第六十五話:唐突? ふふっ、何もかもが想定通りに動いてばかりじゃあつまらないでしょうに<浸食>
ぐぬぬぬ、重要回は筆の進みが遅い。遅すぎる……。遅刻してすいません。
side:紅
アリスの眼に浮かんでいた、濁った感情の光。
それはだんだんと薄れてゆき、瞳が、元の澄んだ青さを取り戻す。
――心のモヤモヤ、少しは取れたか、アリス?
頬を赤く染め、晴れやかな表情を浮かべるようになったアリスを見て、少しほっとする。
やっぱり、女の子は笑顔でいたほうが良いよな。
ふと、そんなアリスがあたしの体に凭れ掛かり、身を預けてきた。
あたしの胸元に顔を埋めたアリスに問うてみる。
確認の、言葉を。
「心の整理はできたか?」
『はい……はい!』
ん? 変態妖精の通訳がねえな……まあ、アリスもあたしが何を聞いたかくらいは勘で分かるはずだ。
分かっていなかったとしても――あたしの知りたい答えは、今のアリスの柔らかな顔を見れば、たちどころに察せられた。
どうやら無事、気持ちの整理をつけられたらしいアリス。
その頭をもう一度優しく撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
まるで猫みたいだ。
ちょいと悪戯心が沸き上がって、首筋をいじってやるとぴくんと体を跳ねさせた。
驚きはしたようだが、嫌ではなかったらしい。今度は目を閉じてあたしの胸元に顔を埋めてきた。
子供のような――いや、年相応の子供らしい可愛い姿に、あたしの口元が綻ぶ。
アリスは甘えたがりな性格である。
子供扱いを嫌がったり、やたらと自分の意見を通したがったりするのは、きっと他の誰かに認められたいという素直な子供らしい欲求から来てるんだろう。
感情をすぐに表に出してしまう性格も、そんな性質によるものだと思う。
あたしやリーティスみたいに、自分が甘えてもいいと判断した人間には、とことん甘えて来るのが、アリスという少女だ。
でも、少なくとも子供のうちであれば、それは悪いことじゃない。
あたしに甘えることで、負の感情を昇華できるって言うのなら、
あたしの胸くらい、いくらでも貸してやるさ。
先ほどまでアリスを支配していたのは、憤りの感情だ。
心を荒ませ、視野を狭めさせてしまう類の、質の悪い感情である。
――パシルノなんて低級な野郎「ごとき」にそんな気持ちを抱かされんのは勿体ないぜ、アリス。
絹糸のような極上の手触りを伝えて来るアリスの髪を手櫛で梳きながら、そう呟く。
最低男に対する感情で心の中を占めさせられてるってんじゃ、女としての価値も下がっちまうってもんだ。
アリスは、リーティスの指導で物事の分別をつけ、男嫌いから解放された後でなら、きっと将来良い女になれる。
はては恐妻家の旦那を尻に敷く美人妻か、或いは旦那と二人きりの時にだけ甘々の一面を見せる小悪魔嫁だろうか。
ま、パシルノ男爵ごとき下衆野郎は、路上の小石くらいに思っていたほうが良いだろうぜ。
子供っぽい仕返しも、今回は代行してやるけど(――あたし自身、腹が立ってるし)、もっとお前には大人の余裕も持てるようになって欲しいね。
アリスの体温を身に感じたままそこまで考え、ふと思う。
アリスのことではなく、自分のことについてだ。
――そういやあたし、完全にパシルノを一発殴るだけで済ます気満々だったな。
もっとやってやってもいいんじゃねえかな――まあ、殺しまでするつもりは無いけど――
大した意味のある思考では無い。
気まぐれな自問自答。何ということの無い思考遊びで終わるはずだったものだ。
しかし、何気ない「自問」に対して返ってきた「自答」は、あたしの答えであって、あたしの答えで無い、何か異質なものであった。
――本当ニ、ソウカ? ソレデイイノカ?
どくん。
不意に、心臓が跳ねた。
あたしの体に、“何か”が、起きた。
アリスの頭の上を往復させていた手の動きがピタリと止まる。
ざりざりざり……
奇妙な音が聞こえる。
何だ、この頭蓋骨の裏をやすりですられてるような、妙な音は?
――何デ、殺サナイ?
殺す……?
