第六十九話:夜の町は、良い臭いがするんだ 懐かしい香り、心細くなる香り、高揚する香り、寂しさを感じる香り……そんな色々な、香りが<Girl meets Girl>
遅れてすいません(恒例)
今話は意図的に今までとは雰囲気を変えております。
……いかがでしょうか?
side:紅
逆さまの夜景が、縦に流れていく。
窓際で後転したあたしが刹那の間だけ見ることを許された、貴重な景色だ。
炯々(けいけい)と灯るコンビニエンスストアの明かりや、生真面目に職責を果たす街灯の列は、この町には無い。
夜闇を見通すあたしの目だけが捉えられる、本来の意味での非夜行生物たる人間の居住域、その夜の光景。
重力に引かれ、風を切りながら落下を続けるあたしの体。
頭上に迫る硬い地面を確認し、両足で背後の壁を蹴って、その足の裏で着地する。
ずさっ、と重い土嚢を地に落としたような音が周囲に響いた。
それを感知した宿の専属護衛士が一人、こちらに向かってきたが、あたしは既にその場にはいない。
――夜はあたしのフィールドだ。本物の獣人でもなきゃ、あたしを捉えられる“鬼”にはなれないぜ。
音を立てず夜闇の中を駆けながら、先ほど退出した宿の窓をちらりと見上げた。
――わりいな、アリス、リーティス、少しだけ外出してくる。
その窓の奥で床についている二人の少女に、心の中で小さく詫びる。
あの二人は今、あたしが外にいることなど予想だにしないまま眠り続けている筈だ。
何故なら―――
(あの、ベニさん! 今日は一緒に寝ませんか?)
「は? いや、別に良いけど急にどうした? っと、これじゃ分かんねえか、ええと……『リユウ、イッテ、ホシイ』」
手元の手帳をパラパラとめくりながら、何とか“こちらの言葉”で質問を返す。
この手帳は旅の最中、変態妖精の手を借りて作成した辞書的なサムシングだ。
ただ、あんまり出来の良いものじゃない。
文法構造・基本単語等、最低限言語を学ぶ上で必要なものは書き込んでいるが、その表記の大半は日本語。
発音をカタカナとローマ字で無理に表記しているので、リーティスの助けを借りなければ、満足のいく会話は困難だろう。
そんな付け焼刃なあたしの異世界語を、リーティスは聞き取ってくれた。
(あ、すいません。ええと、その……何となく、です)
リーティスの目が泳いでいる。
宙をさまようその目線が、机に広げていた兄貴の手紙を掠めたことを目ざとく発見した。
なるほど、理由はそれか。
――兄貴の指示ってことか? いったい何で……、って考えるまでもねえか。あたしの「夜散歩」を止めさせる一手ってことだろうな。
確かに、護衛役のあたしがほいほいと二人の傍を離れちまうのはまずいだろう。
でも、今日ばかりはちゃんとした“外出の理由”がある。
説明すれば納得してもらえるか? ……いや、無理か。
言葉で説明するには、あたしの語彙力が足りなすぎた。
説明できたにせよ、あたしが居なくなるという事で、リーティス達に不安を抱かせてしまう事には変わらない。
――あたしの腕を抱いて眠るリーティスをそっと引き離して、窓から出ていくのが最善かね。
「成果」を上げて帰って来て、宿のベッドに忍び込んで寝直せば気づかれねえだろう。
危険性計算をしてみても、今日の外出はそんなに悪い手じゃあないと思うんだよな。
成果次第では、二人の安全をもっと確実なものにできるかもしれない。
それほど時間がかかる用事でもないし、入口をきっちり塞いだこの宿の一室がそうそう簡単に破られることはない。
『ベニ様もリーティスも一緒の布団で寝るの!? じゃ、じゃあ、私も混ぜて欲しいわ!』
買ってきた旅荷物を整理する手を止めたアリスが、凄い勢いで首をグリンと回してこちらを向き、手を挙げて何事かを言ってきた。多分、混ぜてくれとかそういう提案だろう。
――ま、二人に増えたくらいなら、脱出の手間は変わらないか。
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……後で振り返ると、あたしはこの時点で多くの失敗をしていた。
