第十六話:犬の嗅覚を初めて目の当たりにした人間は、魔法か何かと勘違いしたかもしれない<追跡>
第二章に入ります。
この章内で異世界モノの最初に出てくるようなテンプレはだいたい出揃う予定です。
side:薫
ASP非戦闘員時代、あの時冗談半分で企画したサバイバル実習がこれほどまでに役立つ日が来るとは思いもしなかった。
不思議な感慨に包まれつつ、俺は眼を鋭くして地に伏せっている紅へと視線を落とした。
「敵は2人。顔面をすっぽり覆った兜で顔の確認はできねえな」
俺達は今、伸び放題に繁った木の一つ、その陰に隠れて息を殺している。
前方数百メートル先の木々、その陰にチラチラと覗いている完全武装の者達に気づかれないようにするためだ。
ようは、かくれんぼの最中という訳だ。
「こちらに気づいている様子は?」
「無えな。歩む足取りに変化無し、どこかと通信中という様子も無し、ついでにテキトー感溢れる視線の動かし方からいって、両方とも錬度もやる気も低そうに思えるぜ」
(~~~~~~~!~~~~~!)
紅は完全に気配を殺しており、俺も相手にこちらの声が届かぬよう細心の注意を払っている。
風下はこちら、俺達の身体は可能な限り木か草が視線を遮る位置取りにおいている。
紅が耳打ちしてくる報告の声と、俺のものではない心臓の鼓動とが雑音らしい雑音だろうか。
つい数分前まで真っ直ぐ森を進んでいた俺達は、“彼ら”の存在を察知した紅の警告を受け、即座に木陰に飛び込んで身を隠している。
紅の言う通り、こちらの存在を察知されている可能性はかなり低い。
「よし、もう少し移動しよう。二人の進路を見るに、あの大木の脇を通り過ぎるはずだ」
「了解」
移動を始めた紅の先導に追随するべく、俺は先ほどから騒がしい心臓の主を、俺は再びゆっくりと持ち上げた。
腕に抱えている柔らかな塊が、びくっと震えを伝えてくる。
温かな塊――リーティスさんは、俺に抱えられたままうかつな音を出さないよう必死に深呼吸して落ち着こうと試みていた。
(すー、はー。すー、はー)
何やら暴発したらしい意思伝達魔法が彼女の息遣いを伝えてくる。
目が合うと、自分の失敗に気づいたのか、顔を赤くして下を向いてしまった。
何というか、可愛らしい。少し癒されてしまった。
「今から移動する。しっかり捕まっていてくれ」
(はい……っ!)
背中に回された腕の温もりが心地良い。
小さな搬送作業はあっという間に終わってしまった。
大きな木陰に座り込んでいた紅の横に座を構えると、ようやくリーティスさんの手から力が抜けた。
よろけそうになった彼女を横から素早く伸びてきた紅の手が支え、自分の膝元に抱え込む。
その頃には既に、先ほど見た二人分の足音が俺達が背を預ける大木のすぐ近くまで迫ってきた。
ここで木陰から顔を出すような危険な真似はしない。
わざわざこの距離まで接近した理由は視覚以外からのアプローチをかけるためだ。視覚での確認なら先ほど紅が十分以上にやってくれている。
目を閉じ、ゆっくりと己の「力」を解放する。
頭の中の靄が晴れ、透き通るようにクリアになっていくいつもの感覚。
足音と自然の音を聞き分け、必要な情報だけを収集、整理する自分。土のにおいに混じった金属の臭いや生物の生ぬるい香りを感じ取る自分、得た情報と自分の中にある記憶図書館にアクセスし、分析を始める自分。
幾つもの自分の意識が俺の脳内に宿り、忙しく仕事を始めた。
奴らの歩く癖、装備の質、その全てを情報として集積していく。
永遠にも思える一瞬の後、その二人組は俺達のすぐ横を通り過ぎ、そのままいずこかへと歩き去っていった。
『もう大丈夫だ、リーティスさん。一旦気を抜いてくれて良い。ただし念のため、大声は出さないでいて欲しい』
俺の囁き声を受けたリーティスさんが、勢いよく顔を上下に振ってコクコクと頷いた。
敵に見つかるかもしれないという緊張の中、良く頑張ってくれた。
本当に、お疲れ様だ。
さて、村を出発した俺達が、こうして街道ではなく森の中を進んでいること、そして盗賊の一味の近くまで忍び寄っていたのには訳がある。
その理由を説明するには、時間を俺達が村を出立してすぐにまでもどすのが手っ取り早いだろう。
『森、ですか?』
『ああ、俺達は盗賊どもと鉢合わせしないよう、ひとまず森――つまり道なき道を経由することにする』
既に詳しい理由は紅に話していたが、リーティスさんには説明しそびれていたようだ。
俺らしくないミスだな。確か紅にこのことを説明したのはカードルさんの家に向かう前だったか?
