第三十四話:女だけの旅ってのは、どんな国でも危ないぜ?<少女たちの旅路>
投稿遅れてしまってすいません
side:リーティス
「ねえ、リーティス、本当にあの男に誑かされているんじゃないでしょうね」
「大丈夫ですってば、アリス。カオルさんとは、その、さっき言ったように『喧嘩別れ』になったんです。そんなことは有り得ないですよ。この指輪はあくまで魔法具として効果が高いからつけているだけです。あ、ほら、揺れるんですから、ちゃんと座ってないとだめですよ?」
『おい、お前ら。一体いつまで兄貴の話してんだよ。あたしにも「薫」って固有名詞は聞き取れんだからな。……あー、やっぱり兄貴いねえと不便だわ。言葉が分かんねえってのはきつい』
私達を乗せた乗合馬車は、予定通りソルベニスの町から出て、オルニス伯爵領を目指す途上でした。
砂埃を巻き上げて進む馬車は時折道端の石を踏み、大きく車体を揺らします。
馬車の中にぎゅうぎゅうになって腰かけている乗客たちが、大揺れの旅に顔を顰めて席に掴まり、痛むお尻をさすっています。
「おい、嬢ちゃんたち、今日はこの辺で一旦留めんぞ。後ろの奴らにも教えてやってくれ。商隊の連中が天幕張るだろうから、俺達はその脇につける。それと、冒険者ってことで腕に覚えがあるのかもしらんが、傍からみりゃあ危なっかしい女三人旅だ。変なのに捕まんじゃねえぞ」
「あ、はい。どうもお気遣いありがとうございます」
御者のおじさんが、最前列に座っていた私達に声をかけてきました。無精ひげに包まれた熊のように厳つい顔とは裏腹に、中々優しい方のようです。
言われた通り、馬車の後部に座っていた方々に向けて、もうすぐ停車する旨を伝えました。その報告を聞いた乗客達が、顔を明るくします。
さすがに碌に足も伸ばせない馬車席の旅路は堪えるものがありますからね、私も正直へとへとです。
私達の馬車が追っていた商隊の馬車群が、次々と停車していきました。
場所は、緑の草原が広がるひらけた平地で、魔力地帯からは程よく離れた安全なスポットです。
先ほどの言葉の通り、御者のおじさんは、馬車群から降りた商人たちが張り出した天幕から少し離れた場所まで馬を進め、適当な位置取りで足を留めさせました。
ようやく揺れの収まった車内で、乗車客達がほっと一息吐いています。
この国での馬車行は、このような大規模な商隊が出る際は、それに合わせて一緒についていくのが主流です。
大きな商隊についた多数の護衛などは、盗賊に対する強力な抑止力になりますからそれに便乗させてもらう訳ですね。それは商隊の側も同じで、自分たちが用意した以上の戦闘員に囲まれて旅を続けられるというのは、魔物や魔獣のうろつく魔力地帯周辺の街道を通る際などは特に有効です。
「はあ、疲れちゃったわ、リーティス。お金が無いって本当に大変なことなのね」
千鳥足とまではいかないものの、まっすぐ歩けないほどに痛む腰を手で抑えたアリスが、ふらふらとした足取りで降車してきました。
彼女の目立つ金髪は、旅装のフードの下に隠れています。
ベニさんが、よく頑張ったとばかりにフードの中に手を入れて、アリスの頭を撫でてあげています。
照れくさそうに片目を閉じて頬を染めるアリス。
そのままベニさんにおんぶをせがんだアリスですが、断られて頭をがくりと落とし、とぼとぼと歩いてきました。
まあ、甘やかしすぎるのも良くないですからね、庶民の旅というものがどんなものかを味わって、少しでも庶民の金銭感覚を身に着けてくれるといいんですけど……。
「ほら、アリス。後で回復魔法をかけてあげますから、もうちょっと我慢してくださいね」
「ひんっ。今、私の背中とお尻には触るの禁止!」
私達がテントを広げて仮の寝所を構えたのは、商隊の天幕群の集まった中心部からはやや離れた、小さな丘の上でした。
こんな辺鄙なところにテントを設置したのは、このあたりに出る魔物や魔獣くらいならベニさん一人でも何とかなるということ。
そして、正体をあまり知られたくないアリスを他人の目から隠すためと、御者さんに言われたように、男たちに余計なちょっかいを出されないためです。だったのですが……。
「ねえねえ、リーちゃん。本当に来てくれないのかい?」
だれが“リーちゃん”ですかっ! アリスにもカオルさんにもそんな名前で呼ばれたことはありません!
