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SS:アリスとリーティス⑤

 窓枠から飛び降り、粉砕されたガラスの上に音を立てて舞い降りたアリスの視線が、ゴルブレッド司教の寝室を端から端まで舐めあげるように動きました。

 傲岸不遜に一歩を踏み出したアリスに気圧され、窓の周囲にいた少女たちが後ろに一歩下がります。


「ゴルブレッド先生。これはどういうことかしら」

「アリス君、だったかな? それはこっちが聞きたいね。人の家の窓、それも高級なガラス窓を壊して、どういうつもりかな」

「そんなことは聞いてないわ! 私が聞いているのは、今あんたがその汚い体で組み敷いてる私の友達、リーティスのことよ!」


 儀礼用長剣を突きつけながら、吼えるような、責め立てかけるような調子でアリスが詰問します。しかし、司教は余裕の表情を崩しません。


「この子とは『合意の上』さ。ノワール王国伯爵家のロゼッタ君が保証人になってくれるそうだよ? 求め合う男女の睦み事の時間を邪魔される謂れは無いね」


 司教がぬけぬけと言い放ちます。

 実際、彼の言うとおりでしょう。私が訴え出たところで、孤児の言葉と司教や伯爵家の者の言葉、どちらが信用されるかは明白です。

 訴えに負けた上で、ロゼッタさんから更なる嫌がらせを受けてもおかしくありません。


 ――もう、いいよ、アリス。


 私は、自分の身を顧みずに助けに来てくれた大切な友人に訴えかけます。


(もう、良いですよ、アリス。私が受け入れれば全部丸く収まるんです。アリスが助けに来てくれて、本当に嬉しかった。ありがとう。その気持ちだけで私は救われましたから……)


 アリスが驚いた顔を見せて、自分の耳元に手をやっています。

 くすり。こんな状況にも関わらず、可愛らしいアリスの仕草を見て笑顔が漏れます。


(これは、私の固有魔法。今までは人に対して使えるほど熟練していませんでしたけど、何故だか今ならアリスに言葉が届けられる気がして……。お願い、アリス。貴女まで巻き込まれたら、それこそ私、生きていけません)


 物心ついたときには小鳥や小さな昆虫さんには使えるようになっていた、この意思疎通魔法。

 教会に邪法認定されないかが心配で、今までずっと隠していたこの魔法を使って、アリスだけに聞こえるように感謝の意と、説得の言葉を届けます。

 ところが、アリスは私の言葉を耳にしても、その場を動こうとはしませんでした。むしろ、眉を引き締め、口を真一文字に結んで、さらに堅固にとどまろうとする雰囲気を漂わせ始めたのです。


 先ほどの衝撃による硬直から解け、さらに自分たちの立場を思い出して余裕を取り戻した取り巻き少女たちが、そんなアリスに詰め寄ります。


「何々、あんたもリーティスと一緒に抱かれにでも来たの? 貴族でもないのに剣なんて持っちゃってさあ。それ、渡しなさいよ」


 少女が、アリスに向けて手を伸ばしてきます。

 それに対してアリスが、


「邪魔よ」


 パーに開いた掌で、少女を突き飛ばしました。


「「「え?」」」「おう?」(えっ?)


 突き飛ばされた少女は、冗談のように綺麗な放物線を描いて宙を舞います。そのまま向かいの壁にぶつかり、つぶれたヒキガエルの様な声を口から漏らして落下しました。

 床に落ちて呻いている蛙少女を見て、私は今アリスが何をしていたのかを理解し、驚愕させられました。「剣」と繋がることによる、魔力を用いた身体能力の向上。間違いなく「剣士」の持つ能力によるものです。

 唖然とする私たちの前で、アリスがゆっくりと修道女のローブの裾をまくり上げていきました。


「貴族がそんなに偉いの? リーティスより、能力も、優しさも、何もかも足りてない人間が? あなたたちがそう思うのなら、私もそんな何の役にも立たない力を見せてあげるわ」


