第十九話:わたしの、お友達です<侯爵家の四女>
side:???
私の名前はアリス・スカーレット・ヴェルティ11歳。
栄えあるノワール王国貴族、ヴェルティ侯爵家の四女よ。
「お嬢様、本日のお召し物はどれになさいますか」
朝起きてすぐ、メイドたちに私の金髪を櫛かけさせているところに、別のメイドが何着ものドレスを手に現れる。
いつもの光景ね。
カラフルなカーテンのように連なったドレスの列を一瞥し、今日の気分に一番合ったものを一つ選んだ。
――そうね、昨日見た青い小鳥さんが可愛かったことだし……
「右の、青いものでいいわ。それと、その緑のドレスは裾飾りをもうちょっと増やしておいて頂戴」
「かしこまりました」
腰まで届く長さの自慢の金髪を一旦メイドたちに抱えさせて、用意されたドレスに袖を通した。
御爺様に買ってもらったばかりのドレスだったけど、やっぱりドレスというのはあまり性に合わない。どれもこれも、動きづらいものばかりなのだもの。
歩くたびに膝に絡んでくる長スカートがうっとうしくてしょうがない。
メイドたちに囲まれながら食堂に向かう。
この家はお父様の臣下の方が保有している別荘の一つ。綺麗なガラス細工の芸術品が計算されつくした配置で並べられていて、こうして赤絨毯の上を進む間も、いくつもの置物やシャンデリアが目を楽しませてくれるの。
食堂に着くと、二十人は一度に席につけそうな大テーブルが視界に飛び込んでくる。私は迷うことなく主人用の席に向かったわ。
いつもの光景を見て家令の老人が嘆息していたけど、文句は言わせないわよ。
半年ほど前、それまで一緒にこの家で暮らしていたお兄様が「いい金づる」を見つけたと言ってここを飛び出して以来、私が食事をするとき席を囲む者は一人もいないのだもの。
余り好きだと思っていなかった兄ではあったけれど、いなくなれば少しは寂しさを感じるものなのね。席に座って頬杖を突きながら、そっとそんな独り言を漏らした。
枯れ木も山の賑わいとは、よく言ったものだと思うわ。
(そういえばあの兄は確か、南にあるパシルノ男爵の領地に向かうとか言っていたわね)
スープを口に運んでいた手が一旦とまる。ふと、その地名に覚えがあることを思い出したの。
確か、"あの子"が引き取られていったのも、そのパシルノ男爵領の村じゃなかったかしら?
あれは私が4歳の頃、お父様のいいつけで運命神アリアンロッドの神殿に預けられていた時期。
神殿で、とても仲良くなった女の子がいたの。
偉ぶった神官達なんかより優しく丁寧に神の教えを説いてくれたそのリーティスという少女のことが気に入って、自分は良く付きまとっていた覚えがある。
年齢は3歳も離れていたけれど、対等な、良いお友達の関係だったと思う。
神聖魔法の資質を見出された彼女は、私が7歳の時にどこか遠くの教会の司祭に引き取られていったわ。
そんな彼女が引き取られていった先が、ノワール王国の南端にあるココロ村という小村だったはず。
もう一度、会いたいな。
そんなことを思ってしまった。
その小さな願いが、やがて私の身に降りかかる大きな災厄の種になることを、その時の私は知る由もなかったの。
「へい、お嬢ちゃん。この「スイカ」って果物を試してみないか? 瑞々しくて美味いぞ~」
「興味あるわ。一つ頂けるかしら?」
私は銭貨数枚と引き換えに、その見たこともない赤い果物を手に入れる。
手に取ったそれを恐る恐る口に運ぶと、宣伝文句の通り口いっぱいに広がった青臭い果汁の中に仄かな甘みを感じ取って、頬が綻ぶ。
あ、結構美味しいかも。
私は、朱色のシャツに白パンツ一枚という平民の格好に身を包んで町の大通りを訪れていたわ。髪も今は安物の紐一本で適当にまとめている。
