第五十話:鳥は恐竜から進化したという説がある。では、竜は何から進化したんだろうな?<悪夢、降臨>
side:薫
俺の第一射は音の5倍の速度で障害物の無い空を突き進み――大怪鳥の右目を、赤熱したその体でで抉り取った。
「PHHIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?」
怪鳥の悲鳴が眼下の森林中に響き渡る。
あまりの大音量に、ノエルが俺の背後で耳を抑えてしゃがみこんだ。
痛みに興奮し、身を捩っている怪鳥の――今度は左目を照準。
先ほどの一射で煙を上げている銃口を、ぶれることの無いように構える。
そして再び、引き金を引いた。
「PHHIIIIIIIIIIYAAA!! PHIIIIYA! PHIIIIIIIIIYYYYYYYYAAAAAAAAAAAA!!」
銃口から炎が吹き出し、猛烈な反動で体ごと両手を後ろに持っていかれた。
暴れ馬のような自銃の反動を受け流しながらも、俺は目線をぶらさずに弾着の様を追った。
二射目も狙い違わず左目に命中。
巨大怪鳥が悲痛な鳴き声を上げ、その巨体を落下させ始めた。
「うわ、凄いっ! その武器、何かの魔法具!? ――っとごめんなさい。あの、これならあの鳥さんも仕留めきれるんじゃありませんか?」
「と、鳥さん……? いや、あれだけ巨大な魔物の再生力を侮るのは得策じゃない。あんな傷、すぐに塞がるだろう」
もっとも、完全にこちらが無効を翻弄している今なら、追撃であの巨鳥を仕留めきれる可能性はないわけでは無かろう。
むくむくと、心中に欲が湧いてくる。
追撃というのは、中々に魅力的な選択だった。
あの怪鳥をここで撃破しておけば、このまま気球に乗って、安全な空の旅を楽しみながら町まで戻ることだってできるだろう。
魔力探知能力を持つノエルの協力が有れば、あの魔物の核となっている魔結晶の位置が分かる。
墜落したあの怪鳥であれば、俺が一対一で戦ったとしても、おそらく負けることは無い。
やるべきか――?
逸る心を抑えきれず、引き金に再び力を加え始めたところで、意識を失ったままのユムナの苦しげなうめき声が聞こえ、我に返る。
――いや、ノエルが居るならばこそ、素直に魔力地帯を踏破した方が安全か。
既にユムナには大きな無茶をさせている。これ以上の賭け事は必要ないのだ。
銃を下ろし、そのまま腰元に収める。
戦闘は、ひとまず終了だ。
怪鳥が落下して行った森の辺りを、手すりから身を乗り出して眺めていたノエルに気付き、その頭に手を載せた。
「ノエル、戦闘は終わりだ。お前の魔力感知能力で、なるべく安全なスポットを見繕って、気球を着陸させてくれ。この気球は、そこで破棄する」
「あ、はいっ! 了か――!?」
振り返り、了承の一言を言いかけたノエルが、頭上の耳をピンと立てて驚愕の様子を見せる。
そのまま弾かれたように顔をぐるんと戻し、慌てたように身を乗り出して地上を覗き込んだ。
「どうした?」
「あの鳥さんっ! まだ全然やる気みたいっ! 周囲の魔力をかき集めて、何かしようとしてるよ……っ!!」
――何だと?
見ると、森の木々に半身をうずめた巨鳥は長い首を真っ直ぐ天に伸ばし、翼を大きく広げ始めていた。
血を流し、光を感じ無くなったはずのはずの目はクワリと見開かれ、邪神に捧げられるオブジェじみた奇怪な姿と合わせて合わせてなんとも言えない不気味なものを感じさせられた。
神に祈りでも捧げているかのような沈黙の数秒の後、怪鳥は苛烈な勢いで羽を振るい始めた。
団扇の数万倍の表面積があるだろう両翼が凄まじい速度で上下し、ごうごうと巨大な滝壺のような轟音が巻き起こる。
――なんだ? 何をする気だ?
仮にあれがこちらに対する攻撃の前兆だったとして、視覚を奪われた奴が放つ、あてずっぽうの攻撃だ。
先ほどの羽マシンガンのような攻撃なら、俺が投擲する本の防壁程度でも充分防ぎきれる。
そんな分析の結果をいくら頭に並べても、胸に広がる危機感と不安はぬぐいきれなかった。
「何これっ!? え、こんな……嘘っ!!」
俺と同様かそれ以上の不安を抱くノエルが、呆然とした面持ちで呟いた。
気球の高度を下げるという己の職分を完全に忘れ去っている様子だったが、それを注意する者はいない。
なぜなら俺もノエルと同じ光景――怪鳥の身に起きている“変貌”の様を愕然と見ていたのだから。
巨鳥が羽ばたきで巻き起こした風は、墨汁でも染みだしてきたかのように空に現れた黒色に浸食され、真っ黒に染まっていた。
黒の風は固唾を飲んで見守る俺達の眼下で、徐々に徐々に巨鳥の身体を取り巻いて行く。
粘着質を帯びた黒い風は球状に怪鳥を取り囲み始め、さながら蚕を包む繭のようであった。
黒い風は怪鳥の巨体に取り付くと、うぞうぞと蠢く有機的な「何か」に姿を変え、その全身を覆っていく。
続々と体に取り憑いていくそれらを受け入れ、全身黒い塊と化した怪鳥はやがて、メキメキとその体を変形させていった。
怪鳥が体を一つ振るわせると、長かった首が縮み、黒々とした丸太のような首が姿を現した。
続いて細い体が風船のように膨れ上がり、代わりにぶ厚い翼がどんどん薄くなっていく。
細い嘴は盛り上がった大きな咢に覆われ、凶悪な牙をちらつかせる大顎の中に吸収された。
体長そのものは先ほどまでと大きく変わっていないはずだが、その質量は巨鳥時の数倍程度ではきかないだろう。
ええい、この世界の質量保存法則はどこに行った!!
