第四十二話:人によって薬の効き目は違うから、用法には要注意ね<危険な花>
ゴメンナサイ、二日連続で投稿遅刻です。謝っても謝りきれませぬ。
今回はちょいおふざけ話。SSでやるべきかとも思いましたが、一応プロット上にあったので本編扱いです。こういった話の需要はあるのだろうか……?
side:薫
「ふわ~あ。 ……あいたたた、案の定というかなんというか、筋肉痛ね……」
隣を歩くユムナが、腰に片手を添えながら悲痛な面持ちで呟いた。
寝起きの重い瞼を擦りながらも、全身を苛む痛みに憂鬱そうな雰囲気を醸し出している。
場所が場所でなければ日頃のお返しに背を突いて悪戯でもしてやりたいところだが、自重しておこう。昨日世話になったばかりだしな。
「肉体を酷使した翌日直ぐに筋肉痛が来るなら、筋肉が老いてないという証拠だ。良かったじゃないか。ほら、お前の分の朝食だ。歩きながら食べておけ」
「あ、あたしはまだ若いわよ! 現役バリバリよ~! あ、朝食はありがと」
俺に手渡されたパンと魚の燻製を噛みしめ、その片手間で空中に生み出した水を風魔法で浮遊させ、そのまま口元まで運ぶ。
今、ユムナが何気なく行使した精霊魔法同時発動。実は、特殊な才覚を持つ者が研鑽を重ねた先でやっと身につけられる超高等技術だ。
そんな技術を無造作にやってのける彼女は、何だかんだで優秀な人材ではある。魔法使いとしては、という但し書きがつくがな。
あまりに便利すぎて俺も、冷蔵庫代わり、調理器替わり、クーラー代わり、様々な場面でユムナを利用してきた気がする。
キャッチコピーは一家に一台、便利なユムナ、といったところか。
日本製の家電製品とも充分にタメを張れることだろう。
「ん~? 何、そんなにじいっとあたしの顔見たりして? ひょっとして惚れちゃった? 浮気は駄目よ~、リーティスちゃんにばらしちゃおうかしら」
「安心しろ、それだけは無い」
図書塔で一夜を明かした俺達は現在、竜の教会を目指して魔境と化した古都の街並みを歩いている。
片目を閉じた挑発顔から一点、ぶすっと口を尖らせたユムナから顔を背け、正面を見据えた。
かつては目に優しいパステルカラーで統一されていたのだろう古都の色合いは、風化によってすっかり色褪せてしまっている。
それでも、道路は道路として真っ直ぐに伸び、左右に立ち並ぶ家々の名残は、黒色植物に覆われ、纏わりつかれつつも邸宅としての外形を維持していた。
カサカサと草履サイズの甲虫魔物が足元近くを這って行ったが、害はないので見逃した。
この町には危険な魔物も何種か棲息しているらしいが、こちらから敵意を撒き散らさない限り、寄ってくる事はあるまい。
「ん~? なんだか、甘ったるい臭いがしない?」
朝食を食べ終えて口元をハンカチで拭っていたユムナが、鼻をすんすんと鳴らし、尋ねてきた。
甘い、臭いだと?
俺もユムナに倣って顎を上に持ち上げ、臭いを探ってみた。直ぐに嗅覚が反応を示す。
――確かに、何やら甘い臭いがあたりに漂っているな。
ちょうど俺達の目指す町の中心部の方角から、奇妙な香りが風に乗って運ばれてきていた。
香水のような上品な香りではない。もっと濃密で趣味の悪い、例えるなら残飯となった洋菓子の投棄場から漂ってくるような、饐えた香りだ。
少々気に障るが、俺の嗅覚はこの臭いの源となる化学物質に、深刻な毒性は無いと告げていた。足を止めるほどの事柄ではない。
そう思っていた俺の手を、突然横から伸びてきたユムナの手が掴んだ。
思わず振り向く。
「ねえ、ちょっと待って。あたしどこかでこの臭いを嗅いだことある気がするのよ。なんだったか思い出せないんだけど、凄く嫌な予感がするの」
「この香り自体には毒性が無いみたいだぞ? まあ、お前がそういうなら警戒して進むことにするか」
額に手を当ててうんうん唸っているユムナの手を引き、若干歩行速度を落として周囲に気を配りながら先を急ぐ。
石畳を突き破って伸びていた黒色植物の根などをユムナの手を引いたまま跨ぎ越し、歩み続けた。
数分も歩いただろうか。やがて、臭いの発生源と思しきものが視界に入ってきた。
随分と奇妙な造形の物体が、俺達の眼前に現れる。
「花、……か?」
先ほどからずっと見かけている黒色植物の花だろう。
人一人丸ごと飲み込めるほどに巨大なそれが、足元に、周囲の壁に、遥か高い塔の天井に、俺達を取り囲むように咲き乱れていた。
赤、桃、橙、群青、空、紫、茶、灰褐色、エトセトラ、エトセトラ。極彩色のけばけばしいものから、毒々しい単色に染まったもの、かと思えば地味極まる色合いのものまで、実に多種多様な彩の花弁が、俺達を取り巻いていた。
こいつら、本当に全部あの黒色の蔓から出てきたのか?
