第七話:誰だって一つ二つあるだろ? 大事な決意ってやつ<大切な人を思って>
side:紅
異能者。それは世の理から外れた、「ありえざる力」を手にした者達の総称だ。正式名称じゃないけれど、たぶん一番広まっている呼び名かな。
政府機関ASPじゃ書類上、異能者のことを"患者"と呼ぶことが多い。悪質な"病気"にかかった保護すべき対象ってわけだ。国を挙げて対処しなきゃいけない、恐ろしく危険な感染症。
その感染症が日本に与えた影響は尋常じゃなかった。
最初の感染目撃報告から一月と経たず日本国中に広がったという、黒死病も凌ぐ感染速度。そして、感染者のみならず、周囲の人々の日常にまで浸食し、常識といえる常識を崩壊させた、恐るべき症状。
ビルが崩落した。猫が喋った。走っていた電車が馬のように跳ねた。夜空を飛ぶ奇怪な物体が多数目撃された。四月の冗句が十数年分纏めてやって来たような奇怪な報道が次々と成され、混乱は混乱を呼び、混沌の体を深めていく。
だけど、そんな目に見える、人間側にとっての混乱なんて全然大したものじゃなかったんだ。
同じ頃、世界で最初の異能者達が叩きこまれていた、混沌の極致とも呼べる狂乱の世界に比べれば。
――自分達は今、人間ではない別の何かである。
それを知ってしまい、かといって自分と同じ異能者の存在も知らずにいた最初期の異能者達が起こした最初の混乱期を、覚醒の遅れたあたしは詳しく知らない。
世界が彼達を受け入れられる体制を整えるまで孤独に戦い続けた彼らはその時、多くの悲劇の物語を紡ぎ、そして今も黙して語らない。
もっとも悲しく、凄惨な時期は過ぎ去った。それでも。そんな今でも、異能者にまつわる悲しいお話は尽きない。
元の暮らしに戻りたいと泣き叫ぶ子供を見たことがある。
こんな体なんかいらない、またお父さんとお母さんと、仲良く暮らしていきたいんだけなんだと必死に訴えていたあの子は、体から溢れさせた光の柱でその両親の遺体を粉々に壊していた。
やっと願いが叶ったんだと、涙を流して笑う女性がいた。暴力の檻で彼女を捕えていた夫を脳天から二つに割り、血だらけの浴室で狂ったように声を上げていた。
面白いことを見つけたんだと呟いた少年がいた。品行方正、成績優秀、教師にもクラスメイトにも評判の良く、愛犬と一緒に土手をランニングするのが日課だったというその少年は、乗り込んだあたし達ASP隊員に向けて、彼が収集したという異能者の首のコレクションを誇るように見せびらかしてきた。
変わってしまった自分に耐えられなかった者。おかしな体になってしまった自分を見る友や恋人の目が恐ろしくて、何かしなければと思い、誤った道を進んでしまった者。同じ異能者に突然襲われ、理性の箍を外して、暴走してしまった者。
色んな奴がいた。皆、昔の自分のままではいられなかった。
あたしもその中の一人だった。
――お前達は今日、これまでの日常に一時の別れを告げる。二年間。その間、親とも兄弟とも仲の良い友とも直接会うことはできない。その間にお前達は、それまでの自分を忘れろ。そして、今の自分を学べ。今、お前達を取り巻く世界を学べ。
あの日。あの白くさっぱりとした、がらんとした部屋のベッドの上で、……私はヘッドホンから流れてくる兄の声を一言一句逃さず心に刻み込もうとしていた。
――忘れるな。お前達は日常から消え去るためにここに来たんじゃない。日常に戻るためにここに来たんだ。元の日常に大切なものがあるなら、尚更ここで励め。
二年の後まで直接顔を合わせることすら許されないと通達された大好きな肉親の、あの生真面目なようでどこか抜けた感じの顔を思い浮かべて。
膝に挟んだ枕を力の限り握りしめて。
「絶対にやってやるんだから……!」
噛みしめた唇からはごわごわしょっぱい塩の味と、冷たく尖った鉄の味した。