そう突っ込みを入れたくなるほどの大変化が、ものの数十秒の間に起こったのだ。
蝙蝠の皮膜のように薄く形を変えた翼が、体を覆う黒いものを吹き飛ばすかのようにぶるんと振るわれ、もはや完全に「鳥」としての姿を捨て去った、その新たな姿を露わにした。
「GHHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONN!!!」
鉄さえ噛み砕きそうな強靭な大顎が開かれ、歓喜のの産声が轟いた。
遥か上空、俺達の乗る気球までもがその咆哮で震える。
樹齢千年を超える大樹並みの太さを誇る「後ろ足」を地上にズズンと踏み下ろし、長さ20mほどに伸びた尾が振るって、そいつの背後にあった木々を、地上にいた他の生物ごとまとめて宙に吹き飛ばした。
そこらの魔物とは桁違いの破壊力が、何とも無造作に振るわれた瞬間だった。
「あ、あ、あ……」
その凶相を目の当たりにしたノエルがぺたりとへたりこんだ。
無理もない。
あれの存在感、外見からも推定できる強大さと凶悪性、尋常の人間が相対して恐怖に震えるなというほうが無茶だ、
ましてや、魔力の流れをその身で感じ取れるノエルである。あの生物がどれだけの魔力を操る存在であるかは俺には分からないが、半端ではないだろうことは予想できる。
――どうする。あんな奴に狙われて、俺達は無事でいられるのか……?
地上でならともかく、あいつに飛行能力があるのであれば――いや、あの翼が存在する以上、飛べると考えたほうが良い。それならば、この気球上で身動きの取れない俺達に、勝ち目など――ない。
あの強靭そうな「鱗」に覆われた体、いつの間にか損傷から完全回復していた緑色の目。
残弾数30も無い俺の拳銃と残り魔力僅かなノエルの火魔法程度で、あいつと渡り合えるビジョンが湧いてこない。
恐怖で身体を振るわせだしたノエルを抱え寄せ、気を強く持つよう訴えかけようとするも、それを告げる俺自身が首筋に迫りくる死の予感を取り払うことはできていなかった。
――俺だけなら、助かる術はある。「これ」を使えば間違いなく生き延びられる。だが、ユムナとノエルはそれが出来ない。俺は、こいつらを置いて逃げられるのか? それで、「転送先」にいるリーティスさんに顔向けできるのか?
チャラリ。
首にかけていたチェーン、その先につけていた「転移の指輪」の赤い宝石の輝きを見ながら、逃走案を一瞬だけ考え、すぐに却下した。
腕の中にあったノエルの体をぎゅっと強く抱きしめる。
いや、逃げてはいけない。まだ、必ずしもあいつに負けると決まったわけじゃないんだ。
仮に俺が死んだとしても、リーティスさんが、おそらくはアリスも、そしてきっとユムナだって俺の代わりに紅を助けてくれる。
……だから、死ぬのは怖くない。俺が戦って、せめてこの二人だけは、絶対に逃がす。
そんな決意を固めていた俺の眼下で、しかし変貌した魔物は予想外の行動を開始した。
変態した魔物は、もはや俺達の乗る気球になど目もくれず、翼も使わないでいずこかへ走り出したのだ。
森の木々を蹂躙しながら巨体を揺らし、超巨大魔物はどんどんと遠ざかっていく。
――助かった……のか?
思わぬ結末に全身の力が失われかけ――そこではっと気づく。
今の「あいつ」が「どこ」を目指しているのか。脳内に保存した森の地図を確認し、それを性格に理解して。
「おい、ノエル。風魔法でこの気球を飛ばせ。『あいつ』を追うぞ」
「ええっ! い、嫌! あんな奴を刺激しちゃ駄目だよっ! せっかく私達を見逃してくれたんだし、このまま逃げようよ!」
当たり前のように、否定の言葉が返ってきた。
しかし、そういう訳にはいかない。
ノエルの体を一旦離し、その肩に両手をおいて命じた。
「命令だ」
「い……いや……ッ!」
それに対し、必死に首をぶんぶんと振って答えるノエル。
その目には怯えの色が伺えた。
無理に言って聞かせるのは気が引けるが、ここは絶対にやって貰わなければ。
「俺だってそうしたい。だが、あいつの進路が問題なんだ」
「進、路?」
「ああ。あいつが具体的に『どこ』を目指しているかは分からない。だが、あいつの進んでいる方向には、一つの町があるんだ。そこには多くの住民達……それに、俺達の護衛対象が居る」
「!? で、でもっ、強大な魔物は普通、魔力地帯を出られないんじゃないの!?」
「ああ、普通ならそうだ」
大型だったりやたら強大な力を持っていたりする魔物は、体の維持のために魔力の濃い環境が必要であることが多く、そこから離れることを厭うものだ。
だが、あの生き物にそんな常識が通じるだろうか?
魔力地帯の森林を、木々をへし折り、岩山を粉砕し、ロードローラーのごとく一本の道を作りながら爆走していく、黒い鱗に覆われた生物。
その姿は、かつてこの地から完全に滅び去った、神とも並んで語られる生物――「竜」と呼ばれる存在に、酷似していた。
一応、これで三章完結となります。
SS募集は、明日までと期限を切らせてもらいますね。特に要望が来ないのであれば、粛々と本編を進めます。




