第三十二話:吐かぬなら 剥いでしまおう 潜入者(スパイ)さん<更なる尋問>
side:薫
「ええと。詳しいことは今は言えないけど~、事の起こりは先日、この世界にとって危険なものが現れたってところからかな」
「今は言えない? 自分の立場をわかっているのか?」
「神の代理人に対して言うセリフなの、それ!?」
何やら大分投げやりな調子になったユムナだったが、それでもなんでもかんでもべらべら話すつもりは無いらしい。
だが、勘違いしているようだな。
俺がお前をこんなところに連れ込んだのは、何も不確定要素であるお前を、紅から引き離したかったからというだけじゃない。
剣呑な目つきになった俺を前にして顔を引きつらせたユムナが、額を抑えて、ため息を吐く。
大人しく話す気になったか? 威圧を弱めようとした俺の目の前で、不意に、ユムナの口元がうっすら笑みの形を浮かべ――
その途端、俺の周囲の空間に異変が起きた。
ユムナの立つ位置を中心に、風景が歪んでいく。木像だらけの部屋の景色が、ピカソの抽象画のごとく変異する。
ペキペキと音を立て、俺の周囲を取り囲むように空間断絶の結界が構築され、完全に俺を閉じ込める――ビジョンが見えた。
――させるか!
予期した未来を打ち砕くべく、ASPジャケットの腰元から「ダガー」を抜き放つ。
空間が、完全にユムナの支配下に置かれる寸前、神速で伸ばした右腕の先で、ユムナの喉元にダガーの先端が届いた。
ユムナが驚愕に目を見開く。周囲の空間の変異が止まった。
その体勢のまま、上半身を一ミリも動かさずに右足を振るい、足払いをかけた。ユムナが尻から床に崩れ落ちていく。
「ふぁうっ!」と奇妙な声を上げて背から床に落下したユムナの腹に膝を乗せ、頭上に持ち上げた両腕をASP式親指拘束具を用いて拘束した。
そのまま俺は、腰に下げたナイフホルダーからもう一振りの戦闘用ダガーを取り出す。
採光窓から落ちてきた太陽光を反射して、二振りのダガーの刃が鈍く輝いた。眼前にそれらを突きつけられたユムナが息を飲むが、直ぐに余裕の表情を取り戻す。
「ふ、ふうん。そんなちゃちな刃物であたしを脅そうっていうの~? おあいにく様。あたしの体は歴代の最高司祭の魔力が注ぎ込まれた特製の……って嘘!? え、何で障壁が……。やめて、お願い、心臓刺されたらあたしでも死んじゃうの!」
なるほど、この武器はこの世界でもそれなりに有効と考えていいらしいな。
ユムナの左胸を数ミリほど穿ち、今にも心臓まで突き刺さらんとしている「ダガーナイフ」を見て、ひとりごちる。
若干妙な手ごたえがあったが、俺の愛剣は無事、彼女の肌に侵入を果たすことに成功していた。
こいつは、ASPの物体情報強化能力者が数ヶ月かけて作成した、最高級の切れ味を付与された特注品のナイフだ。ナイフの切れ味が良すぎるため、それを収納するケースにまで強度強化が必要になったという逸話がある。
俺はナイフを逆手に持ち替え、「縦に」振るった。ユムナの体に赤い直線を刻みつける。肌と一緒に切り裂かれたユムナの服が、ナイフの風圧でひらりと舞う。
「嫌―! 乙女の柔肌に何してくれてんの~! あ、嘘です、ごめんなさい。そのナイフこっちに向けないで!」
「このナイフは少々切れ味が良すぎてな……。「斬る」という効果そのものを増幅したせいかもしれないが、切断面を合わせれば嘘みたいに自然にくっつくぞ」
「嘘!? あ、ホントだ。凄~い。」
ついでに言うと、痛みもほとんど無いはずだ。
組み伏せたユムナの首筋にダガーを突きつけたまま、ナイフを逆手に持った左手の指で、傷塞ぎを実践してやる。もう、血の一滴も残っていない。
それを見たユムナが感嘆の息を漏らした。
こいつのマイペースな性格は偽装のためかと思っていたが、どうやら天然であったらしい。
先ほどの攻防の後にもこのテンションを維持されると、本気で頭が痛くなってくる。
