第八話:それがどんなものであっても、積み上げた経験は無駄にはならない<無双>
side:薫
「おーい、お前らー! あたしも混ぜろー!」
聞き覚えのある声の発信源を求めて窓の外を見下ろすと、裸足で駆けていく紅の姿が見えた。
そういえば朝の戦闘稽古の後は適当に村をぶらつくと言っていたか。次の予定は川遊びらしい。
じゃばじゃばと飛沫を跳ね上げながら、朝の日差しを照り返す川中に走り込んでいく紅。その到着を、河原にいる裸足の子供ら、女性らが両手を大きく振って出迎えている。
『すっかり仲良くなったみたいですね、紅さん』
調理場の清掃を済ませたらしいリーティスさんが窓脇の俺の隣にひょこりと顔を出した。
『紅は昔から子供に好かれるんだ。8年前の時も、4年前の時もそうだった』
声を上げてはしゃぐ紅達を見ていると、頬が自然と緩んで来た。
ああしていると、紅も村の子供達も、何も変わらない存在のように見える。使う言葉も年齢も、育った環境も知っている人間の種類も違うけれど、笑顔という共通語が彼らの架け橋になっているのだ。
その光景は俺に――俺達にとって、とてもとても大切なものだった。
『カオルさんも行ってみますか? そうですね……あの子たち、知らないお話を聞くのが大好きですから、私にしてくれたような話を、あの子たちにも話してあげてください』
『俺の故郷の話を?』
『ええ。カオルさんが見聞きしたことをいっぱい教えてあげてください。きっと興味津々で集まってきますよ』
俺の話、か。
そう言われ、ふと俺自身の身について考える。
人並みの苦労は間違いなくしてきたし、人でないものとしての苦労も経験してきた。妙な知り合いも多ければ、見聞きしたものの種類も多い。
そんな俺ではあるのだが。この神官の女の子が子供達に伝えて欲しいと望むような話を、何か持っていただろうか。紅と一緒に無邪気に今を楽しんでいるあの子達に笑顔を与えられるような話を、こんな俺にできるのだろうか。
いや、考えすぎなことは分かっている。当たり障りのない話題を用意できることは既にリーティスさんとの会話で証明しているのだ。
けれど何故だろう。こうして改めて自分自身――竜崎薫という存在を見てみると、それはあまりに異質なものに思えた。思えた、というのは違うか。事実として異質で異端で異なった存在であるのは間違いないのだから。俺達異能者が何故「超」能力者でなく「異」能力者と呼ばれるのか。何故異能者の出現したばかりの当時の日本があれほどの混乱に叩き込まれたのか。あらゆる事象・歴史・事実が示しているじゃないか。俺達の異端さを。そもそも俺がこうして思考の渦に囚われるのも――
『……カオルさん?』
気づくと、首を横に傾げたリーティスさんの顔が直ぐそこにあった。黙り込んでしまった俺を不思議に、或いは不審に思ったのだろう。
『ああ、いや。何でもない。アドバイスありがとう。何か良い語り話がないか、考えてみよう』
思考の渦に沈んでも、普段の頭は直前の会話内容は覚えていた。そして、俺自身のためにこれ以上この話題を続けるべきでないことも理解していた。
『それよりリーティスさん。昨日見きれなかった村の場所案内の件だが、今からでもお願いして良いだろうか?』
雑にすぎる話題転換だったが、どの道必要な話だ。
任せてください。私もそのつもりでいました。――そう言って微笑むリーティスさんと話を詰め、本日午前の予定を固めた。
話し合いの数分後、一丁裏だという青い法衣に着替えて教会を出てきたリーティスさんを、俺はその入口で迎えていた。
『待たせちゃいましたか?』
『いや、案内よろしく頼む』
『はい。じゃあまず、南の方から行きましょう』
そうして本日のココロ村巡りが始まった。
リーティスさんは村の様々な場所を案内してくれた。自分の足で訪れ、目で確認した風景の記憶を脳に焼きつける。それを土台に、今度は彼女の口から齎される解説に耳を澄まして厚みのある『ココロ村』の姿を自分の中で組み上げていく。
