第六十六話:夢の世界でなら何でもできる、そんな風に思っていた時期が僕にもありました<妖精との旅:上>
過去最遅の遅刻です。本当に申し訳ない。
side:リーティス
「ここは……どこ?」
目を開けると、大きく広がる青空がそこにありました。
柔らかな草の布団から体を起こすと、爽やかな草の香りと一緒に、清々しい水の香りが漂ってきます。
水の香りの源は、私のすぐ目の前、視界いっぱいに広がる青い湖でした。
向こう岸が見えないほど大きいその湖には、これまた大きなお城が浮かんでいます。
湖水の打ち寄せる岸辺からもはっきり見える、綺麗なお城でした。
そのお城を載せて湖に浮かぶ小島には、花と木々が自然な彩りを添えています。
一際大きい中心の建物と、それを取り囲む城壁の色は、太陽の光を反射し、目にまぶしい純白。
白鳥の群れが、水面に映るお城の上を横切っていき、その姿を揺らしました。
「綺麗……」
思わず、声が漏れます。
「ふふっ。気に入って貰えたかな? 本当ならここに初めて招待する相手は、愛の言葉を交わし合える素敵な女の子が良いなあって思ってたんだけど、君は特別だよ」
耳に飛び込んで来た聞き覚えのある声。
非日常の光景に心奪われていた意識が、現実に引き戻されます。
振り返った先にあったのは、上下逆さまの体を中空に浮遊させている、妖精さんの姿でした。
やっほー、と体をくるくる回転させる妖精さんの姿を見て、わたしはようやくこの場所にやって来た経緯を思い出しました。
妖精さんの指示を受けて、その額の宝石の放つ光を見つめた私。
最初は蛍の灯程度だったその光が、突然目を眩ます輝きに変わって目を瞑ったところまでは覚えています。
「せっかくだから、こんな狭い部屋の代わりに、とっても良い場所を紹介してあげるよ。きっと君も気に入ってくれると思うんだよね」
妖精さんの告げた、良く意味の分からないその言葉に疑問を覚えたものの、「対価」を払う側である私がそれを拒めるわけでもなく、甘んじてその「魔法」を受け入れた結果――
「これってまさか……転移魔法なんですか? だとすると、この場所はアリス達の居るあの部屋から遠く離れた――」
「いやあ、違う違う。えーとね、うん。分かりやすくいうとあくまでこんな場所に来てる“気分”にさせてるだけって感じ。僕たちの存在座標はさっきの宿から一ミリたりとも動いていないよ」
「存在座標」ってなんでしょう? ちょっと、説明の内容を理解できませんでした。
要するに、今の私は幻覚を見ているようなものってことなんでしょうか。
ほっと胸をなでおろします。
アリスとベニさんをほったらかして、私だけ変なところに来てしまったという訳では無いんですね。
「ん~。夢みたいなものって言えば分かりやすいかな。ほら、その気になればここでは君も自由に空を飛べるはずだよ」
くるりくるりと気持ちよさそうに宙を回る妖精さんを見て、半信半疑ながら試してみることにしました。
「本当ですか? ええと、こうですかね……!? きゃああ!」
「おおっ! 眼福眼ぷ――じゃ、ないじゃん。ねえ、なんで? せっかくのスカートなのに、なんでそんな無粋なもの下にはいてるのさ?」
あなたがいるからですっ!
宙で一つでんぐり返しをしてしまい、ずれ落ちそうになるスカートの裾を必死に抑えながら、その内にある下穿きを覗き込もうとしている妖精さんを睨み付けました。
ベニさんに貸してもらっておいてよかったです。
「はあ、つまんない……。って、ああ、そうそう。君をここに連れて来たのは、僕の為っていうのもあるんだけど、君がこの城を見て“何か”を感じるんじゃないかなって期待してた部分があるんだけど、どうかな?」
「え? いえ、何も感じませんけど。でも、本当に綺麗な場所ですね」
――あ、こうやれば体勢が安定するんですね。
ようやく宙での体の捌き方のコツがわかってきました。
お腹の真ん中に重心を意識して、頭の位置をその上に持ってくる感じで――
「え、もう飛び方を掴んじゃったの? さすが、竜の血を引いているだけのことはあるね。物覚えの早いこと早いこと」
「あの、この前も聞きましたけど、その『竜の血』って一体何なんですか?」
「うーん。教えちゃってもいいのかなあ。竜の子供だけじゃなくて、神さまにまで目をつけられるのはさすがに勘弁してもらいたいんだよね」
何を言っているんでしょう?
神様というのは、私の信仰する運命神アリアンロッド様のことでしょうか?
「それで、あの。ここで『対価』を支払えばいいんですか? 屋外でというのは予想してませんでしたけど、……妖精さんなら、何か納得です」
「まあ、ちょっと待ってよ。せっかくここに来たんだから、もうちょっと見て行って欲しいんだ。ううん、そうだな――せっかくだから……、よいしょ!」
ボフン。
間の抜けるような音と共に、妖精さんが桃色の煙に包まれました。
あっけにとられる私の前でその煙が拡散していきます。
――って、この煙、目に染みます!
コホコホコホ。
うぅ、喉の奥にも入っちゃったじゃないですか。
痛みを訴える眼をこすりながら煙の晴れた先に居るはずの妖精さんを確認し――、驚きに目を見張ります。
――え? ……カオルさん?
そこにいたのは、妖精さんではありませんでした、
妖精さんより、ずっと見慣れた格好の、一人の男性。
眼鏡の奥に、表情豊かに感情を伝える眼を持っている、細身の男性。
ベニさんを助ける方法を探すため、今は私達と別行動をとっているはずの男性。
カオルさんが、そこに居ました。
「ふうん。こんな面白味のなさそうなひょろひょろの男が君の好みなんだね。まあ、真面目そうな感じだし、気が合うのかな? ――おっ、筋肉のほうは中々」
カオルさん――の格好をした男性が、自分の顔や眼鏡、二の腕をペタペタ触り、空中に呼び出した水の鏡で顔の造形を確認しながら、そんなことを言いました。
その声は確かに私の良く知るカオルさんのそれでしたけど、その声の調子や、妙にお道化た仕草は、覚えのない物でした。
いえ、覚えが無いというのはちょっと違いますね。
知ってはいる仕草ですが、カオルさんがするようなものでは無い、と言った方が正確でしょう。
「あの、一体何をしたんですか、妖精さん?」
「んー? ああ、大したことじゃないよ。君の望む『案内人』の姿を魔法で再現しただけ。割とはっきりしたイメージだったし、実在の人物なのかな? ひょっとして、君の想い人?」
カオルさんの顔をした男性がにやりと笑顔を浮かべながら、カオルさんの声でそんなことを問いかけてきました。
――お、おも、想い人っ!?
いえ、あの、薄々そうじゃないかな、とは思っていましたけど、改めて人に指摘されるのは妙な気恥しさが……というか、カオルさんの顔と声でそんなことを言わないでください!
「ほら、これなら君も抵抗は無いんじゃない? じゃあ、いこうか。レッツ、空の旅♪」
「え、ちょっと、腕を掴まないでくださ――きゃあああああ! 降ろして、降ろしてください!!」
「ここは夢の中みたいなものだって言ったじゃないか。大丈夫、落ちても死なないから……って聞いて無いみたいだね」
手に縋るものの無い、上空数百メルトルの高さまでいきなり引っ張りあげられて、慌てない人間なんていません!
あぁぁぁアリアンロッド様! カオルさん! 助けて、助けてくださあああい!




