第六十八話:初々しさっていうのは、ビギナーが使える最高の武器だよね<妖精との別れ>
遅刻、すいません……。
side:リーティス
「え? これはどういう……?」
目を、疑いました。
扉が開いてからも、わだかまる暗闇で奥を見通すことのできなかった、お城の入口。
その不自然な黒色は廊下の窓全部にカーテンでもかかっているせいかしらと見当をつけて、その敷居を跨いだ次の瞬間、
私の体は何の前触れもなく“この場所”に移動させられていました。
慌てて、先ほど入ってきた扉を求め、背後を振り仰ぎます。
でもそこには、小さな木製ドアを後ろ手にかちゃりと閉めた、笑顔の妖精さんが立っているだけ。
先ほど私がくぐった、馬車一台入れそうな大きさの金属扉は、桃色の壁紙が張られた部屋の内装に置き換わってしまったようでした。
城の入口を潜ったと思ったら、小部屋の中に移動していた――そんなことがあるんでしょうか?
「ごめんね。中には入ったことが無いから、お城全体の内装は再現できなかったんだ。ここ、あまり広くない部屋だけど、隣にお風呂とかもついてるよ。あ、入口は一階だったけど、窓の景色は4階くらいの高さに合わせてあるからね」
「……」
部屋の扉には、先ほど鍵がかけられてしまいました。
柔らかな絨毯に足音を吸収させながらこちらに向かってくる妖精さん。
その意味深な笑顔に気圧され、思わず後ろに数歩下がります。
――あっ!?
すると、後退した先にあったベッドの縁に足を躓かせてしまいました。
後頭部から後ろに倒れこみ、ぼすんと音を立てて背中からベッドに着地してしまいます。
天蓋付きの高級そうなベッドが、私の体を包み込むように沈ませてきました。
覚えのある体勢に、嫌な記憶が蘇ります。
ヴェルティの町、アリアンロッド神殿司祭ゴルブレッド教師の、あの粘っこい眼差しが頭をよぎりました。
ゆっくりと近づいてくる、私の想い人と同じ姿をした男性。
顔をふるふると左右に振り、その人物から少しでも身を離そうと後ずさりを――
「あーっと、ごめん。僕も悪ノリして鍵とかかけちゃったけど、君を襲ったりはしないから。だから、涙目はやめてよ。僕のガラスのハートが砕けちゃう」
「……」
「いやいや、本当だよ!? やめて、そんな怯えた目で僕を見ないで! その気が無くても襲っちゃいそうな気分に――じゃなくて!!」
――これは、大丈夫、なんでしょうか?
取り乱したふうに両手をせわしなく動かして弁解の言葉を並べる妖精さん。
その慌てっぷりを見て、警戒のレベルを少し下げます。
そういえば、ようやく思い出しました。
私が、この場所に連れてこられた最初の理由を。
「とにかく! 僕は『対価』さえ貰えればそれで充分なんだ。だから、そのベッドの上で、“お願いします”!」
「……分かりました、約束ですもんね。うぅ」
妖精さんのいう事が本当であれば、
そこまで変なことをさせられる心配はありません。
「あ! でも、一回だけですよ! 何回も何回もとかは駄目ですからね! 一回だけやって見せたら、すぐにここから出してください!」
「そこまでせこい真似はしないよ(そもそも、ここでの出来事は全部自動記録されてるしね。ムフフ、一生保存ものだね、これは)」
「今、小声でなんて言ったんですか!?」
――side:アリス―――――――――――――――――――――――――――――――――――
『くそっ、駄目だ! 窓も開かねえ! 防壁でも張ってあんのか!?』
「ベニ様! あまり無理しないで! さっきまで気を失ってたんですよ!?」
『わーってるよ。リーティスとあの変態妖精を二人っきりになんてさせてられっか! ちっ、やっぱ無理か……。しゃーねえ、ドアを蹴破んぞ!』
私の言葉の意味、分かって貰えてるのかしら?
壁沿いに隣室の窓の外まで移動し、何とかこじ開けようと苦闘していたベニ様だったけど、見切りをつけたらしく、すぐにこちらの窓まで戻ってきたの。
そのまま窓の上を掴み、懸垂振り子の要領で部屋の真ん中に飛び込んでくる。
着地するや否や、すぐに部屋の扉まで駆けていったわ。
――待って! 置いてかないで!
リーティスのことは、勿論心配よ。
だけど、今はベニ様の身も心配。
もしかしたらさっきの失神は、ソルベニスの町で見た“あのベニ様”に関わることなんじゃないかって思わされるのだもの。
そう考えると、不安で胸が痛みそうになる。
『おいこら、変態妖精! あたしの声が聞こえてて、何も疚しいとこが無いなら、今すぐここを開けやがれ! 10数えるうちに開けなきゃ実力行使すっぞ! 10、9、8、7……』
隣室の木扉をどかどかと叩きながら、ベニ様が叫ぶ。
すると、宿の女将さんが「何事ですか!?」とこちらに駆けてきたわ。
手が離せないベニ様の代わりに、回答を返しておく。
「ごめんなさい! 後で弁償代は出すわ! 暴漢が私達の仲間に狼藉を働こうとしているかもしれないの!」
「何ですって!? 分かりました。私、町の警備兵を呼んで参ります!」
血相を変えた女将さんが、どたどたと階段を駆け下り始める。
その音を背後に、ベニ様の第一撃の踵落としが、安宿の木扉に叩き込まれたわ。
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「んん? やれやれ、もう少しだけ待っててくれればいいのに。その障壁は精霊魔法でも剣士の闘技でも破れないよ」
「どうしたんですか? それよりえっと……本当に、これを着てやらなきゃいけないんですか? ……うぅ」
「何言ってるのさ。良く似合ってるよ」
「……そのカオルさんの姿、やっぱり解除してください。私の衣装を変えたんですから、それくらい良いでしょう?」
「ふふ、駄~目。こっちの姿の方が良いものを見られそうだからね」
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全然……びくともしない?