やがて俺はこの村の日々の営みから祭りの賑わい、村人総出で行われる葬儀のわびしさまで、様々な知識を鮮烈な映像のイメージで思い浮かべられるようになっていた。
多くの場所を巡った。村の貯蔵庫の屋根に外からぶら下がり、その中を覗き込んでみた。どっしりとした土づくりの倉庫の中にひっそりと纏まった村の乏しい蓄を見て、村に迫っている窮状を改めて理解した。
見晴らしの良い丘の上に奉られた共同の墓所に花を添えた。無心で祈りを捧げるリーティスさんの傍で草取りに励んだ。
休憩に立ち寄った材木場で見慣れない姿の小鳥に餌をやった。農夫の親父にそいつは木材喰らいの魔獣だ馬鹿野郎と頭を叩かれ、何故かリーティスさんと一緒に頭を下げて謝っていた。
『迷惑をかけた。本当にすまない、リーティスさん』
『いえいえ。それにしてもカオルさんって焦った時に面白い顔になるんですね』
『そんなに、酷い顔だったか? 本当に?』
『酷いというかなんというか、――面白い顔です』
『俺はその詳細が知りたいんだ。教えて欲しい』
『良いですよ。一言で説明すると、――面白い顔です』
『リーティスさん、俺をからかっているだろう』
『いえいえ、つまり――はい、そういう感じの顔ってことです』
『やっぱりからかっているだろう!』
見るもの全てが新鮮だった。
古い農村で暮らす人々とその暮らしを俺は今まで知らなかった。知識では知っていて、仕事ぶりをなんとなく眺めてこともあった。けれど、鮮明な想像が可能なほどに識って居なかったのだと、そんな当たり前のことに今更ながら気づいた。
『これは何だ? 壊れた鋤か?』
『秋の収穫祭で使う道具です。ここに溝がありますよね? ここは火付け油を引くための場所なんです。お祭りの中で、これを担ぐ人が火の魔石で点火して、いっきに火を通すんです。そうすると――』
リーティスさんは良い教師だった。
頓珍漢な質問をする俺に、時に堪えきれず笑い声を漏らし、慌ててそのことを謝ったり。きょとんと不思議なものを見るような目で俺を眺めたり。
そうしてずっと俺の傍にいてくれた。
『それにしても、ありがとう。リーティスさん』
『何がですか?』
『今日は俺と紅のために、村の祭司の時間を返上してくれているんだろう?』
昼前に神に祈祷する時間はどうしても欠かせないとのことだったが、その他の時間を全て俺達のために使ってくれている。とてもありがたい話だった。
彼女ほどに俺の言語習熟度を把握している人は他に居なかったし、村の農耕期間だのこの国の冠婚葬祭だの何かにつけて細かい事柄を知りたがる性質の俺にここまで付き合ってくれる人もそういない。
何より彼女は教え上手だ。
俺は一応、自前の特殊な"力"を使えば電話帳一冊の丸暗記も可能だが、それでは"力"を使っていない時にその知識を取り出すことが難しいという欠点があり、日用する一般常識に使うには不向きだ。再度記憶し直すことも可能だが、二度手間になる。
聞く者が覚えやすいよう、興味を持てるよう心を砕いて説明してくれるリーティスさんは代え難い教師役なのは間違いない。
『ふふ。気にしないでください。私としても、こんな機会でもなければゆっくり羽根を伸ばす訳にもいきませんでしたから。それに、お二人がいらっしゃってから、村の空気が大分和やかになってきましたから。そのお礼と思えば、足りないくらいです』
『村の空気が和やかに? それは……俺達が"やってくれる"かもしれないと皆が思ってくれているからか?』
『はい。少なくとも私は今、お二人のことを信じようと思っていますよ』
『まったく、責任重大だな』
俺がこの少女の名前を呼ぶとき未だに「さん」づけが取れないのも、この年若い少女が自分にとって敬意を覚える相手だと感じているからなのだと思う。