「やってやる! やってやる! やってやる! やってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやるやってやる! やって……、やってやる……!」
今から4年前。まだ12歳だった私――竜崎紅はその時固く決意した。
「やってやる……!」
またもう一度兄――竜崎薫の隣に居られるようになってやろうと。
もう、こんな風に情けなく涙を流したりしない、強い自分になろうと。
今のあたしは、強くなれたんだろうか? あの時願った、強い自分になることができたんだろうか。
――まだあたしは答えを出せていない。
「はぁっ!」
正面に拳を放つ。
敵の防御を砕くための右の一撃で虚空を打つ。手早く引き戻し、その空隙に向けて繰り出すのは今度は左の貫手。腰で支え、踏ん張った脚と回した肩で打ち出す、本命の必殺の一撃。
貫いた。その手ごたえが全身を包む。
残心をして腕を下ろし、ここで一息。横隔膜を押し下げて、取り入れた新鮮な酸素でたっぷりと肺を満たす。
「ふう」
朝日が昇るにはまだ少し早いくらいの時刻、薄ぼんやりとした日の光の下で、あたしはASP式格闘術の型稽古に励んでいた。
稽古場に見繕った村の空地は草刈りが良く行き届いてて、水と栄養を吸った茶色の土肌が短い草の合間に覗いている。
陽の明かりの薄い早朝だからか、まだ人っ子一人来ちゃいねえ。つか、時計がねえから分からねえけど、まだ今は深夜に区分される時間かもな。
でもおかげで、邪魔の無い広い敷地を端から端まで好き放題駆け巡り、暴れ回れる。
「シィィッ!」
踏み込みと共に前に突き出した拳が鋭い音を発し、間髪入れず斜めに跳ね上げた蹴りが空気を凪ぐ。
腰を捻る、片手で地を叩く、肘をつき出す、手刀を振り下ろす、拳を叩きこむ。全速で連撃の型の一つを終わらせ、すぐさま次の型に移る。顎を打ち抜く掌底、腹を貫く肘の一撃、首を掴み、相手をねじ伏せる投げの型。
身体を動かしている内に、上半身に張り付いたシャツがはっきり水音を立てるようになってきた。夏の盛りは過ぎたっつっても、これだけ体を動かしゃそりゃあ汗ばんで来る。
飛び跳ね、手足を振るう度に体を撫でる朝の爽やかな風が唯一の清涼剤だった。汗と高気温で上がる一方だった不快度が大分和らぐ。あれだ、球技を全力で楽しんでる時とかと同じ、気持ち良い汗をかいてる感覚。
「はぁっ!! ――――――。ふぅ―――――――」
連撃の型稽古を区切り、次の鍛錬に移った。
呼吸を整え、腰を落とし、ゆっくりと、自分の体重を感じながら前に進む。拳法で「熊歩」なんて呼ばれる特殊な歩方。
あたしが朝早く起きて型稽古なんてしてんのは、訓練も実戦も余り機会がなさそうなこっちで食っちゃ寝の怠惰な生活を送ってたら、せっかく身に着けた体術が錆びつくかもしれねえと心配になったからだ。
これが兄貴なら「技術の訓練」なんて不要なもんは全く必要ないんだけどな。
「つくづく不公平を感じるぜ――っ! っと」
静から動へ。緩やかな動きから急激に加速する。大地を蹴って素早く宙返りを一つ。
天と地が一瞬で逆さまになり、村の入り口の方が視界に入り――、
「ん?」
逆さまになった視界の中で、こちらを見つめる多くの眼を見つけた。
『おー?』『あれ、なんだろー』『あれは"だんす"っていうげいじゅつだよ。ほら、もう一人の旅人のひともやってたじゃん』『なんか、すごいことになってたよね。足がぐわーって動いてた。ぐわーっ、て』
興味津々でこちらを見ているそいつらは昨日あたしが一緒に遊んでいた子供たちだった。
彼らの両親だろう大人たちも見えたので、着地と同時にさっと直立。汗にまみれた髪を一撫ででかき上げ、頭を下げて挨拶をしておく。
たぶん、朝早くから田畑仕事に向かうところだろ。どうも、お疲れ様です!
