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第十七話:山歩きは慣れてる人と慣れていない人で体力の消費具合が全然違うと有名だ 他の大抵の運動も同様だが<小屋>

 side:紅

 あたし達が追っていた二人は、自分たちが後をつけられているなんて微塵も考えちゃいないようで、真っ直ぐ、寄り道もすることなく森の奥へ奥へと分け入っていくようだった。

 どうやら、ちょうど帰路に着くところみてえだった。


 幸運だ。


 山道の見張りをしている盗賊をずっと見張り続けるっていうシュールな光景を晒した後、アジトに戻るのを待たなきゃならないなんて可能性もあたし達にはあった。

 兄貴は恐らく見張りは交代制だろうと踏んでたが、盗賊団が手を抜いたことをしてやがった場合、一日の大半を棒に振ることだって考えられたのである。

 盗賊に勤勉さを期待するというのも、妙な話だけどな。


 因みに、このあたりに魔獣なんかは殆ど出てこねえ。

 そもそも危険な魔獣の出る場所の付近に街道なんて作らないだろうから考えてみれば当然だ。

 余計な音を立てない様、木枝の下を素早く潜り抜け、地に転がる枝や木の実を可能な限りよけながらの追跡にも、もうだいぶ慣れてきた。

 手ごろな遮蔽物を見つけてはその後ろに入り込み、片目だけ出して二人組の様子を伺う。

 このあたりの木々は殆ど背が高く、細い。

 あたしの視界を塞ぐ邪魔な低木や葉付きの枝などはほとんど存在せず、そしてそれは相手が後ろを振り仰げばこちらを発見するのも容易という事でもある。

 慎重に歩を進めなきゃいけねえってことが、今のところ大きな問題は生じていない。

 余計な焦りで心を乱したり、尾行が粗雑になったりしなけりゃ、このまま見つからずに行けるだろう。

 

 たまたま見つけた相撲取りのごとくぶくぶく太く育った木陰に身を隠し、あたし達は一息ついた。

 栄養状態を疑うようなやたらぶっとい木だったが、この世界ではそう珍しいものではないらしい。

 リーティスが言うには、「偶然、自然の魔力の通り道にでもなったんでしょう。たまにあります」ってことだった。魔力の力ってすげーな。


 やがて、奴らが小さな木造小屋の前にたどり着いた。

 その戸を叩いて、中にいる人間に存在を主張しているのが見える。

 まさかピンポンダッシュではあるまいし、彼らの目的地はあそこと見て間違いねえだろう。


 けど、あんな狭い小屋の中に、相当数いるという話だった盗賊団全員が入っているとも思えねえ。


 ――外れか?


