第三十三話:今一時、しばしの別れを、って感じかしらね~<新たな旅路へ>
side:薫
「ねえ、本当に良いの?」
「ああ、これが最善だろう。今は、という注釈はつくにせよ、な」
俺の視界の先で、リーティスさんが街の子供から書簡を受け取った。
書簡を渡した少年は内容物に関する説明を手早く終え、直ぐに駆け去っていく。俺が少年という仲介役に託した荷物と手紙とが、これで無事に送り先に届いたことになる。
俺とユムナは今、ソルベニスの町の北門から数百メートル離れた大木、その枝の一本を見繕って腰かけて、その様を最後まで見守っていた。
幾重にも茂った太い枝々が、太陽の光を程よく遮る天然の屋根となってくれている。ちょっとしたビル程はあるその高さの恩恵で、時折心地よい風が吹き抜けていくのも悪くなかった。
この場から、絶えぬ人の熱気に塗れた混み合う北門を見守ることに、若干の罪悪感を覚える。
欠伸をかましながら、太い梢の真ん中で何故だか体育座りする猫のように小さく丸まっているユムナは、いかにも興味なさげだが。
「今からでも遅くはないんじゃない? 貴方の当初の予定通り、リュウ君達の依頼を蹴ってあの子たちの後を追えば~?」
「そしてお前も俺の脇から紅の観察をする、と? 却下だな」
そのくせ、俺の方にはこうしてちょっかいをかけて来る。
まったくもって厄介で仕方ない蒼髪のこの女性に、俺はとん、と軽く肩を押しやることで抗議の態度を示した。
「だから~、あたしはそんなんじゃな――え? っいやああああああああああああああああああああああああああああ!?」
口元をとがらせてぶすっと膨れる自称28歳は、自分の体が傾ぎ、地上十数メートルの高さから身を滑らせようとしていることに気づいて、みっともなく取り乱した。
「ぁぁぁあああああああああああああああぁぁ……ん?」
巨大てるてるぼうずめいた格好で釣り下がっていたユムナが、ようやく自分が背後から伸びた俺の右手一本で支えられていることに気づき、動きを止めた。
「喧しい。民家から離れてるとはいえ、聞こえたら何事かと思われる。紅ならこの距離でも聞き取りかねないんだぞ」
「誰のせいだと思ってるのよぉ!?」
確かに俺もうかつだったが、あの軽い一押しで体勢を崩す、運動神経皆無なお前のせいでもあるだろう。
猫の体勢のままどこぞのおむすびのごとくころころ転がる姿は相当間が抜けていた。
この枝上に釣り上げてきた時以来、何故頑なに枝の真ん中から離れようとしなかったのかが疑問だったのだが、これで分かった。
つい先ほど失われた、どんな事故にあっても傷一つつかない絶対防護障壁とやらは、この女に思わぬ副産物を齎していたらしい。
がーがーと煩く暴れまわるユムナを梢の上まで引きずり上げると、そんな俺の推測を証明するかのように、腹這いのユムナががしりと、枝を全身で掴んでホールドした。今度はちょっと押された程度では落ちないようにと知恵を働かせたのだろう。
だが、そんなことをすると……
「ひィっ! え、ちょっと、なんで……? あ、駄目、ちょっと、カオル、助け――」
人間の平衡感覚というのは、頭が上にある時を基本にして構成されている。
腹ばいで寝転がって即バランスを見失い、涙目で手を伸ばしきたこいつは異常だが、やや広い平均台ほどしかないこの枝の上でとるには好ましい体勢でなかったのは確かだろう。
せめて先ほどのように重心を安定させる座り方をすればよかったものを。
「世話を焼かすな、元盗賊」
本物の盗賊団員じゃなかった、という釈明の言葉は飛んでこなかった。本気で余裕を無くしているらしい。
嘆息交じりにぐいっと上に引き上げてやると、今度はすぐ脇にあった幹にコアラのようにひしりとしがみついた。
まあ、その体勢なら落ちる心配はないか。
「ぅ"~~~。なんでそこまで頑なにああたしのことを敵だと思おうとするのよ~。『指輪』のことは信じてくれたじゃない~」
「俺に神聖魔法について講義してくれたのは、他ならぬお前だろう。指輪の術式の解析は済んでいる。あれに害はないことは把握済みだ」
ついでに言うなら、敵認定も解除している。
警戒対象であることは変わらないし、相変わらず不安要素が多すぎて紅と接触させる気にはなれないが。
……いや、これだけ運動神経も反射神経も鈍い奴なら案外大丈夫か?
