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間:四話

 side:ユーノ

 ガンガンガン

 

 ーーうげ、また来たかー。


 ドアノッカーが刻む乱暴なリズムが、狭い室内に反響する。塵一つ落ちていないきれいな床。清潔な白いベッドに腰掛けるあたしのすぐ近くには、明るい日の光が差し込む小さな窓。部屋の真ん中に置かれた小さな机の上には丁寧に育てられ、しゃんと背を伸ばす観葉植物。

 快適さと清浄さを体現したようなこの部屋にあって、耳に障る度合いでは酔っ払いのいびきにも匹敵するこの騒音は、なんともまあ、不釣り合いに思える。


「ふふ。今日もいらしたみたいね、ユーノちゃん」

「……はぁ」


 もう、勘弁してほしいなー。

 聞こえよがしに溜め息を吐いたあたしを前に、白衣の看護師さんがコロコロと笑う。

 左手に携えた長い木の杖をあたしの頭から離して、今日の診断をひとまず切り上げるつもりみたいだ。

 看護士のお姉さんは腰まで伸びた白金色の金髪を揺らしながら、未だやかましく打ち鳴らされる部屋の扉を振り返った。

 すっと一筋に伸びた鼻筋、パッチリ開いた二重の瞼にこの反則的な金髪が加われば、女をも見惚れさせる麗しきお姿が完成する。

 そんなお人の甲斐甲斐しい看護をここ数日毎日受けてきたあたしの立場から、一個言わせてもらいたいな。

 何でこんな人に恋人はおろか、浮いた話の一つもないんだろ? この世界って不思議だなー、と。


「はいはい、開いてるよー」

「そうか。では、邪魔するぞ」


 あたしはお姉さんの頭越しに言葉を投げて、訪問者に入室の許可を出した。

 間をおかず、あたしの養生用に用意された病室の扉がかなりの勢いで開かれる。

 清潔感溢れる白で統一された病室にずかずかと踏み込んで来たのは、太い足の生えた花束だった。

 もっと正確に言うなら、抱える自分の顔さえ埋もれそうなほど多くの花束持った、むさ苦しい大男だった。

 麗しの看護師さんに手短な挨拶を述べたその男の熊のように不躾な視線が、病人用ベッドからちょうど身体を起こしたばかりのあたしにぐいっとフォーカスされる。

 そしてその次の瞬間には、どかどかと足音を立ててあたしが横たわるベッドの脇までやってきていた。 


「おお。すっかり顔色も良くなったな。どうだ、もう元気か? 朝食は採ったか? どこか怠いところはないか? 魔法の発動に支障はないか?  ん?」


 暑苦しい顔が超至近距離まで接近してきた。

 答えは十分元気、採った、ない、生活魔法レベルなら問題ない、になるけど、つい昨日もみたばかりで「顔色良くなった」って、昨日のあたしはどれだけ死相を漂わせてたって言うつもりかっての。

 心中で突っ込みを入れながら、筋肉ではちきれんばかりに膨れ上がった、丸太のように太い腕があたしの頭に回されるのを、辟易とした気分で受け入れる。


「ザ-ランド様、毎日毎日、お見舞いに来てくださってありがとうございます。この子も貴方様の訪問には喜んでいるんですよ。全く、素直にお礼を言えば可愛いのにね」

「ふはははは。いや、なに。この子も含め、ここにいる者達は皆、我々エルフの戦いに力を貸してくれた者達ばかり。労い、感謝を述べるのが当然というものよ」


 ザーランドと呼ばれたエルフの偉丈夫が、あたしの頭をパンでも捏ねるような強さで撫で回してくる


「ちょっと、痛い! 痛いって! 労わる気があるなら、そんな乱暴に取り扱うなっての! この馬鹿力!」

「おっと、すまんな、力加減はどうも苦手で……」

「自覚あるなら治せばいいじゃん! まったく、そんなんだからうん百年間も独身貴族なんじゃないの?」

「ユーノさん、失礼ですよ? 仮にもエルフ一族の長老の一人に向かって……」

「構わん構わん。やはり子供というのはこれくらい怖いもの知らずの方が良い。うちの里の子供達なんぞ、どいつもこいつも大人のいう事を聞く良い子ちゃんばかりだからなあ。まあ、例外もいたことはいたが」


