表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界を征く兄妹 ―異能力者は竜と対峙する―  作者: 四方
第三章:竜の滅んだ世界
54/197

第四十五話:子供の過ちは、誰かが叱り、誰かが許してやらなければならない<狐耳の少女>

はい、今回はやたらと長いです。

短編に分けて掲載した分は省略するつもりでいたのですが、どうもしっくりこなかったので思い直して全文掲載しました。それが理由でしょう。


side:薫

「待て! この場合、“籠る”は悪手だ! 今は町からの脱出を最優先に……」

「もうすぐあたしの水魔法の行使限界が来るわ! “あそこ”なら暫く時間も稼げるでしょ! あたしはあの子の判断に乗るわよ!」

「くっ……分かった! 行くぞ!」

 

 悪手だとしても、今ここで死ぬよりはマシだった。 

 少女の行き先は分かっている。

 俺とユムナも今朝まで世話になっていた、この町で恐らく唯一の安全地帯だ。

 魔物避けの結界と保存魔法が張られた「大図書館」。

 今から、そこに逃げ込もうというのだ。

 真上から降ってきた黒触手にオーバーヘッドキックをお見舞いしながら、俺は魔法行使の集中に入ったユムナの支援を続けた。

 ユムナが演奏者達オーケストラを統率する指揮者のように腕を振ると、スライム排除の魔法の形態が大きく変じた。

 ユムナが再構成したのは領域の形だ。

 それまで半球形として維持していた流体排除領域がぐにゃぐにゃと形を変え、真っ直ぐの一直線になる。

 領域の端にへばりつくようにして嵩を増していく流動体の高さは、その頃には既に俺達の身長を越えていた。

 ユムナが「限界」といったのは魔法の使用時間の限界だけでなく、これ以上大質量の流体を排除しきれないという直感もあったのだろう。


「今から図書館までの道を開くわよ! 貴女もこの中に入りなさい!」

「ありがとう!」


 困憊するユムナが、それでも声を振り絞って先行する少女に声をかけた。

 ユムナの体は既に幾度も攻撃を受け、全身ボロボロの有様だった。

 息は上がり、傷を負って肩で喘いでいる。

 俺は女一人守る力もないのか――。

 思わずぎりりと歯噛みする。


「おい、ユムナ。俺の傍から離れるな。魔物がいない今なら、俺の傍の方が安全だ!」


 緑の粘液はユムナが縦幅を狭めた領域の天井の上を流れ始めていた。

 完全に緑の粘液の中に沈んでしまった今なら、空から攻撃を仕掛けてくる魔物もいない。注意すべきは触手のみである。


「分かったわ!」

「私もっ! 反対側は任せて!」


 炎を纏った少女が援軍に駆け付けてくれた。

 これで二人がかりの防衛陣だ。

 触手の魔の手から、図書館までの道のりでユムナを守りきるための。

 

