第四十一話:自分が読みたい本だけが本ではない、読まなければならない本というものも存在する<廃都の書庫>
遅れました、すいません。スマホのバッテリーェ……
パラパラパラララララララララララララ……パタン
「俺の方は終わったぞ。“準備”はできているな?」
先ほどまで眺めていた分厚い絢爛な装丁の本を閉じた俺は、部屋の入口に顔を出したユムナに、確認の問いかけをした。
「もう旧ノクワリアの文字を習得したっていうの? 相変わらず卑怯くさい能力ね~」
「現ノワール王国で通用する文字も含まれていたし、文法構造はそのままだったからな。割と簡単だった。多分当時の人間が話していた言葉は現代と殆ど同一だったんじゃないか?」
「大正解~。景品は出ないわよ。あ、準備はできてるからついて来てちょうだいな」
おい、知っていたなら先に言え。
ケラケラと笑うユムナに嘆息しつつ、その案内に従って部屋を退出し、“この施設”の中央へと足を向ける。
大理石の床が俺達の歩みに合わせてコツリ、コツリと音を響かせる。
扉を出て数秒もしないうちに、太陽の光差し込む明るい空間にたどり着いた。
俺とユムナが現在いる建物。
ここは、古都ノクワリアの図書保存塔だ。
「大図書館」と言い換えた方がイメージしやすいだろうか。
傷だらけの塔、その一階中央から天井を見上げると、各階にある円形の吹き抜けの先に、大穴の空いた美麗な天井画が目に入る。
そしてその下には壁に沿って円状に、6階層に渡って広がる書棚に溢れたフロアがこの一階中央部から一望できた。
視界を覆い尽くすように最上階から螺旋状に伸びた階段は、この一階部分までその足を下ろしている。
かつては多くの知識人たちが足繁く通い、勉学と知の探求に励んだ場所だったのだろう。
罅割れた壁から吹き込む、寂しげな隙間風をその身に感じながら、この塔の栄華の時代を、しばし偲んだ。
ユムナなどはつい先ほど、この塔に足を踏み入れた際、膨大な書物の詰まった建造物という日頃中々お目にかからない光景を目の当たりにして、感嘆のため息を吐いていた。
現代日本人である俺は、書物の海という景色そのものには大した感慨を覚えなかったが、時を経て尚残る知識の貯蔵庫の姿というのは、なんとも胸に来るものがある。
壁面、天井部の破損は気になるが、苔むした建物の外周からは予想もつかない程、その内部はきちんと建物本来の様態を保っており、未だ“大図書館”としての威厳を感じさせていた。
ユムナ曰く、古代の「維持」、「魔物避け」の結界魔法が未だ効力を残しているらしい。
この町では同等以上に重要な施設であり、相応の魔法結界が張られていたであろう城の方は、あれだけ崩壊していたというのにな。
進入してきた一際強い風が、建物中に降り積もった数百年ものの埃を舞い上がらせた。
その一部が眼鏡に付着し、さらに一部が気道に入った。
思わず胸を抑え、咳こむ。
――まてよ。風?
「そうだ、ユムナ。お前の風魔法でこの塔中を掃除できないか?」
「ん~、できるんじゃない? ……って思いついてたんなら早く言ってちょうだいよ~。 埃まみれになって書籍をかき集めてきたあたしが馬鹿みたいじゃな~い」
俺も思いついたのはついさっきだよ。
だいたい、自分の魔法でできることくらい把握しておくべきだろう。せっかくの高い魔力も、全属性の才能も、宝の持ち腐れになるぞ?