 ぐはははは、と男臭い笑い声を上げるザ-ランド長老の腕の内で、あたしはげっそりと疲れ切っていた。

 最初にこの乱暴な愛撫を受けた時は、下手に抵抗したせいで体力をごっそり奪われた。おまけに、髪を皺くちゃに、ついでにどこか酸っぱい臭い漂う悲しい有り様にされてしまった。

 それを思えば、対応を身に着けた今のあたしは、まだ余裕がある方ではあるんだけどねー……。


「あーもう。そりゃ、魔力がすっからかんになって倒れてたとこをあんたに助けてもらったことは感謝してるし、女の子のお見舞いだからとりあえずお花、って単純思考で選んだっぽい花束であたしの病室を埋め尽くして行くのも、まあ、不器用な厚意ってことで受け取れるよ。でも、訓練後の汗臭い手で女の子の髪を撫でるのはやめて欲しい」


 あのままぶっ倒れてたら肉食の魔獣に喰われたかもしれないし、それを考えたらこの大男はあたしの命の恩人と言えなくもない。

 でもやっぱり、嫌なものは嫌って主張しないとね。


「むむ? 聞いていたことと違うぞ。あの……何といったか、エルフの里に逗留中の蝙蝠亜人の男から、『ユーノちゃんは訓練好きだから、汗のにおいとかきっと好きだと思うんだよな。あんたとは相性いいんじゃないか?』と言われたのだが」

「いやいや! そんな事実無いから! てか、あんたってあの男の知り合いだったの?」

「その言葉を思い出して、今日だけは鍛錬後の水浴びもほどほどに直接ここに足を――」

「今すぐ風呂行け、不潔エルフ!」


 ボケオヤジの馬鹿漫才につき合っていたら、ぜー、ぜー、と肩で息をする程にまで困憊させられた。

 てか、病人にあるまじき体力浪費でしょ。

 見舞客が病人を困らせるって、これ、本当にお見舞いと言えるのかね。

 この場で唯一助けを寄越せる美人看護師のお姉さんも、口に手を当ててくすくすと笑うばかり。助け船は期待できない、孤立無援の状態だった。

 と、思いきや、違った。


「ああ、そうそう」


 お姉さんは突然何かを思い出した、とばかりにぽんと手を打ち鳴らしてあたしと筋肉エルフのスキンシップに割り込んできた。

 ふう。助かった、のかな?

 