二人の前で盛大に涙を見せたあの日、その後の記憶が妙に曖昧だ。
まるで自分自身で「思い出したくない記憶」でも封印したみたいだな。
――まあ、気のせいだろう。俺だってつい何かを忘れてしまうことぐらいある。
俺達は現在、村を出てから最初の休憩をとっていた。カードルさんから前もって存在を聞いていた泉の前の広場を見つけ、そこに腰を下ろして弁当を広げているのだ。
俺達の周りを飛び回る虫が少々うっとうしかったが、紅などは雑草のベッドに身を委ね、うつ伏せでのんびりと弁当をぱくついている。
リーティスさんが用意してくれた弁当は、梅干し入りのお握りだ。まさか日本から遠く離れた縁も所縁も無い地で日本の象徴を見ることになるとはな。
『街道を注意しながら進むのは駄目なんですか?』
俺が以前作った葉の水筒よりはるかに上等な竹の水筒から口を離し、リーティスさんが問うてきた。
『駄目だな、見つかる可能性が高すぎる』
この世界にも双眼鏡に類似する効果を持った魔道具があるらしい。街路を封鎖する盗賊がその道具を持っている可能性は考えておくべきだろう。
ココロ村の北街道は、分かれ道の無い一本道だ。「街道」とは言うものの、その正体は馬車が入れる程度に土魔法で山を拓いて作った簡素な道だ。
開通後は整地など殆どなされておらず、道を行く商人の操る馬車の轍と馬の蹄の跡の残る土の地面が続いている。
ココロ村を出てしばらくするとぶつかる山岳地帯は、街道の西側が登り斜面、東側が下り斜面といった具合に見通しの悪い山道が続いているそうだ。
土魔法で無理やり拓かれた街道であるため、背の高い山の木々に囲まれながらまっすぐ道が通っているという、俺達の感覚からすると奇妙な代物だ。
そして、盗賊たちはその山岳地帯を根城に活動しているらしい。
他の場所では魔力地帯が比較的付近にあって危険な魔獣と出くわす可能性がある他、拠点を設置するのに適した土地が無いなどの事情があるようだ。
俺が盗賊であるなら、木々の生い茂った登り斜面上の高い位置から街道を見張る。
そうすれば街道側から監視者の発見はしづらい。さらに最低限の監視役さえ置いておけば発見した相手の進行速度を計算し、前もって用意した襲撃地点に適切な戦力を集めた上で奇襲をかけるといった応用も可能になるだろう。
「休憩している普通の旅人や商人の振りをして街道を塞ぐ」という方法も併用していそうだが、森を進むなら無視できるだろう。
そこまで考えたうえで俺が提示した案は、
『こちらが先に盗賊のアジトなどの拠点を見つけつつ、確実に奴らに見つからないルートを確定させた後、そのルートを進むんだ』
『え?でも森の中を進むんですよね?どうやってそのアジトを見つけるんですか?』
「つまりは同じ「森の中」って条件で盗賊にあたし達が見つかるより先にあたし達が奴らを見つけた上で、そいつらの後をつけてアジトまで案内してもらおうってわけさ」
いつの間にか弁当を食べ終え、泉の水面に片手を突っ込んで涼んでいた紅が答える。その頭の上にはどこでいつ見つけたものか、手のひら大の赤い花が載っていた。
紅の言葉を聞いたリーティスさんが面食らう。
『危なすぎますよ! つけてったその人達に見つかったらその時点でご破算じゃないですかあ!』
その懸念は分かる、しかし、
『一番確実なやり方だぞ? 盗賊の数にもよるが、同じ地点を見回る組を重複させる可能性は低いし、アジトの位置を掴むというのは持ち札として有効だ。アジトの規模が分かれば盗賊団の人数などの推測も立つ』
――あれ?私間違ったこと言ってませんよね? 何でそうなるんですか? というかさっき「鉢合わせは避ける」って。え? どういうことなの?
