SS:アリスとリーティス②
「ごらんなさい? この腕の紋章こそが、わたくしたちが高貴なるノワール貴族であることを示す証。簡易版の被保護者の紋章までしか手にすることのできないあなた方平民との、決定的な相違を表すものなのですわ」
ロゼッタさんがゆっくりと、もったいぶるように、自分の左腕の袖を引き上げていきます。
それに追従するように、彼女の取り巻きである貴族の娘達も自身の家の紋章を得意げに晒し始めました。
彼女たちの左腕の紋章が、私たちの眼前に並びます。
ノワール貴族の親族、臣下の方々は皆左腕に、それぞれの家の象徴である「紋章」を、紋章魔法を用いて記しているんです。
主家の者、臣下の者、そしてその家が特に庇護する者等に与えられる紋章はそれぞれ若干異なったものになっていて、彼女たちの腕の印は貴族の主家の者を表す最高位の紋章です。
「リーティスさん? 貴女、最近少々調子にのっておられませんこと?神聖魔法の才能だか何だか知りませんけど、『剣士』の資質持ちの私達より優れたものなのでしょうかね」
彼女達貴族の子弟は、金や権力にものを言わせた英才教育により、その大半が「剣士」の資質持ちです。
剣士として大成するのはほんの一握りですが、女性としては非常に珍しい「剣士」の資質持ちであり、その身体能力は一般人とはくらべものになりません。
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「前に、女性の剣士は相当希少だって聞いたが、貴族では珍しくないのか?」
「ええ、あくまで『資質』持ち、というだけですけどね。やっぱり『剣士』として能力が伸びやすいのは男性の方ですから。因みに、アリスも「資質」持ちですよ。剣を持てば、普通の人よりは力持ちになります」
「魔法使いはの適正は、ちょうどその逆だったな。ん? ということは、俺が初級魔法を使えないのはそれほどおかしいことじゃないのか?」
「いえ、普通なら男性でも初級魔法程度ならすぐに使えるようになります。それ以降、特に『魔石』を作れる中級魔術師以上になってくると、才能に大きく左右されますけどね」
「……そうか」
うふふ、カオルさんが落ち込んでいますね。
申し訳なくは思うのですが、カオルさんが目に見えてしょぼんとしている様を見るのは、正直結構楽しかったりします。
ベニさんが時々カオルさんをからかっている気持ちが良く分かります。
本当は初期魔術と言えど習得に数年かかる人も珍しくないのですが、教えるのは、もうちょっと先にしちゃいましょうかね。
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「聞き捨てならないわね、ロゼッタ。リーティスが貴女たちより劣っているとでも言いたいの?」
「アリスさん、貴女は黙っていていただけませんこと? 貴女、神学の成績はこの教室の誰よりも酷いと聞いていますわよ。 その程度の能力で、わたくしたち貴族にもの申すと? それと、貴女に呼び捨てにされる筋合いはありませんわ。『さま』をつけなさい」
この教会では、幼いうちから「貴族のプライド」を身に着けた貴族子弟が平民や、特に身寄りの一切ない教会預かりの孤児に威張り散らすのが当たり前でした。
彼女たちに命令されたら、平民以下の娘たちは従うよりほかなかったんです。
神殿の「万人平等」の大義名分も、「我が家の教育方針に口を出すなら教会への寄進を取りやめるぞ」と言い出す彼らの親達に到底太刀打ちできるものではありません。
神殿の講師たちも、うかつに注意できない状況でした。今でも「貴族は超然者たるべき」という教育方針は、ノワール王国貴族のスタンダードだと聞きます。
アリアンロッド信仰はノワール王国から国教の指定を受けているとはいえ、無い袖は振れないと言いますからね。神殿を置かせてもらっている地方領主などに対して、強く言うことはできないんです。
ロゼッタさんは、今年神殿に入ってきたばかりで、まだ私と同い年でしたが、まさにそういった、平民を見下す貴族の典型のような方でした。
「何言ってるのよ。ここは神殿の中よ? 神学に疎い私でもその言葉があり得ないってわかるわ。貴女が……むがっ」
