第二十三話:八岐大蛇ってよく考えるとおかしな名前だよな<魔物の来襲>
side:薫→紅
それは、ぬらぬらと光る赤い鱗に全身を覆われた多頭の蛇だった。
ちょっとした家くらいの大きさを持ち、ぎらつく眼光を四方八方へと飛ばしていた。
波打つように蠢く十の首を持つその化け物はその巨体を宙に躍らせ、地響きと共に着地した。
その重量のすさまじさを示すかのように化け物が着地した乾いた岩盤が砕け、深い亀裂の入る音が空気を震わせた。
地面にへばりつくようにしていた10本の蛇体がそれぞれ交互に蠕動しながら持ち上がっていき、太陽の光を遮る太い塔に変わる。
鞭の様に長く、血のように赤い舌の除く口元からは熱い吐息がシューシューと漏れ出している。
地球には間違いなく存在しないであろうという異形の生物。
これが魔物か。
威嚇の構えを見せる巨大蛇と対峙しながら、ココロ村でリーティスさんから受けたレクチャーが思い出されてきた。
この世界の生物の多くは地球に存在するものと同種。恐らく、遺伝子レベルで同一のものとみて間違いない。
その一方で、地球には存在しえない生物もまた、数多く存在している。
魔物・魔獣と呼ばれるこの世界の生物がその代表で、どちらも自然界にできた濃い「魔力地帯」の影響で生まれるとされている。
既存の生物が濃度の高い魔力を浴びて変異したのが魔獣、魔力黙りが凝縮して生物の形をとったものが魔物だ。
『逃げて逃げて! あいつ、ヒュドラだよ。うちらじゃ歯が立たない化けもんだから!』
先ほど崖上から飛び降りてきた内の一人が、必死の形相で注意を喚起してきた。どうやら、あの化け物から逃走している最中らしい。
目の前の脅威に対抗する方針を練る前に、俺は背後の少女達の様子をちらりと見やった。
不安そうに身を竦めるリーティスさん、目をきりりと吊り上げ、魔物を睨み付けているアリス、芋虫状態でもぞもぞと身動きしながら化け物を見上げる、とぼけた表情のユムナ。
ユムナはまあどうでも良いとして、残り二人の安全確保が俺達の最優先事項だろう。
荷物を捨て、リーティスとアリスを紅に抱えてもらえば、俺達は今こちらに駆けてきているこの三人と同等以上の速度で逃走することは可能なはず。
逃走も、案としては十分あり得る選択肢だった。
だが、この場ではより良い選択肢がもう一つあった。
そう。紅ならば、あんな化け物相手であっても、きっと後れは取らない。
もしあの生物が、俺にとっての不確定要素である魔法を用いるだけの能力があると仮定するならば、下手に逃走するよりもむしろ……。
一言、
「紅っ!」
「任せろ、兄貴!」
俺の声と同時に駆けだした紅が、こちらに逃げて来る三人と交差する形ですれ違い、風の疾駆でヒュドラに向けて突っ込んでいった。
追い抜き際、抜け目なく俺の手信号を確認し、自身の仕事を確認することも忘れない。
俺が右手で紅に示した作戦コードは「戦闘開始。打倒許可。敵戦力を探りながら戦え」
左手で示したコードは「我ら逃走す。職分を果たすことで支援を求む」
(あ、あの……)
「リーティスさん、アリスを連れて逃げてくれ。俺が護衛する」
(り、了解です!)
リーティスさんとアリスには逃走中の三人の方向を指さし、逃走の指示を出す。
こいつらは、なんとしてもこの場から逃がさなければ。
心配そうな顔をしたアリスが、ヒュドラと戦い始めた紅の方を振り返ったが、急かすリーティスさんに手を引かれ後に続く。
紅の荷物とユムナを担ぎあげ、俺もその背を追いかける。
『ひゃあ~っ! ねえ、もうちょっと丁寧に運んで貰えないかしら?』
間抜けな悲鳴と講義の声が上がったが気がするが、意識から除外。
紅のことも気になるが、リーティスさんとアリスを放っておくわけにはいかない。
もう一体同じレベルの魔物や魔獣が出てこないとも限らないのだ。
その時は俺も、彼女達を全力で守らなければいけない。
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戦闘開始の挨拶代わりに、疾走の勢いを乗せた拳の一撃をお見舞いする。
人さし指の付け根と中指の付け根の間。人間が拳打で最もインパクトを与えやすい箇所が硬質の鱗に一瞬だけ触れ、あたしが込めた力の全てを相手に伝えた。
青銅の鐘を殴りつけたかのような、重い手ごたえが手首にやって来る。
石垣程度なら一撃で粉砕できるあたしの攻撃を受け、蛇野郎の首が一つ、派手に後方にふっとんだ。
――へ、どうだ蛇野郎? 自分の子供より小せえ相手にぶっ飛ばされる気分は。
