第八十話:親しい相手だからこそ安心して別れられる、そういうもんでしょ、友人って<楽しい楽しい鬼ごっこ>
遅刻すいません。
side:リーティス
路面を啄む小鳥さん達が、たくさんの餌を前に喜びの声を交わし合い、可愛らしい鳴き声を響かせ、重ね合う。そんな爽やかな朝。
バゲット入りのバスケットを中央に囲んで、私とアリスとベニさんは、食卓の席についていました。
神への感謝の祈りを終えてバゲットに手を伸ばす私の正面で、アリスがベニさんに声をかけます。
「ねえ、ベニ様。今日も一緒にフィッシングに行きましょ! リーティスも、今日こそ参加するべきだわ」
「アリス、 ツリ キニイッタ?」
「ええ! とっても!」
きらきらと目を輝かせ、胸元で両手を組む恋する乙女のようなポーズで、アリスが釣りへの愛を語り出しました。
元々は、せっかく暇ができたので「仕事の賃金だけじゃ食いつなげない人が学ぶ技術」の実体験としてアリスに挑戦させた「釣り」ですけれど……これほどまで熱中するようになるなんて想像してませんでした。
餌に使う蟲さんが指に絡まってきて、甲高い悲鳴と共にアリスがその蟲を地面に叩きつけ、踏みつぶしたのはもう三日前のことだったでしょうか。
あの堪え性のないアリスが、川の畔で頭に帽子を載せて日差しに耐えつつ、動きの無いウキを微動だにせずじいっと見つめているという光景は中々衝撃的で、いつ「飽きた」と言い出すか賭けようかと耳打ちしてきたユーノの口を数時間後にはまあるくさせてしまいました。
半日経つ頃には、それだけ粘った甲斐はあったと思わせるだけのお魚がバケツの中に犇めいていたのを覚えています。
ベニさんが湖畔で火を起こし、その魚達を焼いて手渡してあげると、アリスは嬉しそうに頭からかぶりついていました。
「釣りだけじゃないわ。最近はホントに毎日が楽しいの! ずっとみんなとこの町で暮らしていたいなんて思うくらいよ」
『おいおい、親父さんが聞いたら泣くぞ、そのセリフ』
うふふ、私もアリスの言葉には賛同です。
本当にずっと、こんな平和で楽しい日々が続いて行ったらいいのに……。
そんな風に和やかなムードで言葉を交わし、果実の煮しめを塗ったパンを口に運んでいた私達の所に、どたどたと足音響かせて、人影が飛び込んできました。
まずベニさんが反応を示し、振り返ります。
『ん? 誰かと思ったらユーノかよ。相変わらずその仮面は外さねえのな。見た目だけなら、ちょっとした不審者だぜ?』
見るとそれは、膝に手をついてぜいぜいと荒い息を吐く仮面の少女――ユーノでした。
「どうしたんですか、ユーノ? そんなに急いで。あ、そうだ。喉、渇いてませんか? 良かったら飲んでください」
「え? あ、ありがと」
私が勧めた美味しいミルクを腰に手を当て一息に飲み干したユーノが、ずらした仮面を元の位置に戻した後、息を吸って言葉を告げます。
「ごめん! みん――ぐぅぉ……!?」
「ちょっと! 大丈夫!? ユーノ!」
「だいじょぶだいじょぶ。ちょっと、噎せただけだから」
いきなり胸を押さえて屈みこんでしまったユーノの傍に、アリスが席を立って駆け寄りました。
ごめんなさい、ユーノ。今噎せたのって私が牛乳なんか飲ませちゃったせいですよね……?
「ごほん。気を取り直して……ごめんね皆! 私、アリス達の『敵』になっちゃった!」
装着した白仮面ごと頭をぺこりと下げたユーノが、良く意味の分からないことを言い出しました。
「……やばいなー、全然格好つかないや」
頭をポリポリと掻きつつ、気まずそうな様子でこちらを見てきます。
上手く事情を飲み込めなかった私は、思わずパンを口に挟んだままのベニさんと顔を見合わせてしまいました。
「敵」だなんて言ってますけど、私達にいきなり襲い掛かってくるわけではないみたいですし……どういうことなんでしょう?