「あたし基本中の基本しか教えてないんですケド~。なんでそれで神聖魔法の行使理から発動方から何から全部分かるのよ~。世の司祭希望者が涎を垂らして教えを乞うわよ、『後天的に神聖魔法を使用可能にする術』なんて」
そんなことは知らない。俺の管轄外だ。
「力」で思考を加速すれば解析時間・分析時間なんてものはいくらでも用意できる。
基本、即ち術理を掴めばその応用と組み合わせでしかないその他全ての技術は地続きだ。それから先はどうとでもなる。
因みに、現在も習得したばかりの「視力強化」の魔法を行使し、100m先の馬と目と目を合わせて語り合えるほどの視力を手に入れ、その効果の便利さを存分に堪能させてもらっていた。
魔法というのは成る程、本当に有用だな。
「魔法でも学問でも武術でも、そこにある理論構築という過程は、パズルみたいなものだ。パズルのピース一つが見つかれば全体図の推定もできるし、必要充分なピースが揃えば完成は内定する。まあ、お前の神聖魔法理解が完全だったからこその成果だ。それは一応、お前がアリアンロッド神殿最高司祭だとかいう与太話の証拠の一つくらいには考えてやっているぞ」
「そこ!? そこすら信じてもらえてなかったの?! 嘘じゃないわよ。あたしは総本山に戻れば100人の巫女に傅かれる本当に偉い人なんだからね!」
俺が紅達三人組と別れてランの母親を搬送する依頼を受けたのは、ユムナから貰ったとある魔道具の存在が大きい。
『この指輪は二つで一組。神聖魔法が使える者同士が指に嵌め、魔力を籠めることで、お互いの所在地を入れ替えるか、一方の居る地に一方を呼び出すことが可能となる』
そんな謳い文句通りの力をその指輪は秘めていた。
「今更敬意とか尊重とか言うつもりはないけど~、もう少し優しく接しては貰えないのかしらね?」
ユムナとしては「自分とリーティスがこれを装備すれば、いつでも紅の前に転移できる。自分専用の術式を使えば俺も運べるから安心しろ」といったニュアンスで自分の価値をアピールするために出したのだろう。
だが、ユムナに信を置ききれなかった俺は自力で神聖魔法を習得させてもらい、結果として便利な指輪だけが棚から牡丹餅に手に入ったことになる。
チャラリ。
今は俺の胸元に、町で購入した鎖でペンダントの形で保管している、北国の海岸のごとく深い青の輝気を放つ石が嵌ったこの指輪。
これとそっくり同じ形状の指輪が、先ほど街の少年の手でリーティスさん達に受け渡されたのを俺は見届けている。
「感謝はしているさ。この指輪についても、情報についても」
この指輪の存在は確かに大きかった。
俺の当初の計画では、紅に対する危険分子であるユムナをあの三人に知られぬまま処理した後、紅に気づかれないよう密かに三人の後を追う予定だった。
リュウの依頼を受ける形を装ったのは、本来の意味での偽装だったのである。
俺は計画通り「アリス、リーティスさんの二人と喧嘩別れした俺が、宣言通り三人と別行動をとらざるを得なくなった」という展開に持ちこんだまま、本来の計画以上の解決法をも手に入れられる機会を得た。
紅の中からこちらを伺う【あの存在】に対処する上で、これ以上無い収穫だ。
愚痴るユムナを視界から外し、俺は神聖魔法の出力を絞り、強化した視力で再度町はずれの馬車町の列と、そこに集合する見慣れた三人の少女達を探した。
向けられていった俺の目線の先で、路肩に待機していた紅達と合流を果たしたリーティスさんが、ゆっくりと書簡を開けた。
その中身を確認しようと背後から紅が近づき、リーティスさんの手元を覗き込もうと、アリスが爪先立ちで伸び上がる。
そしてリーティスさんが書簡の中をごそごそと漁り、そこから取り出した物品を見て、三人は三者三様の態度を見せた。
リーティスさんと紅は遠目からもはっきり見えるほど体を硬直させ、アリスが烈火のごとく怒り出した。
そのままリーティスさんから指輪を奪い取ろうとしたアリスが、紅に押し留められる。
その間に慌てて指輪を胸ポケットに確保したリーティスさんが、何事かといった具合に手紙に目を通し始めた。
――頼んだぞ、リーティスさん。
指輪を使うという選択をした俺にとって何よりも重要なのが、リーティスさんの存在である。
彼女に宛てた手紙の文章量は、他の二人に宛てたものに書いた内容の合計よりもずっと多い。その内に記した様々な『頼み事』と俺がユムナから得た情報は、俺の代わりで紅を見張る仕事を頼むうえで過不足ないもののはずだ。
