間話:占い師の見た「その日」(中)
これはいったい、どういう事なんだろう。
昨夜、清潔な布を用いて手ずから良く磨いたはずの水晶球は、ルゥの手の中で白い濁りを見せ始めていた。
「にしても、ここってそれほど『占いの館』って感じがしないよね~。お香とかないの?」
お気楽なエアリスの声が聞こえるも、占いの結果を目にしたルゥは額に汗を浮かべて嫌な緊張に身を包んでいた。
「店内ももうちょっと薄暗かったりおどろおどろしかったりする雰囲気とか予想してたんだけど、意外と普通だしさ」
「……エアリスが占い師の家に抱いているイメージは、たぶん神殿でやってる祈祷士の儀式とごっちゃになってるんじゃないかな。この国の占い師は、占ってもらいに来た人と同じ目線で話をして、見えた未来に関する相談なんかにも親身になって取り組む職業だから。神秘的な雰囲気作りとかはあまりやらないのが主流だよ」
「あ、そうなんだ。へえ、知らなかった」
ルゥは水晶球を机の下にごそごそとしまいこみながら、店内のあちこちに視線を飛ばすエアリスに豆知識を披露した。
いましがた見てしまった占いの結果については、感心した風にうんうん頷いている目の前のクラスメイトに伝えないことを心に決めつつ。
占い師を志した時、彼女が自分で自分に対して課した制約の一つが「占いの結果について、嘘を吐かないこと」。そして、その制約を守りつつエアリスに余計な不安を与えないためには、早急に本題に入ってしまう方が良さそうだった。
幸い、占いというものを良く知らないエアリスは、先ほどの水晶球いじりがルゥの占いであったことに気づいた様子は無い。
「じゃあ、そろそろエアリスの占いに入ろうか」
「お! 待ってました~! 是非とも私に良い未来を!」
「いやいやいや! 私が未来を決める訳じゃないよ? あくまで私は自分が見た未来をそのままエアリスに伝えるだけ」
とはいっても、多少の心遣いはする。
例えば見通した未来がとても不吉なものであった場合、伝える内容は曲げないとしても、若干柔らかめに語る、それとなく鼓舞の言葉を送るといった小技を試みるのだ。
占い師の本分は、運命を見通し、その上でよりよい未来を構築する手助けをすることにあるのだと、ルゥは考えていた。
目を輝かせて、ルゥの手元と顔の間を視線で行ったり来たりさせているエアリスの未来についても、良い運命が見えるならその背を押し、悪い運命が見えるならその肩を掴むつもりだ。
今日は何やら街に不吉が訪れるという相が出ているが、そこに住む個人全てが不幸になるという訳では無い。
「じゃあ、まずはカード占いをやっとこうか。木札は三種類あるけど、どれが良い?」
「うはあ、良く分かんないグルグル紋様入りの奴に、動物の絵っぽいものが描かれてるものに、何だか禍々しい物体が描かれた札ですかぁ……うん、せっかくだからこの禍々しい感じの奴で」
「…………………………………禍々しくなんかないもん」
「あり? 何か言った?」
「何でもない。……因みにこの三種類のカードの内一つが既製品、一つが私の師匠が作ったもの、そして最後の一つが私が作った奴」
「おお! 自作!? 先に言ってくれればそれ選んだのに! 因みにどのカード? 動物の奴で合ってる?」
「……エアリスには教えたくないな」
「えー!? 何で!? ルゥちゃん土魔法得意なのに造形の授業取ってないから、どんな造形センス持ってるのかすっごい気になってるのに!?」
だから教えたくないの!、と叫び出したい気持ちで一杯になったルゥだったが、目を瞑っての占い前の集中を装い、エアリスの追及を交わした。
そして彼女自作の25枚組のカードを手に取り、徐に机の上に並べ始めた。
入念なシャッフルを済ませてある裏側のカードを十字形に配置。
手元の裏のカードを表に返しては配置を変え、次のカードを取り出しては特定箇所にそれを置く。カードの表側に描かれた、奇妙な姿勢と表情をした人間状の彫り物が顔を出したり伏せたりと忙しい。
真剣な面持ちで、かつ高速の手さばきでそれらの作業を進めるクラスメイトの姿に、エアリスも感心した風に顎に手を当て、占いの終わりを持った。
「エアリス、ちょっとこの中から一枚選んで」