 少女の剣の軌跡と、俺のナイフの軌跡。

 近寄るものに断裁と死を与える斬線が、縦横無尽に舞い乱れる。

 斬られたとある黒触手は緑の流体の壁に沈み、また別のとある触手は少女が放った炎の渦に飲まれて焼却された。


「あともう少しだ! ユムナ、俺に掴まれ!」

「お願い!」

「吹き飛ばしちゃうよぉっ!」


 ユムナの魔力の限界が訪れて流体避けの魔法が崩壊する寸前、ユムナを抱きかかえた俺と狐耳少女は大きく跳躍した。

 すっかり体積を増した緑の壁だったが、少女が放った炎弾が次々と抉っていき、その爆炎で完全に吹き飛ばした。

 ゴール地点――図書館の入口は、転がり込んできた俺達を埃くさい優しい空気で迎えてくれた。

 かくして俺達は、命からがら“大図書館”の中に滑り込むことに成功した。


 即座に背後の入口を振り返る。

 グチュルグチュルグチュリチュボンッ。 

 対流運動を繰り返す緑の流動体が見えた。

 その不気味なゲル状の生命体は、やはりというべきか図書館の結界に阻まれてそれ以上入ってくることはできないようだった。

 次第に嵩を増し続けるその流動体は塔の周囲を覆い始め、その外壁を塗り固めていく。

 罅割れから入ってくる太陽の光が、緑の肉壁によってどんどん遮られていく。

 だが、塔全体を覆い尽くすにはまだ時間がかかるだろう。


「逃……逃げ延びたわ~」

「はい、やっと、逃げ――逃げられ――」


 ―― 一時的な安全は、確保できたな。


 問題の先送りにしかならないが、ユムナの体力を考えればベストな選択だったたろう。

 ひとまずの安堵に胸をなでおろした俺の耳元に、カランカランと、何かが床に落ちる音が届いた。

 音源を振り返ると、握っていた剣を取り落とし、崩れ落ちて手を床についている少女の姿がそこにあった。

 炎と剣を自在に繰って魔物達と熾烈な戦闘を行っていた先ほどまでの彼女の姿はそこには無かった。

 か細い、消え入るような声で、謝罪の言葉を漏らすばかりだった。


「ごめんなさい。私が、私が、碌に結晶ハンターの仕事について、調べずに、これで大丈夫だって勝手に思いこんで、こんなところで結晶収集してたばっかりに……本当に、本当にごめんなさい……」


 あるいは、決死の逃避行に加えて炎魔法を使いすぎたために、心に猛烈な負荷がかかっていたのかもしれない。

 両腕を自分の肩に回し、生まれて初めて幽霊を見た子供のように、小さくなって震えていた。

 

「ごめんなさい……」


 体を震わせ、謝罪の言葉を漏らし続ける少女の背中に、影が落ちた。

 少女の前に膝をつき、優しくその頭を撫で始めたのは、自称アリアンロッド神殿最高司祭――ユムナだった。


「謝ることなんかないでしょう? ここまで無事にこれたのは、貴女のおかげでしょ。貴女が居なかったら、あたしもカオルも死んでいたかもしれない」


 慈愛の笑みを浮かべる彼女は、血に染まった旅装に身を包んでいて尚、侵しがたい清浄さを漂わせていた。

 ユムナが抱き上げた少女が、ほっとしたように顔を緩ませている。


「だから、ありがとう。ね?」


 綺麗な話だ。

 少女の失敗を、少女の犯した罪を、少女の真摯な謝罪をもって赦すこと。

 いかにも聖職者らしい、愛に溢れた行いであると思う。


 ――だが、それじゃあ、駄目だ。


 今のそいつに与えなきゃいけないのは、聖母の慈愛じゃない。

 俺は、慰撫を続けるユムナの胸元に抱きかかえられた少女の頭をむんずと掴み上げた。

 そのまま、頭を釣り上げ、目線を合わせる。

 少女の赤い目に困惑と怯えの色が混じり、ふるふると首を振りはじめた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 少女の震えが復活した。

 俺が浮かべていた、怒りの表情を理解したのだろう。

 ユムナから引きはがされた少女は、両目を瞑り、狐耳をびくびくと震わせながら、必死に謝罪の言葉を続けてきた。


「ちょっとカオル、その子はまだ子ど……」

「お前はさっさと自分の傷を治せ。血を流したまま傷口を放置していたら、化膿するぞ」


 俺の所業を止めさせようとしたユムナの言葉を、命令で遮る。

 魔力を振り絞って弱っているユムナの身は心配だ。

 可能なら、手が空いているのなら、いっそ俺自身がユムナに治癒魔法をかけてやりたいぐらいだ。

 しかし今は、「こちら」の方が先だ。


「……めんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ――ッ!?」


 パァ――ン。

 少女の頬を張った俺の一撃の音が、思いのほか大きく塔の中に響き渡った。


「自分が何をしたか、分かっているな?」


 痛む頬に手を当てて怯えを見せる少女に顔を近づけ、詰問する。


「お前。おおかた、ハンターという職業に憧れたはいいが、職業訓練をする場が無く、独学で勝手に『こんな感じだろう』と決めつけて最低限の技能しか学ばなかった、といったところじゃないか? 違うか? 答えてみろ!!」


 ドンと一つ、足で床を叩き、少女の頭を掴んでいた手を離す。

 膝から崩れ落ちた少女が、ポタリ、ポタリと小粒の涙を床に落とした。その頭上の狐耳は、首と共ににだらんと下に垂れ下がっていた。


「カ、カオル、やりすぎ……。そりゃ、怒る気持ちも分からなくはないけど……っ!?」


 抗議の声を上げたユムナを、ギロリと一睨みし、黙らせる。今これをやらずに、いつやるというんだ?

