間:三話
side:薫
「熱うぅぅぅっ!?」
煩い声だ。
いったいどこの誰だろうな。この落ち着きのない声の主は。
「熱い、熱いぃぃ! ちょっとお! 誰か、水っ! 舌が焼ける~~~~~~~~~~!!」
いったいどこの……、誰、なんだろうな。
「おおい、お前さん。黙って見てないで助けてやったらどうなんだい? お前さんのお仲間なんだろう?」
「あのまま放っておいても死ぬようなことは無い。それに、自業自得の尻拭いまでやってやるつもりは俺に無い。あいつには良い薬だろう」
「ほぉう。思ったよりずっと良い性格してるみたいだな、お前さんは」
「時と場合、それと何より相手によるさ。海千山千、雑多茫洋の商売相手と会いまみえてきた商人の貴方の方が、そのあたりについてはよっぽど身をもって知っていると思うんだが?」
「はは、違いない。頭の下げ方一つとっても使い分けを要求されるってのがまさに自分達みたいな――」
「ひょっと! はに無視ひへふのよ~!」
背中にどすんと重めの衝撃が走った。
背後で高まり始めた唸り声がその圧力を増し、ついでに背中を物理的につねられている。
鬱陶しいことこの上ないが、ひとまずは無視しておくことにした。
この元気さなら舌に深刻な被害とやらを受けているということは無いだろう。
ある“お使い”のためにアルケミの街を出立した俺達は今まさにその旅路の途中、ちょうど第一日目の野営の最中だった。
この世界に二つとない稀少で便利な移動手段を持つ俺達だが、今回はそれを封印している。
俺達が一時町を出ると聞いたノエルの父――つまり、街の護り手側からの依頼を受け、他の馬車団と一緒に行動をしているのだ。
とある理由から大いに傷心中だったノエルの父が、妻の肩を借りて愚痴を溢しきった後、遅まきながらの真剣さで持ち掛けてきた依頼だ。
その依頼は、今回の馬車団の護り手の増員が理由とのことだった。
町が大きな争いに巻き込まれたこと、ついでに「街の大移動」などという前代未聞の出来事を経て、アルケミの街は現在も混迷状態だ。
一時は、街の出入りが完全に封じられる封鎖状態だったほどだ。
これは、今回の戦いで街の「援軍」に来てくれた者達を締め出す形になってしまっていたことも意味する。また、この封鎖の副産物として戦傷者を癒すための医薬品や戦時物資として緊急徴収された魔石、「街の移動」による水源の喪失によって発生した水資源等といった生活物資も、当然外部から持ち込むことができない状態が生まれた。
この封鎖状態は、「町の住人以外が通り抜けることのできない半永久機関としての大魔法障壁」を維持するかしないかで住民間での大議論が持たれ、ずるずると解除が引き伸ばしになっていたことによる弊害だ。
確実な安全を取るか、手を差し伸べてくれた他所の者達への配慮とこれからの自分達の生活環境の改善を取るか、難しい問題であり、まあ、そう簡単に結論が出る物でないのも当たり前だ。
しかしそんな障壁を、街の神殿で世話になっていた一人のマイペースな女が「配給が滞ってひもじくしてる子供達とか、これ以上見ていたくないのよね~」の一言で独断解除。
無くなってしまったものはしょうがないと、援軍の者達への門戸開放と、増えた人口を賄えるだけの物資調達を速やかに行う方針が即座に行政府から打ち出された。冒険者のネットワークを利用してアルケミの街が「移動」したことを周知し、同時に暫くの間、街が独自の物資調達隊を結成して物資不足にならぬよう取り計らうことがこれで決定された。
一人暮らしの貧乏学生達や生活物資を買いだめする習慣のない一部の研究者達がほっと胸をなでおろした瞬間だ。
幸い、この世界の軍隊は長期戦闘に備えて水魔法を使える者を多めに有している場合が多い。水資源という最重要かつ致命的な物資の不足に悩まされる心配は薄かった。
現在尚微速移動中であるアルケミの町が目指す場所では、井戸が掘れることや飲み水に出来る程度の水流があることをユムナの水精霊を通して確認している。盆地故に気象条件も以前とそれほど違いは無い。
上下水道の整備には時間がかかるだろうが、少なくとも今回の物資調達隊が無事役目を果たして帰ればアルケミの街は元の環境――に近い姿を手に入れることができるだろう。
そのためにも、今回の物資調達隊第一陣が無事に役目を果たし、市民達に安心を得させるというのは大いに意味のある事だ。
「――ところでお前さん。今回の“戦”、どう思う?」
「街の公式発表ではあの出来事は“戦”でなく、“事件”という扱いにされているはずだが?」
「質問に質問を返すのは感心しないなあ。ありゃ、誰がどう見たって“戦争”だよ。戦争。街の古代魔法兵器が動いてすげえ障壁が働いてよ、そいで一般市民の死傷者は――まあ、一部避難中にすっ転んだのとか、暴動に巻き込まれた不運な連中を除けば、0になったのは知ってる。でも、あの大音量垂れ流して空を飛んでた巨大船やらやら、見るからに凶暴そうな真っ黒い魔物の投下やら、どう見ても権力に楯突く小さな反乱組織とか、ましてや一個人レベルの戦力じゃあない」
流石にこの手の輩相手に誤魔化しはできそうにないな……。
湯気の立ち昇るシチューの盛られた器を膝に置き、曇りのない青色の瞳でこちらをじっと見つめて来る、恰幅の良い中年商人。
席を囲んで一緒に夕食をどうかと誘いを受けた時から薄々思っていたが、この男、どうやら予め俺達が『アタリ』であると確信して「情報収集」にやって来たらしい。
俺達が、一般人の知らないような何らかの情報を知っていると、商人の経験で培った勘で感じ取っているのだろう。
