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第四話:盗賊 それは現代日本の絶滅種<祭司さんのお願い>

side:紅

 村は、厚い土壁で二重に覆われていた。

 うずたかく積まれた土砂は、いったいどれだけ多くの人間が、何日かけて積み上げたんだろうか。

 車一台突っ込んでもへいちゃらそうなその壁に、木組みの門がぽっかりと穴をあけている。

 村の入口をくぐると、木組みの家がのきを連ねていた。


 ――うわ、すっげえ。


 村に入ってまず感じたのは驚きだった。

 凄い数の家が並んでいた。

 ここはあの、だだっ広い農地を耕してる奴らが夜寝るために帰ってくるような村で、弓なんていう、骨董品めいた武器を日常的に使っているような場所で――。

 そんな情報からこの村もきっと、あっちこっち空地だらけで偶に見つかる家は天井が低くて、なんて姿を想像していたあたしは随分間抜けだったみてえだな。

 見るからに倉庫ってな具合のどっしりとした建物の他は、どこもかしこも鳥の巣を載せた木みたいににょきにょきと高く伸びていた。

 

『おーい、リーティス! 内門うちもんを閉めるぞー! 客人たちを急がせてくれ』

『はい! お願いします、ゴーシュさん!』 


 男の声が上から降ってきて、あたし達を先導していた青ローブの少女が足を止めてそちらを見上げた。

 外壁の外を見張る高台の上に、大柄な男が一人、身を乗り出して手を振っている。

 間もなく、あたし達のすぐ後ろで、何か大きなものが運ばれてくるような音が聞こえてきた。


(どうぞこちらに。橋が見える辺りまで、この道を真っ直ぐです)

「おう。案内ありがとうな。……えーっと――」

 

 音の接近に気づいて急かすように早足になった少女に声をかけようとして、つっかえた。 

 そういや、まだこいつの名前を聞いてなかったっけか。


『名前、教える。欲しい』  

(あ。ど、どうもすみません。申し遅れました。私の名前はリーティスと言います)


 自分の意志を相手の分かる言葉に変えて伝達することができて、でも相手が考えてること、言ってることが分かる訳じゃない――兄貴が名付けたところの『|一方通行の意思疎通能力者ハーフチャネラー』らしいその子は、兄貴の言葉を受けて、慌てたように名乗った。


『自分、"カオル"、そこのこれ、"ベニ"』

(カオルさんに、ベニさんですね。覚えました)

『あー。言葉、一緒、口使う、で、喋る、して欲しい、言葉、知りたい』


 言葉が全く分からないあたしを他所よそに、兄貴が少女に色々と話しかけ始めた。あふれ出る知的好奇心だか興奮だかが兄貴の目を輝かせ、ついでにオーバーアクションな身振りを引き出していた。

 歩きながらゆっくり一単語一単語を告げ、兄貴はどんどん質問を投げていく。

 少女はそれに、一つ一つこくりと頷いて見せながら丁寧に解答を返していった。


(……はい。この"ココロ村"には村の中を通る大きな川がありまして、私達が普段使うお水は大体そちらから汲んで来るようにしています)

『水、たくさん。あと、土、しっかり。なら、農業、それで、発展?』

(はい。良い野菜もお米も、たくさん取れるんですよ。でも、この村が出来たのはつい30年くらい前で、それより前だとこの辺りは魔力地帯のただ中と思われていたそうです)