「ユーノ。いきなり『敵』だなんて言われても良く分かりません。ちゃんと順を追って説明してくれませんか?」
「あ、そりゃそうか。そうだよね。ごめん、リーティス。いやー、実はね……」
懐を探り、白い紙――ヴェルティ侯爵家の印章が入った立派な装丁の手紙を取り出して掲げたユーノが、ため息交じりに語り出しました。
その手紙は、アリスのお父さんからのものでした。
今朝、ようやくユーノの下に届いたのだそうです。
私達もこの一週間待ち望んでいた手紙の到着、それ自体は非常に喜ばしいことでした。
アリスの無事を実家に知らせることができたこと、そして町の保安官達に拘束させているパシルノ男爵の処遇を、本格的に任せられることが確定したんですから。
ただ、一つだけ、
私達の意に沿わない内容が、そこには記されていました。
「”アルケミの街まで行くだなんて馬鹿なこと言っていないですぐ帰って来い、アリス”、だってさ。まあ、娘が何週間も何カ月も姿を消してりゃ、親としては心配になるよねー。まあ、私は親とかいないから本当のところは分かんないんだけど」
摘まんだ紙をぴらぴらと振りつつ、どこか遠くを眺めるような面持ちでユーノが上を見上げます。
仮面に隠れて正確な表情は分かりませんが、心なしかユーノのその言葉には、寂しさの色が混じっているように思われました。
親、ですか。
……私も、時折考えさせられることです。
もし、私のお父さん、お母さんが今の私を見たら、どんなことを考えるんだろう、どんな言葉をかけてくれるんだろう。
そんな、ことを。
計算ずくだったのかは分かりませんが、ユーノのその言葉で、食卓の空気がしんみりとしたものになります。
今朝一番の馬車で出発する旅人や商人達の会話で喧しい空間にあって、私達の座るテーブルの輪だけが、しめやかなムードを醸し出していました。
「ねえ、アリス。私としちゃ、あんたの要望を叶えてあげたい気持ちはあるよー? でもさ、あんたのお父さん――アルベルトさんは、今凄く大変な時期に来てるんだ。帰ってあげなよ。リーティスも、ベニも、その何とかっていう人を連れてヴェルティ侯爵領まで来てもらえばいいじゃん」
膝を折り、目の前のアリスに視線を向け直して懇々と諭すユーノ。
――大変な時期? どういう意味でしょう。まあ、私達には関係ない話なんでしょうけど。
少し気になる言葉は有りましたが、ユーノの主張は実にもっともな内容でした。
アリスは、どう答えるつもりなんでしょうか?
目を瞑ってゆっくりとユーノの言葉を受け止めているアリスの横顔をそっと見やります。
ユーノの話を聞き終えたアリスがぱっと目を開いてユーノと正面から向かい合い、回答を返しました。
「嫌よ」
「え! ちょっと、何で!?」
「私が心配になった……? 何年もの間、私を放っておいた人間達が良くそんなこと言えるものね。……帰ってはあげるわよ。心配事の種が全部消えたらね」
告げたアリスが、ちらりと後ろに視線をやりました。
その先に座って二人のやり取りを見守っていたベニさんが、首を傾げます。
――そう。そういうこと、なんですね。アリス。
以前言っていたように、"カオルさんと会う私の身を心配している"という主張も本当だとは思います。
けれど、今はそれ以上にベニさんのことが心配なんでしょう。
家族より、友人の方が優先ですか……。
本来、止めるべき立場なのかもしれませんけど、私は正直その心持ちが嬉しいと感じてしまいました。
私一人でカオルさんの代役を――ベニさんのことを守る役目をこなすのは、大変な重荷でしたから。
勿論、そんな私の”役目”をアリスに説明したことは有りません。