 アリスの左腕、そこに存在するのは、ノワール王国貴族、それも侯爵家の主家の者のみに与えられる、四重の輪に囲まれた家紋。

 この町に住まう人間なら知らぬものはいない、ノワール王国貴族ヴェルティ侯爵家の象徴でした。


 有り得ざるものを見た部屋の者達が息を飲みます。


 完全に硬直している司教たちをギロリと睨みつけ、逆手に持った長剣の切っ先を足元に叩きこんだアリスが一言、


「さあ、さっさとリーティスを離しなさい、腐れ豚ども」


 幼き7歳の少女が放った冷声で、この場の空気は完全に支配されました。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「『腐れ豚』、なあ……」


 カオルさんが眼鏡の汚れを布で拭きとりながら、苦笑を見せています。

 私もあの時のアリスの言葉は、自分が言われたものではないと分かっていても、思わず背筋がピンと伸びてしまいました。

 あれも、アリスの貴族としてのカリスマみたいなものなんでしょう。


「あれほど怒ったアリスを見たのは後にも先にもあの時一回だけですね。」

「俺に対しては常にピリピリとしているイメージがあるが?」

「本当に怒った時のアリスは、表情を消すんですよ。声を荒げたりもしません。カオルさんへの態度は、ベニさんを独占していることへの嫉妬だとか、男性への恐怖からくるものでしょうね。私も良く怒られますけど、アリスなりの甘え方だと考えれば気楽なものです」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 まあ、この一件は、事態を把握した教会がゴルブレッド司教を解雇し、ロゼッタさんとその取り巻きの少女達も自主的に神殿を出るという形で決着がつきました。

 父親のいいつけに背いて正体を明かしてしまったアリスは、10歳の儀を待たずして親元に戻されることが決まり、年度が終わり次第神殿を出ることが決定します。

 アリスは「これでようやく神殿を出られるわ」なんて言っていましたが、仲の良かった子たちと離れ離れになるのが嫌だったんでしょう。実家からの書簡を読みながら寂しげな表情を浮かべていたのを覚えています。

 その責任の一端はどう考えても私にあります。何度か謝りに行ったのですが、そのたびに「私は私のやりたいことをやっただけだわ」と言って、すがすがしい笑みを見せるもので、何も言えなくなってしまいました。


 ともあれ、この事件の後、アリスを取り巻く状況は大きく変わりました。アリスは度々男子の教室、上級生の教室に赴いて、ロゼッタさんと似たようなことをしていた貴族の少年少女に釘を刺して回るようになります。

 アリスは、とにかく「権力」を人を貶めるために使うことに、我慢がならないと言っていましたね。

 彼女は、私達を他の貴族の子女たちの暴虐から護り、その件に限らず、困っている子がいれば、あの傍若無人な態度ながらも、それを親身になって助けるようになりました。

 アリスは自分が守ると決めた子たちにはとことん優しいんですよ? その対象は私だけではとどまらなかったんです。


 ただ、そんな風にして、アリスが皆から頼られるようになっていくうちに、だんだんと私との仲は疎遠になっていきました。お互い望んでそうなったわけではないと思います。しょっちゅう色々な人に相談事を持ち掛けられるようになったアリスが、私といられる時間を持てなくなってきてしまったこと。そして、私自身がアリスに対して遠慮の気持ちを持っていたことが原因だったんでしょう。


 そんな中で私は、とうとう見つかった地方神殿の「引き取り手」に、ついていく決心をしていました。

 アリスがその年度中には神殿からいなくなってしまうこともあって、区切りが良かったこと、そして何より私もアリスみたいに自分の力で他の人を助けたかったという思いが強かったです。

 ヴェルティ侯爵領のように司祭の数が十分でない地域にも、私の神聖魔法を届けられたら素敵だな、と考えだした時期でしたので。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「そうか。今更ながら君をココロ村から連れ去ってしまうことになってすまない。君だって、村の皆とは離れたくなかっただろうに」

「いいえ。これはアリス風にいえばこれも『私が好きでやったこと』です。カオルさんが気に病む必要なんてありません」

「先人にそれを言われちゃお終いだな。だが、本当に感謝している。ついて来てくれてありがとう」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私がアリスに対してできたことといえば、アリスが苦手な神学のお勉強を手伝ってあげること、時々やらかす小さな失敗をフォローしてあげることくらいでしたけど、アリスが私にしてくれたことはもっと多くありました。