『魔力地帯? それ、――』


 それにしても、あらためて見るとこのリーティスという少女、色々不思議な所だらけだった。

 この村に住んでるのは間違いないっぽいが、どうも農家の娘って感じには見えねえ。

 袖からから覗く腕周りは花の茎のようにほっそりしていて、このくわだとかすきだとかを持って麦わら帽子装備で働く姿を想像させない。

 肌の方も目立つ日焼けの跡なんか全然見当たらない。不健康って感じじゃねえけど、箱入りのお嬢様的な世慣れなさを感じさせる。

 歩く姿が凄い綺麗なのもそんな連想に拍車はくしゃをかける。

 背筋がしゃんと伸びていて、足取りが整然としてるんだ。あたしもこれくらい綺麗に歩ければ、と少し羨ましいくらい。

 でも、容姿の不思議よりもっと良く分かんねえのは、頭一つ分は高い兄貴から食い気味の質問を受けながら、物怖じしないその態度。

 さっきはあんなにびくびくと怯えていたような感じだったのに、今の印象は全く逆なんだ。

 野外で立ち話って訳に行かねえのは分かるけど、初対面の男女二人が宿なしと聞いて自分の家・・・・に招待しようって言い出すのは、あたしも兄貴も驚いた。

 臆病なのか大胆なのか。

 本当に、良く分かんねえ。


(こんなに歩かせてしまってすいません。家に着いたら、何か冷たいものを用意しますね)


 まあ、悪い奴じゃないっぽいけどな。


 やがて、あたし達は村の中心ちょっと手前くらいの小さな丘の前に辿りついた。少女が歩みを止め、横の兄貴が質問の手を緩めてその丘の上を見た。


(ここです)


 丘に設えられた梯子のような階段の先に、一階建ての家屋があった。

 あんまり大きい家じゃなかった。

 すぐ隣の煉瓦造りの建物がちょっとした集会所サイズだったこともあって、その慎み深いたたずまいが余計に際立って見える。

 

(せまいおうちですけれど……教会あちらを私用で使う訳にもいきませんので、すみません)


 煉瓦造りの立派な建物の方に目をやりながら、リーティスが困った風に微笑む。


『あちら、とは?』

(あ、私はそちらの建物――教会の管理人でもあるんです。実は私、見習いではありますがこの村の神官などをやらせて頂いている身でして)


 てことは、聖職者か。

 さっきのあたしの、農民の娘っぽくねえなって感想は当たってたってことかな。

 

「あ、兄貴。ちょっといいか? リーティスに聞いてほしいことがあるんだけどよ」

「どうした? 何が聞きたいんだ?」


 リーティスに続いて梯子に足をかけた兄貴の肩をつついて振り向かせ、一つ疑問に思っていたことを耳打ちする。

 さっきから頭に直接呼びかけて来るリーティスの"声"について、こいつはどういう理屈のもんなんだ、と。 

 

「ああ、それならさっき聞いてみた。彼女が使っているのは"魔法"だそうだ。日本語で該当する言葉は、それくらいしか思いつかない」


 おお、マジか。

 中々刺激的な答えが返ってきて、心が跳ねた。

 ここは異世界。

 そんなこともあるかもなー、とは思っていたがこうして目の前で現物を見せられると歓声を上げずにはいられない。


(どうぞ、ご遠慮なさらず。上がってください)

「はい、ありがとうございます。じゃ、兄貴。お言葉に甘えて上がらせてもらおうぜ」

「土産の一つも渡せないのが心苦しいな。昨日買いこんだ美味しいラー油の瓶でも持ってきていれば……」

「色々間違いすぎてるぜ、兄貴」


 村唯一の司祭、リーティスが一人暮らしを営んでいるという空間は、綺麗に片付いた六畳一間だった。

 高床式の室内は板張りの土足厳禁で、あたしたち生粋の日本人にとってはなじみやすい部屋だ。

 掃除の行き届いた部屋は、足をのばしてくつろぐには最高の環境に思えた。

 漂うのはどこか懐かしい木と土の臭い。

 

(お茶が入りました。どうぞ、冷たいうちに)

『ありがとう』「サンキュー」


 床に敷かれた茣蓙ござに座り、リーティスが出してくれたお茶モドキを飲む。

 湯呑にがれた黒っぽいこの飲物はノワール茶って言うらしい。

 麦茶を濃縮させたような味で、結構な渋みが効いていた。

 先に一口付けた兄貴の目が白黒と点滅してたけど、あたし的には結構ありな味かね。温|あった|めてもいけそうだ。


(では、私も向かいに失礼します)


 兄貴が未知の味を受け入れようと四苦八苦している間に、自分の湯呑を持ったリーティスがあたしの横を抜け、対面の席に着いた。

 部屋唯一の採光窓から落ちる赤い光の向こう。

 フードを取って、長い茶色の髪をしどけなく垂らしたリーティスの姿がぼんやりと浮かび上がる。

 女児のように柔らかそうなまつげたたえた瞳があたし達二人を映してまばたき、血色の良い唇が色香いろかを宿してゆっくりと開く。

 ようやく本題か。

 肩に緊張の重みが乗るのを感じる。

 この女の子が、あたし達に伝えたいこと、頼みたいことってのが何なのか。

 それがようやく分かる時だ。


(ここまで来てくださってありがとうございました。少し長い話になりますけれど、聴いてくださいますか?)