この町に来る途中、私達の馬車を襲ってきた魔獣の群れと、一度だけ戦線が開かれた。
その際唯一、A級冒険者だという剣士のおじさんに匹敵する戦果をあげていたのがベニ様だったの。
無手で魔獣と互角以上に渡り合い、その戦闘を見ていた者達皆をあっけにとられた表情に変えたベニ様の実力は折り紙付き。
そのベニ様でも、破れないなんて……。
『……ちっ。一瞬使うだけなら良いよな、兄貴?』
「ベニ様?」
『はぁぁあああああああああ!!』
裂帛の気勢と共に、ベニ様の体が赤い輝きを放った。
――何、これ――?
眩しいけれど、どこか温かい輝きを持った赤光に目を細める私の前で、
ベニ様の繰り出した正拳突きが、二重ガラスの割れるような激しい破砕音と共に、
宿の扉を貫通し、吹き飛ばした。
『「リーティス!!」』
入口が空くなり、すぐさま室内に飛び込んだ私達の目に、
妙な衣装を着て、真っ赤な顔でベッドの上に乗っているリーティスの姿が映った。
『おい、変態妖精。てめえ、リーティスに何やらせる気だ?』
そして、ベニ様が青筋立てて詰め寄って行ったその先に居たのは――ええ!?
(ちょっと、いきなり何するのさ! 僕は、ええと、そう。カオルって名前のごくごくふつうの一般人さ!)
『一般人が意思疎通魔法を使えるわけねえだろうが!! よりにもよってこのあたしの前で兄貴の姿なんて取りやがって! こちとら何十年も妹やってねえんだよ! 目の動き! 息遣い! あたしに対する距離の取り方! テメエのそれは! 何、一つ! 微塵たりとも! 兄貴に似ちゃいねえんだよぉぉおおおおお!!』
ベニ様がカオルの顎を、全力の掌底で打ち抜いた。
『げふぉっ!?』
カオルが、間抜けな息を漏らして顔をのけぞらせる。
その輪郭は衝撃を受けた後、次第に薄れていき――ベニ様の腕の中に、ぐてんと力を失った変態妖精だけが残された。
――偽物だったの?
あの変態妖精は、妖精の魔法でカオルの姿を再現していた。
そういう事なのかしら?
まあ、どちらにしても私のとるべき行動は変わらないわ。
「この変態! リーティスに何させる気よ!」
「だ、大丈夫です、ベニさん、アリス。このくらいならちょっと恥ずかしいだけですから」
顔を真っ赤にしたリーティスが、手をぶんぶんと振って、変態妖精に迫る私達を制した。
その体を包むのは、露骨に胸を強調するデザインの、大人っぽい黒のドレス。
見るからに大丈夫そうじゃないわよ、リーティス!?
心配そうに見守る私達をよそに、林檎より顔を赤く染めたリーティスがベッドの上に四つん這いになる。
そのままお尻を後ろに突き出すようにして、顔だけをこちらに持ち上げた。
そして――
「う、……うふん♪」
真っ赤な顔に涙を浮かべながら、俗に「女豹のポーズ」と呼ばれる体勢をとり、
挑発の言葉と共に豊満な双丘をふるんと揺らしたの。
時が、止まったわ。
「~~~!」
声にならない叫びをあげたリーティスが、次の瞬間両手で顔を覆ってベッドに突っ伏す。
ぷるぷると体を震わせ、顔を抑えたままベッドの上を転げまわり始めたわ。
……こ、この妖精は……本当に……!!
(いやあ、良いね。妖艶さは足りなかったけど、この初々しさは絶品だ!五つ星を上げよう!)
『てめえ! 何さらしとんじゃゴルァァア!!』
(ちょっと、これは僕の正当な報酬なんだってば! あ、僕の関節はそっちには曲がんな……いいぁぁあぁぁああ!)
「百篇死ぬれ! この変態男!」
(ああ、今僕、幼女の足に踏まれてるうぅ! 痛いけど正直幸せええええ!)
「うううぅぅぅぅうぅ、私、汚されちゃいました……、……オルさん、ごめんなさい……」
こうして私達は変態生物を散々痛めつけた後、街路裏のゴミ捨て場に投棄することにしたの。
この変態生物がこの後どうするつもりなのかは知らないけど、もう二度と会うことは無いでしょうね。会いたくもないわ。
――そういえば、リーティス達がいたあの部屋、やけに綺麗だったわね。
桃色を基調にした内装は趣味に合わなかったけど、調度品はやたら高級な感じだったわ。
窓の辺りから、胸を打つような、それでいてどこか懐かしい感じの鐘の音が聞こえてきたのが印象的ね。
あのお部屋だけ、特別なところだったのかしら?