リーティスさんが何やらグルグルと目をまわして呟きだしてしまった。
危うく手に持っていたお握りを地面に落としそうになっていたので、懐から取り出した包みに一旦退避させる。
「ああ、リーティスはこういうの慣れてなさそうだしな。そりゃあ怖ええだろ」
『大丈夫だ、移動の間は俺と紅が交代でリーティスさんのことを抱えて運ぶ。じっとしてさえいてくれれば問題ないさ。手荷物一つ増えた程度で失敗することはない』
――うふふ、あたしお荷物……手荷物なんだって。お荷物になるかもなんて言いましたけど本当に手荷物さんになるなんて思いませんでした。
何やらリーティスさんが本格的に危うい雰囲気になってしまった。不安かもしれないが、まあ、実際にやってみれば大丈夫だと分かるはずだ。
何せ、こちらには紅という最強の監視能力者が居るのだ。
「よし、行こうぜ」
地べたすれすれに顔を近づけていた紅が立ち上がり、先ほど立ち去った二人組の盗賊の追跡を開始する。
今回は紅に一部の「力」の解放を許可してある。
先ほどの二人はもはや俺にさえ探知不能の距離まで離れてしまっていたが、強化された五感を駆使する紅には正確な位置が把握できているはずだ。
(え?ひょっとして紅さんって獣人だったんですか?)
先ほど、二人の臭いを記憶するために地面に鼻を擦り付けていた紅の様子を見て勘違いしたらしい。
『いや、紅は人間だ。一応あれもこの前話した「おれ達」の力の一部だよ』
しかし、中々良いカンをしている。
紅の異能の発現方法の一つは「動物的身体強化」だ。
かなり単純かつありふれた異能だが、シンプルゆえに強力で、蟷螂拳のような実在の生物をモデルにした武術などの習得には非常に便利だ。
紅の力は少々特殊だが、異能の種類としては身体能力を強化する能力、という区分に入れられる。
人がイメージしやすい「力ある自分」というのには武道家やある程度人に近い人外――動物などが挙げられ、異能で引き出す力の方向性をそちらに持っていくというのはメジャーな方法だ。
例えば、俺がASPに提案した戦闘術の中には、現代武術以外にもこうした生物の動きを模範としたオリジナルの動きも多く含まれている。
トリッキーな動きのモデルとして昆虫を参考にすることも多かったが、女性隊員から不評だったので自粛する羽目になったという過去もある。
黒光りするGの動きはともかく、蜂や蜘蛛にまであれほどのブーイングが来るとは思わなかった。
「ほら、さっさと行くぞ、兄貴、リーティス。大丈夫だとは思うけど、あの二人以外への注意が散漫になりかねないし、フォローはよろしく頼むぜ」
ストーキングを開始した紅に続き、俺達も歩き出す。
さて、お前たちのアジトまでご案内願おうか。
「現代異能力者はドラゴンを倒せるか?」→「異世界を征く兄妹 ―異能力者は竜と対峙する―」
今回より、題名が変わっております。装いを新たにした二人の主人公の物語、お楽しみください。