 迷わず頷く。兄貴も頷いている。

 少女は柔らかく微笑んで、感謝の言葉を皮切りに、その「長い話」を始めた。


 最初の話は、この村の成り立ちについてだった。

 この村――ココロ村は大国ノワール王国の南端に位置する辺境で、建国時から今に至るまでパシルノ男爵領として存在していた。

 東部と南部を危険な魔獣のうろつく険しい山に囲まれ、交通は不便。

 けれど、適度な魔力を含んだ河川とそれによって形成された豊かな土壌を保有し、農場としては高い地力を持っていた。

 開拓団の第一陣がごく近年にこの地に居を構えると、土地が産みだす実り豊かな作物は彼らに大きな富をもたらした。

 特に、この国では珍しい稲というしゅの栽培に適した環境出会ったことは村の大きな強みだったという。

 村に通じる街道は険しい山を抜ける一本のみではあったが、この地の良質な作物の噂を聞きつけ、行商人達も足を運んできた。

 辺鄙へんぴな場所だが暮らす分には不便も無く、独自の強みもある良い村だ。


 しかし、開拓間もないココロ村のある特殊な性質が、予期せぬ形で村への足かせになる。

 たった一本しかない連絡道。

 では、それが塞がれてしまったらどうなるか?


 この地を預かる今代こんだいのパシルノ男爵は、非常に出世欲が強い男だった。

 祖先から受け継いだ王国端の小さな領地。

 その支配で一生を終えるだけの人生を、彼は良しとはしなかった。

 もっと多くの富を。あるいは、もっと栄えある人生を。

 そのために彼は、中央への進出を決意する。

 野心に燃えるその男は、中央の有力貴族への貢物みつぎものを、己の財産財産をさらってかき集めた。

 みずからの覚えをめでたくするため、足繁く王都へ通い、有力貴族に貢物を捧げるようになった。さながら、神に供物を捧げる敬虔な信徒のように。

 やがて来るであろう己の栄達えいたつを夢見て。中央の官位を得て、有力貴族の娘と婚姻を結び、名実ともに有力貴族の仲間入りをするために、惜しげもなく今持てる限りの財産をつぎ込んだ。

