第七十三話:やりたいことを、やれば良い それがきっと子供の特権だから<彼女達は進路を選ぶ>
……遅れました。
少々詰め込み過ぎな感は有りますが、途中で切りたくは無かったのでこれで一話です。
side:紅
アリスと対面したことで、いきなり妙に取り乱し始めたユーノ。
椅子を蹴って勢いよく立ち上がった彼女の手元に、リーティスが、注いだばかりのお茶をそっと差し出した。
『はい、どうぞ』
『え、あ、ありがと』
『いえいえ。あ、アリスとベニさんも飲みますか?』
『ちょうだい』「ああ、頼む」
軽快なリズムを鼻歌で刻みながら、あたし達の分までお茶を用意し始めたリーティス。
それを横目で見つつ、ユーノが手元の湯呑を口に運んだ。
一口飲んで、ポロリと呟く。
『あ、おいしい。良い香りじゃん』
『この町の特産品だそうです。落ち着きましたか? ユーノ』
『う、うん。ありがと、リーティス』
おお、やるな、リーティス。
天然なのか狙ってのことなのかは分からないが、お茶を飲んで一息入れたユーノは、すっかり元の落ち着きを取り戻していた。
一息ついたユーノに、何故友人であるアリスの姿を見て驚愕したのか、その理由を尋ねる。
変なことを口走ってしまったことをアリスに詫びたユーノが椅子上で足を組み、回答を始める。
何でも、彼女はアリスの親父さんが組織した”アリス捜索隊”のメンバーらしい。
名称はともかくとして、侯爵本人がアリスの捜索に着手していたってのは大きなニュースだ。
この町には、彼女を含めた何人もの捜索メンバーが来ているのだとか。
なるほど、自分たちが血眼になって必死に探していた相手が、何事もなかったかのような顔でひょこりと布団から顔を出せば、そりゃあ驚きもするか。
にしても、やたら捜索の手が速ええな。
まさか、侯爵領から遠く離れたこんな町にまで既にやってきているとは。
『元々、アリスがパシルノ領に向かったんじゃないかってことは分かってたんだよねー。アリスが家に帰ってこなかったその次の日に、アルベルトさん……アリスのお父さんが、領を出た馬車なんかの情報を全力で集めてたからさ。そしたら、「雇人不明の商用馬車」がその日に出立してて、さらに同じ日に冒険者ギルドに急な依頼で「パシルノ地方までの護衛」を募集していたっていうじゃん。この二つを結びつけるのはそう難しいことじゃないでしょ?』
うーん、なるほど。そういや兄貴が言ってたな。
アリスのことだから割と重要な手掛かりを意図せず領内に残しているかもしれねえって。
まあ、アリス本人が、出立時のことを余り語りたがらず、
兄貴は嫌われてて聞けない、
リーティスは遠慮しちまって聞けない、
あたしはそもそも尋ねかけることさえできねえから、ってことで詳しいことは聞かねえまま保留になってたけど、兄貴の予想通りだったって訳か。
『へえ、あの家臣の人、私が居なくなったこと、お父様にすぐ連絡してたのね』
『そりゃそうでしょー。“あの”アルベルトさん相手だし。下手を打ったら一家係累丸ごと揃って悲惨な末路……そりゃあ、すぐに連絡するってもんでしょ。誰だって飢えた猛禽の前に生肉は置かないじゃん?』
アリスの父親は部下のミスを決して許さないような類の人間なのか?
結果オーライだが、アリスが実家のことを語りたがらないのって、そのあたりに原因が有ったりするんじゃねえだろうな?
まあ、何はともあれ、これでアリスの身の安全は確保されたも同然か。
アリスの身柄は、アリス捜索隊の元締めたる、侯爵本人が保障してくれることだろう。
となると、アリスとはここでお別れか……少し、寂しくなるな。
ココロ村の件も、侯爵に対応して貰えれば兄貴の王都到着を待たずして任務完了だ。
ユーノから捜索隊の事情を聞き終え、今度はこちらがこの町にやってきた経緯を説明することになった。
ユーノは、リーティスから彼女の故郷たるココロ村の現状を聞いて憤慨し、アリスが盗賊から受けた酷い仕打ちを聞いて絶句した。
しまいには剣呑な目つきで「あのクソ貴族、今からでもぶっ殺してやる……」などと呟き始めてしまった。
元々、ユーノは先ほど、まさにそのパシルノ男爵から直接話を聞くべくあの路地裏にやってきていたんだと。
……女の子にやらせる仕事じゃねえ気がするんだが、一体「アリス捜索隊」の内情はどうなってやがるんだ?
