第百六十六話:<強制終戦>
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「――は?」
「と、いう訳だ。よろしく頼む」
「待って待って。……えー? どゆこと、クロエちゃん?」
「……連れて来ちゃ、駄目だった?」
「いや、そんな野良猫か何かみたいにさー……。駄目って言うかなんて言うか、……」
場所は、クロエの仲間だという少女が隠れていたとある大建造物の中――学校の一教室。
学び舎の教卓に腰を掛けた仮面の少女が、高い位置から胡散臭げな目線でジロジロと薫の全身を検分して来る。
――クロエより懐柔が手ごわそうだ。
それが、初対面の白仮面少女に対する、薫の最初の印象だった。
クロエは何か勘違いしているようだが、彼女達の組織にとっての「薫」の重要性は「竜=紅」に対しての何かしらの有効な手段である、という以上ものでないだろうと、薫は分析していた。
彼女達の所属する組織が薫の存在を求めているのだということは、クロエのような末端の者まで彼の情報が伝わってしまっている状況を見るに、間違いない。
しかし、「彼らが既に存在を補足しているはずの」彼が、組織の敵――神側の人間と行動を共にしているのを確認した程度で、あっさりその身柄の確保を諦めている様子から、少なくとも神側とことを構える危険を冒してでも手に入れたいと思う程には重要度を高く設定していないのだろう。
そして、組織末端の戦闘員が知っている情報は、竜崎薫という男が、「自分たちの希望=竜」を手にするための手段か、あるいは味方につける手段かもわからないものの、とにかく自分たちの戦いが有利に進むらしい、といった漠然としたもの。
そこには、様々な解釈が生まれる余地がある。
クロエのような素直な戦闘員は、「竜崎薫」を「これまでは敵にいたけど、味方に付いてくれれば、自分たちの救世主になってくれるかも?」といった期待を。
もう少しひねくれた――恐らくは目の前の仮面少女のような戦闘員は、「竜崎薫」を「人質なり竜を操る魔法構築の材料なりで使用する素体なのではないか?」と分析し、そういった目を向けるわけだ。
仮面の奥の両目で、薫の全身を穴の空くほど執拗に観察している目の前の少女は、そのように扱われかねない存在が、何故好き好んで自分の足でこのような場所に来たのか、量りかねているのだろう。
「そう身構えないでくれ。俺が今ここにいるのは、神に対して疑念を抱いているからだ。――いきなりお前達の仲間にしてくれとは言えないが、せめて少しは信用してくれないか? クロエがそうしてる程度には」
「――クロエちゃんは良い子だけどさー、対人折衝能力が壊滅的なその子の人を見る目をどこまで信用していいかってなると、また別の問題なんだよねー」
「!? ……酷い、ユーノ……」
ユーノと呼ばれた仮面少女が、クロエに向けてにいきなり「お前の能力信用してません」宣言をかました。
驚いた風に抗議の声を上げたクロエが、薫のジャケットの裾を引っ張り、両手を振り上げながら、酷く傷ついていますアピールをする。
が、別にユーノは本気で「クロエを貶している」訳ではないらしい。机を飛び下り、いじけたクロエの頭を撫でつつ「まあまあ」とあやす姿を見れば、それは分かる。
単に、クロエが連れてきた「要注意人物」に対する牽制のつもりなのだろう。
「あ、クロエちゃん。エア――あの子は今、この奥の部屋に居るよー。まだちょっと色々気持ちの整理がついて無いみたいでさー、……あたしの言葉は届かないみたいだけど、クロエちゃんの言葉なら届くかなーって、思ってたとこ。……ちょっと、会ってきてあげてくれない?」
「…………ん、分かった」
流石のクロエも、ユーノの意図するところは伝わったらしい。
言葉の字面通りのお願いの裏に、もう一つ別のお願いを隠している。
即ち、しばらく竜崎薫と話をさせてくれ、と。
クロエは心配そうに薫、ユーノの顔を見回した後、教室の床をとてちとと音を立てて駆け去り、隣の教材準備室へと向かった。
小さな扉がぱたんと閉じる音が100人は入りそうな大き目の教室に響く。
この建物の外で、「不審者狩り」が行われていて、さらにその外では、この町の仮初の平和を破らんと奮迅する謎の魔法使いが盛大に爆発を齎していることなど、全く感じさせない。
学校に通っていた時間が多いとは言えない薫も、本来人の熱気であふれているはずの教室の静けさの異常性やその独特の寂しさを肌で感じ取ることができた。
この国では珍しい、宗教色の薄い機能的な教室のデザインがどこか日本のそれを思い出させたことも一因だろう。
気なしか、今ひとたびの静寂が訪れた教室を前に、仮面の少女も小さくため息を吐いたように思える。
「……それで、あんたの目的は? ――や、その前に聞いとこっか。あんた、『どっち側』?」
「さっき言ったと思うが?」
「あたし、クロエちゃんほど素直に人を信じられるような人間じゃないんだよねー。……あと、あんたがどっち側だとしてもあたしの態度は変わんないよー? ……もし仮にあんたが本気で神の側を裏切っていたとして、それはそれであたしにとってあんたが信用できない人間であるって証拠になるだけだから」
教卓に両肘をついて仮面の両頬を両の手で覆い、一見すれば緊張感のまるで無い体勢から、緊張感と警戒心に溢れた言葉を薫に向けるユーノ。
懐柔されたクロエを他所にやり、あくまで己の目で薫のことを見極めるつもりなのか。
その視線が一瞬、薫の胸に揺れる赤色の輝き――首飾り状にした『転移の指輪』を捕えたことを、薫は見逃さなかった。
この指輪のことを、彼女は知っているらしい。
「……そういえば、クロエが言っていたな。お前がクロエ達に紅――俺の妹とその連れを襲わせた時、決して誰にも余計な傷を負わせるなと指示したと。竜を宿す紅の機嫌を損ねるのに配慮した、と言うだけじゃないんじゃないか? それと、お前とクロエがこの町で再開するまで、お前は侯爵領までとある一人の少女の護衛を志願して――」
「そこまで分かってるなら、言う必要ないよねー? 世間って狭いもんなんだってあの時も、ついでに今この瞬間も、全力で実感させられてるよー、まったく」
自嘲気味の笑みを浮かべながら、薫の四角となる教卓の向こうで剥きだしの剣を背に隠すように構えているユーノ。
彼女は恐らくは薫の友人たるリーティスかアリス、或いはその両方と何らかの縁を結んでいたのだろう。
そして、幼い時からずっと神を信仰し続けていたリーティスという少女と薫の間に、それなり以上の絆が結ばれていたことをも、知っているに違いない。
――なるほど、もし俺が本気で「神を裏切った」のなら、「リーティスさんを裏切るのに躊躇を抱かない男」という評価になる訳か。たしかにそんな男に信頼がおけない、か。
「……リーティスさんと、アリスは無事か?」
「――たぶん、ね。あたしは、そう思う」
「――?」
どういう意味だ? こいつはクロエが気絶し、竜が飛び去った後もその場にいて、全てを見届けたんじゃないのか?