「えーと、じゃあこれで」
「了解、じゃあ――オープン。……なるほどなるほど」
何が鳴る程なのかが分からないエアリスが、左右非対称な配置で並んだ木札の列とルゥの顔とをゆっくりと見比べる。
すると、だぼっとした装束の占い少女と目が合った。ルゥの顔が、笑みの形を作る。
「おめでとう。――今日のエアリスの運勢は最高だね。運命神の加護がそのままついているんじゃないかってくらいの最高の日」
「おおおおおーーーー!! マジですか!?」
「本当。――こっちの占いのほうも、今日初めて見る形になったんだよね。うーん、ここまで行くと運命神の加護って言うより、まるで運命神がそのまま降りてきてるような気にも……」
「運命神って、あの運命神だよね!?」
「うん、この町にもそこそこの大きさの神殿があったと思うけど……」
「あれ? これはひょっとして、今日私に春が来ちゃうとか? そんな感じ? 今までずっと独り身だった私に、温かな春の日差しが差すの?」
「……」
予想以上の喜びっぷり――と言うよりは浮かれっぷりのエアリスを他所に、ルゥの眉は人知れず下に垂れていた。
エアリスの知らないことだが、実は現在、彼女のことが気になっているという男子生徒を、ルゥは二人ほど知っていた。
遅刻常習で、図書館の禁書をそれが禁書だからという理由で持ち出してくるような謎の行動力を持ち、目の前に面白そうなものを最優先に、しかし貫くべきことはどんな障害があっても貫く気概を持つと名高い彼女は、良くも悪くも彼女達の学校では目立つ存在だった。
それでいて男女の垣根なく相手と接する性質を持つエアリスを、件の男達はほぼ同時期に好きになった。
その想いは、エアリスに露見するより先にその二人が互いに気づき合うことになった。共通の想い人を持つことを知った彼ら二人は「重要な話がある、ちょっと放課後、屋上来いや」という展開になり――何故だか、親友になったという話だ。
それからの二人は、エアリスが臨時雇用で働いているとある商店に連れだって買い物に行ったり、互いの考える理想の告白シチュエーションなどについて熱い論議を交わしたりしている。
因みにその二人のエピソードは割と最近の出来事だったのだが、既に学年の広範囲に話が広がっている。
しかし、エアリスの取り合いよりは友情を選びそうと目されている彼ら二人の片方、どちらかに興味があるという女性が少ない数ではなかったりするなど、諸々の事情でその噂話はエアリス当人には伏せられたままとなっていた。
ルゥも件の片側の少年――剣術において学年首位の成績を持つ方の少年に懸想していたりするのだが、それはまた別の話だ。
「まあ、一種類の占いだけじゃ物足りないでしょ? 他にも幾つも占いの道具だとか方式だとかはあるから――」
「えー。せっかくいい結果が出たのに更新して悪くなったら嫌だから、正直もうこれでいいかなー、なんて」
「駄目だよ。それに、ちゃんと色々な運勢や未来について知った方が良い運命を引き寄せやすくなるでしょ」
「いや~、実をいうと私、今日の学校朝から講義があるんだよね。ついでに友達も待たせちゃったりしてるから――」
そういえば自分も午後から講義があったなあ、とルゥは今更ながらに思い出した。学業より優先したい物を見つけたとはいえ、まだまだ学校で学びたいことは多い。一日、一授業たりともサボるつもりは無かった。
今日の授業は確か、魔物・魔獣の生態学。小鬼種から大入道、キマイラまで、幅広い魔物や魔獣について知識をつけられる、そこそこ人気のある講義だ。
最近は街周辺の魔獣達が妙な動きを見せているからと講師役の者達が校外に出張って調査していることが多いのだが、今日の授業は通常通り執り行われるはず――。
「……なるほどわかった。じゃあ続きは今度やろうか」
「おりょ? 随分あっさりだね」
「……」
ふと気づいた恐ろしい可能性が、今日はもうこれ以上占いをしたくないと、新米占い師に思わせていた。
回収した使用済みカードをケースに収め、立ち上がる。
「今度、別の日にまた来てくれればいいよ。最近は学校にもあまり行けてないし、何だかんだでエアリスと話すのは結構楽しい時間だから」