 本来であればこの少女の保護者の仕事だ。

 しかし、この場にその存在はない。

 ならば、他の誰かがやらなければならない。


 重い失敗は、簡単に許されてはいけない。

 誰よりも、失敗した当人のために。


 これが、少女が何の戦闘力も知識もない一般人だったら俺もこんなことはしなかっただろう。

 だが、彼女には力があった。

 こんな秘境に単独で来られるほどの、そして先ほどの戦闘を潜り抜けられるだけの戦闘力と、精神力が。

 そして、"結晶ハンター"なる職業になろうと考えていたのであれば、少なくとも聞きかじった程度のユムナ以上の知識を得る機会はあったはずなのだ。

 

 犯した罪は、如何なる法に記された罰の執行によっても、完全に「無かったこと」にはならない。

 だからこれは、必要な儀式だ。

 罪の自覚は、自責と同等かそれ以上に、他者からの言葉で知るものだ。 

 罪を知って、受け入れて、その後ようやく赦し、赦されるべきだ。


「お前がやってしまった失敗は、そう簡単に赦されるものじゃない」


 沈黙の時間が訪れた。

 俺も、少女も、怖々と成り行きを見守るユムナも、しばし何も発せられずにいた。

 沈黙の時間を破ったのは、痛む頬から手を外し、地面にへたり込んだまま胸をぐっと抑えた狐耳の少女だった。

 ぐしぐしと涙を拭い、顔を上げる。

 ぐっと力の込められた赤い目がこちらを向いた。

 少女はそのまま頭を下げ、床に額をつける座礼をした。

 そして一言。


「本当に――ごめんなさい」

 

 衰弱から復帰した、張りのあるしっかりとした声で謝罪を述べた。


 少女は自身をノエルと名乗った。

 狐の亜人である母親と、普通の人間である父親とのハーフだそうだ。通常なら3/4の確率で人間種となるはずのノエルは1/4の確率を引き当て、獣人の容姿を持って生まれた。


 ノエルの母親は元々は戦争奴隷という身分だった。

 15年前、従軍していたノエルの父親が、報奨金の一部として軍から支払われたのだそうだ。

 “女奴隷”……まあ、本来の彼女がどういった目的のために「使われる」ものとして軍から認識されていたのかは、推して量るべきだろう。

 事実、終戦後一年の間、ノエルの母はその父親に随分と乱暴な扱いをされていたようである。

 この王国に亜人の人権を守る法は無く、ましてやついこの間まで敵国の兵だった者だ。誰もその扱いを咎めるはしなかった。

 そんな「奴隷」と「主人」の間柄だった二人の間に、転機が訪れる。

 その転機とは、男の婚約者の死であった。


 男とその婚約者は、幼いころから将来を誓い合った、仲の良い恋人達だった。

 昔からお互いの家を行き来し合う、いわゆる幼馴染という間柄で、互いの家族もその婚約を祝福していた。

 二人は互いが将来夫婦になることを何一つ疑うことなく信じていたし、周りの者達も当然にそうなるものだと思っていた。

 互いに互いを良く知る二人は、どんな大きな喧嘩をしても三日もすれば矛を収め、元の仲睦まじい間柄に戻っていた。

 彼ら自身も、周りの者達も、これ以上に相性の良い二人がいるものかと、口々にその仲の良さをからかい、賞賛していた。

 しかし、そんな二人の間で初めて、大きな意見の不一致が生じた。

 それは戦火に巻きこまれた彼らの国が打ち出した強兵策によるものであり、一市民である彼等が無視を決め込むことのできない問題だった。

 男の従軍である。


 婚約者の少女は男が軍に参加する必要は無いと頑なに主張し、男は男で、絶対に従軍すると言って聞かなかった。

 婚約者の少女は、男が生きて帰ってこないことを恐れるが余りの主張であり、男は男で、敵国が侵略してきた場合に少女が殺されることを危ぶむと同時に、少女がずっと「従軍を拒否した臆病者」の妻だと後ろ指さされて過ごすことになることを恐れるが故の主張だった。

