SS:アリスとリーティス①
SSとありますが、本編の流れに直接関係無いだけで、内容は相当力を入れて書きました。
新しい取り組み等もあります。是非最後までご覧ください。
コンコン。
「あの、カオルさん。私です、入っても良いですか?」
「ああ、いいぞ。どうした、リーティスさん?」
アリスがベニさんに頼み込んで一緒に宿の水浴びに行っている間に、私はカオルさんの下を訪れていました。
まだ汗を落としていない体でカオルさんに会いに行くのはちょっぴり恥ずかしかったのですけど、カオルさんと二人で話せる機会はそう多くはありませんし、仕方ありません。
一礼しながら部屋にお邪魔したところで、はたと気づきます。
あれ?そういえば、今の私達って二人っきり……?
ふと、今の自分達のおかれた状況を振り返ります。
若い男女、
二人っきり、
部屋面積の1/4を占める巨大なベッド……。
あれ、これ、私、どうしよう?
え? あの、えっと?
上着を脱いで案外筋肉質な上半身をシャツの隙間から覗かせるカオルさんの姿などに目が向かいます。
自分の頬が熱を持ち出したことを自覚しました。
「う~ん、もう食べられないわよ~。ZZZ」
あ、ユムナさんが居ました。
ちょっとほっとします。
いえ、カオルさんのことを信頼していない訳では無いのですが、私はこういった経験が皆無でしたので、免疫が無いんです。
そういえば、私がこれだけ親しくなった同年代の男性も、カオルさんが初めてじゃないでしょうか。
確かヴェルティの神殿にいた時は、礼拝の時以外で男の方には近づきませんでしたし、ココロ村に来てしばらくは村の暮らしになれるのに手いっぱいでした。
……やっぱり、初めて、みたいです、ね。え
「? どうした、入ってきていいぞ」
入口付近で身体を固くして立ち止まった私を不審に思ったのか、ベッド上で地図を広げていたカオルさんが、私を招き入れます。
私は、部屋に入った瞬間に考えた諸々のことを頭の隅に追いやり、それだけでは足りないと、心のタンスに収納しました。
よいしょ、こらしょ……ふう。後で、アリアンロッド様に懺悔しよう。
カオルさんに断りを入れてから、ベニさんのベッドに腰を沈めました。
「いきなり訪ねて来てすいません。ちょっと聞きたいことがあったんです。あの、カオルさんはアリスのことをどう思っていますか?」
私がアリスの居ないうちにカオルさんに尋ねておきたかったのは、このことでした。
カオルさんに対するアリスの態度は、お世辞にも褒められたものじゃありません。
雇った御者に裏切られ、強面の男の盗賊達に囲まれて男性不信に陥ってしまったのでしょうけど、カオルさんに当たり散らすのは筋違いというものでしょう。
「アリスか……。世間知らずなお嬢様の様だが、11歳という年齢を考えるなら許容範囲だろう。リーティスさんやベニのいうことは聞いてくれているし、侯爵の下に送り届けるまでおとなしくしていてもらえれば俺は構わない」
そんなことを言いつつ苦笑いを見せています。
困ってはいる、けれど子供の言うことだから、と流してくれているのでしょうか。
迷惑をかけてしまっていることに関しては、心苦しく思います。
「アリスは気分屋で、我儘で、今は男嫌いにもなってしまったみたいですけど、あれでいて良いところもあるんですよ?」
カオルさんが「想像もできない」とでも言いたそうな顔をしています。
仕方ないことだとは思いますが、私のお友達をそういう風に思われるのはちょっと傷つきます。
アリスのことを理解してもらうためには――やっぱり、直接、私の知っているアリスのことを知ってもらうのが良いでしょうね。
「本当ですよ? そうですね、じゃあ、これからお話します。私の知っている、アリスについて。あ、最初に言っておきますけど、私は無事でしたからね。何ともありませんでしたよ、本当に」
「? まあ、分かった。教えてくれ」
カオルさんが姿勢を正し、顔をこちらに向けてきました。私も衣擦れの音を立てながらベッドの上で居ずまいを正して、向かい合います。
「じゃあ、お話しますね。私とアリスが、ヴェルティ侯爵領のアリアンロッド神殿にいた時の話です」
「アリス、その机の上の羊皮紙の山は何ですか?」
「聖典の模写用の紙よ」
「多すぎませんか? せっかくのアリスの可愛いお顔が、紙の山に埋もれて見えなくなっちゃってますよ」
「しかたないわよ、私って頭良くないし。リーティス達の何倍も勉強しないと、皆についていけないの」
アリアンロッド教会は、子供に道徳や読み書きを教える、学習施設としての役割をもっていました。
「神の下に身分なし」という名目の下、貴族の子弟と教会が預かって育てている孤児たちを同じ教室で学ばせているのです。
当時7歳だったアリスは、とにかく神学のお勉強が苦手で、ルームメイトだった私に、度々分からないところを聞いてきました。
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「なるほど、リーティスさんが教え上手だったのはその時からだったのか」
「え? 私、そんなに人にものを教えるのが上手いとは思いませんけれど」
「俺にもココロ村で、色々なことを教えてくれたじゃないか。リーティスさんが効率良く教えてくれたからこそ、あんなに早く村を出ることができたんだよ」
「あ、その……。ありがとうございます」
カオルさんに褒められるのは、何というかその、……照れます。だってこの人、全力で「おれは本気で凄いと思ってるよ」って言う顔を見せながら褒めてくるんですもん!