「できるのなら、今からでもやっておけ。これから二階以降の棚についてもお前には探索して貰うんだからな」
「はいはい、分かりましたよ~。そうれ、ほいっと」
吹き抜けの下に一人直立したユムナが、静かに両の腕を持ち上げて風魔法を発動した。
この塔が打ち捨てられてからの歳月を偲ばせる、膨大な量の埃や塵が浮き上がり、舞い乱れ始めた。
風に蒼髪を靡かせるユムナの頭上に、球の形で集められていく。
俺はその様を、ただ横から眺めていた。
やがて、ユムナの頭上に、不格好な地球儀めいた巨大球体が完成した。
茶目っ気を出したユムナがその球体を回転させ、真上に飛ばす。
埃の地球儀が、天井の穴から投棄され、いずこかへ消えた。
さて、これで落ち着いて“作業”に入れるな。
俺達の目的。それは、この大図書館での遺失知識の探索である。
建物の損傷具合から、俺達は当初、大半の蔵書が雨漏り等でぐしゃぐしゃになっている状態を覚悟していた。
しかし、この塔の本棚の一部は湿気を完全に弾く魔道具となっていたようで、そこに保管されていた本の一部は、文字を解読できる程度には原型を保っていた。
歴史的価値のありそうな書物は優先的にその本棚に入れられていた上、さらに幸いなことには、魔力結界の技法を流用したと思われる特殊な装丁によって経年劣化を免れていた。
至れり尽くせりとはこのことである。
そして俺が小部屋で当時の文字の解析をしている間、ユムナには一階の吹き抜け下に一階書庫中から集めた“解読可能な”書籍を床に並べて貰っていた。
「風魔法を、さっき指示した通りに吹かせてくれ。その間に二階以降の書籍の探索を頼むぞ」
「はいは~い。了解了解」
ユムナが手を振り下ろすと、床一面に置かれた書物群が、パラパラ音を立てて一斉に捲れはじめた。
「力」を全力で解放し、ユムナの風で捲らせている数十冊の書物を、同時に読み込む。俺が読める形で残っている書籍はどれもこれも重要なものばかりだ。片端から「記憶」していく。
さて、これからが大変だな。頑張れよ、ユムナ(・・・)。
半日ほどかけて図書館に存在した解読可能な書籍の殆ど全てを閲覧し終えた。
とうに外は暗くなっている。
その頃には、光魔法と風魔法の行使と、俺が読み終えた本と未読の本を取り換えるという肉体労働を、ひいひいと息を切らしながら果たし終えたユムナが全身疲労で動けなくなってへたりこんでいた。
「人使い荒すぎ~。神官長にやらせる仕事じゃないわよ、こんなの~」
うつ伏せで、こちらに尻を突き出す体勢になって倒れていたユムナがぼやく。
まだぶー垂れるだけの元気はあるようだな。
まあ、今日やるべきことはやり終えた。
明日“教会”を確認したら、休む暇なくさっさとランさんたちの待つ町まで戻らなくてはならない。今夜はもう寝させても良いだろう。
「良くやった、ユムナ。今日はもう休もう」
「う~。お姉さんに対する感謝の気持ちが足りないわよ~」
ほこりにまみれてしまった服を水・土魔法で浄化しつつ、ようやく休めることに安堵している様子のユムナが、覚束ない足取りで立ち上がった。
その腕を掴んで身体を支えてやり、寝所を探しに向かうべく、階段に足をかけた。
俺達二人は肩を寄せ合い、塔の二階に魔法よけの結界を設置して就寝した。
隣り合って床についているのは、色っぽい理由からではない。
いくら俺が年上好きとはいっても、この女には食指が動かないしな。
あくまで、警戒のためだ・
俺は、ユムナたちとの旅が始まって以来、用心のために異能による「休眠」を一切行っていない。
これは、三時間程度の睡眠で精神力と体力を完全回復させ、さらに特定条件下での即時覚醒さえ設定できるという優れものだが、ユムナには俺の手の内を晒しすぎている。俺の「覚醒条件」に触れずに寝首をかかれる危険性を鑑みて、右脳と左脳を交互に眠らせる睡眠方法に切り替えたのだ。
――もっとも、それらが取り越し苦労だったという可能性も大きそうだが
建物の穴から漏れてきた月明かりが、ユムナの上半身に落ちている。
年を感じさせないあどけなく、緊張感のない寝顔を晒して眠るユムナ。彼女が俺に伝えた言葉は「殆ど全てが」真実であるらしかった。
ユムナ本人の前では「信じていない」というポーズをとっているが、彼女がアリアンロッド神殿の司祭長だという話は本当だろうと、今では考えている。
となるとこいつはリーティスさんの上役……なわけだが。
正直、全くそうは思えない。
例えば、もし思いやりの心等が神官の地位を決める条件だったとしたら、100人中100人がユムナではなくリーティスさんを司祭長に推すだろう。