 先ほど言ったようなことだけじゃありません。本当に多くのものを、私はアリスから貰っています。


 アリスに手を引かれて初めて神殿を出て、町を見に行った日のこと。

 

『ほら、貴女も毎日部屋にこもって聖典ばかり読んでないで、外に出ましょう。貴女に似合いそうな服、見繕ってあげるわ』


 アリスが強引に連れ出してくれなかったら、私はあの神殿の外に自分から出ようとは思わなかったかもしれません。

 そうなっていたら、私はココロ村に来てからも内気な性格を直せず、こうしてカオルさん達と一緒に旅をしようなんて思い立たなかったことでしょう。


 私がアリスに関して唯一後悔しているのは、連絡先の交換をしなかったことでしょうか。

 当時は、ココロ村で立派な司祭になって、今なら胸を張って会いに行けると思えるようになったら、その時に私からヴェルティ侯爵領に赴けばよいと考えていました。

 その結果として今回の様な事態になってしまったのですから、本当に申し訳なく思います。


 それと、アリスの金銭感覚がおかしなことになってしまったこともそうです。7歳で侯爵家に戻った後、与えられるだけの財産を好きに使う感覚に慣れてしまったそうで、「お金は有限であり、使えるだけ使う類のものではない」という当たり前の感覚を身に着けられなかったみたいです。

 まあ、そのあたりはこの旅の最中にでもおいおい教えていきたいと思っています。

 うふふ、アリスに対してまた教師役をできるのというのは、何だか昔の関係に戻れたみたいで、本当に嬉しいですね。






「そうか、本当にリーティスさんにとってアリスは良い友人だったんだな」

「はい、自慢のお友達です」


 他にも幾つかのアリスに関するエピソードを語っている内に、ベニさん達の水浴びが終わったようでした。

 ドアの向こうからベニさんにじゃれつくアリスの声と、それを抑えているらしいベニさんの声が聞こえてきます。


「あ、二人が水浴びを終えてきたみたいです。次、私が行ってきますね」

「そうか、じゃあ、俺も一緒に行こう」


 ?!何を言い出すんですか、この人は!そういうのはまだ早いです。もっと、ええと、その、お互いのことをよく知ってから……


「水浴び場の行き帰りの間に、もうちょっとアリスとリーティスさんの話を聞かせて欲しい――ってどうした、リーティスさん?」


 うう……、これは、早とちりしてしまった私の心が汚れているんでしょうか?

 図らずも以前カオルさんが取っていたorzのポーズを再現しながら、そんなことを考えてしまいます。


「いえ、なんでもありません……。タオルと魔石をとってきますので、部屋の前で待っていてください」


 そう言い残して部屋を出ます。

 入口で鉢合わせたベニさんにやや刺々しい視線を頂いてしまったのが気になりますが、ベニさんの体から離れたアリスと並んで私たちの部屋に戻ります。


「それでね、ベニさまが水浴びの時もずっとあの帽子を外してくれなかったの。二ホンって国の文化なのかしらね?」


 アリスがベニさんのことについて楽しそうに語っています。ベニさんはアリスに随分と気に入られたみたいですね。


「あらどうしたの、リーティス。そんなににこにこしてこっちのこと眺めてきて。まさか、私の顔にまだ変な汚れでも残ってるとかないわよね?」


 ペタペタと自分の顔を触って確認しだしたアリスを見て、愛おしく思う気持ちが高まってきました。


 ギュッ


「リーティス?どうしたのよ、いきなり抱きしめてきたりして。っていうか貴女少し汗臭いわ、早く水浴びに行ってきなさいよ」


 アリスが私の手の中で暴れ出しました。うふふ、ごめんなさい。すぐに汗は流してくるから、今はこうして貴方の存在を確かめさせてちょうだいね。

 貴女とカオルさんがもっと仲良くできるようになればいいな。いいえ、私が二人の仲を取り持っていくべきなんでしょうね。


「うぷ」私の胸に顔をうずめてしまったアリスの髪を撫でます。

 これからもお友達でいてね、アリス。




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