俺達に期待を注いでくれているこの少女には、俺自身も、そしておそらく紅も単純な好意以上の気持ちを抱いている。
『ええ、ですからちゃんと責任を取ってください。それと、私が最後に案内する場所ですけれど……』
リーティスさんの案内で最後にやってきたのは、陽に炙られた藁の匂い漂う小さな屋敷で、その中身は書庫になっていた。
狭いながらも並んだ書籍の数はかなりのもので、立ち並んだ本棚はどれもはちきれそうになっていた。
印刷技術が無いらしいこの国でこれだけの本を集めたという初代村長は一体何者だったのだろう。
『カオルさんが知りたがっていた「剣士」の"闘技"とこの国の兵法に関する書籍がこれですね。あと、歴史に関する書籍は――』
ざっと書棚に目を通し、てきぱきと書物を取り出し始めたリーティスさんに倣い、俺も書棚の探索に入った。
読みたいものは幾つもあったが、その全てを正道な手段で読み解く時間は少なくとも今はない。よって、目星をつけた書籍の大半は一時的に別書棚に移し、後々借りて読むことになる。
――ということにして、パラパラとめくった本の内容を"完全記憶"して、いつでも引き出せるようにしておいた。
『それと、カオルさん。すみませんけれどそろそろ祈祷の時間です。私はこれで――』
『ああ、それなら俺もついていく。教会の清掃、今日の分はまだなんだろう? 祈祷の間、俺にやらせてくれ』
そう提案したのは、楽しい時間をくれた女の子へのせめてものお礼のつもりだった。古い書物を丁寧に棚に戻し、恐縮するリーティスさんについて教会へ向かう。
『ありがとうございます、カオルさん』
そして訪れた教会の祭壇で行われた祈祷の最中。事件は起きた。
『――ッッ――――――ァ――っ!』
『リーティスさん!?』
それは何の前触れも無かった。
突然、見えない雷に撃たれたかのようにリーティスさんがひきつけを起こしたのだ。
神前に手を合わせ、静かな祈祷の体勢を維持していたリーティスさんの体が大きく揺らぎ、崩れ落ちる。
『ぇあ……ありあ…………さ』
教会の床に転がった彼女を救い起こすと、真っ青で震えるその口から、言葉にならない何かが漏れ出ていた。眼の焦点は合わず、全身には一切の力が入っていない。
『……脈拍正常、呼吸安定。瞳孔、明反応あり。あとは体を――!』
焦る心を封じ込め、己の身体を診察と介護のみを効率よくこなすだけの存在に置き換える。
手早く容態を確認し、教会の備品にあった毛布の上に彼女の体を寝かせ、俺は隣の家まで走った。
呼んできた村人の奥さんに、青白い顔で横たわるリーティスさんを診せると、奥さんが血相を変えた。
『兄ちゃん、氷取ってきんしゃい! 場所、わかるかい!?』
『分かります! 今すぐ!』
つい数十分前、リーティスさんの案内で訪れた氷室まで全力疾走し、氷を抱えて教会に戻ると、いつの間にか介抱している女性が三名に増えていた。
そのうち一人があんたこの子に何をしたんだい、と俺に詰め寄り、最初に俺が呼んで来た奥さんがそれを抑える。
『この子の話聞く限りじゃ、"神託"を受けたんだろうと思うんだけどね』
『神託なら確かに、リーティスちゃんが倒れたことにも説明がつくだろうけど、こんなになるまでのは初めて見たねえ』
男が寄るなと追い払われ、手持ち無沙汰になると、心の焦りだけが増していった。二人が何を離しているか、耳に入ってこなかった。額から汗を垂らし、唇を引き結び、今も体を震わせるリーティスさんが目の前にいるのだ。
奥様方からの話を聞く限り、命に別状はないという。けれど、さすがにこの様を見て、放っておけるはずがなかった。じりじりと迫りくる試合開始の時間を天の太陽の所在で知りながら、リーティスさんの無事を祈った。
そして太陽が空に昇った頃、目を開けた雛鳥のような声がリーティスさんの喉から漏れた。その時俺は、ああこれが白雪姫の目覚めに立ち会った七人の小人の気持ちかと、安堵の息を吐いた。
そして――