 互いが互いのことを思いやったが故の意見の相違に決着が着くことはなく、結局、険悪なやり取りで喧嘩別れした後の、男の沈黙の軍入りによって中断された。


 軍内の者と外部との書簡のやり取りは、一般兵のレベルでは強く規制されていた。

 このため、少女と男は喧嘩別れをしてしまったことを悔やみながらも連絡を取り合うこともできず、戦争の一日も早い終結を願っていた。

 或いはその願いが神に聞き届けられたのだろうか。

 戦争は数ヶ月の小競り合いの後、男の参加する王国側の勝利という形で比較的速やかに幕が引かれた。


 男は戦時にそれなりの手柄を上げていた。

 日頃から意識して体を鍛えていたことや、婚約者の趣味だった物語創作の影響で先読み能力、想像力が人並み以上であったことがプラスに働いたのかもしれない。

 上官たちの覚えもめでたく、筋が良いから中央の軍属にならないかなどという誘いまで賜るほどだった。無論、丁重に断ったのだが。

 これで婚約者の少女に胸を張って会いに行ける。そうしたらおれは今度こそちゃんと、求婚の言葉を告げるんだ。

 男はその決心を胸に、帰途を急いだ。

 そんなごく当たり前の思いが決して実らないことを、その時の男が知る由は無かった。

 喜び勇んで故郷に帰った男が見たのは、病に倒れた婚約者の姿だった。

 家族の看病虚しく、衰弱していく一方だという少女の姿。

 必死に生の淵にしがみつく、記憶にあるよりずっと細くなってしまった、男にとって何よりも大切な存在の、今の姿だった。

 男の帰りを涙を流して喜んだ少女は、男の帰郷からわずか数日後、泣きじゃくる男の腕の中で静かに息を引き取った。

 

 婚約者を失った男は荒れに荒れた。

 少女の担当医だった老人に掴みかかり、あわや殺人となる一歩手前で家族の者達に取り押さえられた。

 そこに、かつての婚約者の娘と笑顔で語らっていた好青年の面影は無かった。

 「婚約者の死を受け入れ、落ち着くまで」実家の家に閉じ込められることになった男は、婚約者の葬儀以降、家を出ることが無くなった。

 生産性のある行いなど、その時の男は微塵もやる気が起きなかった。

 そして、誰にとっての幸いか、或いは誰にとっての不幸か。

 その家の中には、戦時の勲功に対する恩賞として王国から下賜され、男の所有物となった、やり場のない怒りと悲しみをぶつけるに絶好の存在があった。

 それは、稲穂のような金色の髪の上に、鋭角に突き出た狐の耳を載せている、一人の獣人。

 それは、今は男の奴隷として、男と同じくらいに虚ろな目を宙に彷徨わせていた小柄な女。

 かつて男を婚約者と離れ離れにする遠因を作った、敵国の兵であった者がいた。

 

