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異世界を征く兄妹 ―異能力者は竜と対峙する―  作者: 四方
第七章:巨大学術都市
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第百六十五話:<自分とは>

「……落ち着いた?」

「ああ。すまなかったな、取り乱して。……もう大丈夫だ。今の俺なら、な。だから教えてくれ、クロエ。紅――俺の妹のことについて、君が見たものを、全て」


 今ならきっと、心を乱さず、最後まで聞くことができるから。

 

「……ん」


 分かった、と言外に告げると、クロエは薫の求めに応じて語り出した。

 彼女が、兄と共に「アリス」という少女の捜索をしていた時の話だ。

依頼主であるヴェルティ伯爵の指示の下、幾つもの街を転々とし、家出少女のたっまさくの度を続けている中、彼女達はオルスクラブの街という場所に行くことになった。

 暗く涼しい地下洞窟で蝙蝠や鼠、湖底魚たちと戯れる機会に恵まれ、数日の間、クロエとしては満ち足りた生活を送ることができたという。

 妹の代わりに街に出て捜索任務を果たしていた彼女の兄は、寝床としていた洞窟の位置空間に戻ってくるたび、悠々自適な洞窟ライフを満喫中のクロエのことを窘めたそうだ。

 しかし、旅人向けの娼館が多いことで有名なオルスクラブの町で「夜遅くまで帰ってこない」兄へのあてつけの意も含め、クロエはそんな兄の言う事はつれなくあしらっていたのだという。

 その兄とやらについてやたら辛辣だったり憎々しがだったりといった具合に告げるのは、内弁慶という奴なのだろう。気分屋な兄について愚痴るクロエは、ふんすと頬を膨らませながらも、実に楽しそうだと薫は思った。


 地底の蝙蝠達と並んで鍾乳洞にぶら下がるクロエの生活はしかし、唐突に終わりを迎えた。

 彼女の仲間――その時点では単なる同僚であるユーノという少女から、捜索対象である「アリス」の発見と、その確保への協力要請が入ったことによって。

 兄お手製のお握りを頬張りながらの作戦会議で、兄を囮とした背後からの奇襲役という仕事がクロエに与えられることになった。

 この街にとどまるのも最後だろうからと、日中から人の多い街中を兄に手を引かれてその日一日連れまわされて疲れていたクロエは、兄の黒翼にくるまりながら、不承不承といった風に頷いてその役目を了承する。

 

 そして、運命の日がやって来た。

 待機場所である洞窟天井付近に身を隠して気配を殺していたクロエの下に、三人の少女が現れた。

 その一人は話に聞いていた目標――足元のぬかるむ暗い洞窟を、怯える様子もなく胸を張ってきびきびと歩く金髪の「アリス」と、その反対側で恐る恐る足元を確かめながら歩いてくる、カンテラを手にした少女、そして最後に、その二人の手を取って戦闘を歩いてきた少女がもう一人。

 その時のクロエにとっては単なる正体不明の女――口元を引き締めて油断なく辺りを見回している、頭上のカチューシャが特徴の、黒い短髪の少女だった。


 クロエは最初に、明かりを抱えていた少女に噛みつき、昏倒させた。

 隠密の得意なクロエはそのまま他の二人も纏めて始末するつもりだったのだが、獣のごとき瞬発力で即座に反撃してきた黒髪少女の攻撃を受け、中断する羽目になってしまう。

 しかし、兄の魔法で視界は暗闇に閉ざされ、明かりの無い環境下で一方的な知覚能力を持つクロエ達二人に対抗できる者など、そうそういない。

 瞬く間に「アリス」も昏倒させ、残す一人も洞窟の壁を背にして絶体絶命という状況まで追い込む。


 「……そこで、私達は初めて見た。……生まれて初めて、本物の――竜に」


 告げたクロエは、ぎゅっと目を瞑った。

 そして、あの時の光景――恐ろしい暴力の体現者の降臨を瞼の裏に思い出す。


 クロエ達が追い詰めた黒髪の少女は、酷く動揺している風だった。

 両脇に抱えた少女達を手放すこともせず、どこにいるかも分からないクロエ達を求めて、太陽光の届かない洞窟内を見通そうと必死に目を凝らす。

 もし彼女が万全の精神状態だったのなら、クロエ達も手を出すことのできない膠着状態が訪れていたかもしれない。

 けれど、人二人を庇いながらという、さしもの紅も慣れない戦いだ。動揺と焦りがわずかな警戒心の間隙を産み、そこにクロエが滑り込んだ。

 クロエの攻撃を受けた少女が、力を失ってクロエの腕の中に収まった。

きっちりと首筋に噛みつき、ついでに血まで嚥下しつつ、クロエはようやく終わった戦闘にほっと一息を吐いていた時に、――彼女の腕の中で、竜は目覚めた。


「そこで紅が、飲み込まれた……? 乗っ取、られた――?」

「……大丈夫? また、その……」

「――大丈夫だ。問題ない。正直、『さっきまでの俺』だったら今の話を聞いた時点で思考が乱れ飛び、またお前に襲い掛かっていたかもしれないが――いや、襲い掛からないぞ? そんな怯えた顔はしないでくれ」