『ぁあああああ! もうお昼じゃないですか、カオルさん! ごめんなさい、私のせいで。私は後から行きますから! ほら、急いでください! 早く!』
起きてすぐ、窓の外を見て慌てふためくリーティスさんに、俺はあくまで冷静に、彼女の気持ちを落ち着ける言葉を見繕った。
――よし。無事回復したみたいだな。良かった。頬は白いが、すぐに血色は戻るだろう。ああ、良かった。問題は身体面より精神面か。本当に心配した。精神の安定を図らせるなら、ひとまず何か落ち着けつける一言を。無事でよかった。ああ、二重思考が邪魔だ。切ろう。――というか、リーティスさんを落ち着かせるのに俺が落ち着いてないでどうする。しかしどうしよう。ひとまず、無理はしないでくれとだけ伝えるか? あの時はかなり危険な倒れ方をしていたんだ。そのまま暫く横になっているんだと伝える方が先だろう。なら、倒れた時の様子を仔細に伝えてみるか? ただならぬ様子だったと。ああ、あれは酷かった。祈りの姿勢のまま、急にびくんと震えて、まるで心臓麻痺でこと切れたキリンのように……ってこの例えは余りに不謹慎だな。まったく。これがリーティスさんならきっともっと良い例えが――いや、話が脇道にフルスロットルしかけているな。この際良い例えなんていらない。とにかく今大事なのは一言。そう、あくまで一言だ。それに尽きる。情報量は要らない。感情が高ぶっている相手を落ち着かせるのは雄弁な能書きより落ち着いた一言だ。――関係資料のデータを纏めてざっくり計算すれば、83%以上の確率でこれが正答だと推定できる……よし。決まった。この場合の最適解は短く名前を呼ぶ。これ一択だ。よし、そうと決まれば……
『リ……』
『ほら、リーティスちゃん。落ち着きな。今の今までぶっ倒れとったんだからね?』
第一声は奥さんに負けた。
『私でしたら大丈夫です! これでも神託の経験は何度かある身ですから! ほら、カオルさん。急ぎましょう! ノーラさん、クエラさん、エニスさん、どうもお世話になりました、ありがとうございます』
『良いって良いって』『気にすんな』『本当にこの男のせいじゃなかったんかいね。つまらんつまらん』
『では、行ってきます!』
布団から跳ね起きたリーティスさんは、とても先ほどまでぐったりと伏せっていた人間とは思えない軽やかな足取りで部屋を飛び出していった。
『待ってくれ、リーティスさん!』
病気で倒れた訳ではなさそうな元気の良さだが、意識を回復してすぐ体を動かすというのは危ない。
慌てて追いかける羽目になった俺は、思いのほか軽やかに駆ける彼女に舌を巻きつつ、何とかその背に追いすがった。
『え? カオルさ……』
『いいから』
『――はい』
途中、やはりというか危うい足取りでふらつきかけたのを見て、俺はリーティスさんの手を取った。
いっそのこと抱えて走りたいという気持ちを抑え、先を走りながら確実に先導する。
そして俺は、紅達の待つ訓練場まで駆け抜けることになったた。
『すみません。遅れてしまいました』
約束の訓練場に着くと、村長がくるりと振り返った。
「おお、着いたか」と笑顔で俺達の非礼をはははと笑って流す。
どうやら俺達を待つ間、対戦相手との対話役を務めてくれたらしい。
「遅せえよ、兄貴。二人で何してやがったんだ?」
謝罪の意を込めてリーティスさんと頭を下げていると、紅の声が降ってきた。
顔を上げるとそこには、ぶすりと膨れた紅の顔が。見るからにご機嫌ななめのようだった。
小さな唸り声を上げており、足元に群れていた子供たちに心配そうな目線を向けられていた。
「リーティスもリーティ……ッ。あ、いや、……、うん、リーティスは悪くねえ。兄貴が悪いんだ兄貴が」
紅は今一度俺の顔を睨み、ぷいと踵を返した。そのままのしのしと鍛錬場の中心、簡易闘技場の中まで歩いて行く。
『お姉ちゃん、頑張ってー』『負けんなよ』『ファイ、オー』