 あの小屋が「一時休憩所」なんて代物だった場合、あたし達の目的の一つは潰える。


「どうだ、紅?」


 リーティスと一緒にあたしの背後で地べたに伏せっていたどろどろの物体が尋ねてくる。

 泥団子の化身と見まごいかねない姿をしてるが、これは紛れもなくあたしの兄貴だ。

 その横には、体育座りの姿勢でしょんぼり落ち込むリーティスの姿もある。

 二人は新鮮な泥で全身を覆われ、見事な保護色を形成していた。

 ああ、ちなみに今のあたしも同じ姿だ。

 これは先程見つけた泥だまりの脇で、兄貴が提案した偽装法だ。

 先日降った雨で地面はぐちょぐちょのどろどろだったから、確かにこれ以上ない偽装法ではあった。

 ただ、その泥だまりでちょっとだけ嫌な事件が起きた。

 事情を良く分かっていない風だったリーティスに、口頭で説明するよりも実践した方が簡単だとぬかした兄貴が、

 リーティスの頭から、掬ったばかりの生暖かい泥をぶっかけたのだ。

 突然、気持ち悪い泥まみれの姿にされたリーティスが、涙目になっていた。

 我が兄ながら、あれはひでえ。あれは泣いても許される。

 兄貴はもうちょっとデリカシーってやつを学ぶべきだと改めて思わされたぜ。

 まあ、それはさておき。


「外れっぽいな。奴ら、床面積8畳もなさそうな小せえ小屋に入って行ったぞ。あそこに盗賊団員が全員寝泊りしてるなんて思えねえ」

「ふむ……。俺も確認したいところだが、風の聴聞魔法や光の熱源探知魔法の存在を用心するなら、これ以上近づかない方が良いか。ひとまずその小屋は迂回することにしよう」


 兄貴が例に挙げたのはこの世界で一般的な危険探知魔法らしい。

 範囲の広い前者の魔法でも、無風状態なら熟練者でさえ半径50mが限界という話だから、この距離ならまず気づかれる心配はねえって寸法だ。

 そもそも魔法自体、何の用もないときに気軽に使ったり恒常的に発動できるような便利な代物じゃないしな。

 薪が無いなら魔法で炎を燃やせばいいじゃない? なんてセレブなことは言えねえんだとさ。


『よし、だいぶ暗くなってきたことだ。今日はここで一晩過ごすことにしよう』


 兄貴が提案する。

 下手に森の中で休むより、敵の拠点が見える場所の方が動きが分かりやすいって判断か? 或いは、明日の出発前に情報収集するためかもしれねえな。

 まあ、この中で最も知覚が鋭敏なあたしは起きたままずっと見張りをすることになるんだけどな。

 リーティスには、ゆっくり眠って疲れをとっておいてほしいね。

 兄貴は村を出る直前に寝てるし、全然余裕だろう。

 あたしにつきあって寝ずの番をしてくれるはずだ。


 簡単な食事を済ませた後、リーティスを眠らせることにする。


『うぅ、水浴びがしたいです』


 年若い少女に泥まみれの姿のまま眠れというのは酷だったが、リーティスは愚痴こそ口にしたものの、やがて兄貴の勧めるままおとなしく眠りについた。

 土のベッドに葉の布団ではさすがに可哀想だ。

 持ってきた断熱シートを引いてやる。

 シートに泥が付いたが、汚れた敷物にも用途はある。まだ替えのシートは他にも持ってきているし、大丈夫だろ。

 

(すみません。私なんかのためにわざわざ……)

『リーティスさんは俺達の大事な案内役ガイドだ。遠慮する必要は無い』

「そうそう、黙って甘えとけよ。町についたら、今度はあたし達がリーティスに頼ることになるんだぜ? ギブ&テイクって奴だ」


 しきりに恐縮していたリーティスも、横になってあたし達と言葉を交わしている内に睡魔に抗えなくなったのだろう。

 沈み込むように瞼が閉じ、静かな寝息が聞こえ始めた。

 安らかな夢の世界に旅立った少女の、泥と枝で傷つき、汚れてしまった茶髪をなんとは無しに見つめる。

 今まで、こんな風に危険な旅をしたことはないはずの少女だ。

 追跡作戦トレース・ワークなんてもんを当たり前のようにこなしていたあたし達のことを、どんな思いで見ていたんだろうか。

 でもそんな慣れない旅に、この女の子は自分の意思でついてくると言ってくれたんだよな。

 案外、あたし達なんかよりよっぽど心の芯はしっかりしているのかもしれない。


 なにせ、兄貴を泣かしたぐらいだしな。


 二年前、あたしがリーティスの年だった時は、どんな感じだったっけ?

 まだ兄貴と「再会」する前か?ASPで訓練する日々だったのは覚えているが、具体的に自分がどのような少女だったかはおぼろげにしか思い出せなかった。



(べに)


 ふと、兄貴があたしの名前を呼んだ。


「なんだよ、兄貴」


 声の聞こえた方を振り返ったが、当の兄貴はそもそもこちらに顔を向けていなかった。

 もう日は沈んでいる。

 視界は暗闇に閉ざされ、あたしの姿も兄貴の姿も、忍び寄ってきた闇の色に溶け込んでしまっているだろう。

 とはいえ、兄貴ならあたしの居る位置の推定くらい、片手間でこなせるはずだった。

 なんで、あたしのいる方を見ていないんだろうか。


「すまん、何でもない。呼んだだけだ」

 

 あたしの問いに、兄貴のどこか恥ずかしそうな回答が返ってきた。

 兄貴らしくない言葉だ。

 いったいどうしたっていうんだ?