同じ蔓に隣り合って咲く花さえ同色でないようだから、この植物の特性なのだろうが、実に無為自然とはかけ離れた光景だ。
地球では有り得ない情景だろう。こんな花が花屋に並んでいたら、俺は保健所に通報する。
昨日この町を遠くから眺めた際に、これほど目立つ花々は確認していない。夜の間に蕾をつけ、朝に開花する朝顔のような植物なのかと見当をつける。
「この花にはうかつに触れない方がよさそうだな。さっさとこの花園を抜けるぞ」
「……」
「どうした、ユムナ? 反応が鈍いぞ」
「いいえ、なんでもないわよ」
心なしか、こちらを見るユムナの目がトロンとしている。
女性は男性より五感に優れる上、甘さには敏感だ。この臭気に中てられたのだろう。
いつの間にやら、その足取りもふらふらと不安定になってきている。
「しっかりしろ、ユムナ。歩けないというなら、森を越えた時のように抱えていってやろうか?」
「……お願い」
何?
てっきり拒否してくるものかと見込んだ上での言葉だったのだが。
まあ、言い出してしまった手前、仕方がない。抱えて行ってやることにしよう。
改めて様子を確認すると、俺にもたれかかってきたユムナは明らかに具合が悪そうだった。
息が荒く、体もどこか熱っぽい。
肩と足に手をやって抱え上げてやると、顎を引いて俺と顔を合わせないようにしてきた。
ひょっとして、この臭気だけが原因じゃないのか? 無茶のし過ぎで本当に身体を壊してしまったかもしれない。
だとしたらそれは、部下……いや、相棒の健康管理を怠った俺の責任だ。申し訳なく思う。
体に障らぬよう、そっとその体を持ち上げた。
ユムナの変調の原因が分からぬまま、花園を歩み続ける。
「ねえ、カオル」
「どうした? ユムナ。なあ、ひょっとして本当に体調が悪いのか?」
「大丈夫大丈夫~そんなんじゃないわよ~。はは……。ねえ、ちょっとあたしの頭、撫でてくれない?」
「おいおい、本気で大丈夫なのか?」
「大丈夫だって~。ほら、これくらいいでしょ~?」
そう言って、肩を掴んでいる俺の手をくいくいと引いて催促してくるユムナ。
相変わらず目を合わせてはくれないが、俺の手を引く力は強い。
一回り以上年上の女性の頭を撫でるというのは……正直に言うと少しだけ憧れていたシチュエーションだったのだが、いざ目の前にすると気が引けてしまうものらしい。
一向に腕を動かす気配のない俺に焦れたのか、両手を俺の肩に回し、よいしょと小さな掛け声とともに上体を起こしてきた。
至近距離にユムナの顔が接近してきた。
熱っぽい吐息が俺の顔にかかる。
不意に、ユムナの薄紅色の唇から、小さな舌が伸びてきた。
俺の唇を狙ったそれを、慌てて顔をそらすことで回避する。
おい、ユムナ、悪ふざけにもほどがあるぞ!
「ね、カオル~、ちょっと、ちょっとだけだから~」
ろれつの回らないユムナの声が耳に入り、ようやく違和感に気づく。
もしかして、こいつ……。
目の前の小さな顎に手を添え、上向きに動かした。
「あ……」焦点の定まらない、明らかに尋常でないユムナの目と、俺の目が合う。
常ならとぼけたように見開いた瞼の中で悪戯気に輝いている碧い目は、ドロリとした粘っこい情動の色に染まり、濁りを感じさせた。
やはりか……。
以前にも、似たような症状は見たことがある。
催眠効果のある何らかの力の影響を受け、思考能力が低下している者特有の目だ。
ペちペちと頬を叩いて呼びかけるが、正気を取り戻す様子は無い。
ユムナらしくない、実に色香漂う仕草でとうとう俺の掌を舌で舐めあげはじめた。
何とかこいつの目を覚まさせる方法は……そうだ!
「ユムナ!」
「ふひゃあ!」
俺にまとわりついてくるユムナの肩を押さえつけ、地面に引き倒す。
そのままユムナのシャツをまくり上げ、白いお腹を外に晒した。
そのへその上あたりに、俺の手を置く。
「ひあぁ♡」
ええい、妙な声をあげるな!