いや、まて。
それはパシルノの所業どうこうの問題じゃない。
ココロ村で、兄貴と取り決めたじゃねえか、どうしても必要に迫られない限り殺しは――
――殺シタッテ、アタシナラ、バレルコトナク、カクシトオセル。
ざりざりざりざり……。
確かに、警察の科学捜査も、あらゆる視覚を塞ぐ監視カメラも、この世界には無イな。
隠密に関する技能で、あたしの右に出る者はいない。
絶対に誰にもばれることなク、コころゆくまデ、「敵」ヲイタブレル。
――ワズラワシイ、アニキダッテ、イマハイナイ。ダレヨリモチカクデアタシヲミハリ、ジユウヲセイゲンシテイタ、アノオトコモ。
兄貴? アれ? 制限? 誰ガ?
ざりざりざりざりざり…………。
『ベニさま、どうしたの? 気分でも悪い?』
――誰ダッケ? 目ノ前ニイル、コレ。敵?
『あれ、リーティスがいない? 変態妖精もどっか行っちゃったみたいだし……どこに行っちゃったのかしら』
――ウウン、コレハ敵ジャナイ。イヤ、違イますわね、この娘もまた神の――
そう、この娘もまた、「人間」という神の僕の一人。
個人的な恨みは有りませんけれど、「殻」を破る意味でも、いっそ今この手で始末して差し上げた方が良いかもしれませんわねぇ。
くふふふっ。
あひひひひひひひひっひひはははははははははっはははははは!
久々に全身で感じる「世界」――生暖かい空気や、少々かび臭い宿の香り、隣の空き部屋に移動したらしい司祭の少女の、妙に慌てたような声、それら一つ一つの濃ゆい情報量を楽しみながら、考え込む。
私自身の魔力は空っぽ。まあ、空っぽだからこそ無理なくこうして『私』が表に出ていられるわけですけれど。
そして、「この身体」の魔力も大したことはない、と。
けれど、こんな細い娘、魔力など使わずとも、ちょっと首を捻ってあげればすぐに白目を剥き、泡をふいて倒れることでしょう。
くふふっ。こんな可憐な少女が私の手の中で息絶えるだなんて、
考えるだけで背筋がぞくぞくして、涎が垂れそうになりますわ。
さあ、アリスさん?
私の手で、その花のように可憐な生命、摘み取らせてくださいな。
姿の見えない司祭を探すべく私に背を向けた小さな少女の首に、両の手を伸ばす。
あと少しでその首を掴み、手折れそうだというその瞬間、――邪魔が入った。
(おっと、ストップ。いやあ、危なかった。浸食が進んでたのは気づいていたけど、僕が魔力を吸い取ったから、焦って浸食速度を上げたのかな? 僕に、君の浸食を食い止める義理は無いんだけど、これから受け取る報酬は、後ろめたいとこなしで楽しみたいんだ。ちょっとおとなしくしていてよ)
――何、訳の分からないことを言って――!?
目の前に飛び出してきた妖精が、言葉と共に額の青い宝石を輝かせた途端、自身の身体に異変が生じた。
か、体が――動かない? いえ、まさか――私の意識が、体から引き離されている!?
自由の効かなくなった体がぐらりと倒れ、どうと横倒しになる。
その音を聞き取り、慌てた表情で駆け寄ってきたアリスの顔がどんどん薄れていき――
(Good Night 神の欠片……じゃなくて竜の子供さんかな? 今の君くらいなら、僕でもなんとかなるみたいだ。もうちょっとだけ眠っていてね)
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(いやあ、お待たせ。準備はできたかい?)
「こ、心の準備がまだ……うぅ、あの、今更ですけど、対価の内容を替える訳には――」
(駄目駄目。ああ、いや、もし君がそのおっぱ――)
「分かりました! やります! やりますから!」
(そうそう。女の子はやっぱり素直なのが一番だよね。まあ、君ほど素直でまじめだと、そのせいでこれから苦労しそうだけど)
「私だって、そんなこと分かってます……」
(『分かってる』のと乗り越えられる、変えられるというのとは、また違うんだよ、司祭さん。まあ、僕が君たちを助けることはもう出来ないけど、これからも頑張ってね、応援するよ)
「は、はい? どうもありがとうございます」
(OK。じゃあ、頑張った僕へのご褒美を頂戴♪ 司祭さん)
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