 それだけであれば、まあおそらく問題は無かった

 自分たちの収める税を民に還元しない駄目領主という程度で終わっていたのだろう。代官の仕事次第でまだカバーできる範囲だ。

 しかし、彼の所業はそれだけには留まらなかった。

 彼が貢いでいた有力貴族達は、自分達にへつらう田舎者の貴族にちょっとした都会の遊びを教え込んでいた。

 闘技場や賭博場。裏酒場に裏市場。

 パシルノ男爵がそれまで見たことも無かった、想像もしていなかったような遊びを、たっぷりとじっくりと教え込んだ。

 パシルノはそれらの遊びにどっぷりとはまり込むと同時に、ますます中央への憧れが強くなっていった。

 男爵家が貯蓄していた財を瞬く間に食いつぶし、それだけでは足りないと分かると今度は領民から搾り取ることを考え始めたのだ。

 とはいえ、それは貴族であった彼の身をしてもそう簡単にできることではなかった。

 王権の強いノワール王国にて、理由のない暴利は法で固く禁じられていたからだ。

 普通の方法で、領民たちの財産を召し上げることはできない。

 ならば、普通でない場所、それも王国もまだ情報を把握しきれていないような富を稼ぎ出しているところからならどうか。

 そこで目をつけられたのがココロ村だった。


 特定の商人たちに贈賄の対価としてココロ村に通じる北路の通行を許し、それ以外の商人の通行を一切禁じた。

 ココロ村での商売独占権を得たその商人は、ココロ村で生活必需品を高く売りつけ、一方で特産品である米を始めとした各種作物を安く買いたたくようになる。

 無論、村人たちもそんな暴挙を黙って見過ごしていたわけではない。商人を通じて売買するのではなく、自分たちで街まで繰り出すことで正常な価格で売買をしようと試みた。

 しかし、パシルノ男爵がそれを許すはずもない。

 盗賊と契約を結び、ココロ村を出入りしようとする者たちから略奪を、逆に男爵と契約を結んだ商人達には一切手出しをさせないように取り計らった。

 男爵の暴走は止まらない。

 「地税」軽減の代価で「賦役税」を増やすという名目のもと、若い男たちを村から徴発し、反乱と盗賊撃退の芽を摘み取った。ちょうど良いタイミングで、国外・・への派遣兵供出のめいが彼にくだされていたのだ。

 減らした分の地税が、独占商人の賄賂を通じて男爵に回収されたことは言うまでもないだろう。


 リーティスが話の合間に一息をいた時、窓の外ではもう太陽が山に沈みかかる頃合いだった。

 時折辛そうに唇を噛みながら語るリーティスを見ている内に、あたしの心の中にもまだ見ぬパシルノなにがしに対する怒りが湧いてきていた。

 腹の奥底が煮えくり返るような、苛烈かれつな怒りだ。


(先ほど言った"お二方にお願いしたいこと"というのは、他でもありません)


 リーティスの話が佳境に差し掛かる。


(私たちの村の惨状を、然るべきところに伝えて欲しいのです)


 影が落ちた部屋の隅、暗く染まった司祭服の胸元をリーティスは強く握り締めていた。


(叶うのであらば。この国の首都まで、直訴しに行っていただきたいんです)


 首都に直訴をするという案自体は以前から出されていたんだそうだ。

 何でも最初の案は、村人たちの力を結集して盗賊達の包囲を突破し、何とか、たった一人でも王都に辿りつけばという博打ばくち要素だらけのもんだったらしい。

 確かに、村全体で一致団結すれば、盗賊団を追い払えるかもしれなかった。

 けど、村民の中には栄養状態の悪化で健康を害している奴も多く、さらに賦役として徴収されている人々が実質的な人質となっていることもあって直訴案に難色を示す村民はそれ以上だったそうだ。


(実り豊かなこの村は、今はまだちゃんとやっていけています。蓄えは尽きていませんし、子供の世話が大変な家は他の皆で助けて……。でも、駄目です。これからもずっと私たちが生活していける保証はないんです)


 近頃はさらに、パシルノ男爵の使いを名乗る者たちが村にやってきて、農政監督の名目で散々好き勝手やっていたそうだ。


(実は、お二人に弓矢を向けていたのも、そういう事情からでした。不当な命令を投げて来るそんな人達を、最近では村の皆追い返すようになったんです。お二人には、本当にご迷惑をおかけしました)

『追い返す? そんなことを して 問題なかった?』


 兄貴が大分こなれてきたこの国の公用語、"南大陸語"を使ってリーティスに質問する。

 何を言ったのかは逐一兄貴が通訳してくれるので、今のところ特に不便は無い。

 リーティスは口元に手を当て、ふふっと小さな笑顔を見せた。


(大丈夫ですよ。法律違反を取り締まる中央の役人なんかを呼んだら困るのはパシルノ男爵のほうですから。貴族やその親族への不敬罪も、一定以上のものはそうそう簡単に行使できません。王国の憲兵隊は公爵家の人間も特別扱いされない完全実力入隊制ですし、贈賄なんか通じないプライドの高い人が多いんです)


 でも、パシルノ男爵本人から報復があるんじゃねえだろうか。不敬罪なんて、いかにも悪用されそうな名前のものもあるんだ。

 そう考えてる内に気づいた。

 きっと、そんなことはリーティスたちにとっては今更のことなんだ。

 パシルノ男爵の方針が今後劇的に変わるとは思えねえ。

 真綿で首を締められる苦しみが、もっと直接的な苦しみに変わるかどうかの違いでしかない。

 それならせめて目の前の嫌な奴くらいはどうにかしてやりたいと、そう考えたんじゃねえだろうか。

 