ヴェルティ侯爵領のクルリックの町は、ノワール王国領内全体で見ても大きい部類に入る商業都市よ。
大通りの両側には種々雑多な商店が立ち並んでいるわ。
商売文句を声を張り上げて叫んでいたり、際どい格好のお姉さんに客引きをさせていたり、調理中の食材の香りを意図的に通りに向けて流していたりして、道行く人の興味を引こうとしているわね。
いつもの通り、猥雑で渾然とした光景ね。
そしてこの場に居るからには、私もこの場に合った行動を選ぶの。
私は、人通りから外れた道の端によって、先ほどの果物の種を思い切って吐き飛ばしてみる。貴族らしくない、お行儀の悪い感じでね。
そうして今度は、汚れた口周りをシャツの袖で拭う。
ふふっ、誰も今の私の姿を見て、侯爵令嬢だなんて思わないでしょうね。
私の身分は侯爵家の4女。長男が家を継ぐのが基本であるこのノワール王国で家督を告げる可能性は低く、既にとある別の侯爵の家臣の下に嫁ぐことが決まっている。
そのためか、実家のお父様達も適齢期になるまで私のことは好きにさせておけば良いと考えたのでしょう、こうして臣下の家で気ままな生活を送らせてもらっているわ。
いつもならこの後は町の中心にある人造湖の前でゆっくり過ごした後、魔法工房のお姉さんの所に、というお決まりのコースを進む。
でも、今日は別の目的があるの。
(ふふっ。いきなり会いに行ったらリーティス、どんな顔するかしら。喜んでくれるわよね?)
今日は「とある目的」のために必要な品物を見繕いにきたわ。
結構な量になっちゃうはずだから、買うのは当日。今日はどの店にどんな商品があるかの確認だけ。
長旅に適した服を手に入れるところまでは簡単だった。いつも下町で遊ぶ時に着る服を買っていた店に「長旅もこれでばっちり」という触れ込みの服が置いてあったの。迷わず購入したわ。
次の町に着くまでの食糧の確保はもっと簡単。家で出された食事が足りないからといって料理長にお夜食を届けてもらってそれをため込んだわ。
町でコモモも買い込んだ。長期間保存がきく果物ってなあに、と尋ねたらコモモが良いって言われたからそれを買い込んだの。
あとは、足の確保だけ。
私は準備万端旅の支度を整え、町の外れにある辻馬車ギルドの馬車保管場にやってきた。
この辻馬車ギルドはお父様が資金を供出して作ったものよ。町を巡る辻馬車は勿論、商人用の荷馬車なんかも貸し出しているの。馬車だけを貸し出すこともあるけど、訓練した運転手ごと貸し出すことも多いそうね。
厩舎が近いのか、馬の糞や体臭がこちらまで漂ってくる。思わず顔を顰めたわ。
私はまだ保管所にまだお目当ての荷馬車が残っているのを確認して、辻馬車の清掃をしていた男の下へ歩いて行った。
「ねえ、貴方」
「ん? 何だいお嬢ちゃん。随分と重そうな荷物だけど、お出かけかい。悪いけど、今は御者が出払っちまってるんだ。馬車を捕まえたかったら街ん中に行きな」
男が、馬車の床を雑巾で拭いていた手を止め、こちらを振り向いた。
「貴方、荷馬車の運転はできるのかしら?」
「荷馬車? まあ、問題なくできるな。それがどうかしたのかい?」
よし。これならいけそうね。
「ちょうどいいわ。貴方、私のために荷馬車を出しなさい」
「荷馬車をか? あいつは予約制だぞ。今予約は入ってないはずだが、使いたかったらちゃんと手続きを踏んでくれねえと」
「いいから、つべこべ言わずに出しなさい。手間賃はこれだけあれば十分でしょ?」
私は御者男の胸元めがけ、ポケットから取り出した金貨袋を放り投げた。
訝しげな顔をして受け取った袋の口を開いた男が、その中に詰まった金貨の輝きに目を見張ったわ。……下品な笑いだこと。
大金の詰まった袋を食い入るように眺めていた男は、しかし残念そうに眉を顰めて金貨袋をこちらに返そうとしてきた。