 首を横に振る兄貴を眺めながら、その真意を量る。


 もしかすると、兄貴も何かを思い出していたのかもしれない。

 そして、何かの思いに、とらわれていたのかもしれない。

 それで、あたしの存在を、確かめたくなったのかもしれない。


 あたしは、いつもなら見るだけで心情を察することができる兄貴の顔を隠す暗闇のことを久しぶりに疎ましく思った。


 闇はいつも自分の味方だった。

 常人より可視光の範囲を拡大できるあたしは、暗闇での戦闘では有利にことを運べたし、闇はいつもあたしの顔をその内側の心情ごと覆い隠してくれた。

 日中はずっとあの「白くて広い教室」にいなくちゃいけなかったから、夜になって「みんな」と会えるのが待ち遠しかった。


 兄貴と手を繋いで町を歩いていたあの頃の夜の思い出は――

 

「そういえば、紅」


 あたしの回想は兄貴の不躾な呼びかけで中断させられた。

 唐突な声掛けに、少しどきりとさせられる。


「何だ?兄貴」


 平静を装って答える。

 兄貴は一拍置いてから、少しためらいがちに質問してきた。


「……一つ聞いておきたかったことがあるんだ。紅、お前は、日本に帰りたいと思うか?」


 思わず息を飲んだ。

 なんて質問してきやがる。


「まるであたしが帰りたくないみたいな言い草じゃねえか」

「違うのか?」


 冗談言うなよ、とばかりに笑い飛ばそうとしたが、兄貴の真剣な問いかけの前に言葉が詰まった。


「俺には色々と責任がある。いつか必ず日本に戻らなくてはならない。だが、お前は違う。こちらでの生活が良いと思うなら、こっちで暮らすのも手だと思うぞ」

「何言ってやがんだよ。兄貴がいなけりゃ、あたしこっちの言葉なんて」

「リーティスが居るだろう」


 兄貴の言うとおりだった。

 確かに、リーティスが一緒にいてくれるなら言葉の問題は半分解決するし、ココロ村ならたとえあたしが言葉を話せなくたって温かく迎えてくれるに違いない。

 或いは、頼る縁の殆どない地球での暮らししより、こちらの方が――

 黙りこくってしまったあたしに、兄貴が言葉を続ける。


「まあ、何もかも俺達が帰る手段を見つけてからの話だ。ゆっくり考えれば良い」


 兄貴は、顔をくるりと反転させ、会話を打ち切ってしまった。

 自分が振ってきた議論を打ち切った兄につっかかりそうになったが、同時に、どこかほっとしている自分がいた。

 あたしも兄貴が顔を向けた方角に視線を向けて見た。

 夜の森、姿の見えない虫たちの鳴く音がハーモニーを奏でている。

 綺麗な音色だ。

 初めて聞く音であるはずなのになぜか懐かしさを感じさせる虫たちの合唱。

 目を閉じ、しばし気持ちを傾けて鑑賞させてもらうことにした。

 不思議な満足感が、胸中を満たす。


 あたしはこちらで生活した場合のデメリットについて考えてみた。


 こっちには文明の利器がねえ。

 リーティスの家で過ごした暑い夜に、何度エアコンがあればと思ったか。


 昔からの知り合いや親族もいねえ。

 あのバカな父親の顔は正直もう見たくもないが、母親にはせめてもう一度会ってお話がしたい。

 あの優しい母親ならきっと今のあたしでも受け入れてくれるだろう。

 もう会えないというのは、さすがに嫌だ。


 そしておそらく、――兄貴も、いなくなる。


 ……駄目だな、まだ選べねえや。


 (かぶり)を振る。

 そもそも自分はこの世界に関する情報も対して知っちゃいないのだ。まだ選択のための材料が十分でない。

 その思考が選択を先延ばすための卑怯なものだということは分かっていたが、このことについて考えるのはもっと先のことにしたい。


 そんなことを考えていた時、


 突然、あたしの背後で眠っていたリーティスが、布団替わりのシートを吹き飛ばしながら、猛烈な勢いで体を起こした。


『た、大変です、カオルさん、ベニさん!』


 どうしたんだ? 寝ぼけてやがんのか?

 

 訝しむあたしの前で、焦った風に腕をグルグルと回す神官少女が、勢い込んで言葉を続けた。


『今、あそこの小屋の中に私の友達がいるんです。お願いします。助けてあげてください!』


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