 男は、収まることのない苛立ちと怒りを、暴力の形でその女にぶつけた。

 自分でも何を言っているのかわからない罵詈雑言を浴びせかけながら、拳を振るい、鍬で打ちのめし、杖で突き下ろした。

 女の耳はその片方が失われ、第二関節から先が折れたまま治療のなされなかった手の指は使い物にならなくなった。

 折れたまま治癒魔法でも戻すことができなくなった鼻は、美しかった女の外見を損なうものになった。 

 下顎からも幾本もの歯が抜け落ちており、黒く染まった片方の目は、既に光を失っていた。

 獣人の娘は従容としてその暴力を受け止め続け、生だけが保障された生活を、男の傍らで過ごし続けた。


 暴力を振るう男と、振るわれる女。

 二人の関係性は、そのままずっと変わらないかに思えた。

 しかし、そうはならなかった。

 魔力と体力を奪い続ける奴隷の枷を嵌められ、男に散々に痛めつけられた女は、ある日気づいた。

 涙を流しながら自分を痛めつけて来る男のことを、いつの間にか好いていたことを。

 それは、異常な恋愛だったろう。自分を害する者に恋をすることなど、誰が有り得ると思うものか。

 けれど、女は自分の底から沸き上がってきたその気持ちを受け入れた。

 耳にこびりつくほどに聞き飽きた女性の名を咽ぶように叫びながら襲い掛かって来る孤独な男が自分に振るうたびに傷ついていく拳に、愛おしみさえ覚えるようになった。


 そして“その事件”は、奇しくも男の婚約者の少女が死んだ日、そのちょうど一年後に起きた。

 いつものように女を痛めつけ終えた男は、親に贈られた酒を盛大に女の顔にぶちまけた後、亡き婚約者の少女を偲んで静かに涙を流し始めた。

 男が涙を見せる度に優しく抱擁してくる女を常のように乱暴に突き飛ばした後、気まぐれに質問を投げかけた。

 それは、本当の意味で男が女に初めて呼びかけた瞬間だったかもしれない。

 それまで、女がどんな悲鳴を上げようと、懇願をしようと、何も聞こえていないかのように振舞い続けた男が、初めて「女」を言葉を交わす、意志ある対象として扱った瞬間だった。

 男がそれを意識していたのかは定かでないが。 


 男の問いはこうだった。

「何でお前はまだ生きてんだよ、さっさと死んだ方が楽になれるんじゃねえの?」

 吐き捨てるように述べられた、何かをこらえたような、悲しみの感情に塗れた問いかけに、女はこう答えた。

「悲しそうにしている貴方を、一人残させたくないのです」

 怪訝な顔をする男に、女が続けた。

「わたくしは、貴方を愛しております故、その顔に浮かべる悲痛な表情を、どうにかして取り払って差し上げたいと思うのです」

 

 愛を告げる女の言葉に、男は劇的な反応を示した。

 男の奥から沸き上がってきた、熱湯より熱い、胸を焦がすほどの憤怒の感情がそれを成した。

 男の両手が、女の首筋に回される。

 そして、感情の猛りのままに全力で締め上げ始めた。

 それはいつもの暴力とは似て非なるものだった。

 男は、それまで決してすることなく踏みとどまってきた「女の命を奪う」ことを試みていたのだった。


 今の言葉を取り消せと男が凄み、女が決してそれだけはしてやらぬという覚悟で、ゆっくりと首を横に振った。

 男の手が一層強く握りしめられ、たまらず女が意識を失った。

 女の全身の力が抜け、あと僅かで女の命が失われるという所で、男の手から力が抜けた。

 男はひどく激しい拍動を刻む自分の心臓と、それ以上の震えをみせる両手に困惑を覚え、慌ててそれ以上に気にかかるものを確かめた。

 焦りの表情を浮かべながら女の生を確認した男は、大きく安堵の息を吐いた。

 そして、気づいた。 

 自分が目の前の奴隷女を失いたくないと思っていることに。

 先ほどの愛の言葉に、幼馴染の死への悲しみを侮辱されたように感じて憤ると同時に、確かに喜びを感じていた自分が居たことに。

 女の方でなく、男の方もまた、相手を自分にとって必要な、大事な存在であると感じていたのだった。

 男は女の前で両の膝をつき、涙を流した。

 それは、婚約者を失った悲しみの涙でも、ふがいない自分に嘆き、怒る涙でもなかった。

 男は意識を失った女の胸元に顔をうずめ、盛大に咽び泣いた。


 その日以来、男と奴隷の関係性は変わった。

 男が女に手を上げる回数は減っていき、床を共にし、男が女に甘える日が増えていった。

 二人は、男の親達も含めた町の皆に気づかれることなく愛を育み、やがて、女の胎に、二人の愛の結晶が宿った。

 