けれど、ひょっとしたらそんなプレッシャーを感じていた私の気持ちも、汲み取ってくれたのかもしれませんね。そんなことも、ちらりと考えてしまいました。
「そう、かー。ま、アリスならそんなこと言うかもしれないとは思ってたけどさー。板挟みになってる私の気持ちもちょっとは考えて欲しいよね、まったく」
「なんなら、ユーノも一緒に来ない? ベニ様から聞いてるわよ。すっごく強くなったんでしょ? きっと四人の旅は楽しいと思うわ」
白仮面の額に手を添えてうんうん唸るユーノを、笑顔のアリスがさらりと勧誘しています。
私も、確かにそれは楽しそうだなって思いました。
それに、ユーノが強くなっているのというのなら、万が一の時、あのベニさんに対応することができるかもしれません。
けど、確かユーノは……
「んん? や、嬉しいお誘いだけどねー。私、今アルベルトさんの下で働いてるって話はしたっけ? ――そこでね、結構、大きなことやらせてもらってるんだー。アルベルトさんには恩もあるし、良い職場だって貰えた。うん、この数日は、本当に楽しかったさ。リーティスと一緒に久々の”祈祷”に挑戦したり、アリスの釣りをぼんやり転寝しつつ観察してたり、ベニと二人で男爵の私兵相手に無双したり――。また、一緒に遊んだりお話したりしたいよ。でもそれは、いつかまたってことでお願いしたいかな。そうお願いしても、良いよね?」
そう語るユーノの顔は白仮面の下に隠れていましたけれど、すっごく良い笑顔なんだろうなってことは、良く分かりました。
一生の、お友達ですもん。そのくらいのこと、分かります。
「ソウカ……。ナラ、マタイツカ、ナ」
「そうですね。絶対に、また会いましょう」
ベニさんと一緒に席を立ち、ユーノにお別れの言葉を告げます。
そんな私達に対して――
「や、ごめん。すっかり忘れてると思うけどさ、私ってそんなわけで”アリスを連れ戻す側”の人間なんだよねー。や、私はもうアリスを捕まえるつもりはないよー? でも、ほかのアリス捜索隊のメンバーまでは立場上、流石に止められないから、さ」
仮面を上にスライドさせたユーノが、ぺろりと舌を覗かせました。
「頑張って、この町から逃げてよねー」
「リーティス。ここ、足元滑るわよ。気を付け――きゃっ!?」
『大丈夫か? アリス。気をつけろよ』
「うぅ……。ありがと、ベニ様」
うぅ……。
暗くて、じめじめして、足元がぬるぬるしてて……、その上水がぴちゃぴちゃとどこかに落ちる音がどこからともなく聞こえてきて……何だか本当に不気味です。
バササッ!
――!!?
『おお、蝙蝠か。このあたりは魔力も濃くないし、魔獣変異は無いみたいだな。ま、狂犬病の毒とかもってやがんのもいるから、近づかない方が良さそ――……なあ、リーティス。お前も、あたしが手を引いてやろうか? 暗いの苦手みたいだしな。それとも、「狭いの」の方か?』
「……ごめんなさい、お願いします」
あ、ああ、あんなの、ただの羽音です!
お願いだから早く鳴りやんでください。私の意気地なしな心臓さん!
ばくばくと動転のビートを刻む心臓を何とか鎮めようと試みながら、目の前に差し出されたベニさんの温かい手を掴み取ります。
自分の小心具合に、呆れてしまいます。
カオルさんがこの場に居たら、なんて言われちゃうんでしょうか。
鍾乳洞を進んでいくうちに、いつの間にか自然とアリスが紅さんの背中に、私が紅さんの左手を握って歩くようになっていきました。
水ではない、何かてらてらと光る液体に濡れた地面に足を滑らせないよう、ベニさんに頼る形です。
カンテラをかざすのは私の役目、前を向いて危険が無いかを探るのがベニさん、そして背後に気を配るのがアリスの仕事。
ぶつ切りですいません、上手く話を切れませんでした。その内訂正します。