紅の良く分からない首をひねっている俺を他所に、紅の周りを囲んでいた子供たちが解散し、思い思いに周囲の観客席に散っていった。その内の幾人かは俺に対しても『頑張ってね、兄ちゃん』『楽しみにしてるからな!』と、激励の言葉を添えてくれる。
俺がロリコンやショタコンだったら大いに奮い立ったのだろうが、幸か不幸かそんな属性、俺は持っていなかった。
勿論紅も持っていない。
俺の部下には持っている奴もいたか。
――そういえばASPの隊員には、何故だかアブノーマルな嗜好持ちが多かったような。同僚の女の子が気になってしょうがないんです!、とか顔を赤らめて相談を持ちかけてきた女の子もいたな。
『カオルさん?』
その女の子も髪が長くて、やや控えめというか大人しめ、人一倍他人に対して心配をする性格という点では、今、俺のことを困惑気味に伺ってきている少女に通じるところがあった。どうでも良い話だが。
『行ってくる。リーティスさんは無理せず、休んでいてくれ。さっきのことがあったばかりだ』
『ええ、そうさせて貰いますね』
リーティスさんがくるりと背中を向けると、観客席にいた一人の女の子が立ち上がり、リーティスさんに向けてパタパタと手を振った。たしか、先ほどまで紅の傍にいた子だ。
それに気づいたリーティスさんが手を振って応じ、そちらに足を向けた。笑顔でぴょんぴょんと跳ねる女の子の無言の求めに応えて、リーティスさんが勢いよく飛んできたその子の体をかしりと受け止める。
『さあ、行くぞお前ら! 普段から苛めぬいて鍛えたその体が伊達じゃねえってことを見せてみろ!』
『『『うおおおおおおおお!』』』
突然野太い掛け声が上がり、振り返るとそこでは俺達の対戦相手――ココロ村青年団が円陣を組んでいた。
その円陣の真ん中に陣取って檄を飛ばしているのは、青身がかった黒髪を坊主頭ぎりぎりまで刈り込んだ、見覚えのある男。青年団のリーダー、ザック。
あらためてみるとかなりの巨体だ。身長にして180㎝はあるだろう。この世界の農村の栄養事情からは信じられないほど大きい。
腕は丸太のように太く、その力強さを伺わせ、熱の入った気合を声に載せて放つ横顔は鷹か豹のごとく厳めしい。
――気合を入れなければな。
あの腹の底から打ち出した掛け声を聞けばわかる。
彼らは真剣だ。真剣に、俺と紅を見定めようとしている。
自分たちの運命を委ねるに値する相手か否か。
それだけの強さを持っているか。それだけの信頼に値する相手か。
己が全霊をもって図ろうとしているのだ。
『おお、カオル殿。最初の試合はベニどのが担当するということで良かったかの?』
気付くと、紅と村長の待つ、闘技場向かいに到着していた。
カードル村長が試合の段どりの再確認を始め、俺の通訳を聞いた紅が不敵に応じる。
「おう、あたしが一番槍だ。何なら青年団全員を相手しても構わないぜ?」
試合に対する気合は充分なようだ。
紅の返答を即座に通訳すると、カードル村長が、にいっと笑顔になった。
『おうおう、良い気構えじゃ。じゃが、すまんのう。ザックの奴は初めからカオルどのとしか戦わんと言っとるし、ベニ殿の言うようにはできぬ』
とすると、青年団は紅ではなく俺の方を主戦力と見ているのだろうか。
魔法のあるこの世界においても、戦いは基本的に男の仕事だ。
俺達は共に魔法を得手としていないと申告しているから、男である俺が紅より強いと見ている可能性は高い。
まともな武器を持たない今の俺の戦闘能力は実の所、紅のそれをはるかに下回っているのだが。
――まともな武器、か。せめて弾薬の類をもっと持ち込めていれば。
この世界に来た時に所持していた弾薬は残念ながら標準装備のおよそ一戦闘分のみだった。小銃も手放しているため、使える銃もサブウェポンである拳銃のみ。
この世界の技術力では弾薬の複製は難しいため、これ以上の補充が望めない。万一に備えて切り札として温存しておくべきだろう。