アリスとリーティスがいきり立つユーノを何とか宥め、今度は三人の近況報告と思い出話に花を咲かせ始める。
会話に加われず、ちょっと寂しい。
『そういや、リーティス、あんた、婚約したんだねー。おめでとう。お相手はどんな人よ』
リーティスの左手に嵌った指輪を目ざとく発見したユーノが、何の気なしに爆弾発言を投下した。
『え? あ、いえ、違います。これは――』
『旅の最中、糞以下の害虫が寄ってこないようにするために付けてるだけよ。それ以上でも以下でもないわ』
リーティスの弁解を遮って、忌々しげに口を歪めたアリスが、吐き捨てるようにそう告げた。
困惑の表情になったユーノが、目つきを鋭くしたアリス、気まずそうに顔を背けたリーティスの順に目線を巡らせ、――あたしの顔で停泊した。
――今はそれに触れてやるな。
アイコンタクトで、説明を欲する風のユーノにそう告げ、ため息を吐く。
アリスはまだ兄貴のことを信じ切れてねえんだよな……。
もう一生会うことの無いかもしれない年下の少女に盛大に嫌われたまま別れることになった兄貴の心持ちやいかに。
『あ、あの。そういえばユーノ。ひょっとして、このまま貴女がアリスを侯爵領まで連れて帰ってくれるんですか?』
『うん、そーだね。今この町に来てる私の仲間はあくまで先遣隊だからそんな数はいないんだけど、冒険者ギルドで護衛を――』
『私、まだ帰らないわ』
『え?』「は?」『んん? どゆこと、アリス?』
おいおい、ちょっと待てよ、アリス。
あたし達はお前を無事侯爵領に届けるためにここに来てるんだぜ?
『どういうつもりですか、アリス?』
あたしと同じことを思ったらしいリーティスが、困惑に眉を顰めながら、腕組みするアリスに真意を問い質した。
『だって、リーティス。貴女、私が帰っても、このままアルケミの街を目指すんでしょう? そこで――あの男と、会うのよね?』
『え? ええ、まあそのつもりですけど』
『……やっぱり』
『んん? ねえ、リーティス。貴女の”ココロ村をパシルノの悪政から救う”って目標だけど、それなら私達が――というか、アルベルト侯爵が代わりにやってくれると思うよー。護衛費用くらいなら私が立て替えてあげるから、村に帰ったらいいじゃん。なんなら一緒にヴェルティ侯爵領まで来る?』
『それは……えっと、それは、そうなんですけど……』
アリスとリーティスのやり取りに口をはさんだユーノ。
彼女が提示した、リーティスも村に帰ってはどうかという案に、リーティスはしかし、煮え切らない返事をするばかり。
――ああ、そうか。何となくリーティスもあたしについてくるもんかと思っていたけど、リーティスがこれ以上あたしの旅路につきあう義理は無いのか。
チラチラとこちらを伺ってくる、この世界でのあたしの最初の友人たる少女を見ながら、どうするのが彼女にとって一番良いのかをあたしも考えてみる。
――そういや、あたしと兄貴の目標である「元の世界に帰る手段を探す」って目標も、侯爵みたいな実力者に手伝って貰えればずっと楽になるんじゃないか?
侯爵に、アリスを助けた謝礼として、その程度のお願いをするくらい許されるよな?
アリスとユーノに頼むだけでも充分だろうが、リーティスにもついて行ってあたしの代わりに頼んでもらうというのも良いかもしれねえ。
「あたしのため」って言えばリーティスも従ってくれるんじゃねえだろうか。
まあ、リーティスが「村に帰りたい」というのならそれまでだが。
『家に帰りたくない』と言っているアリスを引っ張っていける人材という意味でも、リーティスにはヴェルティ侯爵領に行ってもらうべきじゃあ――
『でも私はやっぱり……、ベニさんと、アルケミの街まで行きます』
そんなあたしの思考を、リーティスの一言が撃ち抜いた。
何でだよ?
どう考えても一番魅力に乏しいルートを選ぶってのか?
何故、その道を選ぶ?
アルケミの街にあるのは、――兄貴の存在くらいなもんだぞ。
――それとも、それが答えなのか?
『へえ……。ねえ、教えてよリーティス。貴女、あの男のことどう思っているの? 誤魔化しは、無しよ』
『……』
膝立ちになって目を覗き込んできたアリスから身を躱すリーティス。
黙り込んじゃいるが、その沈黙そのものが、アリスの問いに対する何よりも雄弁な回答だ。
――そういう、ことなのか?
リーティスは本気で兄貴が好きで、故郷に帰るより兄貴に会うことを優先したいと。
そう考えてるって、いうのか?