――危なくなった時は、ためらわず指輪を使ってくれよ。
一心不乱に手紙を読み続けているリーティスさんに向け、俺は念じた。
彼女に渡した指輪。
その使用可能回数は、たった一度きり。俺とリーティスさんの内、片方が使用を求め、もう片方が応じることで発動する。
紅がとうとう危なくなった時の最終兵器だが、同時に俺から彼女に託せる唯一の防衛手段でもある。
いざという時は、絶対に使用をためらってくれるなよ。
一通り手紙に目を通し終えたリーティスさんが、紅とアリスにも彼女達宛ての俺の手紙を渡した。
紅は眉間にしわ話寄せながら内容を一言一句逃すまいとでもいうように読み込みを開始したが、
直ぐにアリスの方はというと、この場で読む気にはなれなかったらしく、ぶすっとした顔で受け取った手紙をポケットに突っこんでしまった。
そのまま地面に置いた荷物の上に座り込む。
あれがアリスの馬車を待つ構えなんだろう。
ふと気が付くと、転移の指輪を手に持ったリーティスさんが、アリス達に背を向け、こちらの方を見ていた。
この距離で見つかったのか? と焦りを覚えたが、どうもそうではないらしい。
目を閉じたリーティスさんが、左手の中指に指輪を嵌める。銀の台座に赤の宝石という意匠の指輪は、彼女の細くたおやかな指に良く映えた。
一瞬、薬指に嵌められたらどうしようなどと危惧してしまったが、この世界にもそういった風習があるかは分からない。意識過剰も良い所だ。いや、確かザック氏もカードル氏も左手の薬指に指輪を嵌めていなかったか?
などと考えている内に、リーティスさんが、唐突に嵌めた指輪に口づけをした。
これはどう解釈すればいいんだ? そういうことなのか? そもそも俺はこんなところから隠れて覗いていて良いのか? 疑問で頭の中がグルグルと回る。
「あ~あ~。青春っていいわね~」
ニヤニヤとこちらのことを眺めていたユムナのことを意識に入れるほどの余裕は、毛の一本ほども残されていなかった。
いや、高い所に長時間いることに心が耐え兼ねたのか目に見えて顔色を悪くしている今のこいつなら、問題なかったかもしれない。
三人が乗合馬車に乗ってソルベニスの町を出たのを見届けた後、俺とユムナはランの母親の家に戻るべく、来た道を逆にたどり始めた。
太陽は少しだけ西に傾いてきており、足元の石畳に、俺達の背丈よりは短い影が落ちている。
俺達の出発は明日。今夜はランの家でお世話になる。
「じゃあ、あたし達も明日の準備をしましょうか~。馬車の予約は済んでるし、旅の雑貨をそろえるくらいかしらね。ああ、路銀のために魔物狩りは必須だし、戦闘の準備もいるのかな?」
「俺に紅と離れて行動しろと言うんだ。それに見合うだけのものは見せてくれるんだろうな?」
「勿論~。この旅の間に絶対に貴方に信頼されて見せるわよ」
「だといいがな」
明日、俺とユムナはラン母親であるラナさんを連れて、魔法都市アルケミの町へと向かう。
ココロ村の直訴状も当然所持していくが、俺達の旅の主目的は、それらの二つの依頼ではない。
「紅の身に起こったこと。あれが、この世界の有り様そのものに大きく関わる事柄だという話。どこまで本当か見極めさせてもらうぞ」
「全部本当だって~。割と危険な旅になるけど、貴方こそ大丈夫?」
「遂行が不可能でない物事は、やるかやらないか、それ以外の選択肢は存在しない。俺はやると決めた。決めた以上はやり遂げるまでだ」
そう、宣言する。リーティスさんに対しても先に似たようなことを言ったな。
アリス、リーティスさん。俺が、騎士のようにお前達の傍に控えて支え、導いていくことはできなくなった。
だが、俺はこの世界で縁を結んだ君たちを見捨てはしない。紅と一緒に、お前達もきっと救って見せるさ。
「それと、ルートは予定通りだ。パシルノ男爵領領主の居る町、パシルノの町を通るぞ」
「うへえ。敵地突入ってことじゃないの。正直勘弁してほしいわ~」
「俺の顔を知っている奴は向こうにいない。誰も俺の存在と、アリスやココロ村とを結び付けたりはしないさ。お前だって面識はないと言っていただろう? 一応それなりに用心もしていくつもりだしな」
明日以降の方針を確認し終え、少し歩み足の速度を落とす。何とはなしに来た道を振り返り、今紅達が居るであろう北方に思いを馳せる。
正面から吹いてきた風が、俺の前髪を撫でていった。ユムナが、突然足を止めた俺のことを、怪訝そうな顔で見つめてくる。
――頼んだぞ、皆。
まるで打ち切りエンドみたいな終わり方ですが、ちゃんと続きます。