「ま、とっとと終わらせて来るからよ。兄貴もすぐに戦えるよう準備しとけよ」
「ああ。先鋒、頼んだぞ」
「任せとけ」
紅は村長との打ち合わせもそこそこに試合場に入っていた。ペキペキと拳の音を鳴らし、肩を大きく回し、気合も集中も興奮も十分。ついでに俺に向けて親指を立て、ウインクまで飛ばしてくるほどの余裕もある。
「ほらよっと」
充分な助走で勢いをつけた紅は地を蹴り、空中で派手な一回転を決めながら試合エリアに飛び込んだ。フィギュアスケート選手のような魅せるためのジャンプスピンが決まる。
回転も着地も、文句のつけようがないくらい完璧だ。粋な登場方法に主に子供たちのいる辺りから歓声が上がっていた。
歓声と拍手に手を振って返す紅の向かいには熊のような大男が立っていた。この村一番の大男――身長だけなら団長氏以上というその男の名はゴーシュ。
肩幅が広いためか実身長以上に大きく見え、脇に立つ身長160㎝に満たない紅がまるで小さな子供のようだ。
その両手には太い木刀が握られている。
厚めの布でぐるぐる巻きにされている刀身は対戦相手への気遣いだろうが、その巨大シルエットはまるで鬼の棍棒のようだ。
それに相対する紅も観客に向けていた笑顔を収め、顔つきを既に戦士のそれに変えていた。
そこに気の緩みや油断の気配は感じ取れない。膝を軽く落とし、目線は基本に忠実に、相手の喉元を真っ直ぐ射抜くように放っている。息吹を放って精神を沈め、静かに試合の開始を待つ。
両者共に準備は万端。あとは開始の合図を待つだけである。
この試合の審判を務めるのは村長だ。
『開始いいいいいいいいいい!』
村長が掛け声とともに腕を振り上げ、戦の火蓋が切って落とされた。
『ぉおるぁぁああああああ!』
まずはゴーシュ氏が先に攻撃の構えを見せた。
裂帛の気勢を上げ、両手を振り上げる。刀術で言う上段の構えだ。上段の構えは重力と質量を載せた一撃で相手を叩きつぶす、攻めの構えである。
巨体を活かした突進技。腕力にものを言わせた縦割りの一撃。強力な攻撃パターンは無数にある。
どの攻撃方法を選ぶかはゴーシュ氏次第だが、初撃は彼からで間違いなかっただろう――普通の試合運びなら。
「おっと。悪いな。もうチェックメイトだぜ」
しかし、そうはならなかった。自身の首に向けられたごつい獲物の切っ先を見て、ゴーシュ氏が愕然とした面持ちになる。
紅がゴーシュ氏の動きを止めるべく喉元に突き付けたそれ。その長物は、布でぐるぐる巻きの金棒のように大きい木刀。ゴーシュ氏が試合開始に握っていた武器とそっくり同じ形をしていた。
何が起きたか分からず呆然とするゴーシュ氏に対し、紅が獰猛な笑みでちろりと唇を舐めた。そしてゴーシュ氏は虚しく空気を掴む自身の両手を見上げ、ふっと肩を落とす。
俊足で間合いを詰めた紅に己が振り上げるよりも早く武器を取り上げられ、それが己の急所に向けられているともあれば、勝負は既についている。
紅の宣言した通り、もう詰みだ。
『まいった。降参だ』
開始数秒で決した一回戦の勝者は、自分の背丈より長い木刀を片手でぶんと振り回し、どん、と地面に突き立てて見せた。大男なゴーシュ氏の身の丈に合わせて作られたと思しきその木刀は、小柄な少女であるところの紅に良く似合っていた。
続いてやってきた二人目の対戦相手はもう少しだけ早く敗北した。
開始の合図と同時に足元に潜り込んで来た紅に肩元と膝を両手で捕まれた哀れな男は、どこか楽しげな悲鳴と共に抱え上げられ、そのまま投げ飛ばされた。
場外線を越えて吹き飛んでいく男の姿を、観客の殆どが口を開けて見送った。
三人目はゴーシュ氏都の一戦目を超える最速で敗北した。
急接近した紅が放ったサマーソルトを顎にくらい、地面に大の字で伸びてしまった。
(紅さん、凄いですね……。二戦目のあれは「闘技」ですか? もしかして魔法も?)