「これを上手く使えばな、太い血管を避けて肉を剥ぎ、生きたままそいつの骨を見ることだってできる。お前も自分の白骨と対面してみるか? いや、この世界では外科手術は発達していないんだったか。臓物を一つずつ取り出して、お前の口に放り込んでいくという趣向も、耐性が無い人間には効果覿面かもな」
以前の様な、単なる脅し文句ではない。
目の前の女から取れるだけの情報を搾り取るまでは、どんなことでもやるつもりだ。
リーティスさんには絶対に見られたくはないが、例え最悪この場でユムナを殺したところで、警察能力の低いこの世界でなら後の始末は簡単だろう。
膝の重石とナイフの脅しでユムナを床に張り付けたまま、厭味ったらしい笑みの形を唇で形作る。
これで、目の前の男が外道であるとでも思ってくれれば、これからの作業は実にやりやすくなるだろう。
ああ、久しぶりの拷問だ。
俺は拷問が好きなほうではない。
ASPにいた頃も、情報の聞き出し役などは大抵人に任せていた人間だ。それでも時間的制約などから、どうしても俺がやらねばならないケースがままあった。
時に、その人物の喉以外のあらゆる身体器官を破壊し、時に、その人物のあらゆる尊厳を、演技笑いを浮かべながら踏みにじった。
言葉と道具を用いてそいつらを屈服させてきた。肉体だけではない。精神をこそ、ぼろ雑巾のようになるまで痛めつけるのだ。
四肢を動かす力も泣き叫ぶ気力も失せ、俺達の知りたい情報を口から垂れ流すだけの壊れた人形のような存在になるまで。
「あの~、さっき私が『味方』だって言ったの覚えてる~?」
「それが先制攻撃を仕掛けてこようとした奴が吐く言葉か」
この期に及んでもユムナはマイペースを崩そうとしない。
お前の韜晦スキルはいったいどれだけ高いんだ。呆れを通り越して、感心するよ。
「あれはホラ! あたしこれだけの力がある実力者で、いつでも貴方たちを倒せるのにそうしなかったんだから信じて~って言おうとして……。そもそも何であの空間結界を感知できたのよ?」
「ギルドで紅に対して同種の攻撃を仕掛けようとしていただろう」
「え、気づいてたの? 一応いつでも対応できるようにって……」
「やはりあれは攻撃の予備動作だったか」
「ちょっと。今、あたしカマかけられたの!?ってか、それならさっきのもそういうことじゃない!」
騒ぎ出したユムナをナイフで牽制しながら、今一度状況を鑑みる。
――こいつ、潜入者としては能力が低すぎる……。最初は警戒していたが、尋問のプロという訳でもない俺がここまで簡単に情報を引き出せるとは。
眉間ぎりぎりにナイフを押し付けられ、さすがに引き攣った顔をしているユムナを見下ろす。
――これなら、この方が良いだろう。
俺はユムナにのせていた膝をどけ、彼女の手を取って立ち上がらせた。笑顔を添えるのも忘れない。
「冗談だ、ユムナ。俺は女子供に好き好んで酷いことをするつもりは無い。是非とも君の方から自発的に『色々と』教えてくれ」
「え~、割と本気じゃなかった、さっきの?」
「そっちの方がいいのか?」
俺が、一度鞘に納めたダガーを抜き直し、とっておきのスマイルをプレゼントすると、ユムナがぶんぶんと顔と両手を横に振った。
俺が、紅に対して攻撃を仕掛けようとするような人間に、容赦をするとでも思っていたのだろうか。
上下関係は刻み込んだ。後は「平和的」に情報を聞かせてもらおう。
「話す! 話しますから!でも今は、そう、貴方たち自身のためにある程度情報を伏せざるを得ないの!」
「それは俺が判断する」
「ああ、もう、この分からず屋~!!」
ユムナが頭を抱えて悲鳴のような叫び声を上げた。外見年齢30代目前の女性が出す声じゃないぞ。
3章にしてようやく薫君の獲物がお目見えです。
薫君の戦闘スタイルは、ダガーナイフの二刀流。ASP謹製の壊れない、刃も欠けない、そして当然のごとく切れ味抜群のナイフを二本操って戦います。