 町での出産は考えられなかった。

 亜人への偏見の強い街であったし、まともな助産師がつくとは思えなかった。

 二人が愛し合っているという事実が露わになれば、男の幼馴染の両親への不義理になる事も二人は理解していた。

 男は初恋の少女の墓前で地に頭をつき、故郷を離れることを深く詫びた。


 「町を出よう」


 男の提案に、お腹を大きくした女はコクリと頷いた。


 男が女を連れて転がり込んだ先は、従軍時に世話になった、とある貴族の次男坊のところだった。

 男の「剣士」としての腕前と目端の効く優秀な兵としての能力を買っていたその次男坊は、男の事情を汲み取り、万人平等主義を教義とするアリアンロッド教会傘下の孤児院を女の働き口として斡旋し、亜人差別をしない優秀な助産婦まで紹介してくれた。


 男はその生涯を、次男坊の家臣として捧げることを誓った。

 それは、戦時の将官としての成り上がりを夢見る次男坊に自分の命を預けたも同然の行いだったが、男に後悔は無かった。

 大きくなっていく妻のお腹を見ながら、平和の続く王国で、男は兵としての力を磨いていった。


 そして星の瞬きが美しい、ある満月の夜。

 男と女の血を分けた一人の少女が、母となった女の腕の中で元気な産声を上げた。


 ノエルと名付けられた母親似の少女は、母の出身地たる獣人の里での話を子守唄代わりに聞いて育った。

 ノエルのお気に入りは、“結晶ハンター”と呼ばれる格好いい獣人たちのお話だった。

 母が働く孤児院で育てられた少女は、なるべく獣人だという事が周囲にばれないようにしろと両親から言い含められていた。

 男の故郷ほどではなかったとはいえ、当時のその街では、亜人差別が全くないわけではなかったからだ。

 万人平等を謳うアリアンロッド教会のお膝元とはいえ、聖職者以外の大人たち、時にはその聖職者たちにも不心得な輩が混じっていた。

 耳を片方失い、鼻のつぶれた醜い容姿の母を嘲笑うような者も。 

 そして、そんな大人たちが居れば、悲しいことにそれを真似てしまう子供達も当然いるのだ。


 孤児院の中でも、普段の生活においても、ノエルはその目立つ耳と尻尾を帽子とズボンで隠し、獣人であることが悪いことであるかのように言われる環境に甘んじてきた。

 そんなノエルにとって、「普通の人間にはできないことをやってのける」“結晶ハンター”という存在は、憧れの対象だった。

 周りに蔑まれるような「普通の人間以下」の存在でなく、普通の人間には不可能なことを可能にする、理想のヒーローだ。

 ノエルは母の語る結晶ハンターの話を真剣に聞くようになった。

 そして、“ハンター”に関してあまり具体的なことを知らない母が悪気なく誇張して語ってしまった、「ハンターが一回の探索で集めた山のような魔結晶」といった話などをも、鵜呑みにしてしまったのだった。


 “結晶ハンター”に憧れたノエルは、幼いころから全力で自分の力を磨いた。“ハンター”必須と言われる「剣士」の技能を、父親に頼み込んで二年の修練の末に修得した。

 愛娘に「お父さん、お願いっ!」と必死に頭を下げられ、その場では断わりきれず、すぐに音をあげるだろうと見込んで軍の修練コースに入れたら、本当に習得してきた。

 その時の父の心境はいかほどだったろう。

 その後も、獣人であることを一般兵には隠しながら訓練に参加し続けて腕を磨き、女性の少ない職場である軍の中では、マスコット的な地位を築き上げたそうだ。実戦訓練――即ち対人訓練について、型稽古以上のものを禁止されていたらしいが、魔物や魔獣の討伐任務にはこの時から既に幾度か参加していたのだという。

 他にも、適正の高かった火の精霊魔法などは、弱冠8歳にて魔石を生成、中級火魔法使いの称号を手に入れるという中々の才気を見せつけている。


 “ハンター”の技能として一番重要な要素である「魔力の感知」についても、ノエルは独学で理論を組み立て、実践できるようになっていた。

 一種の天才だったと言っていいのかもしれない。

 魔力の感知能力が高いと、空気中の魔力の流れのみならず、あらゆる魔物や魔獣、魔力を持った人々を五感に頼らず補足できるようになるそうだ。

 “ハンター”は通常、この能力を利用して、魔力地帯を抜ける際は特別魔力の薄い地域を、魔物を迂回しながら抜け、戦闘を最小限の回数に抑えながら魔結晶の眠る中心部を目指すものらしい。