『見て来ていー?』『はいはい。今日は特別よ。後で畑にもちゃんときて、お父さん達の仕事を手伝う事。母さんたちがいないからって、柵の外に勝手に出ちゃ駄目よ?』『はーい』
お母様方が会釈を返すと、その後ろから子供達がちょこちょこと走り始めた。
何かと思ったら、どいつもこいつもあたしの直ぐ近くにまでわらわらと寄って来て、きゃっきゃと笑い、騒ぎながら思い思いの場所に座り込んじまった。
あ、もしかして、あたしの型稽古を見世物かなにかと勘違いしてんのかね。あたしをじっと見つめて来る子供達の瞳は、明らかに何かを期待している風。うん、どうにもそれっぽい。
「よおし。それなら見とけよお前ら、とびっきりのを見せてやる!」
腕を振り上げ、宣言すると、子供達から拍手が上がった。なんか照れくさいけど、ま、やることは変わらねえな。そう思いながら両手を地につけ、逆立ちをする。次の型はこの体勢からだ。
下半身を大きく回旋させ、腕一本で地を掴んだ後、とんぼ返りの要領で後方に大きく跳び退った。そしてそのまま腕で着地し、もう一回。そして今度は逆回り!
『おおおおお!』『なんかもっとすごいことになってる!』
沸き立つ子供達の期待に応えたくなって、そこそこ派手に体を捻る技、腕や頭で身体を支えるような技をちょいと余分に挟み込んだ。派手に魅せる動きってのは結構数がある。格闘の型ってのは、踊りに通ずる所が多いからな。
敵の背骨をへし折るための蹴り技で宙に円を描き、内臓ごと骨をぶち砕くために考案された両手足の左右突きで綺麗な大の字のポーズを決める。行き当たりばったりの不器用な踊りだったけど、やってるあたしも、見ている子供達も、気づけば笑顔になっていた。
あまり大技ばかりもつまらないかと思って地上でヨーガのポーズめいたマット運動もどきを始めると、何人かの男児がこれならいけるってふんだのか、あたしの動きを真似始めた。
――へえ。
少しペースを落としてやると、倒立やら猫のポーズやら、そこそこ運動神経が有れば問題なくやれるようなポーズは器用に真似てきた。
顔を真っ赤にして、腕をプルプルと震えさせながら逆立ちする男の子たちを女の子達が応援するもんだから、出来る奴は尚更張り切ってあたしについてこようとする。
――うし。んじゃ、こいつはどうだ?
少し意地悪をしてやりたくなり、テンポを若干上げてやる。
手の動きを真似ようとすると足がついて行かず、倒立から後ろに倒れるかと見せていきなりくるりと立ち上がって見せればほとんどの奴がバランスを崩してドングリみたいにころりと地面に転がった。
失敗した子供達にジェスチャーで座るように促すと、悔しそうな顔で座ってくけど、女の子たちの声援を一身に浴びながらまだまだついてくる男の子も二人ほど残っていた。
まあ、でもさすがにこっから先の動きにこいつらはついていけねえだろうなあ、ごめんよ。
さあ、お待ちかね。最後は立体機動の型だ。
元々は狭い通路での戦闘を想定して作られた型だが、古式プロレスの技術なども組み込まれ、地上でのアクロバティックな動きもその領分だ。
基本戦闘型の中じゃ、たぶん一番見た目が派手だろうな。
左足一本の片足立ちからこの型は始まる。左足を軸に、頭部から右足を一本の線に見立てて竹とんぼのように勢いよく旋回させる。
間近で生じた鋭い風切り音に、子供たちが歓声をあげた。
よし、よし。でも、まだまだこんなもんじゃねえぞ?