危険性計算の際に、「あたし自身の危険性」に関する事項を考慮に入れていなかったこと。
言葉での説明が難しいからと、リーティスに外出の相談をしなかったこと。
そして、兄貴に貰っていた指示を一つ、守らなかったこと。
この失敗が最終的に何を生むのか、この時のあたしが知る術は何も無かった。
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――っと、勝手に出て来ちまった以上、さっさと仕事を済ませるか。
今回のあたしの“外出”の理由。
それは、パシルノ男爵にちょっかいをかけていくこと。
奴が宿泊している宿は、昼のうちに調べてある。
そこに忍び込み、不意打ちで「パシルノの護衛達」を片付けて、暫く再起不能にしてやれば、奴らの行動には暫く制限がかかるはずだ。
犯人手配されたとしても、明日、朝一番で街を出るあたし達が捜査線に引っかかることは無い。
――あたしなら、きっとこなせる。少しでも無理そうだと感じたら、潔く引き上げるまでだ。
ふと、決意を固め直していたあたしの耳に、小さな悲鳴のようなものが届いた。
まだ年若い、恐らくは、女の子の悲鳴だ。
出所は、あたしの右手の方に伸びた裏通りの先。
夜の表通りを駆けていたあたしの足が、その場に縫いつけられたかのようにピタリと止まった。
……行くべきか、行かざるべきか。
――問うまでもねえ。
すぐに腹を決め、そちらに足を向ける。
トタッ、トタッ、トタッ、と夜の町に足音を響かせながら、路地の中に入って行く。
清潔感ある表通りの街並みが遠ざかり、酒や黴の臭いの立ち込める何とも危うい雰囲気の世界が姿を現した。
ぽつぽつと灯る小さな明かりが、地べたに寝転がっている人間達を浮かび上がらせている。
塗装の禿げた汚らしい建物の壁にもたれ、地べたや階段に腰を下ろした男たちが、無遠慮な視線で、ランプと月明かりに照らされたあたしの横顔をジロジロと眺め回してくる。
立ち上がり、こちらにちょっかいを出そうと近寄ってきた男どもが居たので、視線を投げて牽制した。
この時間も起きてるような人間、この世界では碌な奴らじゃあるまい。
しかし、丈の長い旅装姿で帽子を被り、ASP製の遮光サングラスで変装していても尚、あたしが女だと分かるもんなのかね?
――あれか?
辛気臭い夜の裏通りを進むこと数分、先の声の主と思わしき少女を発見した。
その少女の顔には、狐の顔を模した奇妙な形の仮面がくっついている。
少女の周囲には人相の悪い男どもが囲いを作り、その少女を逃がすまいと円陣を布いていた。
男どもの中でも特に屈強な一人が、仮面の少女の片手を釣り上げ、何事かを問いかけているようだ。
それを確認したあたしは手近な建物の壁面を蹴って、向かいの家の屋根目がけて跳躍した。
男どもの囲いを上から見下ろし、状況のより詳しい把握に努める。
少女と男はかなりの小声で言い合っていたが、聴覚を強化したあたしには何の問題もなく聞き取れる。
まあ、言っている内容は理解できねえんだけどな。
『ほら。早く離しなさいって。私は本当に侯爵様の使いなんだってばー』
『信用して欲しいというなら、まずその仮面を外せ。そもそもここにパシルノ様がいらしていることをどうやって掴んだ? パシルノ様の宿はここではないぞ』
『そうだねー、ここは宿は宿でも『連れ込み宿』だもんねー。あんたらの移動は目立つから、通行人に尋ねていけば割と簡単に分かるの。なるべく早く連絡を取りたかったからわざわざ来てあげてるのに、この仕打ちは酷くないかな?』
『つい昨日、パシルノ様の屋敷に仮面の男女が入り込み、無茶苦茶に暴れていったという知らせを聞いている。貴様、そいつらとグルではなかろうな?』
『きっと仮面違いだよー。身分証の紋章印を忘れてきたのは私のミスだけど。侯爵の使いに手を出したってなったらまずいことになるのはあんた等のほうじゃないかなあ? 現パシルノ男爵の配下はおべっかと追従ばかり上手な脳筋ばかりって聞いてたけど、本当みたいだねー』
『ぬう、貴様、言わせておけば……』
――なんか、余裕そうだな。さっきの悲鳴は何だったんだ?