先ほどから、テントの集積遅滞のほうからやってきた男たちが、さかんに私達を自分たちの寝所に誘ってくるんです。
一緒に食事やお酒を、なんて誘いはまだ可愛い方で、旅の間自分たちの車と天幕を使っていいから今晩いかが? などというとんでもない申し出までありました。
幸い、今回はそういった害虫を払うにはうってつけの“魔道具”を持っていましたけど。
「すいません。私には故郷で待つ婚約者がいるんです。彼に操を立てている以上、軽々(けいけい)とそのようなお誘いには応じられません」
こう告げて左手の指輪を見せると、落胆の表情を見せて、すごすごと仲間達のところに帰っていきました。
アリアンロッド教会の司祭は、婚約者に左手の中指に嵌める指輪を贈与してもらうという習慣があるんです。
因みに、婚姻関係であれば今度は薬指のものを選んでもらうことになります。
アリアンロッドの教えを国教と定めるノワール王国では、多くの一般人も真似をして恋人へのプレゼントにしているので、この“指輪”の一般認知度は高いです。
「アツアツのラブラブ」状態であることが多い中指指輪の女性は諦めておけ、というのが通説ですね。
「うー。演技だと分かっていても、納得がいかないわ。何でリーティスがあの男と婚約したなんて設定なのよ。リーティスだって、あいつの所業には怒っているんでしょう?」
「前にも言ったじゃないですか、アリス。世渡りのためには使えるものは使っておいた方が楽なんですよ?」
『なんかすっげえモヤモヤするぜ。ってか、あの男どもは皆リーティス狙いなのかよ。いや、あたしに来られても困るし、アリスにアプローチするようなド変態はもっと嫌だが……。やっぱり胸か? 胸なのか?』
ベニさんとアリスが、何やらカリカリとした空気を醸し出し始めました。
アリスはまだカオルさんのことが許せないという気持ちが強いようですし、あまりこの話題は引きずらない方がよさそうですね。
「まあまあ。それより、私達もそろそろお布団に入りませんか? まだ陽は落ち切っていませんけど、馬車旅の初日から体力を消耗してしまってはいけませんし」
両手を合わせて、提案します。
このあたりは木々が少ないため、雲に遮られた今の夕日程度の弱い日差しでも、まだまだ周囲が見渡せる程の明るさがあります。
とはいっても、夜を待たずに寝てはいけないという決まりがあるわけじゃありません。寝てしまっても良いはずです。
「賛成。リーティスに治癒貰ったけど、まだ背中とお尻が痛いの。一晩寝れば治るかしらね」
言うが早いや、アリスがテントの寝袋にごそごそと入り込み、蓑虫になってしまいました。
よっぽど疲れていたみたいですね。
その枕元には、先ほど畳ませた彼女の旅装がちょこんと置いてあります
……アリスには、「私は結局、あの後カオルさんと喧嘩になって三行半を突きつけてきました」と説明しています。
その内、期を見てカオルさんの真意を伝えるつもりですが、今はまだ早すぎます。
嘘を吐いてしまってごめんね、アリス。
『じゃあとりあえず、あたしがテントの入口に張っとくわ。まだ寝ねえから、不埒な男が夜這いかけて来ようもんなら、あたしの鉄拳で夢の世界に招待しといてやるよ』
ベニさんが自分の寝袋を両手で抱え上げ、入口の辺りに放りました。そのまま、敷いた寝袋の上に胡坐をかいて、引き寄せた荷物をごそごそと漁り始めます。
入口に敷いたのは、夜の間、私達を外敵から守ってくれるつもりなんでしょう。
テントごと魔物や魔獣に襲われるような事態になっても、ベニさんなら何とかしてくれるだろうという安心感があります。
(ありがとうございます、ベニさん)
『いいって、いいって。んじゃ、リーティスも早く寝ろよ』
手振りで私に布団に入るよう促したベニさんも、寝袋に潜り込みました。
けれど、ベニさん自身はまだしばらく入口を見張っているつもりなんでしょうか。
荷物から取り出したカオルさんの手紙を、仰向けのまま読み始めました。
カオルさんからの手紙の文章を追い続けるその瞳には、何とも寂しそうな光が宿っています。
ベニさんは、カオルさんが大好きです。次にまた会える日がいつになるか分からないという今の状況が、歯がゆくて仕方ないんでしょう。
でも、私は知っています。カオルさんが次に私たちの前に姿を現すときは、ベニさんにとって悪い状況である可能性が高いということを。
そして、その場合にカオルさんを呼び出す役割が、私にはあるんです。
アリスとベニさんに挟まれる位置に寝袋を敷き終え、その中に潜りこみます。
そして横になったまま、左手の指輪を目の前まで持ち上げました。指輪の赤い宝石が、採光窓を閉じきってだいぶ薄暗くなったテントの中で、美しい光を放ちます。
――この指輪は私とカオルさんの確かなつながりの証です。でも、この指輪を使う日は来ないことを望むべきなんでしょうね。
指輪の本当の力については、ベニさんにもアリスにも伝えていません。魔力のこもった、ちょっとしたお守りだと言ってあります。
カオルさんにそう指示されたからですけれど、それはつまり、この旅の間、ベニさんのことをカオルさんから完全に託されたということです。
私の一存で、ベニさんとカオルさんの運命が決まってしまうかもしれない。そう思うと、この指輪を頂いたことが、本当に重大なことなんだという実感がひしひしと沸いてきます。
ベニさんにも、今はアリスにも、頼ることができません。私一人でやらなくちゃいけないことなんです。
――カオルさんの信頼に、期待に、応えなきゃ。
手紙を読み続けているベニさんの横顔を確認して、キュッと拳を握りしめます。アリスも、ベニさんも、この旅の間は私が守って見せます。




