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SS 追想:薫と紅

「見て見て、お兄ちゃん! どう? 綺麗に焼けたでしょ?」

「へえ。すっごく綺麗だ。初めての料理で、こんなにおいしそうなものが作れるのか。べには凄いな」


 それは窓から零れる日の光が優しい、静かな朝のこと。

 丹念に拭かれ、埃一つない木目のテーブル上に、湯気をくゆらす温かな朝食が並べられていた。

 綺麗に整頓されたリビングで催されるのは、見る者の頬を緩ませる微笑ましいやり取り。

 一人の少女が生まれて初めて作った料理の品を前に、少女の兄がその料理の腕を大仰に褒め称えていた。

 頑張った妹に対する称賛の気持ちが自然と賛辞の言葉になり、盆で顔を隠して照れる妹の頬を益々赤く染めさせていた。

 左右に並べて朝食を置いた兄妹は、全くの同時に椅子を引き、全くの同時に席に着いた。

 

「「いただきます」」


 これまた全く同時に日本人の伝統的礼法を終え、くすり、とお互いの顔を見合わせた二人はようやく箸と茶碗に手を伸ばした。


「うん、凄く美味しい。べにの将来が楽しみだなあ。これなら、TVに出てくるような料理人になっちゃってたりするかも」

「えへへ。そこは、お嫁さんって言ってほしかったかなあ。それに目玉焼きなんて簡単だよ。お母さんに、今度はハンバーグの作り方を教えてもらうことになってるの。上手く作れるようになったら、お兄ちゃんにも食べさせてあげる」


 机の下でぶらぶらと揺れる少女の足が、兄の称賛に対する少女の喜びを物語っている。


「そっか。じゃあ、その時は前もって言って欲しいな。紅の料理が美味しすぎて何度もおかわりするようなことがあったら、太っちゃう。紅だって豚さんみたいになった兄ちゃんは嫌だろ?」


 言いつつ、幼い兄はテーブル上のテレビリモコンに手を伸ばし、NHKのチャンネルを表示させた。

 昨日起きたばかりの強盗事件の詳細をはきはきと語るアナウンサー青年の声を、小さなワイドテレビは明朗に届けて来る。

 この地域でテレビ放映される放送局数はあまり多く無いとはいえ、8歳の少年が好んで見るような番組ではないはずだったが、彼は気にせず目を向ける。


「うん、それは嫌だな。お兄ちゃんはいつも格好良くいてほしいもん。ねえ、それよりお兄ちゃん、またニュースなんて見てるの?」

「ニュースくらい許してくれよ。最近、知らなくちゃいけないと思うことがいっぱい出てきたんだ。それより、早く食べよう、学校に遅れちゃう」

「はあい」


 TV台の脇に立つ大きな本棚には、写真立てや木彫りの置物といった住人達の私物があちらこちらに置かれていたが、掃除主の几帳面な性向を示すかのように、埃を一切かぶっていない。

 柔らかなクッションを備えたソファも、綺麗な銀色のCDコンポも、兄妹の暮らす明るい部屋に、生活感の温かみを感じさせている。

 しかし、その温かみには同時に何かが足りていないようにも思えた。

 それは、家族の熱だろう。

 現在この家にいるのは、この幼い兄妹のみだけだった。

 彼らの父母は既に、村から離れた各々の勤務地に向かうべく、子供達の起床を待たずに家を出ているのだ。 


「これはもう、電子レンジいらずになるかなあ……。でも、べに。なんだって今日は急に?」

「お兄ちゃん、最近忙しいんでしょ? 私にできること、何かないかなあってずっと思ってたの。喜んでもらえて良かった。嬉しい」


 二人の両親は、子供たちが自力で地元の小学校に通える年になって以来、朝は子供たちにラップに覆われた朝食を残して仕事に出ることが多くなっていた。

 数年前までは、保育園に預けるのではなく自分達で交代交代、幼稚園まで送っていた。今でも休日はなるべく在宅できるように心がけている様などに彼らの優しさが伺えるが、幼い彼ら兄妹が寂しく感じているという事実は変えられない。

 実はこの時。彼ら両親が子供達への干渉を減らしたのには、彼らの仕事が忙しいという以外の理由もあった。

 この家の者達の中で、少女だけが未だに知らずにいた、とある理由が。

 まだ、この時の少女が知る由もないものではあったが。

 (いず)れにせよ竜崎家の中では、この時期、彼ら兄妹だけで過ごす時間が確実に多くなっていたことは変えられない事実だった。


「あ。そういえばお兄ちゃん。聞いときたいことがあるの忘れてた。えっとね、『えー、えす、ぴー』だっけ? あれって一体何なの? 最近お兄ちゃんが学校に行ってない日があるのってそれのせいだよね」

「ASPか。何て言えばいいんだろ。うーん、要するにね、大人の組織だよ。それでね、ぼ――じゃない、俺の力を必要としてくれてるらしいんだ。行くようになってから、毎日が凄く充実してる。やりがいがあるっていうのかな」

「お兄ちゃんが、大人の人に一緒に仕事してほしいと思われてるってこと? 本当かなあ。……あとね、無理して『俺』なんて言わなくていいと思うな。お兄ちゃんは学者さんみたいな見た目なんだし、俺なんて似合わないよ。前みたいに『僕』で良いじゃない」


 そして最近になって、両親のみならず薫までもが竜崎家から姿を消すことが多くなっていた。

 妹の紅は、せっかく昼間も同じ学校で一緒にいられるようになったはずの兄が、何故か度々いなくなってしまう、その元凶と思わしき謎の存在のことがどうしても好きになれなかった。