「ユーノちゃん。貴女の友達――クロエちゃんが見つかったそうよ。ちゃんと無事みたい」

「本当!?」


 お姉さんの言葉は、予想した助け舟とは違った。

 でも、知りたかった情報なのは確かだった。

 今この場じゃなくて、もっと早くに教えて欲しかったけど。


 ――ああ、でもそうか。一応あの良く分かんない男はあたしとの約束は守ってくれたわけかー。


 安堵の気持ちが広がる。

 あの時、他に手は無かっただろうけど、その日会ったばかりの、それも一応は敵陣営に加わっていた男に友人を預けたんだ。そりゃ、ずっと心配していたよ。

 あたしと一緒に逃げさせとけばって後から思うことはあったけど、クロエちゃんがあの魔法障壁を抜けらる保証はなかった。結果的には、あれで良かったんだろうなあ。


「見つかったって、どこで?」

「そこまではちょっと分からないわね。私もちょっと小耳に挟んだだけなの。詳しい話は貴女の上司にでも聞いてみてください」


 お姉さんは申しわけなさそうに頭を下げた。

 んー、それだと、だいぶ先の話になっちゃいそうだなー。

 その人なら、今頃大事な大事な自分の娘と久々の再会の真っ最中だろうし。そもそもまだまだやるべき仕事がたっぷり貯まってるだろうし。

 この町まで来てくれるのはまだまだ後だろうなー。


「ほう、めでたい知らせだな……っ! おっと、いかん。この後すぐ会議であった。心残りだが、もう行かねば」

「でしたら、私が治療院の出口までお供させて頂きます。それじゃあね、ユーノちゃん。この方をお見送りしたら、ちょっとしたら戻って来るから、良い子で待っていてね」

「うむ、すまぬな、ユーノ」

「はいはい。どうぞ行ってらっしゃいませー」


 もしあたしに両親がいたら、こんな感じだったのかな。

 諭すように告げて来る看護師さんと、ぶんぶんと片手を振る大男に、ひらひらと手を振って応じる。

 二人の大人たちは良い笑顔を残してこの病室を退出していく。喧しく暑苦しい男と綺麗で優しい女、二人の気配が去り、少し寂しい静かな一人部屋が戻ってきた。

  

 アルケミの街跡地にして新エルフの里に建造された、療養施設の一室。当初の想定以上に怪我を負った者が少なかったせいで、部屋数にはまだまだ余裕がある。

 だからこの療養室は、ほぼあたしだけのために用意されたに等しい。

 白く柔らかいベッドクッションに身を埋め、あたしはクロエちゃんやリーティス、アリスといった友人達に思いを馳せた。 

 皆、今、どこで何をしているの?











 一人の少女を収監・・する病室から出た後、一人の人間と一人のエルフとは、しばし昨今のエルフや人間の教育事情について各々の教育論を交えて語り合っていた。

 事情を知らぬ者が、看護師の纏う白ケープの存在に気づかずその会話を盗み聞きすれば、仲の良い一子をそれぞれが持つ親同士とでも思ったのではなかろうか。

 しかし、二人の間に流れる柔らかで平和な空気はいつの間にか消え去った。

 病室から一歩遠ざかるごとに、廊下を一歩前に進むたびに。

 徐々に徐々に得体のしれない雰囲気が二人の間を漂い出し、当初の空気は遙か遠くに霞んで消えてしまった。 


「それにしても――ふふふふっ」

「どうした、何が可笑しい?」


 何時の間にやら互いの顔を彩っていたお愛想笑いは鳴りを潜めていた。

 つい先ほどまで愛娘との再会を噛みしめる馬鹿親めいた態度だったエルフの男は神経質な、何かに苛立ったような顔になっており、手に握りしめていた太い木杖を歩みの度に建物の床面へとこすりつけはじめるようになっていた。

 もう一人の変容はさらに顕著だった。

 患者に尽くすことを喜びとする白衣の天使めいた雰囲気を纏っていた看護師の女性は、もうどこにもいなかった。

 その目はまるで、感情を欠落したガラス玉にでも入れ替わってしまったかのように色を失ってしまっていた。

 時折くすりと漏らす笑みは、見る者を笑顔にする心地良いものではなく、見る者に不安を抱かせる、嘲るようなものに変わっている。


「いえ、戦場では憤怒を炎と変えて敵を焼き尽くす

、怒りの化身などと言われているザ-ランド様が、こんなに愉快な方だとは長く、思ってもみませんでしたもので」


 先ほどまでと変わらぬ丁寧語。

 しかしそこに宿るのは、相手への敬意や気遣いなどではなく、ただ事務的に最も喋りやすい言語を選択しているのだとでも言いたげな、機械的なな響きだった。正から負へ、或いは生から死へと、全く違う属性の存在に変わってしまったかのようだ。


「戦場の己と日常の己は違う。珍しい話でもあるまい。それよりも、お前には一つ、聞いておきたいことがある」

「何についてですか? あ、最初に言っておきますけどユーノちゃんのスリーサイズは教えられませんよ?」


 軽いジョークの言葉さえ、今の彼女の口から飛び出ると相手を小馬鹿にする意図を持つ、皮肉交じりの嫌味にしか聞こえなくなっている。


「ふん、そんなものに興味は無い。――俺が聞きたいのは、お前達が保有している工作員部隊についてだ。つまり、あの子と同じく魔力保有量増加の儀を受けさせた者達についてどうなっているかを聞きたいのだ」