リーティスさんの柔らかい笑顔が脳裏に浮かぶ。
大人びた面を持ちながら、どこかまだ幼さの残る、あの少女の笑顔が。
唐突に、彼女に会いたいという欲求が俺の中からこみ上げてきた。
あまりに急に膨らんできた強い気持ちに、困惑する。
顔が、熱い。
参ったな。惹かれているという自覚はあったが、ここまで恋しいと思うほどだったとは。
思わず指で頬を掻き、苦笑いを浮かべてしまう。紅を例外とすれば、これほどまでに一人の女性を好きになったことは無い。
こうして別の女性の体温を右肩に感じている今も、心は彼女だけの方を向いているのだ。
建物の隙間から、廃墟のかび臭い香りを乗せた風が吹き込んできた。思いのほか冷たいその風に、ユムナが体をぶるりと震わせる。
背後の荷物をごそごそと探り、畳一枚ほどの大きさの小さな断熱シートを取り出す。ユムナにかけてやると、無意識のままゴソゴソとその中に体を潜り込ませていった。
ユムナ、か。
この女が、どうやら当人の意思のみで俺達の下に来たのではないらしいことは薄々察しがついている。
歯抜けの櫛ように重要な部分の欠落した情報提供を彼女から受けた俺は当初、ユムナ本人が意図的に情報隠蔽をしているのかと疑っていた。
だが、どうも当人も不完全な情報を下に動いているらしいという事に最近になって気づいたのだ。
ユムナ自身はそれを隠したがっているようだが、彼女とは短いとはいえ中々高密度な時を共に過ごしたのだ、たいていのことは分かるようになる。
恐らく、彼女は“完全な情報”を握る何者かに指示を受け、その者の意思に従って動いているはずだ。
その「黒幕」の予想は可能だ。
この世界の「祈祷」という仕組みと、ユムナから聞き、先ほど書物で確かめたこの世界の歴史に関する知識を合わせて考えればそう難しい推定ではない。
何より、ユムナ本人が言っていたではないか。自分は『そいつ』の代理人であると。
ノワール王国の国神「運命神」アリアンロッド。
それが、ユムナを裏から操り、俺と紅の様子を天から観察している黒幕だろう。
この世界に「神」はいる。
それが人と同じような存在なのか、そもそも生き物であるのか、この世界に存在するかさえ分からない相手ではあるが、とにかく明確な「目的」を持ち、人に自分の意思を伝える能力のある存在として君臨している。
考えてみれば、俺がユムナと「邂逅した」のは、リーティスさんに降りた神託によるものだ。
或は、そもそも俺と紅がリーティスさんと出会ったこと自体が……?
そこまで、疑うべきだろうか。
「運命」などというオカルティックな事物を司る神に対して、どのように対処すべきなのか。
ASP時代にも考えたことのないようなことである。ユムナは俺達の「味方」だと言うが、実際のところはどうなのだろう。
ユムナはともかく、リーティスさんが神の使徒、というセンはあるまい。
「祈祷」の原理は、フリーのPCから行う匿名掲示板への書き込みの様なものだ。
管理人たる神が書き込みに対してレスポンス、つまり「神託」を行うことはできても、当人に直接干渉する術は無い。ユムナのように特定PCを使い、そのIPアドレスを管理人に預けるような真似をしているなら話は別だが。
おまけにその「神託」も、受け取る者が望んでいないことを発信することはできないらしい。
意思決定を180°捻じ曲げるような真似、ユムナの言を借りるなら「大きく運命を捻じ曲げること」は神といえども難しいのだ。
だが、運命神の真意は、ユムナをいくらつついたところで、分かることはあるまい。
奴は紅をどうしたいと思っているのだろうか。
ユムナが語っていた、“突然この世界に現れた脅威”“この世界の滅びを回避する鍵”……
紅が「この世界の滅びを回避する鍵」であるなどという胡散臭い言葉をそのまま信じられるほど、俺の心は純粋ではなかった。
俺達を躍らせ、何をさせるつもりだったんだ?
そもそも、紅が世界の滅びを回避するための鍵だったという言葉が本当だったして、俺達を「呼び出した」のは何者だ?
ユムナは本気で知らなかったようなので追及の手を緩めたが、俺達を呼び出したその“黒幕”の正体が、紅に宿る“アレ”と大きく関わってくるのではないだろうか。
情報が足りなすぎる。運命神の考えも、紅の身に眠るあの存在についても、まだまだ分からないことが多い。
――明日、“竜の教会”に行けば、何か分かるのだろうか。
穴から覗く、地球の数倍の大きさを持つ月の光に目を細めながら、まだ見ぬこの世界の神秘に思いを馳せた。
眠れぬ夜は更けていく。