 そのことを知識としては知らなかったノエルも、自力の修練のみでその領域まで至った。

 そうしてノエルは“結晶ハンター”になる夢を、両親にも正式には告げないまま、ただただ自身が必要と思う技術を貪欲に吸収していった。

 母以外に情報源の無かった、自分の想像の上での“結晶ハンター”に必要な技能のみを……。


 そして今日、ノエルの14歳の誕生日を二週間後に控えたこの日。

 娘に街を出て欲しくないと日頃から言っていた両親を驚かし、正式に“結晶ハンター”として生きていきたい旨を告げるべく、「幻の都」と言われたこの古都ノクワリアまで足を運び、魔結晶を採取しに来たわけだ。

 そして、魔結晶が多く転がっていたあの“教会”で採取を一通り終えた所で俺達と出くわし、――あのような事態になった。

 


 戦闘時のノエルは軽業師のように身軽に動き回り、魔法と剣技を見事に連携させて戦っていた。

 少なく見積もってもB~A級冒険者クラスの実力はあるだろう。

 “ハンター”の危険地帯・危険魔物回避スキルを鑑みるなら、そこまで無茶な旅では無かったのかもしれない。

 だが……


「何故初めての“ハンター”の仕事先として、ここまで危険なところを選んだ? 戦闘訓練は十分以上に積んでいるようだが、“ハンター”としての能力を試したいなら、他にいくらでも適切な場所が有ったろう?」

「……初めての場所だったから、凄い所にしたかったの。私ならきっとできるって思って……」

「できなかったな。俺達が居なかったら、あの場で緑スライムに骨まで溶かされていたことだろうさ」

「……っ」


 少女の見積もりは甘く、こうして見ず知らずの第三者をもまとめて危険にさらしたという結果に終わったわけだ。


「ごめんなさい……。私、本当に、馬鹿だった。謝っても許されないことをしちゃった……。本当に、本当にごめんなさい……」

「そうだな、お前は大馬鹿野郎だった」

「うん……」


 俺は、冷たい大理石の床の上で膝を抱え、謝り続けるノエルに、背を向けた。

 やらなければならないことがあったからだ。

 ノエルの自分語りの間、俺は自分の「力」を働かせ、「脱出計画」を考え続けていた。

 異常に猛った魔物の群れと意志をもって動く溶解液に囲まれたこの状況から脱する友好な方法を、そして一つ思いついていたのだ。

 今からそれを、実行に移さなければならない。

 深く沈み込むノエルを慰めてやって欲しいと、傷を治し終えたユムナに手振りで示した。

 ノエルは、何だかんだで本気で反省する様子を見せていた。

 盛大に泣けば誤魔化せる状況だったにも関わらず、俺の顔をまっすぐ見て、真摯に謝罪を繰り返してきたのだ。言い訳の一つもせず。

 これなら、ユムナに慰めの言葉を貰ったとしても、勘違いすることはないだろう。

 ノエルはきちんと自分で自分の罪を受け止めたのだ。


 慰めの言葉をかけながら、本気で“ハンター”を目指すなら本物の“ハンター”の下で学ぶ機会を作ってあげると語るユムナに、ノエルは横に首を振って答えた。

 

「駄目だもん……。こんな私が、夢を追い求める資格なんて、もうないよ……」

「そんなことないわ。貴女の夢そのものは決して否定されるようなことじゃない。今回は、色々な悪条件が重なってしまっただけ。責任の取り方っていうのは、何も一つだけじゃないのよ?」