 父、母に続き、兄まで自分の下から奪い去っていくかもしれないと思っている相手だ。当たり前の反応であるだろう。


「それと最近、お兄ちゃん自分の部屋で『止まれ、罠かもしれん!』とか、『揃ったな、では作戦の説明をしよう』だとか、アニメの主人公の声真似みたいな変なことぶつぶつ言ってるでしょ。そのASPってところに行き始めてから。あれって何なの?」

「ちょっ、き、聞いてたのか!? いや、それは、あの、えーっとだな……ASPの上官に凄くかっこいい人が、その、いてさ。僕――俺もあんな風になりたいなって思って練習してるんだよ。そりゃあ、俺がやっても変だろうけど、あの人がやると本当に格好いいんだよ」


 そんな弁明をする薫の頬が一瞬朱に染まったのを紅は見逃さなかった。箸を下ろし、じっとりとした目つきで兄の顔を下から見つめる。


「ねえ、その『じょうかん』の人って女の人?」

「え!? 何で分かったの? うん、そうだよ」


 恐るべきは、幼いとはいえ女の勘ということだろうか。 

 兄が意図して口にしないようにしていた真実を、少女はあっさりと白日の下へと引き摺り出したのだ。


「……もしかして、お兄ちゃんはその女の人に会いたいからASPに行ってるの?」

「それも少しあるけど、そうじゃないんだ。ええと……、」

「じゃあ、その女の人と私、どっちが大事?」

「なんでそんな話になるのさ!?」

「そんな話だからだもん!」


 紅の座る椅子がガタンと音をたてる。

 紅の手は、隣に座る薫に乗っていた。

 互いの顔と顔がぶつかるくらいの距離。

 妹の思わぬ真剣な顔を向けられた兄がたじろぎ、目を白黒させる。

 そのまま一時が過ぎ、二時が過ぎ、小さく息を吐いた薫はようやく落ち着きを取り戻した。

 そして、紅と両目と両目とをしっかり合わせてきっぱりと回答を返す。


「紅の方が大事だ。今僕がやっている仕事だって、回りまわって紅達を助けられるものだからこそやってるんだ。紅が居てくれるからこそ、僕が頑張れるんだよ」

「そっか……。なら、許してあげる」


 許すって何さ、と口を尖らせる薫の顔を見ながら、紅は考える。


――やっぱり私、もうちょっとお兄ちゃんのこと、調べてみよう。私の知らない所で、何だかとんでもないことをやっているかもしれないんだもん。うん、そうしよう。


「あ、ほら。そろそろ家を出ないと本当に遅刻しちゃうぞ。お皿を洗うのは僕も手伝うからさ。さっさと食べ終えよう」

「うん」


 二人の兄妹の一日は、こうして平和に始まった。












 目を開けると、随分眩しい朝の日差しが目に飛び込んできた。

 無意識に庇を作っていた右手をどけると、自分が地面に横になっていたことに気づく。

 朝、か?


「起きたか、紅?」


 未だ薄ぼんやりとした意識の中、苦笑を浮かべる兄貴の姿だけが鮮明に確認できた。膝を地面に突いて、あたしの顔をを覗きこんでるみてえだ。


「あれ、兄貴? ここはどこだ……ってああ、そうか」


 馴染みのない森の光景を眺め回して、つい一昨日あたし達の身に起きたこと、それに昨晩のことを思い出した。

 「休眠」中の兄貴の安全確保のために寝ずの番を任されたのはいいが、ちょっと追想にふけってるうちについつい眠っちまったんだっけか。

 とんだドジを踏んじまったたもんだ、あたしも。


「何だよ、兄貴。「覚醒」した時に寝入っちまってたあたしを見たなら、そん時に一回起こせよ。てかこれ、もしかしなくても命令違反の処罰対象じゃねえか?」


 少々気まずい思いもあったが、それ以上に何故だか心地よい感覚が胸の中にあった。

 なんだろうな、随分と懐かしい夢を見ていた気がするから、それのせいかもしれねえ。


「いや、良い顔で眠っていたからな。起こすのも憚られた。それにここは日本じゃない。処罰も何もない。ASP内部規律の適用範囲外だ」


 兄貴が笑いながらそんなことを嘯いている。お咎めなしってんならまあ、素直に喜んどくか。

 それにしても「内部規律」か……。随分とあたしの頭の中も、ASPの色に染めあげられちまったもんだ。


「まあ、起きたなら朝食を摂ると良い。昨日の残り物しかないが、我慢してくれよ」


 兄貴が昨日の山菜汁を温め直したものをこちらに寄越してきた。手と顔を洗ってきたいところだが、あいにく川までは少し距離がある。

 仕方ないと諦め、山菜の香り漂うその容器をそのまま受け取る。そして、葉の皿の端に口をつけ、一気にかきこんだ。

 碌な咀嚼もせず、喉を鳴らしてそのまま飲み込む。調味料無しの大雑把な味付けだが、兄貴の手腕で塩分は多く取れるようになっている。

 うん、美味え。野生の味だ。


 あたしの荒っぽい食事風景を、兄貴が苦笑しながら眺めていた。

 食べ終わって空になった葉皿を、焚き火痕に投げ込んで処理する。

 腹も満たされ、十分食ったたかなと感じたところで、ふとまだ少し食べ足りないと思っている自分に気付いた。

 充分腹は満たされたはずなのに、なんだか今、無性に食べたくなったものがある。


「なあ、兄貴」

「どうした、(べに)?」

 

 それは白くて黄色くて、湯気と焦げの香りが良く似合う、ものすごく簡単な手料理。


「目玉焼き、食いてえな」


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