薫が疑問を口にする前に、ユーノがさっさとその言葉の意味を告げた。
「アリスはあたしがこの手で領まで送り届けたから安全は保障できるけど、リーティスは、ベニが――というより、ベニの体で目覚めた竜が連れてったんだよね」
薫は、自分の心臓が跳ねる音を聞いた。
つい数刻前までの彼なら、ここで取り乱し、非効率的な行動・方針を選んでいただろう――たとえば、今はとりあえず穏やかな対話の姿勢を見せているユーノに食って掛かり、「尋問」を開始していたりであるだとか。
けれど、今の薫は、自分自身を律することができる。
最も、やはり動揺を一切顔に浮かべずという訳にはいかなかったが。
「ひひっ、酷い顔。……あんたは今、どっちの女の子のことを心配したのかなー?」
「……両方だ。ところで聞かせてくれ。竜に侵食された紅は、無事なのか?」
「――どこが両方だ嘘つきヤロー。……あたしが調べた限りだと、無事な可能性は無い。ただ、そう考えると色々と説明のつかない――ってか、なんであたし、あんたにわざわざこんな説明してやってんのさ。あー、もう。やり直しやり直し」
思いがけず手に入った情報に、薫は笑みを浮かべそうになったが、表情筋操作で無理やりに相殺した。
紅が無事である可能性は、まだ十分にある。
そして、「妹が死んだことを神側の者達に隠され続け、利用されてきた者」としての仮面を被り続けるべく、ぼろが出ない内に、無理矢理話題を変えることにする。
ユーノから話しを聞ける機会は、これから、まだいくらでもあるのだから。
「ああ、お前が聞きたいことは俺の目的だったな。単刀直入に言おう。俺に協力しろ。そうすれば、お前達をこの町から逃がしてやる」
「……あー、はいはい。あんたは、あたし達の敵。んで、クロエちゃんをだまくらかしてここまで来てるって感じ?」
「いや、違う」
違うか違わないかは実のところまだ決まっていないのだが、ここは否定しなければならない。
剣呑な空気を漂わせ出したユーノに向けて、はっきりと首を横に振った。
「お前達の作戦はすでに詰んでいる。この戦争――一歩手前の馬鹿な戦いは、お前達の求める他の街への示威と『しばらくの膠着期間』をお前達に齎すことなく、終結する。そして、お前たちは敵だらけのこの町で孤立することになる――他ならぬ、俺自身が考案に一役買った作戦だ。間違いはない」
「――脅しは効かないよー? 今回のあたし達の主戦力が、エルフだけじゃないことくらい分か――」
「分かっているさ。エルフ達とお前達の目的が厳密には違うことくらい。だからエルフ達には彼らの目的を達成させることで、この町を襲う理由を無くしてやった。まあ、今この町を攻撃しているエルフは、お前達との義理で戦っているようだがな。だから、お前達の目的を絶対に達成させるために、他の者達がこれから動き始めるのだろう」
「それが分かってるなら――」
「だが、もう遅い。お前達がこの町で戦いを続ける理由を全て潰す準備は整っている」
畳みかけるようにユーノの言に言葉をかぶせていく薫。
その薫の視線はユーノを外れ、街の門の彼方――現在とある地点へと移動中の町を待ち構えているはずの存在を見通すべく、教室の外に向けられていた。
「既に、お前達の存在に抗する勢力として、他の街の軍が動き出している。今更この町を全力で滅ぼしにかかったところで、彼らが止まることは無いぞ?」
「――嘘だねー。今日この日、電撃的にこの町を滅ぼすべく、組織は動いていたんだし。情報漏えいには組織も気を遣ってたから、この町に待機させられてたあたし達が作戦を知ったのもつい最近の――」
ユーノはあくまで薫の言葉を否定する。
組織への信頼――はそこまで置いてはいないものの、先ほど顔を合わせたばかりの「敵」の言葉を丸のまま飲み込むのは一層愚かな行為だと考えているから。
そして、もし万が一薫の言葉が真実なら、この町の戦いで彼女がしたことすべてが、無駄な営みとなることを心のどこかで恐れていたから、だったのかもしれない。
「なら、聞いてみるといい。そろそろこちらにやって来る“彼”なら、その目で見た真実を伝えてくれるはずだ」