 荷物から取り出した紙に「とあるもの」を描いていた俺の背後で、そんなやり取りが行われていた。


 俺が紙にペンを滑らせる音。

 司祭長がノエルにかける慰めの言葉。

 その二つだけが、魔物達に包囲された古の大図書館に静かに響く。


 一通り描くべきものを描き終えた俺は、“材料”となり得る布……お使いを頼んだリュウが以前、鉱物の土魔石と間違えて買い込んだ、ただ厚いだけの衣を原料にした魔石を取り出し、「解放」の呪文を唱えた。

 厚さも大きさもばらばらな状態で再構成された大量の衣が、図書館の床一面に広がる。


 ――ナイロンやポリエステルでもあればベストだったが、贅沢は言っていられない。ユムナならこの材料だけでも“作ってくれる”と信じよう。

 ――ただ、その前に……


 “下準備”を終えた俺は、ノエル達の座る辺りを振り向いた。

 俺の目当てが自分であることが分かったのだろう。

 ノエルが、ユムナの手を離れて立ち上がり、俺と目を合わせた。

 俺は、先ほどと同じ「叱りつける年長者」としての仮面を顔面に張り付けて、ノエルと対峙した。


「さて、ノエル。先ほどユムナにも言われたようだが、お前は“責任”を取る必要がある。その、義務がある」


 しっかりと意思を秘めた目を取り戻したノエルが、俺の言葉に、重々しく頷いた。

 その真剣な面差しを見て思わず頬が緩みそうになるが、「力」で表情筋を制御し、厳しい顔を崩さぬように努めた。

 胸に拳を当て、20㎝ほど下方にあるノエルの頭を見下ろしながらこちらの“要求”を告げる。


「この町を脱出するまで、俺の下につけ。俺の出す指示に全て従い、誠意を見せろ。献身を見せろ。こちとらお前に危うく殺されかけた身だ。最低限、俺達の命を救う役には立ってもらうぞ」

「はいっ!!」


 元気の良い返事が、古い図書館を構成する石々を震わせた。

 直立して軍式の敬礼体勢を取ったノエルの横には、『こんな子を自分のために働かせるなんて』、とでも言いたげなユムナが座って居た。


 「ユムナ、お前、“これ”は作れるか?」


 険のある眼差しで俺をじっとりと睨みつけていたユムナだったが、俺の差し出した「設計図」に視線を落とし、眉を顰める。


「妙な形の完成予想図ね~。原料は……布と、本棚? 土魔法で金属でもないものを加工するのはちょっと……」

「お前なら『加工魔法』も使えるんだろう? それで作れないか?」

「どこで知っ……ああ、またカマかけたのね。はいはい、使えるわよ~。貴方が必要だって言うなら必要なんでしょ。この注文通りに作ってあげる。何々、空気より比重の軽い気体……? 風魔法でどうにかなるかしら?」


 ユムナが顔を上げ、胡乱げな目でこちらを見た後、設計図を受け取って歩いて行った。

 加工魔法が、古代では衣類の製作から家の建造にまで使われていたメジャーな魔法として存在したことは、昨日この図書館で読んだ本にて知った。

 神聖魔法、空間魔法、結界魔法等、様々な非精霊魔法を操るユムナならそれくらい扱えるだろうと踏んでいたが、当たりだったようだ。

 ユムナ本人には告げていないが、ユムナの「正体」についても、既に仮説が一つ頭の中にある。

 その仮説が正しければ、ユムナは今は失われかけている古代魔法の類も使えるはずだ。

 まあ、今はあまり関係ないが。


 さて、あちら(・・・)はユムナに全面的に任せるとして、こちらはこちらの仕事をしなければな。


「ノエル」

「はい、お兄さ……いえ、えーと、隊長っ! 何ですか!?」


 ノエルが耳をピンと伸ばし、元気よく返答してきた。

 恐らく軍での教習とやらで身についたものなんだろうが、こちらの世界でも「隊長」呼ばわりされるとは思わなかった。


「俺達三人、誰一人欠けることなく、この町から脱出するぞ。お前の仕事を説明する、俺について来い」

「はいっ!」


 階段を上がり始めた俺の後ろを、ノエルのパタパタカンカンという足音が追ってきた。


 ――さあ、この町から生きて帰ろう。誰一人、死なせることなく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