「しかしお嬢ちゃん。俺はまだ見習いだぜ? 操車の技術は問題ねえけど、そんなに長距離の馬車行はまだ親方から許されちゃいないんだ。この町周辺以外の情報だって仕入れちゃいねえ。何なら辻馬車ギルドの他の連中を紹介して……」
「うるさいわね。私はヴェルティ侯爵家の四女よ。この紋章が目に入らない?」
私は袖をまくりあげ、右腕の印を露出させた。
男の目が見開かれる。
――辻馬車ギルド本部になんて行ったら、お父様達に私の行く先を知られてしまうじゃない。邪魔されちゃたまらないわ。
そうか、ヴェルティ家のお嬢さんに「命令」されたんなら仕方ねえよな。
男は、くつくつと笑みを浮かべながらそんな風なことを呟き、荷馬車を出す旨を了承した。
ところが、私が行先を告げると慌てた様子で「おいおい、そんな遠くに行くならそれなりに荷物やら護衛やら準備しなきゃいけねえぞ」なんて言ってきた。
「なら、その必要なものを全て揃えて来なさい。お金ならいくらでも出すわ。遅くとも今日の夕方までには馬車を出せる状態にしておきなさい。言っとくけど荷馬車に乗るのが私だってことは誰にも言わないこと」
忘れず、言い含めておく。
男は慌てて知り合いのアテを探しに駆け出して行った。
冒険者ギルドにでも行くのかしらね。
うんうん。予定より出発が遅れそうだけど、何とか今日中には出発できそうだわ。
生まれて初めて、家族や使用人の目の無いままで行く馬車の旅は、想像以上に爽快だったわ。
馬車の幌から顔を出し、土臭い道の香りを感じたり、私の馬車の隣を並走する騎乗した冒険者達が跨った馬などを眺めたりするのはとっても新鮮だった。
まあ、馬車の酷い揺れのせいで、クッションを引いているにもかかわらず私のお尻が痛み始めたのには少々閉口したのだけれど。
車内とはいえ、初めての野外での就寝というのは興奮してしまって中々寝付けなかったの。
あまりに寝付けないものだから外に出て空を見上げたら、地平線一杯まで広がる広大な星空を見られたわ。なんだか、私が本当に遠くまで来ちゃったんだなって、その時初めて感じちゃった。
とはいえ、変わり映えのしない風景を見続けるというんじゃ、さすがにいつかは飽きが来る。
途中で寄ったいくつかの町で、有り金にものを言わせて高級な宿泊施設を利用したり、その町の観光地を巡ったり、初めて見る食べ物を試したりするのは楽しかったけど、馬車行の間は増量したクッションのひかれた車内でずっと寝転んで過ごすようになったの。
――そろそろ、お父様にも連絡が行って、慌てて早馬を出している頃かしら。いえ、私から目を離していたなんてことになったら責任問題だから、ずっとあの臣下さんが対応しているのかもね。
私に別荘を貸してくれたは良いが、一度も会ってくれたことのない(ついでに名前も憶えていない)父の家臣のことに想像を巡らせる。
――ああ、早くリーティスに会いたいわ。
私のそんな願いはやがて、叶えられることになったわ。
その時の私が思いもしなかったような形で。
「荷物を全部おいていけ」
突然、森の中から姿を現した盗賊団は、私の馬車に火矢の雨を降らせてきたわ。
普通の盗賊なら、護衛が十人近くもいるような馬車なんて狙わない。
例え積み荷を強奪できたとしても、仲間の被害が多くなりすぎるもの。
でも、こいつらは違った。
大した荷物も積んでいなさそうな、どう考えても割に合わない獲物であるはずの私達に向けて、燃え盛る大火槍や渦巻く竜巻を雨あられと飛ばしてきたの。
馬車の窓から顔を出しかけた私を庇って水魔法の氷壁を張ってくれた赤髪の女性冒険者の人も、敵わない相手とみて背を向けて逃げ出した少年冒険者も、敵の魔法攻撃に焼かれながら必死に応戦してくれた他の護衛冒険者達も。