艶っぽいユムナの声に集中を乱されながらも、何とか一つの「神聖魔法」の発動に成功する。
神聖魔法は生物の体に作用する特殊な魔法だが、自分以外他者の体内に及ぼせる影響は限定的だ。
相手の体に作用させる魔法の代表格が治癒魔法、次にメジャーなのが身体麻痺魔法だろう。
そして俺が今回使ったのが――
「イタあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!」
急造で一から術式を構築した、「痛覚増幅魔法」だ。
第三者が外部から無理やり与えた怪我等の痛覚は大して増幅できないが、今のユムナの体は、昨日の労働の置き土産、「筋肉痛」に蝕まれている。元より自身の身体のものである筋肉痛は、増幅対象としては絶好の相手だった。
ユムナは俺の手の下で、増幅された痛みに身を捩り、悲鳴を上げた。
暴れる体を抱え込んで押さえつけ、ようやく正気の色が瞳に戻ったユムナに命令を投げつける。
「ユムナ、風魔法で周囲の空気を、化学物質のない安全な状態にできるか!?」
「ええ!? ちょっといきなり何よ。ってか、その“安全”の基準っていったい……」
「なら、俺達の周りをドーム状に囲む水膜は作れないか?」
「え!? ええと……、空気中から水を継続的に取り出すのは魔力消費が……」
「もういい! なら、この周囲の花々を今すぐ全て焼き尽くせ」
「だから、さっきから一体何なのよ!? やるわよ、やりますから! ええええい!」
ユムナの掛け声とともに、幾本もの火柱が立ち上がった。
俺達を取り巻くように発生したそれらは、火災旋風のごとき竜巻に姿を変え、地面と壁を焼き焦がし始めた。より正確には、そこにのさばっていた異形の花々を燃やし尽くし始めたのだ。
有機物の焦げる臭いと、高温の火災旋風によって生じた風の作用で、先ほどまで空間を支配していたあの甘い香りは潮を引くように消え去って行った。
ただ、火や煙を見て興奮した周りの魔物が寄ってこないとも限らない。
状況についていけず、すぐ近くにあった俺の顔を困った顔で眺めていたユムナの頭を胸元に掻き抱き、地を蹴った。「わぷっ」
一つの大竜巻として合流していた火災旋風の脇を抜けるように跳躍して、建物の屋根に着地。そのまま先ほどいた場所から全速力での逃走を図った。
「ちょっと、何なに!? 何なのよ~!」
混乱と抗議の声をあげるユムナを他所に、“教会”の方向に向け、一直線に駆ける。ボロボロになったレンガ造りの屋根が俺の足元でいくつかぴしりと嫌な音を立てていたが、気にしない。
ようやく目当ての“教会”の社が目に入ったあたりで、屋根から身体を躍らせて、路面に着地。全身抱え上げていたユムナを下ろす。
――先ほど自分がどうなっていたかについては、覚えていないようだな。
体に着いた煤を浄化魔法で払っていたユムナの普段通り(?)のお怒り顔を見て、安堵する。
あの奇妙な催眠効果は、恐らくあの花の香りの作用だったのだろう。俺には、というよりは通常の人体には毒性が無かったはずだが、人並み以上の魔力を持つユムナには異常な効果を発揮したのかもしれない。
「さっきのあれは何だったのよ~! ちゃんと説明して頂戴よね! なんだかあの匂いがしたあたりから、貴方に押し……押し倒されるまでの記憶が曖昧なの。ううう……なんか全身も凄く痛いし~。……ん? あれ、そういえば、あの匂いって……」
俺の目の前で、ユムナの頬が夕焼け空もかくやというほど鮮やかな紅色に染まった。
「どうした、あの臭いに心当たりがあるのか?」
俺の問いかけに、ぎぎぎっと油の切れたロボットのように首を回して顔をこちらに向けてきた。
「あの? ねえ、あたし、なんか、やっちゃった?」
「いや、何もしてないが?」
頑張れ、俺の韜晦スキル!
あの時の出来事をユムナに伝えてはならない……何故だか猛烈にそんな気がする。
しかし俺の祈り虚しく、ユムナは何やら絶望的な表情になって下を向いてしまった。
「あ……、あたしが何をしたのかは、今度、勇気が出た時に、聞くからさ、その、今は……忘れて頂戴」
教えて欲しいのか、忘れて欲しいのかどっちなんだ。よっぽどそうつっこんでやりたかったが、喉に出かかったあたりで飲み込んでしまう。
「それで、あの臭いは何だったんだ?」
とぼとぼと教会に向けて歩き出したユムナの背に向けて問う。
その回答は、蚊の鳴くほどの小声で返ってきた。
「……やく」
「何と言った?」
「媚薬の源よ、たぶん。魔力を籠めて錬成した市販薬を見たことがあったの。あれを嗅ぐと目の前の人間にやたらと甘えたくなって、それから、せ……性的に欲情するようになって……」
そして、観念したように一息で言葉を吐き出した後、自分の肩を抱いてプルプルと震えだした。
「あ、おい、ユムナ!」
羞恥心に耐え切れなくなったのか、脱兎のごとく俺の下から逃げだしてしまった。
廃都の路上にぽつんと取り残されてしまう羽目になり、小さく嘆息する。
まあ、ユムナの行き先は分かっている。魔物の襲撃も無いようだし、ゆっくり歩いて追いかけるとしよう。
――しかし、あれだな。さっきのは不可抗力だよな? 浮気には……ならないよな?
先ほどの「女」を垣間見せたユムナに思わず一時心奪われてしまったことについて、誰に宛てるでもない言い訳を、心中で呟く。
――落ち着け、あんなことは今日無かった、そう、無かったことにすればいいんだ。
ユムナに事情を話したら直ぐに、この記憶を「完全封印」する決心をした。
15禁だともっと過激な描写をしても許されますかね?
直接的な表現は省かせていただきましたが、いかがでしょう。