社交辞令の可能性が0%の褒め言葉の受け流し方を、どなたか教えて下さい。
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「アリス、あまり根を詰めてばかりいるのも良くないですよ? 今日くらい―あっ、チャイムの音ですね」
ゴーン、ゴーン。
一時限目の授業の開始を告げる鐘の音が鳴り響き、教室のあちこちに散らばって姦しく騒いでいた女の子たちが慌てて自分の席に戻り始めます。
神殿では、10歳までの子供達は男女別で教室が分けられていたので、この教室にいるのは年齢10歳以下の少女達だけですね。
え? 年代別にクラスを分けないのかって? いえ、他の科目はともかく、神学は2年ごとに同じ内容を勉強し直すような科目ですから。
それに、貴族の方々と違って、私のような孤児たちは、授業にお金がかかるような科目の勉強は自分で行うのが普通でした。
だから私も、この時はいつも通り午前中の神学が終わればすぐに部屋に戻る予定だったんです。
ガラリと戸を開け、教師役の司祭の男性がツカツカと靴音を鳴らして教室に入ってきました。
教壇の上をずかずかと大股で進み、教卓の前に立つと、分厚い聖典をどんと音を鳴らして卓上に置きます。
「やあやあ、敬虔なる神の僕の諸君!今日も聖典と触れ合う時間がやってきたぞ!楽しみだったかね?楽しみだったろう!「祈祷」の出来る君も、まだまだ「祈祷」の出来ない君も、皆で素晴らしい神のお言葉を読み上げようじゃないか!」
実のところ、アリスが神学を苦手にしていたのは、アリスの勉強能力が低いから、ということだけでは無かったと思います。
この実に暑苦しい司祭の先生の教え方が「考えるんじゃない、その身で神のお言葉を感じるんだ!」だとか、「神のご意思が分からない?ふん、そんなだから貴様はいつまでたっても「祈祷」ができんのだ。神の精神と触れ合えるあの極上の時を、いつまでたっても味わうことができないままなのだ!」といった意味不明の理論と、根拠不在の上から目線によるものだったからです。
聖職者にあるまじき、お酒好きといった悪癖も有名で、生徒たちからの評判はそれほどよくありませんでした。
因みに、その先生は多分「祈祷」に成功したことは無かったはずです。過去に「祈祷」を経験した者は、何となくその人が「祈祷」したことがあるのかないのか、分かるものなんです。一応私も、その一人でした。
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「へえ。なんだか、あれに似ているな。男女の営……。すまん、失言だった。続けてくれ」
「は、はい」
やめてください、カオルさん。こんな場所でそんなことを言われたら洒落になりません。
私は「そっち」の経験は無いので、カオルさんが「したことがある」のかどうかはちょっと分かりません。どうなんでしょう?
カオルさんは年に見合わず落ち着いている方ですし、意外とそっちの方は経験豊富だったりするんでしょうか? ……だとしたら、ちょっと嫌、かもしれません。
「どうした、リーティスさん?」
いけません。ちょっとぼうっとしていました。
少し熱さを感じるようになってきた頬のことを誤魔化すように一回咳払いをして、話を続けます。
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「はあ、あの先生の授業どうにかなんないかなー。私、アリアンロッドなんて神、別に信仰してないよー。神聖魔法の才能もない人に神の教えを説いたって、意味ないでしょうにさ」
午前の授業が終わり、例の教師が教室を出ていくと、私の隣にいた生徒が机に突っ伏しながら、ポツリと悪口を漏らしました。
「その点、リーティスはいいよねー。この間、神聖魔法の適正が見つかったんでしょ? 私達みたいに、いつまでもこんな狭い教会に縛られてないでさ、外の世界で一つの教会を運営するような司祭になれるじゃん」
その子が私の方に顔を向けながら、そんなことを言っていました。
やっかみ、羨みといった感情こそ混じっていたものの、険のある口調ではありません。
その子も私も、同じくこの教会のお世話になっていた孤児で、ずっと親しくお付き合いをさせてもらっていました。殆ど家族も同然の間柄です。常に眠たげに半分閉じられた眼が特徴の、ユーノという女の子です。
「リーティスは努力しているもの。きっと神聖魔法の適正だって、努力しているリーティスに、神さまが与えてくれたに違いないわ」
「はあ。世の中そんなに甘くないってー。努力して得られるものもあるけど、そんなんじゃどうにもならないものの方がよっぽど多いじゃん。貴族サマなんてその典型。生まれからして私達とは違うんだよ」
ユーノが上半身を起こし、伸びをしながらそんなことを言っています。
いつもより数割増しで眠たそうに目を瞬かせています。相変わらず神学の授業が苦手みたいですね。
当時のアリスは、自分のことを貴族だと明かしてはいませんでした。
ご家庭の方針か何かだったとは思いますが、私にも自分が侯爵家の出身だとは教えてくれなかったんです。
腕の紋章は、不可視化の魔法ペイントで隠してたって言っていました。
「おやおや、自分の立場をよおく理解してらっしゃるようですわね。その通りですわ。わたくしたち貴族と、貴女がた平民は、生まれからして違うのですわよ」
おしゃべりをする私達の背後から、唐突に声がかかります。
思わず振り返った私達の前に腕を組んで立っていたのは、豪奢なブロンドの巻き毛を肩にたらした見目麗しい少女でした。
私達の視線を一身に集め、上品ながらも挑発的な笑みを浮かべています。
彼女の名前は、ロゼッタ=プリベニス。
タルマール伯爵家のご息女であり、この教室である意味一番の有名人でした。