 しかし、ザ-ランドの方は女性の変わりように特に頓着することは無かった。

 その女性のことを前もって知る機会に恵まれていたこともあるが、そもそもがその人物に対して殆ど興味を持って居なかったことも大きな理由だ。


「興味がおありに?」

「協力者として、是非とも知っておきたい」

 

 だから、ザ-ランドは尋ねる。

 女として、或いは人間としての彼女の言葉ではなく、彼らエルフの同士となったある組織、その研究者であるところの彼女の言葉にこそ興味を持って。


「そうですか。その”実験”でしたら、失敗――と呼んで差し支えなさそうですね。今のところ」

「むう……。やはり人間の体では我らエルフの儀に耐えることはできないという訳か」

「はい。貴方も先ほどご覧になりました被検体、ユーノという被験者以上に適性の高い人間は他におりませんでしたし、今まで比較的安定したあの子も、今回魔力を一気に使い果たすという一件を経て、大きく体調を崩しました。やはりこの計画はそもそも根本から失敗だったという事になるのでしょうね。……保持魔力量増幅理論の提唱者の一人としては残念な限りです」


 ユーノという名の被検体。

 つい先ほどまで、彼らが笑顔で接していた相手の名を、彼らは今、冷たい実務における名称として無造作に言の葉に載せていた。


「強引な手段で魔力を増幅させられるのは生命力が並はずれているエルフ種くらいということか。確か、被験者には副作用もあるのだったな?」

「はい。感情の増幅作用ですね。戦闘時などは同時並行して開発した魔道具である『抑制仮面マスク』の着用で軽減させています」


 自らが弄り、不自然な存在に変貌させた一人の少女のことを。


「なるほど。興味深い話だ。情報感謝する。それにしても、何故お前は神に抗おうなどと思ったのだ? そのような無茶な方法で戦力を揃えてまで、この戦いに何を望んでいる?」


 彼らの目的地である会議場手前の廊下、そこを警備する巡邏の者達にザ-ランドは軽い会釈を向けた。

 分厚い扉前を完全防備の鎧姿で警護していた人間の兵士たちが、その会釈を受けて左右に退き、二人の入室を促した。


「大した理由ではありません。神の小さな気まぐれに巻き込まれ、自身の半身たる婚約者と大切な家族を失った。それだけです。復讐、といえば分かっていただけますわよね?」

「そうか。お前も我々と同じ――」

「いえ。数百年かけて熟成された貴方方エルフ達の憎しみに比べれば、きっとちっぽけなものです。でもきっと、ちっぽけな私の身には相応の、身を焦がすに足るものなのです」

「そのために、多くの亜人や孤児、社会のつまはじき者達を尖兵として利用しても、か?」

「はい、当然です。貴方だってそうでしょう?」


 ぽっかり口を開けた扉の前で立ち止まり、二人はしばし見つめ合った。

 言葉を介さぬ感情の交換が、そこで行われる。

 口元に奇妙な笑みを浮かべたザ-ランドが先に目を外し、かつかつと歩を進め始めると、看護師の女がその後ろに従う。


「お前達人間と我々エルフでは感覚が違う。俺達はお前達ほど身内エルフ以外の個人や個体に執着せんからな。だから、あの少女のような個人に対して憎悪は向けん。同じ人間であるお前が――」

「その代わり、国や体制といった纏まりについては我々以上に偏執的に感情を向けるのですか。なるほど、長寿のエルフらしい考え方です」

「ふん。回答をはぐらかすつもりか」

「もう会議場の前です。お話はまた後に致しませんか?」


 会議場前の談話室をも通り過ぎ、二人は目的の部屋の前にまで辿りついていた。


「ふん。いいのか? お前も出席するこの会議、紛糾するようであれば、『ちょっとしたら戻って来る』、という先ほどの約束、守ることはできまい」

「ふふふふっ、女の嘘っていうのは割と許されるものですよ? それに見合う対価さえ払えばですけれどね。さあ、行きましょう」


 最後に微か、芥子粒ほどに戻ってきた柔らかな雰囲気も、二人が向かう席から発せられている緊張感の前に霧散し、やがて完全に消えた。


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