続いて右手のみで接地し、体のしなりのみで体のバランスを取りつつ攻撃を行う特殊な型を披露。見えない棒を掴みながら行うリンボーダンスのような動きだ。本来なら足で相手を絡めとり、寝技に移行するための基本の動き。
あとついでに、本来の型通りじゃ無えんだけど、調子に乗って右手一本の代わりに右手の人差し指一本でバランスをとってみた。別種の生き物のように自由気ままに動く身体を、人さし指一本で支える。
『どうやってんの!?』『転ぶとか転ばないとか、もうそういう話じゃないよねこれ……』『魔法?』『うわっは! いいな! すげえな!』
予想以上の興奮に包まれた観客の前で、あたしもすこぶる気持ちよかった。汗まみれの泥まみれだが、それ以上に嬉しくて、爽快な気分だった。
そして、そんなこんなしている内に数十分の楽しい稽古が終了した。
親に手を引かれ、もう一方の手でこちらにぶんぶんと手を振ってくれていた子供達に手を振り返して応じる。
――さて。一通りやることも終えたちまったし、ここまでにしとくか。
飛び回りすぎ、削り過ぎで来た時より大分荒れてしまっていた空地の地面を整え、あたしはその場を後にした。
――それにしても、いい汗をかいたぜ。リーティスの家に戻る前にちょっくら水浴びでもしてくるか。ああ、ついでに、子供達の井戸汲みを手伝ってくるのもいいかもな。斧での薪割りも、一度やってみたいとは思ってたし、挑戦してみるか。
やれそうなことはいっぱいあった。朝食を終えたら、もう少し村を巡ってみることにしようかね。
頭の予定帳に「やってみたいことリスト」を書き加えつつ、あたしはスキップを刻んで水浴びの出来る川に向かった。
そしてあっという間に午後は来て――待ちに待った模擬戦の時間だ。
場所はココロ村青年団の鍛錬場。ま、鍛錬場とは言っても仕切りも何も存在しないひらけた空き地だけどな。
観戦に集まったらしい村人たちも何もない地べたに直接腰を下ろしている。ぐるりと見渡すと、思ってたよりずっと多い数が観戦に集まっている。まあ、狭い村じゃ娯楽自体が少ねえだろうし、この試合結果次第であたし達が「直訴」役になるって話も聞いてるだろうし、興味も湧くか。
そう、今あたし達は村人皆にとっての注目の的だ。市民皆が関心を持って戦いを見に来ているという一点だけを見れば、今この場はローマの大闘技場と変わらねえ。
全身の血を沸騰させるような熱い戦いは求められてねえけど、心を震わせられるような立派な戦いぶりは求められている。あたし達は精一杯自分の強さを示して、観衆の信用を得ようとしている新人挑戦者って訳だ。
とはいえ対戦相手の殆どは、武術を体系的に学んだことのない、魔法も使えない、本当にただの村人らしい。ただ、ちょっと気になることもある。
「ただし、お前の最後の相手は「剣士」の資質持ちだそうだ。戦力的・能力的にはお前の方が有利だし、負けることは無いだろう。ただ、油断はするなよ?」などと言いながら、あたしに模擬戦について説明してくれた兄貴の意味深なニヤニヤ笑いを浮かべてやがった。
剣士の資質なんつっても、そんなものはただの身内びいきの評価の可能性もある。
まして訓練もして無いっていうのならそれこそ資質以上のものは無いだろうと思うんだが、兄貴のあの顔から察するに、ことはそういった単純なことではないのかもな。
ま、元より戦いにおいてあたしが気を抜くってことはねえ。
気張っていくとしますかね。
――しかし、それにしても遅せえな、兄貴。
兄貴の姿が無い試合場は、まさに役者の揃わない舞台上。演目を見せるでもなく、ただがらんとしているだけの場所だ。
リーティスの祈祷が終わり次第一緒に来るとか言ってたけど、それにしても遅い。兄貴は時間にはそれなりに厳格なほうで、ついでに言えば人を10分待たせるより自分が20分待つのを選ぶタイプだ。
そんな兄貴が遅刻だと? となると、何か緊急事態でも起きたか、兄貴ですら時間を忘れる、夢中になる何かが――?
ふと、あり得ざる光景を幻視する。兄貴の性格、それと、リーティスの印象からしても、まああり得なさそうな、そんな妄想。教会の祭壇前で倒れたリーティスにのしかかり、甘い言葉を囁く兄貴の姿。
ああ、そんなこと、起こり得るはずもない。あり得ねえ。絶対に絶対に絶対に、そんなことあるはずがない。
でもまあ、早く来てくれよ、兄貴。
「でなきゃ、色々と我慢が出来なくなっちまいそうじゃねえか」
知らず握りしめた拳が、みしりと音を立てた。
今回も若干短め。と、いうのも後半部があまりキリよく終わらず、そちらの部分を丸ごと八話に回したためです。そのおかげか、八話はそれなりの分量になりました。
さすがに今日の投稿がこれだけでは寂しいので、その八話も今日中に上げておきたいと思います。