『……やっぱりね。そうじゃないかと思ったの。目を覚ましなさい、リーティス。貴女、騙されているのよ。あんな外見だけじゃなく、碌な中身もない男に――』
『カオルさんは、そんな人じゃ――』
『じゃあ、どんな奴だって言うのよ! ベニ様にあんな――』
唐突に、リーティスの意思疎通魔法が届かなくなった。
流石に、喋りながら魔法を紡げるほどに集中できなくなったんだろう。
恐らくは、延々と兄貴に対しての悪口を言い続けているのだろうアリス。
けど、その口が一体今どんな言葉を生産しているのか、あたしにはもう分からない。
通訳がなくなったあたしは、すっかり蚊帳の外に放り出されてしまったという風のユーノと肩を並べ、黙って成り行きを眺めているしかできないでいた。
――いや、そうじゃない。
あたしにも、できることがあったな。
ベッドから腰を上げる。
そのまま、リーティスの肩を掴んで揺さぶっているアリスの背後に立ち、そっと抱きすくめた。
アリスがこちらを振り返り、どんな高価なお人形も敵わないほど綺麗な瞳で、あたしの顔を見てきた。
――血のつながった兄貴に、どこか面影があるその顔を。
――誰よりも兄貴に近しい者の、その顔を。
『……ッ! ごめんなさい、ベニ様……』
リーティスへの追及の手を緩めたアリスが、謝罪の言葉を述べた。
アリスは、感情が高ぶると思うままに突っ走ってしまうという厄介な性質があるが、根は悪い奴じゃない。
アリスが兄貴のことが嫌いなことは、しょうがない。
でも、嫌いな人間を悪しざまに罵り、その知り合いを傷つけることは、それとは別の問題だ。
あたしの顔を見たアリスは、そのことを理解し、自分が友人に何を言ってしまったのかを思い出して後悔の念に囚われているのだろう。
『リーティスも……ごめんなさい。私はただ、リーティスが、変な奴にとられちゃうのが嫌で嫌で、仕方なくて……』
『こっちこそごめんなさい、アリス。正直な気持ちを貴女に教えてなくて。これじゃあ、友人失格です』
『リーティスは悪くないわよ! 私が嫌な気持ちにならないようにって気を遣ってくれたんでしょ!? それくらい分かるわ!』
――よし、ひとまず仲直りさせられたな。
アリスの兄貴に対する感情は一朝一夕に解決できるもんじゃない。
でも、そのことでこの二人の仲が悪化するのは、さすがに看過できねえからな。
これで、良かったんだ。
ふと、謝罪を重ね合う二人の少女を見ていたユーノが、ポツリと漏らした。
『ねえ、なんか私だけ凄ーく置いてけぼりなんだけどー』
『あ、ごめんなさい!』
『えっとね、ユーノ。つまり私はリーティスが変な男に誑かされてないかが心配で、それを見届けるためにアルケミの街までついていくって話よ』
――「つまり」でもなんでもねえんだが、アリスが「侯爵領に帰らない」と言った理由は分かったな。
まったく。
友人が心配とはいえ、せっかく保障された自分の身の安全を放り出してまでやることじゃねえだろうに。
『はあ、なるほどねー。でもなー、うーん、どうしたもんかな』
『お願い、行かせてユーノ』
流石に、結構無茶な相談だと思うぞ。
少なくとも「アリスを連れて帰ることが任務」の人間に頼むような内容ではない。
しばらく頭を掻き、唸り続けていたユーノだったが、「たはー」と大きく息を吐き、告げた。
『私の一存じゃどうにもできないし、アルベルトさんに連絡してみるよ。返事が来るまで、この町で待機してもらうことになるけど、いいかな?』
『構わないわ。伝書鳩が使えるんなら、一週間も待てば返事は来るわよね?』
『どーだろ。ま、私にできる譲歩はこのくらいかなー』
『じゃあ、その間、また久しぶりにこの三人でゆっくり過ごせるんですね。ベニさんもいますし、楽しい一週間になりそうです』
リーティスが、にこりと笑顔を向けてきた。
あたし、お邪魔になってないよな?
仲良さげな三人を見ていると、少し不安になる。
『ああ、そうだ。せっかくだからさー』
ユーノが、手を叩いて、ニヤリと意味深な笑顔を見せてきた。
――何か提案でもあるのか?
いかにも「名案を思い付いた!」という雰囲気のユーノに、注目が集まる。
『どうせなら、この一週間のうちに私達の手で糞野郎に一泡吹かせて、スカッとしたいと思わない?』