つっても、被害はその程度みてえだった。
あたしに殴られた蛇頭は直ぐにその鎌首をもたげ、大口を開けて威嚇の声を放ってくる。
でも、これで一応そいつの注意を引くことには成功したことになる。
そしてあたしの仕事は、こいつらをこの場に引きとめ、兄貴たちが逃げる時間を稼ぐこと。
つまり、初撃の目的は十分果たしたって訳だ。
何対もの黄色い視線がぎょろぎょろと蠢き、巨体の右側に回り込んだあたしの動きを追ってくるが、その足はすでに停まってる。
あたしに狙いを定めた時点で、こっちの戦術的勝利は確定してんだよ、蛇野郎。
鱗に覆われた巨木のごとき胴体が持ち上がり、あたしの体に影を落としてきた。どうやら、本格的な攻撃がやって来る様子だ。
そして、風切り音が三つ鳴り響いた。
3つの首が鈍器のごとく振るわれ、次々と地面に叩きつけられていく音だ。
三度う振り下ろされた巨大な鎚が地を割砕き、破砕音と共に硬質な岩の欠片が散弾銃のようにばらまかれた。
砂塵が天を覆う勢いで舞い上がり、岩の弾丸が地と岩壁に突き刺さった。
――速度と質量は中々だけど、軌道は単調みてえだな。
音速で飛来するロケット弾頭や秒間500発でばらまかれる機関銃に比べれば、こんなもの屁でもねえ。はるかに御しやすい相手だぜ。
振り下ろされなかった蛇頭の一つに背を預け、蛇の戦闘力の程を分析しながら、あたしはそう分析する。
そこでようやく、最初に振るわれなかった残りの頭どもからの追撃が来た。
顔面狙いの大振りな横なぎを、あたしはボクシングの左フックを躱す要領で首を振るって回避する。
続けて襲い掛かってきたあたしの足元への打撃はまたぎ越し、化け物の十本ある頭の付け根、つまり懐へと侵入を果たした。
目標を見失い、間抜けに辺りを見回す巨体を前に、あたしの口から知らず知らずのうちににいっと笑みが零れた。
ここで繰り出すべきは、全力の一撃。
自分の全身を一つの柱に見立て、螺旋の渦をイメージした力の集約でヒュドラの首に下から渾身の掌底をぶちかます。
「はぁっ!」
芯を捉え、打ち抜いたという実感が、手首への重い衝撃という形で伝わって来る。
重く太いヒュドラの首が、鞭うちのように跳ね上がった。10の首を持つヒュドラの重心がぐらりと崩れる。
追撃の好機だ。
即座に距離を詰め、再度の攻撃の構えに入る。
もうもうと沸き上がる土ぼこりの中を真っ直ぐ突っ切るあたしの姿を、無事な首のぎらつく眼が追って来ていた。
追撃を阻む狙いだろう。
左右から挟み込むようにして二本の首が口を大きく開け、威嚇の声と共に襲いかかってきた。
あたしは一旦脱力させた両腕をだらんと垂らし、そのまま鞭の様に振るう。二首の顎と鼻先にそれぞれ拳を叩きつけ、迎撃に成功。首が明後日の方向に弾かれる。軍式格闘技システマの技法を取り入れた「挟撃応戦」の型だ。
――ちっ、それにしてもやっぱり後ろはとらせてもらえねえみてえだな。
再度空いたどてっぱらに飛び蹴りをかまして後方に吹き飛ばしながら、あたしは小声で毒づいた。
さっきから隙を見ては背後に回り込もうとはしてるものの、こいつ、首の可動域が広すぎるんだよな。多少のフェイントをかけたところで「完全無防備な箇所」を集中的に狙い続けるような真似は出来なさそうだった。
――正面からこいつをぶっ潰すとなると、今のあたしじゃあ、ちょっと難しいよな……兄貴?
横目でチラリと、逃走中の兄貴たちの方を伺う。
既にこの蛇野郎を連れてきた三人は視界から消えていた。まったく、逃げ足の速いこって。
ま、そっちは別にいい。
肝心なのは、兄貴達三人の視線の方。
アリスとリーティスは首だけ振り返ってこちらを見ているのかもしれないが、兄貴が上手いことその視線を塞いでいるようだ。
つまり、今二人にあたしの姿は見えていない。
――これは「全力でやっても良い」ってことだよな、兄貴?
懲りずに襲い掛かってくる蛇頭を手足で受け流して捌き、振りぬかれる巨蛇の頭が巻き起こす風に散らぬよう髪を抑えながら、兄貴に心の中で問いかける。
油断していたのだろう、その時のあたしは。
だから、その時の「奴」からの攻撃への反応が、一瞬遅れた。
攻撃の当たらないあたしに業を煮やした一本の蛇頭が大きく口を開いていた。
そして、その中から、まるで斜面を駆ける雪崩のごとき勢いで、
視界の端から端までを埋め尽くすほどに広がった炎の渦が、襲い掛かってきた。
戦闘描写はどうも短めになってしまう傾向がありますね。
今後の課題です。