誰一人の例外なく、彼らの振るう槍や斧、剣に貫かれ、採算度外視としか思えない大盤振る舞いで飛んでくる魔法の嵐に飲まれて命を散らされた。
爆音や剣劇音の鳴り響く戦場で、私は幌の張られた馬車の中、家から持ってきた愛用のクッションを抱いて必死に祈っていたの。どうか、盗賊の人たちが早くどこか遠くに行ってしまうようにって。
それが何の意味もない行為だと、心の何処かでは気づいてた。
でも、どこからともなくこみあげてきた全身の震えは、私からせめてもの抵抗に剣を抜く勇気さえも奪ってしまっていた。
やがて、激しい戦いの音が収まった。
盗賊以外で生き残っていたのは、私がヴェルティの町で雇った御者の男だけだったわ。
そもそもこの馬車は商品を運ぶものではなく、積み荷は存在しないと盗賊の頭に訴えていたのだけれど、そんなもの知ったことか、とばかりに盗賊の一人が無造作に振るった剣で右腕を刎ねられ、悲痛の叫び声を上げる。
ならば金目のものは無いのか? と落ち着いた声で尋ねた盗賊の言葉を受けた御者の男は、這いつくばるようにして背後に体を向け、馬車の荷台を隠していた幌をまくり上げた。
そして私の体は十数人を超える男たちの視線に晒された。
だ、大丈夫よ。お父様からこういう悪い人たちから捕まった時にどうすれば良いかはちゃんと聞いているわ。
とにかく犯人を刺激しないようおとなしくしているの。「みのしろきん」と引き換えにされるから、私の身の安全は保障されているはず。
そんな話を思い出すけれど、今こうして悪い人たちに捕まって森の中を歩かされている状況を前にしては、空元気の役にも立たなかった。
寒くもないのに足の震えが止まらず、何もない斜面の上で何度も転んでしまう。しかもそのたびごとに盗賊が私の腕を拘束していた縄を引っ張るの。痛いよ! やめて! 引きずらないで!
やがて、何時間もそうして歩いていただろうか、斜面の先に小さな小屋の様なものが見えてきた。
その中に突き飛ばされるようにして入れられた時には、私の金髪は土にまみれてすっかり汚れてしまっていたわ。
動けずにいた私のことを、盗賊たちが二人がかりで縛り直している。私は木製の椅子の上にグルグル巻きで固定されてしまった。
そしてそんな体勢で拘束されていても、私の体はごく当たり前のように欲求を投げかけて来る。
「あの、お、おトイレ……」
鼻で笑われただけだった。
私のお願いを、盗賊達は完全に無視するつもりのようだった。
いやいやと首を振っても、懇願の声を向けても、彼らが何かをしてくれることはない。
もう限界だった。自分の股の奥に生暖かい感触が広がっていく。
小屋の床を叩くぴちゃぴちゃという水音が聞こえてきて、死にたくなった。これほどまでに消えてなくなってしまいたいと思ったことは無い。
ああ、何で勝手に家を出てきてしまったんだろう。せめて使用人の誰かに行先を話していれば、誰かが助けに来てくれたかもしれないのに。
怖くて、惨めで、気づいたら涙と鼻水が止まらなくなってしまっていた。鼻をすするけれど、次から次へと流れていくそれらを止めることは敵わない。
きっと私の堤防はとっくの昔に決壊してしまっていたの。
盗賊の一人の提案で、私の両目は汚いボロきれで覆い隠された。
もうこれ以上何をされても変わらないと投げやりな気持ちになっていたけれど、光を感じられないという状況はますます私の孤独感と無力感を煽り、高めさせた。
――もう、嫌。
こんなの、私、もう耐えられない。
(お願い、誰か私を助けて。お父様、お母様、リーティス―!)
前話の少女のお話です。
店員のいうことを裏付けも取らず鵜呑みにしたり、信用のある商人の馬車に潜り込むという恐らくはもっと安全で確実だったであろう手段をとらなかったり、何よりも情報集めを軽視しすぎていたりと、色々世間知らずなお嬢様です




