第百六十七話:<望まぬ終わり方>
「は? “彼”って誰よ?」
「俺も名前は知らん。……来るみたいだぞ」
意味深な言葉と共に上を見上げた薫の視線の先に、変化があった。
つられるように教室の天井を見たユーノの目の前で、石造りの頑丈な天井が、内側からはじけ飛ぶように爆散した。
「ちょっ! ――何事!?」
「随分とまあ、派手なご登場だ」
「……貴様か、人間! 俺をこの場に呼んだのは!?」
この学校の学生たちが足繁く通う駄弁り場こと、二階自由教室を丸ごと貫いて空からやってきた男が、足からの着地も待たぬ内ににぐるりと太い首を回し、薫に向けて忌々しげな顔を見せつけてきた。
やたらと強面でがっしりとした体格を持つ男だった。
手には棍棒のような杖を携え、ローブ状の長着物を脱げば、筋肉の盛り上がった肢体がその内に眠っていることを確認できるだろう。
教室の床に着地したと同時に、幾つもの勉強机と椅子を修理不能の粗大ごみに追いやったその男の正体は、その背後に浮かぶ男児姿の風精霊、その横で宙に正座する、女児姿の風精霊、そしてその男の顔の両脇に突き出している長耳を見れば察せられる。
「――エルフの人? ひょっとして、さっきまで街の上から魔法障壁に向けてガンガン火の玉をぶつけてた、張本人さん、かなー?」
すぐさま正体に思い至ったユーノが恐る恐るといった具合に尋ねかけるが、男は「同盟先の下っ端戦闘員」のことなど眼中になかった。
ギリギリと歯ぎしりの音さえ聞こえてきそうなほど強く口を噛みしめ、薫のことを野獣の眼で睨みつけている。
「その様子だと、『外の光景をその目で確認して』、かつ『俺の知らせを受け取って』かつ、『俺の合図に気が付いた』ようだな」
「ああ!? 外の光景ってのは、山を滑って移動中のこの町を待ち構えてた大軍勢のことか!? お前の知らせっていうのは、この桃色風妖精が教えてくれた戦争はもう終わりって言葉か!? お前の合図ってのは、古代連絡信号のことか!?」
「ああ、全部その通りだ」
エルフの大男の言う古代連絡信号とは、規則的パターンを持つ信号の送信で遠距離と通話をするべく作られた、この世界の古代の技術である。光信号のパターンで織りなすモールス信号の親戚だと考えると分かりやすいか。
薫が古都で学んだ、珍しく役に立った技術の一つ。
薫は、彼らが味方識別に使っている『識別信号』の発信を、神聖魔法による魔力操作で意図的に途切れさせたり強調させたりことでパターンを構築し、ピンポイントで彼を呼びつける「信号」を空の彼に向けて送ってみたのだが、きちんと受け取ってくれたらしい。
ユムナが送った風精霊の使いの連絡も合わせ、やたらと興奮気味――というより、どこかお怒り気味なエルフの男は今の街を取り巻く状況を、かなりのレベルで把握しているはずだ。
「……ふん。俺を呼んだのは一体何故なんだ? お前達……『反逆者』だったか?――の計画が失敗に終わったらしいということは既に承知している。外で待ち構えてるあの謎の軍団と一戦交えるのも御免だ。今はまだ、我々エルフの真の里に無駄な注目や反感を集める訳にはいかんのだよ。くそっ! 何もかも我らの情報を町側に流した裏切者のせいだ!」
――む? この男、俺が「竜崎薫」であると――いや、そもそも、俺がその「反逆者」の組織の所属員でないことや、つい先ほどまでこの男にとっての敵側に居たことすら知らないのか? ユムナの風精霊は、いったいどういう情報伝達の仕方をしたんだ?
男の反応は薫にとって少々予想外のものだったが、話がややこしくならないのはこの場合、好ましい。
――単にこの男が人の顔を覚えるのが苦手なだけかもしれないが。
それに、そのようなことはどうでも良い。
大事なのは、そこではない。
「その裏切り者なら、『外で待ち構えている陣営の中に』いるかもしれない。それより、お前をここに呼んだのは、一つ、頼みたいことが――」
「仮にも同盟を組んだ身なんだ。義理は果たさせてもらうさ。が、俺達が今、何よりも俺達の里を最優先するということは、お前達もまた、作戦決定前に了承済みのはず。今回はこれにて引き上げさせてもらう。――俺とて、あと少しであの結界を自力で破れた――などという状況で引き上げるのは非常に悔しいが、仕方ない。お前達の作戦が失敗した以上、町への破壊も無しなのだろう? ただし、この町に居る同胞――エルフは全て勝手に回収させてもらうからな。安心しろ。なるべく手柔らかに、だがついでにこの町の戦力を削ってお前達が逃げ出しやすくなる程度には暴れといてやる。俺の正体は隠しつつな」
言い残し、エルフの大男は大穴の空いた天井を通って飛翔して行った。
特徴的な長耳を隠す――麦わら帽子を装着し、いずこかへと去って行ったのだ。
彼の背を掴む男児型の風精霊が「マタネ~!」などと小さく言い残して行ったのが印象的だ。
嵐のようにやってきて、嵐のように去って行ったエルフの男。
それを前にして薫が思ったことは一つ。
――結局、俺の願い事を聞いて貰っていないんだが……。
思いのほか長引いた『魔法障壁構築』と、それによって起きてしまった「殺し合い」のこと。
予想外の流れを迎え、反神陣営――「反逆者」の懐に潜り込むことになってしまったこと。
大きなものとしては本日三度目となる、薫の青写真通りにならなかった現実の問題は、クロエとは別の意味でコミュニケーション能力のないエルフの男のせいで生じる羽目になった。
「……そこの風精霊、良い仕事ありがとう。主人の下に帰って伝えてくれ。余計な被害拡大を防ぐために、捕虜エルフは大人しく差し出すよう、行政府に訴えろと。それと、早くこの学校に来てくれ、とも」
「リョ―カーイ!」
仕方なしに今できる限りの対処を伝え終えた薫は、桃色の風精霊が飛び立ったのを見届けると、つい先ほどからまったく、一言も言葉を発さない置物となったユーノの方に向き直った。
「聞いていたな? 実際に外を見ていた奴の言葉なら信じざるを得ないだろう。――お前達、『反逆者』は、もうこれ以上この町に手出しできない。手出しする理由も、戦力も、全て失った」
「……」
「だが、街側に投降しろなんて言わない。俺自身、お前達にそうされて貰っては困る。まあ、まずは俺と一緒に、神の使徒と話をしてみてくれ」
今は、それしか言えなかった。