「申し訳ありません、ロゼッタさま。少々成績が良い程度で調子に乗っていた私が生意気でした。アリスにも、後でちゃんと言って、謝らせますから。本当にごめんなさい」
アリスの口を押えたユーノが彼女をロゼッタさんから引き離そうとしているのを確認しながら、私はロゼッタさん達の前で必死に頭を下げました。
「あら。素直でよろしいわね。でも、謝罪だけで済むなら憲兵は要らないのよ? どう責任をとってもらえるのかしら」
私は教会の中では比較的大人しい性格で、アリスと同室になるまでは、部屋でずっと勉強や魔法の練習をしているタイプの人間でした。
そのため、クラスでもそれほど目立つような人間ではなく、ロゼッタさん達のグループに目をつけられたのはこれが初めてのことです。
彼女達に目をつけられた娘達が、教会を脱走して指示された物を買いに行く使いっ走りにされていたことや、取り巻き達のおもちゃにされてさんざん理不尽な目にあわされていたことなどは知っていました。
その対象として私が選ばれることに対する恐れは勿論ありましたけれど、この時の私は、何とか被害に遭う人間が私だけで済むように、という思いでいっぱいでした。
――靴を舐めろというなら舐めます。男子達の居る教室の前で茶巾縛りになっても良い。だから、アリスやユーノ達には、どうか手を出さないで――
「私が、何でもします。だから、先ほどの件はこれで収めてください」
「何でも、ねえ。うん? ……あら、それは面白い案ね。それでいきましょうか。」
ロゼッタさんの取り巻きの一人が、彼女に何か耳打ちをします。
耳打ちを続けるその少女がこちらに向けているのは、何とも邪悪な笑顔。
私は自分の額に気持ちの悪い嫌な汗が生じるのを感じました。
「リーティスさん、貴女、神学教師のゴルブレッド司祭を籠絡してきなさい。」
「……え?」
「聞こえなかったのかしら? 貴女、先日十歳になったのよね。 もう『そういうこと』をしてもよろしいんでしょう? あの教師を貴方の体でメロメロにして、あのつまらない授業を少しはましなものにするようお願いしてもらいたいんですの。 上手くいけばこのクラスみんなの利益になりますわよ。 あら、わたくしったら実に貴族らしい仕事をしているとは思いませんこと」
ロゼッタさんが、自分の前髪をさらりとかき上げ、手に持つ扇子をこちらに向けながら、そんなことを命じてきました。
私は数日前に十歳になったばかりです。
誕生日の日に行われた神聖魔法の資質検査の結果が今回の事件のきっかけでしたから、私の十歳の誕生日というのは、何者かに呪われていたのかもしれません。
運命神アリアンロッド様の教義に、禁欲だけでなく、信者に貞淑を求める項があればと、この時ほど強く思ったことはありませんでした。
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「待ってくれ! この国の、その、性観念的には、十歳以上ならそういうことが許されるのか!?」
「ええ、一応。ただ、『剣士』の資質持ちで身体の強靭な貴族の子女が、婚約者として嫁ぐ際に認められている最低年齢というだけですから、平民の多くは、もっと年を経てからするものだそうです」
「そ、そうなのか。いや、中絶技術のある俺の国でも、そんなことをしたことがばれたら社会的には白い目で見られるような年齢だったから、少し驚いてな」
「『中絶』? まあ、よくわかりませんけど、とにかく理屈上はともかく、当時の私にとって相当無茶な要求をされました」
当時のみならず、今でも絶対に従いたくない命令でしたけど。
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「い、いやです……。」
「あら?」
「嫌です、私の、初めての相手が、好きな人じゃないなんて、いやです……」
「おやおやぁ? じゃあ、アリスさんに代わっていただきましょうか。年齢は足りていませんけど、胸の大きさなんて貴女と大差ありませんものね」
ケラケラと軽い笑い声をあげながらも、ロゼッタさんは、私を絶対に逃がさないとでも言いたげな、ドロドロとした感情の見え隠れする目で、私の姿をじっと捉え続けていました。