時折『パシルノ』という言葉が混じるのが気にかかる。
奴ら、パシルノ男爵の関係者か?
これは、思わぬところであたりを引いたかもしれねえ。
『いいから、さっさとそのけったいな仮面を外せ!』
激昂した男が少女の顔に手をかけ、その仮面を無理やりむしり取った。
半開きの目に、リーティスによく似た茶色の髪。まだ10代半ばほどと思われる中々可愛らしい顔が露わになる。
『あっ、駄目! 返し…… 嫌あぁああああああああぁぁ!! 離して、離してよぉ!』
仮面を剥ぎ取られた少女が、パニック状態に陥る。
髪を振り乱し、釣り上げられた体勢で足を滅茶苦茶に振り乱して、意味をなさないヒステリックな金切り声を上げ始めた。
ギョッとした大男が少女の仮面を手から取りこぼした。
地面に落ちて転がる仮面にむけて少女が必死に手を伸ばすが、虚しく空を掴むだけだ。
暴れまわる少女が、ついには呪文の詠唱を始めた。
それを見た男が慌ててその口を抑え、地面に引き倒した。
周りを囲んでいた男たちも輪を崩して少女の拘束に加わっていく。
――あの仮面か? あの仮面を外したから精神に恐慌をきたしたのか?
ともあれ、あのような状態の少女を放ってはおけない。
屋根から身を躍らせた。
ついでに足元の建物の外壁に、「あるもの」を投げつけておく。
一瞬の浮遊感の後、男どもの円陣の真ん中に着地する。
唐突に空から降ってきたあたしに狼狽する彼らを尻目に、地面に落ちた仮面を拾い上げ、少女に駆け寄る。
邪魔な男を横につっころがして、取り押さえられながらも抵抗を続ける少女の顔に、仮面を装着した。
『うあああぁ……。あ?』
少女がようやく平静を取り戻した。あたしの推測は当たっていたみたいだ。
『なんだ貴様は! そいつの仲間か!』
詰め寄ってきた男の足を軽く払って転ばせ、少女の背を掴んで起き上がらせた。
『ダイジョブカ?』
『んー? お姉さん、誰?』
『アタシ、紅』
『んん? ……聞いたことない、名前だなー。でも、助けてくれてありがとう』
先ほどまでの狂態が嘘のように平静を取り戻した少女が、頭をくいと下げながら、お礼と思しき言葉を言ってきた。
『お前ら、そいつ等を捕縛しろ!』
『や、そりゃまずいっすよ。本当に侯爵様の使いだったらどうするんすか』
『紋章印を持ってなかった以上、アレは正式な使いじゃあない! それに、先ほどの詠唱! これは単なる正当防衛だ!』
『それでもちょっと……』
『いいからやれ! 減俸するぞ!』
あっちゃー。
なんだか、あたしがさっき転ばした大男がすっげえぎらぎらした目でこっちのこと見てやがる。
大男の周りの男たちも、上司の無茶な命令に従うサラリーマンのような諦めた目をしつつ、腰の獲物を取り出した。
――ってこいつら、皆「剣士」かよ!?
最近何となく分かるようになってきた、魔力の通った物が放つ独特の波動。
それを、あたしを取り囲む八人の男たち全員の獲物から感じ取った。
あたし、結構やばいのに首つっこんじまったんじゃね?