紅の一方的な試合運びにぽかんと口を開けていたリーティスさんが意思疎通魔法を飛ばして尋ねてきた。
残念ながら不正解。
四人目をのした紅の勝どきを背に聞きながら、観客席のリーティスさんに見えるよう首を横に振って答える。あれらは全てただの体術だ。
人の域を越えた身体能力と、それを最大限に活かすべく作り出された戦闘術を紅はその身に刻み込んでいる。
まあ、20センチ以上も身長に差のある相手を紅のような小柄な少女が投げ飛ばす姿を初めて見れば、魔法かと勘違いしてしまうのも無理はない。
ASPの隊員が学ぶ武術は地球で発達してきた種々の武道を元にしているが、その様相は若干異なる。
一般的な武道が「出力に限りのある四肢と肉体」を武器とし、同じスペックを持つ相手を想定しているのに対し、ASPの武術は「相手が基本的に人間である」こと以外の前提条件を全て取り払ったうえで構築されているのだ。
それ故ASP隊員が学ぶ武術は相手の意識の外に回り込む術、フェイントをかけて相手の防御を誘導する術、おおよそ「人であれば必ず弱点として抱えている点」を突くものが多い。紅のレベルになると、常人には警戒させる暇も与えないまま懐に潜り込むことができ、どんな無茶な体勢からも高威力の攻撃を放てる。
相手を威嚇しつつ本命の攻撃を読ませない動の挙動、相手にこちらの攻撃の気配を悟らせない静の挙動。それらを効果的に使い分け、相手の戦力がどのようなものであっても戦えるような戦闘を構築をしていくのである。
魔法やその他の不可思議な技術のあるこの世界でも、相手が「人間」でありさえすれば有効なこの戦闘技術は問題なく力を発揮できる。
(あ、紅さんまたあんなに高くジャンプしてます……。あれ本当に何の魔法も魔力も使っていないんですか!?)
そんな驚きの言葉が、リーティスさんの柔らかな声に乗って頭に響いてきた。普段大人びている少女が上げる年相応の驚きの悲鳴が、なんとも耳に心地良い。
そして紅の対戦カードは進み、あっという間に本日最後の回がきた。
『カートレットと言います。よろしくお願いします、ベニさん。勝てるかは分かりませんが、僕の精一杯をぶつけたく思います』
最後の相手は、聴いていた通りまだ15歳かそこらの少年だ。刈り込んだ前髪の下にある相貌は、いかにも素直で朴訥な雰囲気を醸し出していた。紅に向けた礼儀の適った一礼を見れば、相応の教養の深さもうかがえる。強そうには見えないが、賢そう、或いは優しそうといった感想が出てくる少年だった。
しかし彼は、それだけの存在ではない様だった。
頭にはしっかり巻かれた(はちがね)。体を包むのは重そうな金属鎧。普通ならば立っているだけでも負担のかかる完全武装でやってきたこのカートレットという少年は、両手に鞘入りの長剣と小盾を持ち、中々に堂のいった構えを取っている。
総重量数十キロにおよぶこの重装備でまったくふらつかず、構えを続けられる時点で、ただものではない。重さに動きを束縛されないだけの技量を保持しているのか、或いはその重量をものともしないほど筋力、もしくはそれに準じる力があるのか。いずれにせよ、それまでの村人たちとは格が違う。
その様子を見て、紅が目を輝かせた。
「その剣、本物だよな? せっかくのモノホンの剣だ、鞘から出してかかってこいよ」
紅の挑発をこちらの言葉に訳してやると、カートレットは素直に鞘を抜き払い背後に放った。彼自身、"武器"としての概念があやふやになる"鞘入り"の剣で紅の相手はできないだろうと分析していたのだろう。
『では、遠慮なく』
カートレットが抜いた剣は、随分と年期を感じさせる代物だった。幾度も巻き直されたのだろうボロボロの柄ごしらえに、微かに錆の浮いた刀身。村の近辺に出没する魔獣を幾年、幾十年にも渡って斬り続けてきたのだろう。歴代の村の勇士、或いはかつてこの村にもいたという領派遣の騎士の腰に下げられ、振るわれた剣だ。
その頑丈さのみが取り柄の無骨な剣に今、力が宿る。
剣の握りを確かめるよう、カートレットが二度、三度とその剣を振るうとその軌跡から、まるで何かの波動が放出されたような感覚があった。色も輝きもない、本当に微かな力の波動。腹の奥を揺さぶるような波が押し寄せてきて、あっという間に通り過ぎて行った。
俺でさえ気づいたそれに、勘の良い紅が気付かぬはずがない。
「へへっ」
口元を緩め、しかし全身は来たる戦いの始まりに向け、研ぎ澄せていく。元より強い眼光を放つ眼を見開き、握る拳をカートレットへ向けた。
『それでは、次の試合を始める。ベニ殿対カートレット、試合始め!』