「――? ……別に、怯えてない。でも、そう……。良かった。話、続けて良い?」

「頼む」


 異常な気配を感じ取って思わず突き放した少女の体から、眩い赤色の光が立ち上がり、クロエ達兄妹の視界を埋め尽くした。

 それは、少女の背から生え、力強く羽ばたく赤色の双翼だった。

 死を超越したとされる幻の魔物、不死鳥フェネクスを思わせる、鮮血より光沢があり、太陽のように眩い美しい赤の翼を生やした少女がゆっくりと身を起こした。

 体を起こした少女の目はうつろで、その体はやがて翼を包むものと同じ赤い光で覆われはじめ、鱗状の新たな皮膚がその身に形成されていく。

 頭上には象牙のような突起物が形成されて威容を現し、未だ装着されていたカチューシャと合わせて、少女の頭を飾る王冠のようだった。

 少女の急激な「変身」に驚く間もなく、クロエ達にむけ、翼の一撃鋭く振りぬかれた。

 目を爛々と光らせ、次から次へと攻撃を繰り出してくるその獣のごとき少女によってクロエ達が打ち倒されるまでに、大した時間はかからなかった。


「……結局、私達兄妹は暴走した竜――貴方の妹に、あっという間に叩きのめされた。後のことは駆け付けた他の仲間に聞いてる。その人が、私達がずっと探してた、本物の竜だったってこと。……私も、詳しいことは知らないけど、その竜が宿った人の元の人格なんかは、たぶん――」

「そう、か。ありがとう、教えてくれて――」


 それ以外にも、細々とした質問を繰り返し、薫は知りたい情報を補完して行った。

 話を聞き終えた薫は、自身にとっての衝撃の事実の数々を受け止め、深くうなだれた。

 アリスの件、リーティスの件、危害は加えていないということだが、心配には変わりない。

 アリスの届け先であるヴェルティ伯爵がまさか反神組織の人間だったなんて思いもよらなかった。

 けれど何より、改めて「自分にとって何よりも重要で」、「自分にとっての全てだった」と再認識し直した紅が――失われてしまったらしいという事を受け止め、心がどんどん重くなっていくのを感じていた。

 気づくと、床上で正座していた薫の膝元に、何かがぽたぽたと落ち始めていた。


「――泣いてる、の?」

「……ああ。俺はどうやら、失敗をしてしまったらしいからな。ユムナに……神の使いに、言われてたんだ。まだあいつは――俺の妹は大丈夫だって。まだ、訳の分からないもの――いや、竜に侵食された身から助け出すことは可能だって。……何で信じてしまったんだ、俺は。いや、或いはこれがあいつの言っていたことだったのか? あいつの言っていた、『俺に対して吐いている一つだけの嘘』だったとでも言うつもりなのか? ――いや、責めるべきはそこじゃない。俺は、俺は――!」


 何時だったか薫の上司、夢道が求めていたものが何だったのか、今の薫には分かる。

 その答えが今、薫の心中にて、夢道の声で再生された。


 ――お前はさっさと「妹離れ」をすべきだったんだ。お前が、お前達の生まれた小さな村で一生を過ごし、そこで家族を作って、骨を埋めてくってことなら、一生妹と互いに依存し合ってようが、価値観の全てがそこに集約されていようが誰からも文句はでねえ。だが、人は時に、環境によって生き方を変える必要がある。”正義は一つじゃない”なんて言葉があるようにな。多くの人と触れ合う上で、『揺らがぬ絶対の依存対象』を確立してる奴、特にそのことに自分で気づいてねえ奴は、他の人間に対しても、そして何より、『その依存対象』に対しても、本当にそいつが一番するべきことが何か、見えづらくなっちまう


 この世界に来て、薫は初めて――自分が所謂”シスコン”であると自覚した。

 きっかけはユムナとの軽いやり取りか何かだったと思うが、逆に言えば、それまではそのことすら自覚していなかった。

 「家族を大事にするのは当然」だから、という「言い訳」が心にあったのだと思う。


 ――はっ。お前が妹のために何かをしたいと思うのは、『妹だから』が理由じゃない。「お前が、そいつのことを好きだから」だ。兄としても、たぶん人としても――男として、は違うか。――ま、お前は、だからこそ妹のためにここまでしてんだよ。……こう言うと、いかにも何か綺麗な恋愛感情っぽい感じだが、俺にいわせりゃ、もっと質の悪い何かだな。盲目的な愛情からストーカーになる奴がいるように、お前のその感情も、一歩間違えれば周りを巻き込む災厄の引き金になりかねんものだ。……お前の性格的に、可能な限りそうならない様立ち振る舞うだろうから、尚更周りが気づきにくいだろうがな。