『王都以外の場所で、その憲兵隊に、願い、伝える、できないのか?』


 兄貴の問いに、リーティスは悲し気に眉を下げる。


(地方の警察業務はあくまで地方領主の管轄ですから……。先ほど言った通り、王国憲兵隊は決して規律違反を行わないような組織ですので――)

『地方に、中央政府は、直接、影響、できないんだな』

(その唯一の抜け道が「地方民の直接上訴」なんです。村の長の署名入りの嘆願書を首都まで届ければ、国がココロ村に切り込んでくる大義名分ができます)

 

 なるほど、これで最初のあの依頼に繋がるわけか。

 「西の山脈を抜けてきた」あたし達の腕を見込んで、盗賊たちの囲いを突破して首都まで直訴状を届けて欲しい。リーティスはそう頼んできた。

 元々、村の外の人間に依頼できるならそれがベストな状況、あたし達の存在は渡りに船って訳だ。 

 その申し出、できれば受けてやりたい。

 見知らぬ旅人にまで縋ってくるような人間の手を振り払うなんて、外道のやることだしな。

 正義の味方なんて呼ばれたい訳じゃあえし、あたし自身、自分が聖人でもなんでもねえってことを良く分かってる。

 でも、人間としての当たり前の良識も示せねえ奴にはなりたくない。


 ――誰よりも、「人間」のために。


 それはあたしの、大切な誓いの内容だ。


 兄貴は、どう思ってんだ?

 先ほどから眼鏡に手をやって考え込んでいた兄貴をちらと横目で確認する。

 考えを終えた――脳内で考えただろう複数の自案・意見を戦わせ終え、一つの結論を導き出したのだろう兄貴が顔を上げる。

 

『分かりました。その依頼 受ける ましょう』


 その返事に、リーティスの顔がぱっと明るくなった。


『しかし、自分たちはまだ、この言葉や、ここ・・の常識を、あまり、知らない。出発まで、しばらく、ココロ村で、それら こと、教えて欲しい』

(分かりました。それくらいでしたらお安いご用です)


 リーティスの安堵が、言葉と一緒に頭の中に流れ込んでくる。

 なんつうか、不思議な感覚だ。

 感嘆のため息を吐いた時のような、あるいは温かい寝床に潜り込んだ時のような、あの気持ちよさが、体の中から湧いてくる。 


 最重要な話が終わって、気づくと、兄貴が待ってましたとばかりにリーティスに詰め寄っていた。聴きたいこと、確かめたいことが山ほどあってしょうがねえんだろうな。

 やれこの大陸の形はどうなっているだとか、周辺国家との関係はだとか、魔法体系を詳しく、なんて感じに質問攻めを始めたんだけれど、流石のリーティスもその質問全てに今すぐ答える訳にはいかなかった。

 何でも、意思疎通魔法の使い過ぎで精神力が限界に達したんだと。

 そろそろ外も暗くなってきたし、続きは明日ということで落ち着いた。


 慣れない来客への対応やら何やらで疲れていたんだろうな。リーティスは、兄貴に見えない所で、そっと息を吐いていた。

 女性への気遣いの足りてなさ。間違いなくいつもの兄貴だった。


(夕食は……お二人はもう摂られていたんでしたっけ。でしたら後は寝るところですけれど、この家をお好きに使ってください)


