃったのかなあ?」
「……少なくとも、お前の責任じゃない。全て、その力が悪いんだ」
「違うよ。私には分かるもん。この喜びはきっと私の本当の気持ち。壊したいって願ったのも、たぶん私がそんな力を望んだから。だからこれは全部……この結果は全部、私がそう望んだから、こうなったの」
―――――――――――――――――。
「それでもお前はきっと、『力』を持たなければそうはならなかった。この『力』はきっと呪いなんだ。得た者の衝動を、感情を、増幅することで、行動原理を書き換える。本当のお前なら、絶対にそんなことはしようとしなかったはずだ」
「本当の私って何? 今の私は私じゃないの? この――屍の山の上で笑って、悦んでいる私は、一体何なの?」
「本当のお前は、俺が良く知っているお前のことだ。ちょっぴりいい加減で、成績の悪かったテストの答案を机の奥に隠すような奴で、でも、泣いている奴が居たら声をかけずにはいられなくて、それでそのままそいつを助けちゃうような、そんな優しい俺の妹だ」
「私、分からないよ。自分ってものがなんなのか、全然分からない!」
―――――――――――――――――――――――――――――――。
「お前が分からなくなったら、俺が何度でも教えてやる。俺は、お前の一番の味方だ。ずっと傍にいることはできないかもしれないけれど、俺の居る場所が例え、地球の反対側だったしても、月だったとしても、全く別の世界だったとしても、俺は絶対にお前のお兄ちゃんなんだ。兄妹の絆は誰にも、神様だって切ることなんてできない。だから……俺は永遠にずっと、お前の味方だ」
「お兄ちゃんは、私の味方……?」
「そうだ。お前の一番の味方が、ずっと本当のお前を覚え続けているんだ。俺がお前を、お前の生きるべき道から踏み外させやしない。お前を、絶対に一人にさせたりはしない。信じてくれ、俺のことを」
「……うん。信じる。信じるよぉ……ぐすっ。うぁぁぁぁぁん!」
―――――――――…………。
――何ダ? 今ノハ?
アれハ、アタシノ……ナノカ?
今のアタシは……アタシは?
「うぉおお! 俺の妹を! クロエを、離しやがれぇぇぇ!」
「お兄……ちゃん……!」
動きを止めたあたしに、満身創痍の亜人男が、掴みかかってきた。
失血し、蒼白になった顔色に燃えるように輝く赤い目を光らせ、信じられないほどの力であたしを――コノアタシヲ、締メ付ケテ来ヤガッタ!
「クロエを……離せ……がァっ!?」
鉤爪付きの左手で、目障りな男の首を締め上げる。
しかし、掴まれた首筋と破れた腹から溢れんばかりに血を流し続ける男は、それでも尚手を伸ばし、あたしに掴みかかろうとして来る。口から、血の塊と共に、一人の少女の名前を吐き出しながら。
マダ減ラズ口ヲ叩ク余裕ガアルノカ。
……モウ、良イ。
コイツハ、今スグ、殺ス。
急に、すっと頭の中が冷えたような心持ちだった。
死に際を楽しませてもらおうなどとは、もう考えていない。
今はただ、この手の中の命を、握り潰し、摘み取ってしまうべきだ。
声は絶えた。
コヒュー、コヒューと詰まった息を漏らす男の体を高く掲げる。
背後で少女の声が聞こえた気がするが、意識に入っては来なかった。
そうだな、首では、まだ死なない可能性がある。
男の頭に手をかけようと右手を伸ばした、その時。
「"大氷結っ"!」
膨大な冷気が浸食してきた。
あたしの体が、急に現れた巨大な氷柱に閉じ込められる。
発生した大質量の氷柱周囲の地面が、冷気によってビキビキと凍り付き始めた。
とはいえ、氷ごときに閉じ込められるあたしではない。
体に少し力を入れてやると、巨大な氷柱は瞬く間に崩壊し、細かい氷の粒子を撒き散らしながら崩れ去った。
誰ダ? アタシの邪魔ヲスルノハ?
「動かないで。――私の身じゃ、人質には足りないよね? だから……、この娘を、人質に取らせてもらう。殺……いや、傷つけられたくなければ、その兄妹を離してやって」
一人の少女が立っていた。
倒れていたリーティスを拾い上げ、その首元に短剣を構えて、あたしの前に立っていた。
吹き荒れるダイヤモンドダストのただ中に、静かに佇む少女。
獣化の赤光に照らされ、その少女の顔に装着された狐型の仮面の表面で、影が妖しくくねっている。
微かに前後する肩は、その少女が全力でここまで駆けてきたことを示している。
その少女の名は、
「ユーノォ……」
「……一日ぶりだねー、ベニ。こんな再会の仕方をするなんて、思ってなかったよ」
あたしと対峙する一人の少女。
それは、アリス達の旧来の親友。
そして、あたしの友人……だった少女であった。
今回は、大転換点です。
そして、7話の伏線?の一部をようやく回収できました。
長かったなあ……。




