第七十六話:<金髪少女に狂った男:下>
遅刻すいません……明日中には、この男の話を完結させます。
「あ、兄ちゃんだ!」
「ホントだ! モリガン兄ちゃ~ん!」
孤児院の前に停車した、軍馬と見まごうほど巨大な馬に引かれた、豪奢な馬車。
その中から悠然と姿を現したのは、家の前にたむろしていた子供たちの良く知る、一人の男だった。
一年ぶり。いや、もう二年近く会ってはいなかっただろうか。
その間に、その男は以前とはまるで異なるオーラを身に着け、放つようになっていた。
権力者が纏う、どこか超然とした、浮世離れした雰囲気――だが、それだけでは無い。
それに付随して、人生を諦めた者が醸し出す諦観の雰囲気にも似た、奇妙で、危うい空気を漂わせていた。
過去に彼と一度会った程度の人物であれば、今の彼を見て同一人物とは気づくまい。
けれど、子供達にとってそれは大きな問題ではなかった。
どんなに纏う空気が変わり、見たこともない荘厳な衣装に身を包んでいたとしても、
その男はまぎれもなく、かつて彼らと共に笑顔で遊び、困窮する彼らを陰から支えてくれた、優しい「モリガン兄ちゃん」だったのだから。
「おい、貴様ら! 男爵様に向かって馴れ馴れしいぞ! ええい、いったいどこからこれほどわらわらと湧いてきた! 貴様らは虫か何かか!?」
「……お気になさらず。私は寛大な男です。これくらい、気にしませんとも」
「何だよ、兄ちゃん、変な喋り方だな」
剣に手をかける護衛の男を手で制したモリガン青年が、歩み出した。
そんな彼の周りに笑顔の子供たちが群がり、口々に「おかえり」の言葉を連呼する。
けれど、モリガンはまるでそれらが聞こえていないとでもいうように黙して口を開かず、粛々と歩を進めて数年ぶりとなる院の門を潜った。
自分たちの呼びかけに答えないモリガンと、その背を追従して歩いてきた白髪に片眼鏡を載せた男性に訝しげな視線を浴びせかける子供達。
その不躾な視線に眉を潜めた白髪の男が、聞こえよがしに溜息を吐き、ぐるりと院内を見渡した。
「ふむ。前男爵はよくぞまあ、これほど無駄の多い施設を作ったものですな。卒業者の成長に期待をかけたのかもしれませぬが、所詮捨て子は捨て子。何の成果も上げてはおりませぬとのこと」
「はあ!? 何言ってんだよジジイ! 俺らを――ムガガッ!?」
激昂の声を上げかけた男児の口を、傍にいた成人近い少女が手で押さえて封じた。
彼女を含む勘の良い者達は、ジロジロと家畜でも眺めるような視線で自分達を眺め回すこの老人が、何かとても重要な――それこそ、今後の自分達の運命をその手で握るような人物ではないのかと感じ取っていた。
「それで、新財務長官殿? 貴方が申されたようにこの施設を潰せば、本当に我が領にとってプラスになるんでしょうね?」
「はい。勿論でございます」
白髪の男が、恭しく彼の主――モリガンに向けて首を垂れた。
その口元には、隠し切れぬほどの喜悦の笑みが浮かんでいる。
まるで今夜の献立でも決めるかのような気安い調子で、孤児達にとっての悪魔の宣告を放ったモリガン。
じっと眼前の白い頭を眺める彼の目は、昏い何ものかの感情を燃料に、静かに燃えていた。
「モリガン兄ちゃん……?」
「嘘……だよね。ねえ、嘘だよね!?」
子供たちは、目の前の男が口にしたことが信じられなかった。
いや、その表現は正確ではない。
目の前の男がそんなことを口にすることが、信じられなかった。
モリガンの袖を掴み、眼前にまで詰め寄って必死に翻意を促し、懇願する子供達。
しかし、それに対する応対は、乱暴に薙ぎ払われた右腕の一振りだった。
「ええい、離しなさい! ……そうですよ。今の私には、もう貴方達なんて必要ないんです。もうあなた方になんて認められようと! 認められまいと! 彼女は……彼女は……!!」
「兄……ちゃん?」
急に態度を豹変させ、乱暴に子供達を突き飛ばしたモリガンは、大きく肩を怒らせ、血走った眼で周囲を睥睨した。
はあ、はあ、と荒い息をつく彼が落ち着きを取り戻すまで、部屋にいた者達は、一言も言葉を発せずにいた。
「……せめてもの情けです。私があなた方に与えたものを返せとは言いません。好きに使いなさい。――それと、これは手切れ金代わりです。犯罪を働かない限りは我が領内にとどまってくれても結構。まあ、私は領を出ることを勧めますがね」
足元に、通貨の詰まった金貨袋を落としたモリガンが、そう告げた。
何かもの言いたげにモリガンを見た白髪男だったが、一睨みを返され、黙りこくる。
犯罪率の軽減の方策として、職域を越えて「身寄りのない者たちの拿捕」を提案した白髪男。
彼が「孤児」という存在に並々ならぬ憎悪を抱いていることを、モリガンは承知していた。
その上で今回は、「己の過ちの記憶」の末梢のために彼を利用すると同時に、貸しを作ることを選択したのである。
「――もう、ここに用は有りません。いきましょうか」
くるりと背を向け、院の出口向かうモリガン。
騒ぎ出し、彼に群がろうとする子供達を、護衛の者達が引きはがす。
耳に入って来る雑音を完全にシャットアウトし、天を仰いだモリガンは、震える声で、この場にいない誰かに向け、小さく呟いた。
「私は――僕は、もう”残念”なんかじゃない。なあ、そうだろう? 誰か、そうだと言ってくれ――”お前”じゃなくたっていい。誰か――誰か、僕を認めてくれ――」
葉揺れほどに小さく囁かれたその呟きは、誰の耳に届くことも無く――風に吹かれて霧消した。