自分の足の震えが、全身に広がっていくのを感じます。
教室の他の女の子たちは、関わり合いになりたくないというかのように足早に教室を出ていくか、私たちの方から顔を背けています。孤立無援、でした。
神殿生活が長かった私はこの時、「そういったこと」に関する知識をそれほど詳しく持ってはいませんでした。
それでも、それが男性に自分の体を好き勝手に貪られる行為であることは分かっていましたし、そんなものを受け入れたいとは思っていなかったんです。
未知への恐怖に耐えかねて、下げていた頭を上げると、ロゼッタさんとその取り巻き達の嫌味な目線が私を四方から取り囲んでいました。
――駄目、逃げられません。
そう悟った私は覚悟を決めました。
神聖魔法の才覚を認められた私は、頼んでおけば今年中には地方神殿の引き取り手が見つかるだろうと聞いています。
私が居なくなってしまえば、ロゼッタさん達が私の友人にちょっかいをかけてくることは無いはず。私が黙って命令に従えば、私のせいでアリスたちに迷惑がかかることは無い……。
「どうかしら? やるの? やらないの?」
「やり……ます。覚悟が決まってから……今月中には。」
「そんなことを言って逃げるつもりではなくて? 今晩お行きなさいな」
「……はい。」
「おやおや。それじゃあ、わたくしたちは明日のためにお赤飯でも取り寄せておいてあげましょうかしら。リーティスが大人になった記念をこのクラスの皆でお祝いしてあげませんこと?」
ロゼッタさんの言葉を受け、取り巻き達が私を囃し立てます。
私を嘲る笑い声、生意気な相手が堕ちていくのを喜ぶ昏い感情が込められたその声を背中に感じながら、私は勉強道具入れの鞄を手に、ふらふらとした足取りで教室を出ていきました。
悔しさと悲しみのあまり流れ出した涙を、彼女達に見せたくはありませんでした。
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「ふう……。」
話している私が少し疲れてきたところで、一息入れることになりました。カオルさんが「故郷のお茶」だといって出してくれた緑色の飲物を飲んで、一息入れます。
たまたまポケットに入れていた「素」を使って入れてくれたそうです。
残り一つしか持っていなかったというその「素」を入れて出してくれたお茶は、適度な苦みとその熱で、私の体と喉、そして心をゆっくりとほぐして、温めてくれました。
「おいしいです。この『リョクチャ』っていう飲物」
「口に合って良かった。俺も好きな味なんだ。紅には『男なら、そんなジジくせえ飲物じゃなくてコーヒーでも飲めよ、兄貴』とか言われていたけどな。日本人なんだし、別にいいだろう、それくらい」
口を尖らせるカオルさんをみて、ついクスクスと笑い声を漏らしてしまいました。
それにしてもアリスのことを伝えるためとはいえ、私のこの話を、前代ココロ村祭司だった「あの人」以外に話す日が来るとは思いませんでした。
今でもあの時感じた悔しさや、惨めさ、覚悟のことは鮮明に思い出せます。
とても、辛い思い出です。けれど、こうしてカオルさんに対して語っていると、当時感じた嫌なことを思いだす以上に、安らぎのほうを覚えます。
他の人にも私の過去を一緒に背負ってもらえている、という確かな安心感があるのです。
……いつか、カオルさん達の方からも、過去について話してもらいたいです。
カオルさん達が故郷にいた時、辛いことが多くあったのだということは聞いています。カオルさんとベニさんは4年間、離れ離れで暮らしていたなどということも。
過去のことについて聞こうとすると、途端に顔を曇らせるカオルさんやベニさん。私は中々突っ込んだ話を聞き出すことができていませんでした。
――私も、なりたいです。カオルさんやベニさんに、もっと頼られる人間に。せめて、一緒にいて安心できると思ってもらえるような人間に。
「それじゃあ、話を再開しますね」
「ああ、頼む」
――いいえ、きっとなってみせます。胸を張ってカオルさん達の隣を歩けるような人間に。
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