 兄貴は、自分は村の厨舎か屋根を借りられる集会所辺りで良いと言ったけど、リーティスが固持したので、あたし達兄妹はリーティスの家に泊まらせてもらうことになった。

 あたしたち兄妹は居間に雑魚寝だ。

 ま、夜になってもそうそう冷えることは無いみてえだから、体調の心配は無えだろう。

 水洗トイレもないような世界で腹を下すことになると考えるとぞっとしねえけど、無駄に頑丈な身体になっちまったあたしなら大丈夫だろ。



 その夜。


「なあ、兄貴」

「何だ」


 リーティスが寝静まったことを気配で察し取り、隣で寝ている兄貴に話しかけた。

 実は昨晩「完全休眠」をしている兄貴はあと数日は睡眠の必要性が無い。

 多分起きてんだろうなとは思っていた。

 因みに今のあたし達は、窓のある壁の端のベッド上にリーティス、次にあたし、最後に兄貴という三列体制だ。

 まあ、兄貴がリーティスに不埒な真似をするとは思っちゃいねえけど、流石にこの配列は崩しちゃいけねえだろう。


「リーティスの依頼を受けることにしたのは何でだ?」

「この世界の常識や言葉を効率的に教えてくれる人に好意的に対応するのは間違っていないだろう? 情報集めのために国の首都には足を運ぶべきだし、悪くないどころかこちらに非常に有益な取引だ」

「ふーん?」


 ひどく打算的な物言いをしてるけど、それが本意じゃないだろうってことくらいあたしには分かる。

 兄貴は優しい。

 とりわけ、自分が一度守ろうと考えたものに対しては。

 いや、それはむしろ、優しいと言うより、甘いとまで言っても良い代物かもしれなかった。

 作戦を立てる段では効率を最優先するプランを練るくせに、作戦実行の段に当たってその「守るべきもの」を目の当たりにした兄貴はぐらりと揺らぐ。

 まるで、作戦立案者と実行者が別人であるかのように方向転換する。

 保護対象のまだ幼い異能力者と対峙するようなことがあったら、それが生死を問わないと命じられている相手であっても、兄貴は絶対に不殺を貫く。

 それで割を食うのは、そこらの戦車より危険な異能持ちと対峙するASPの隊員達だ。

 兄貴本人の能力が優秀で、突然の現場対応を何とか「成功」レベルの結果に持っていけてるから組織の方から文句が出ることはまずないんだが。

 と、いうか多分、兄貴以外の人間には分からないレベルで他者の安全をギリギリのところで確保できるよう計算してるんだろうけどよ。

 外から見ていて危なっかしいのには変わりねえ。

 誰よりも、文字通りどんな存在より命令者、指揮官としての能力が高いと言われながら、現場で動く小隊隊長以上の階級にならないのは、きっとそれが理由だ。


 ――あたしは、嫌いじゃないけどな。 


 ぽそり、と心中で呟く。

 口には出さない。

 これはあくまで独り言なんだから。


「あたしはてっきりリーティスの色香に惑わされてええかっこしいで引き受けたのかと思ってたぜ。いやあ、兄貴も男だったってことか」


 代わりに、別の気になったことを知るために兄貴に揺さぶりをかけた。 

 そう。寝る前にフードを脱いだリーティスの姿は同性のあたしから見ても魅力的だった。

 どこがとは言わないが、あたしのそれより二回り以上大きい特定部位は間違いなく多くの男の視線を引き付ける魔性の武器だ。

 腰ほどまで伸びた茶髪は少々癖がかかっており、それもまた彼女のチャーミングさに拍車をかけていた。

 てか、寝る前に髪を一つに括っていた彼女の健康的な首筋を兄貴がガン見していたことをあたしは見逃してない。


「そんなわけないだろう。俺はお前より年下の女性をそういう対象に見たことは無い。そもそも俺はお前に――」


 言いつつも兄貴の目が若干泳いでいるのを見るに、まったく「女」として見てない訳じゃ無さそうだ。むう。 

 因みにリーティスの年齢は14歳。そしてあたしは16歳だ。

 この世界の暦は地球とあまり変わらない。

 一日が約24時間、一年も大凡360日。

 だからリーティスは16歳のあたしよりは確実に年下って訳だ。

 

「へいへい、そういうことにしといてやるよ。んじゃ、おやすみ。」


 兄貴の憮然とした気配を感じ、暗闇では見えないその顔を想像して胸中でほくそ笑む。

 あたしがそれ以上言い訳を聞くつもりが無いと悟ったんだろう、兄貴も諦めて布団の中に潜り込んだ。


 今夜も良い夢が見られそうだった。



 

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