 自分が「紅の優先順位」を高く設定しているのは分かっているつもりだった。

 けれど、自分のその優先順位のつけ方を、きちんと理解していなかった。

 幼い頃からずっと一緒で、他の誰よりも多くの時を過ごして、他の誰よりも互いのことを分かり合っていると思っていた相手を、どれだけ強く大切に思っていたかを計測しきれていなかった。

 家を出る前に並んで食べる彼女作の朝食が、どれだけ自分にとって温かいものだったのか。

 家に帰ってきた時に「おかえりなさい」の言葉と共に向けられる彼女の笑顔がどれだけ自分を支えていたのか。

 偶に登校する学校でクラスメイト達との会話に勤しみつつ、元気に校庭を駆けている彼女の姿を窓越しに見て、どれだけ自分が日常での安心感を得ていたか。

 いつの間にか、彼女無しでの「自分」というものを考えられないほどに深く彼女に依存していたことを、愚かにも気づいていなかった。

 

 ――お前がまだ「子供」だっつったのはそういうとこだよ。ガキの時から大人に囲まれて過ごしてるのはまあいいとして、お前自身の心の拠り所を妹にしか置かず、せっかくの同年代と触れ合える場である学校も「仕事の合間に、なんとか時間を見つけて」、「上手く溶け込めるよう頑張る」、そんなやり方じゃ、お前「だけ」の価値観なんざ創出できないさ。「人間」や「男」になる前に「組織人」になっちまいやがって……ルートが逆なんだよ。付け足すとするなら、「兄」もだが、そいつも「組織に依存する組織人」みたく、「妹あってこその兄」だ、大して変わらん。……もう一段階上の「兄」になりたきゃ、もっと自分で動ける存在になってみろ。行動原理まで他人に預けるのは卒業して、その上で「妹」を守れるようになるんだ。


 そう。

 それに気づいたから、薫は改めて自分の行動を振り返る。

 そして、自分がこれからすべきことを見出した。


 ――覚えとけよ。今の自分がキャパオーバーだって思う時、優先順位の高い物事を過剰評価してるってことが多々ある。それだけその重要性を分かっているってことでもあるんだが――より多くの仕事をこなせる有能な人材ってのはな、そこで満足してちゃいけないんだよ。俺の持論だ。


 クロエの前で頭を抱え、「神に対する不信」を延々と言葉にし続けながら、薫は彼女に見えない位置で、そっと微笑んだ。

 涙は既に止まっている。

 それが見えないクロエは、わたわたと慌てて薫に呼びかける。


「……待って! その、神を擁護する気はないけど、貴方は、私の友達にも話を聞くべき。……私が見届けられなかったその後の戦いのこととか、もっと詳しい話とか――きっと知ってる! まだ、その……貴方の妹を助ける方法とか、残ってるかも、しれない」

「――ああ。頼む、俺を連れて行ってくれ……」


 『力無く』呟いた薫を、今度はクロエが横から支える。

 本当にこの少女は良い子だな、と思わず薫は呟きそうになった。

 その心に焦りや戸惑いは無く、随分と余裕がある。

 そんな薫の心中では、わずかに残された妹を助ける手段に必死の願いを託すようなことはしていなかった。

 竜に関する理論についてクロエが詳しく知らなかった以上、紅の存在が完全に消滅したという確たる証拠は提示されていない。

 竜が逃亡したというイレギュラーな事情に関して、それを説明する論拠に紅の存在が絡んでいないとも言い切れない。

 また、ユムナが本気で薫のことを騙していたとも思い難い。

 外面上はクロエの印象論を信じた風に振舞っているが、内面ではそのように思考を巡らせていた。冷静に考えればまだ紅を救うチャンスは残されていると思って良い――大半が楽観論ではあるが、可能性は可能性だ。

 この確認は第一優先事項である以上、最後の最後まで予断は持たず――自分の目で真実を知るべきである。

 そして、第二事項。第三事項。仲間達の行方、安否、そして――この世界における二大勢力の戦いについて。

 

 ――今の俺なら、きっと並行してやってのけられる。リーティスさんに語った「覚悟」だけでなく、「理屈」としても、そう言い切れる。それを示して見せる。だからまずは、こうさせてもらうぞ?


「……ん? 何か、言った?」

「――いや? ――悪かったな。自分で立てる。それと、――『これから俺はお前達に味方する』。案内を頼めるか? お前の、仲間達の下に」


 


 9/20

 すいません、風邪でぶっ倒れてしまいました……

 21日、頭が働く程度に回復していれば昨日の書きかけの分込みで新話を更新します。

 その代わりと言っては何ですが、19日付けで本作一話・二話を加筆修正しております。

 内容に変更がある訳ではありませんが、「主人公達の描写が薄い、兄妹の差別化ができてないように思う」といった声に応えられるよう修正を施したつもりです。

 長丁場になった七章の振り返りの意味でも、一度見返して頂けると嬉しく思います。

 それでは。

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