「ひょッ!? 何ふ……やうぁ!」
「大人しくして居ろ。味蕾が余計に多く死ぬことになるぞ」
「はぅ? ほうふふと、ほうなふほ(そうするとどうなるの)?」
「お前の趣味の一つ、美食が金輪際できなくなるかもしれないな」
ひとまず、俺の背中を無意味にぼこぼこ叩いてくる知り合いに辟易したので、膝上に招待して舌の治療に取り掛かった。
神聖魔法はその性質上、効果を表したい部分に触れていた方が難度と消耗が下がる。というわけで、今回は患部に直接触れて治療を行うことにした。
湿った感触に眉を顰めつつ、神聖魔力の術式回路の構築を開始する。
あとで直ぐに洗い流してやろうと心に決めながら、ユムナの患部を二本の指で挟んで魔力を流し込む。
俺はノエルのように魔力の流れを直接感覚で感じ取ることはできない。
だから魔法の作用を直観的に知ることはできないが、揚げたてのおかずが纏っていた熱油に焼かれた箇所が、時を巻き戻すようにして赤々しさを取り戻していく様を見れば効果のほどは知れる。
よし、いつの間にやら人形のように大人しくなった膝の重みに関する問題は、ひとまずこれで片付いた。
目を上げると、商人の男の柔和な瞳と目が合った。
先ほどまでこちらに向けられていた探究者めいた鋭い視線はそのままに、憐憫と労わりを宿した聖父めいた雰囲気が加わっている気がした。
いったいどうしたのだろう。何がこの短期間に彼を変えたというのだろうか。
「すまん、失礼した。そうだな。もし仮にあれが“戦争”、つまり一個人だとか一集団レベルの争いでなく、国家そのものに喧嘩を売るようなレベルの争いであったとしたら、侵攻してきた連中はとんでもない愚か者という事になる」
「……あ、あぁ、そうだな。確かにそういうことになるな。うん。まず、事実として連中は、街一つに、それも全く言い逃れの出来ないレベルで手を出しているしなあ。あの黒い魔物共が勝手にやったって言う言い訳は――町に張られた障壁に、明らかに意図的な大爆発が連打されたんだ、当然、使えないだろうねえ。そうなると――」
「今度は町レベルでなく、さらにその上。つまり、より高い軍事力と経済力を持った共同体である"国"が出て来て奴らの相手をすることになる」
街とは、国家の重要な財産だ。その財産を瑕疵させようと動く者が現れれば、国家はその排除に動く。
国家レベルの力が投入されれば、それに抗えるのは同程度の力を持つ相手――一国家だけだろう。
他国家の力を借りることで……例えば、近隣諸国との関係が不仲な国内で事を起こして事実上の共闘体制を持ちかけるような手も無いわけではないが、奴らに関して言えば、その手は使えない。
もしこれが国家を転覆させるためのレジスタンス活動の一環であったならば、首都機能すら持たない一町に大戦力を投入し、しかも失敗してしまったというのは間抜けこの上ない大失態であり、彼らの命運が尽きたことを意味していただろう。
「そうだなあ。普通に考えれば、そんな自殺行為はしないよなあ。……ただ、それは国家の相手をするのが、国家と比べようもなく弱い勢力であった場合だけなんじゃあないかな?」
しかし、彼らの目的は、この世界からの神の排除。
言い換えるならば、世界の有り様の変容だ。
神を排除する方法とやらはわからないが、容易にできるものでないことは推測できる。
神がいることを受け入れ、その恩恵を受けていると信じている者達が世の大勢であるというのならば尚更だ。
では、それでも尚世界を変えようと願うなら、何をすべきか。
国境をまたぐ地道な布教活動、啓蒙活動のような文化的戦略も一案ではある。
しかし、もっと単純にして効果的な戦略も存在する。
例えば、軍事活動と政治活動。
一個人や一団体では不可能だが、国家単位の取り組みなら可能であろう勢力拡大活動だ。
ここまで考えれば、“彼ら”が何をしようとしているのか、それが見えて来る。
つまり、こういうことだ。
“彼ら”の目的は世界そのもの『変革』であり、
そのためのステップとして国を、さらにそのためのステップとして町を狙った。
そして、一ステップに過ぎない「街への侵攻」を終えた彼らは、次のステップに進む。
「連中、“国”を作るつもりなんじゃないのか? 今既に存在する、このノワール王国の中に、もう一つの国をってことだ」
地球における宗教戦争の歴史を紐解くまでもなく、信仰と国家の親和性は高い。男の推測は、的を射たものであるように俺には思えた。
この場合における”国家”において、政治体制や国民、資源といった要素は問題ではない。
必要なのは、他の国家に対抗できるだけの戦力。
これは、奴らが仲間に引きこんだエルフの武力と技術力、それにあの”亜竜”達で補えるだろう。
あとは、自身の主張を押し通すために必要な大義だろうか。
逆に言えば、その程度のものさえ準備できるのであれば、この一見荒唐無稽な話は真にも偽にもなり得る。
そして、もしそれが真実であったならば――
「ああ。“仮に”、彼らが本当にただ馬鹿な侵攻作戦を行ったのではなく、その先の国家との戦いをも見据えた上でのものであるとすれば……」
俺はその先を言えず、口を噤んだ。
商人の男も、座席に腰を下ろし直し、暫く何かを偲ぶように目をピタリ閉じた。
いつの間にか俺の横に着席していたユムナが、唇を噛んで拳を握った。
――このままいけば、あの国は――本物の、今度こそ回避不能な戦場になる。
言えなかった言葉が、頭の中で銅鑼でも叩いたかのようにぐわんと響いた。