SS:アリスとリーティス③
「リーティス、何があったの?ロゼッタ達に何を言われたの? 酷い顔をしているわ」
アリスは結局、ユーノに連れられて、私たちの部屋まで戻っていました。
彼女は一応午後の授業も受ける予定だったはずですけれど、あんな騒ぎの後ロゼッタさんと一緒にさせない方が良いとユーノが判断したのでしょう。賢明な判断だと思います。
「いいえ、なんでもないです。大したことは言われてません。それより、ロゼッタさんには敬称を付けた方が良いですよ、アリス。それだけで余計なトラブルが防げますから」
「私が『様』をつけて呼ぶのは本当に実力があって、尊敬に足る人物だけよ。リーティスなんかすっごく惜しいけど、私はリーティスとは対等な友人関係でいたいから、これからも呼び捨てで呼ばせてもらうわ」
その言葉は本当に嬉しく思います。けれど、「世渡り」なんていうものを考えて、言いたいことも口に出せない私なんかが、アリスに尊敬されるような立派な人間だとは思えません。
アリスがこれまでロゼッタさん達に目をつけられなかったのは、このあまりの無邪気さのために、イジメても面白くなさそうだ、と思われていたせいでしょう。
あるいは、あまりに物怖じしなすぎる性格を見て、「実は身分を隠したどこかの有力な貴族ではないのか」と薄々感じとっていたのかもしれません。
神殿「外」に出た時のことを考えて彼女達に逆らわない子は多いですが、逆に、神殿「内」で彼女たちができることには限度があります。
もっとも、今回私は、おそらくその「限度」いっぱいのことを強要されるわけですけれど。
「アリス、お願いだからそういったことはもうやめて。もう、私はこれからあなたを庇ってあげることもできなくなるんです」
「えっ……? それってどういうことなの、リーティス?」
「私……もうすぐこの神殿を出るんです。地方の教会に引き取って貰って、そっちで暮らすことになると思うの……」
「嘘!? 貴女、15歳の年齢制限いっぱいまで、この教会に残るって言っていたじゃない!」
「さっき、司祭の方々にお願いしてきました。引き取り手が見つかり次第、そちらの方の教会に後継として出向きますって。今年中には、引き取り先が見つかると思います。」
「待ちなさい! そんなの許さないわよ。って、ちょっと。どこに行くつもり!?」
私は勉強道具の類を自分の机の上に置いて、足早に自室を出ていきました。
アリスが追ってくる気配があったので、廊下の柱の陰に隠れてやり過ごします。
アリスの駆ける足音が私の背後を通り過ぎ、そのまま遠ざかっていきました。
――駄目、私、もうみんなと顔を合わせられないかもしれない。
教会自慢の、美しい花の彫り物が刻まれた柱の陰の空間に、私は独り、膝を抱えてずっと蹲っていました。
今、アリス達と会ってしまったら、決意が揺らいでしまいそうで恐ろしかったのです。
そして、事情を離せばおそらく私を助けようとしてくれるだろう彼女達に、迷惑をかけたくないという思いもありました。
日が暮れ始め、夕焼けの赤が教会の白壁を染め上げてきた頃、私は先ほどまで座りこんでいた柱の陰から抜け出して、その足をアリアンロッド様を祀る大聖堂の方角へと向けていました。
日中は参拝客や貴族たちも多く訪れて賑やかな大聖堂も、日が暮れると、人の気配のない静謐な空間に変わっていました。
司祭の姿も見えず、天井近くで夕日を受けて輝くステンドグラス以外に明かりもない、今はただ神前の威容を示すばかりの場所です。
私はそんな静かな神殿の床を、靴音さえ響かせず、ゆっくりと進んでいきました。
祭壇の前にたどり着き、その場で膝をついて、いつものようにアリアンロッド様へと「祈祷」を捧げます。
大した理由があってのことではありません。
ただ、生まれてから一度も受け取ったことのない「神託」に心のどこかで一縷の望みをかけていたのだと思います。
もし「神託」を受けられれば、私の身に何か特別な奇跡でも起きて、今日のことが全てなかったことになるんじゃないか、なんて期待していたんでしょう。
文字通り神にもすがりたいという気持ちでいっぱいでした。
――アリアンロッドさま。私は、一体どうすればいいのでしょうか。
いつもなら、神と一体感になる幸福感に満ち溢れる祈祷の時間。私が感じていたのは不安と悔悟と、無力感にさいなまされる自分の心の弱さのみでした。冷たい、祭壇前の床が、私の足から熱を奪っていきます。
結局、神託を受け取れる気配など微塵も感じられないまま、やがて日は完全に落ち、「約束の時間」になりました。
教会の外から、惨めな私を嘲るかのように鳴く黒鳥の声が、私の耳まで届いてきます。
――元々どこの誰ともわからぬ孤児の身だったんです。この身一つでアリス達を助けられるなら安いものじゃないですか……。
神への祈りも届かず、じりじりと押し寄せてきた諦めが、胸中を支配していきました。
神殿を見回る司教の先生の靴音が聞こえてきて、慌ててその場を離れます。
そして、神の御許からも離れた私は、いよいよ自分が追い詰められてしまったことを実感しました。
もう、逃げ道は残されていません。
水浴びの時間を逸してしまったことを思い出しましたが、どうしようもありません。それに、そんなことをして今更何の意味があるのでしょう。
――このまま、行こう。
教会所属の司祭達が暮らす家は、その大半が教会の近辺に在しており、ゴルブレッド司祭の家もその例外ではありませんでした。
神殿の門をくぐりぬけ、月の光も碌に届かない暗い道を歩み、目的の家に向かいます。
その「目的」のことを考えてしまい、貧血でもないのに、頭がくらくらとしてきました。
最後の望みは私の体が司祭の好みに合わず、抱こうとしなかった場合でしょうか。その上で必死に頼み込んで、授業のやり方を変えてもらえれば……。
そんなことを考える一方で、頭のどこかで理解していました。恐らくその場合でもロゼッタさんは、また別の誰かに私をけしかけるだけなのだろうと。
そもそも私がこの神殿を離れる日が来るまで、私は幾度ロゼッタさんの理不尽な要求を飲まされるか分かったものではありません。
ロゼッタさんの昏い憎悪の感情のこもった目を思い出します。
自分も同じ努力をしてきたのに、何故お前だけが神聖魔法の才に恵まれたのかと、妬ましく感じていたのでしょう。
ああ、何故人間は他の人を憎まずには、妬まずには、いられないのでしょうか。何故神はこのような社会をお許しになっているのでしょうか。
敬虔な信徒にはふさわしくない恨み言で頭の中を焦がしながら夜道を歩き続け、とうとう目当ての家の前までたどり着きます。
――ああ、神さま。
祈りは、届きませんでした。




