第百六十四話:<未熟>
「――良い機会だと思ったのさ。お前の成長のための、な」
「俺を紅と会わせないことが、良い機会……ですか?」
夢道栄一郎は、ASPに所属する誰よりも、恐らくは薫よりも日本中の能力者達のことを憂い、献身している人物だ。
敵対組織が人質と引き換えに夢道の身柄を要求した時、その組織に要求通り一人で出向いて行ったという事件は記憶に新しい。その組織は結局、能力と変態兵器を駆使する夢道という名の一人軍隊に壊滅させられたのだが。
自分が殺された時もASPという組織が立ち行かなくなるようなことは無いよう、常に準備を欠かしていない夢道だからこそ可能だった無茶だったものの、その日はASP所属の多くの人間が大いに肝を冷やしたものだ。
そんな夢道に、薫も敬意を払っていたし、その判断は信頼している。
だが、そのことと今回の件とは話が別だ。
如何に旧知の相手とはいえ、易々と引き下がれる類の要求ではない。
箍の外れた猟犬のように剣呑な眼差しになった薫の前で、夢道が両手を上げて制動をかけた。
その夢道の口元には、分からず屋な若者への指導に苦慮する教員のごとき苦笑が浮かんでいる。
「……なあ、薫さんよ。お前は、自分がまだ幼いって事を自覚すべきだ」
「――まさかとは思いますが、自分が子供であるから、その願いも子供の我儘である。だから貴方はその願いを切って捨てると、そう言いたいのですか?」
自分がまだ「大人」になりきれていないことを、薫とて自覚していた。
こと事務仕事に関しては並みの大人が10人がかりで行う仕事を一人でこなすことのできる薫だが、そうした能力の高さと内面の成熟が同義でないことくらい承知している。
先日の紅奪還事件などでは、敵意を持って向かってくる相手に対峙する恐怖に打ち克つメンタルも、戦闘を思い通りに進められるだけの純粋な戦闘力も足りていないと痛感させられた。
だが、それを理由に願いを切り捨てられるのには、納得がいかない。
「違う。言っただろう? お前の成長のためだって。……この際だ、はっきり言ってやろう。今のお前は――竜崎薫という男は、自分だけの価値観もしっかりとは確立させていなければ、自分に対する自信すらも満足に持っていない。なまじスペックだけは高く、他人のミスを背負い込んでも解決に導けるし、何だかんだで面倒見も良い方だから仲間からのウケも悪くないようだがな。こうして”与えられた仕事”をこなしていく環境においては優秀に見えても、結局お前はまだ自立しきっていないただの子供なんだよ」
薫は、いきなり飛んできた今の自分を否定する言葉を受け、息をつまらせてしまった。
頬杖を突き、薫のことを見下ろす夢道が、気勢をそがれた薫に向けて、さらなる言葉を投げつける。
「お前は考えたことがあるか? 何故俺達が年少能力者に『一般人同様の日常生活を送るように』なんて徹底させてるかってことについて。 代表例が学校、それも、能力者だけの学校みたいな中途半端じゃなく、わざわざ一般の学校に潜り込ませてやってるんだ。そのためにかかる費用、便宜を図ってもらってる政府機関への貸し、何よりお前たちが、我らがASPのために働ける分の貴重な時間まで使ってな。名目上はどうあれ、道楽や、慈善活動じゃないことくらい、分かってるだろうが」
「――長い目で見た時、それが組織の利益になるから、ですか?」
「そうだ。子供達が学校生活で得るものは大きいと、俺は考えている。学校ってのは人が人と交流する場だ。利害も立場も関係なく関係性を築ける場所さ。そこで人は、人と人との関係性を学ぶことができる。――お前は一応偶には時間を作って登校しているっつってたな。クラスメイトの話について行けるよう流行は欠かさずチェック、学校教師の信頼を得るために定期試験の成績は常にトップ。……それで上手くやってるつもりなんだろうが、結局お前は俺が一番学んで欲しいと思ってることを学べちゃいない」
薫は、頭に疑問符を浮かべた。
対人関係について上手くいっていないことを責められている風だが、少ない登校日数の中で、仲の良い友人は作っているし、学外でも連絡を取り合える仲の者もいない訳では無い。
他のクラスメイト達についても、決して悪印象は持たれないよう振舞い、成功してきたと、薫は考えていた。
なら、自分は「何を学んでいない」のか。
「――自分が学校にあまり行けていないことは、反省しています」
「そういう事じゃない。というよりな、まず何より、そこで『反省してます』って言葉が出るのがすでに問題だ。いや、この場面で同じことを言う奴は他にもいるだろうが、お前の場合、本心からそう言ってるのがまずい。『組織人として、組織側の方針に応えきることができず申し訳ない』って思っているだろう。お前の価値観――いや、”優先順位”は妙な風に歪んでるってことだ。……いいか? お前は能力面ではそこそこ優秀だ。先日は実戦でも動けるという成果も示したことだし、小隊の隊長くらいならしっかり勤まるだろう。その力を頼りにしたいって奴らがこれからもきっとお前の傍に寄って来るだろうさ。何だかんだで面倒見も悪いほうじゃなく、どんな人とも基本的には仲良くなろうとするお前のような人間は、部下や仲間にもそれなりに好かれる。だがなあ。それだけじゃあ駄目なんだよ」
「……?」
それの何が問題なのか、薫は分からなかった。
彼の適正については、直属の上司からも次のように言われていた。
『戦争は勇猛で従順な兵卒と目端の利く優秀な指揮官、そしてそれらを統括する統率力の高い参謀や将が居る軍ほど強い。今の薫の場合、指揮官としての才覚は認めるが、参謀や将といった役目を任せる気にはとてもなれん』
しかし、それは適材適所の問題というだけであり、また、技能を身に着けて行けば決して越えられない壁ではないとも言われている。
諫言の中に隠れた夢道の意図を読み取れず、薫は黙りこくってしまった。
ちょうどその時、夢道が秘書に頼んだ飲料が届いた。
扉を三度叩き、一礼して入ってきた女性が、夢道、薫の前に手早くコーヒーのカップを置い立ち去る。
湯気の立ち昇るコーヒーカップを持ち上げて一口で黒い液体を飲み干すと、夢道は椅子に深くかけ直し、眉間の皺を寄せながら、ゆっくりと締めくくりの言葉を告げた。
「……これ以上は、お前が自分自身で気づいて、乗り越えるべき課題か。男なら、自分で気づいて自分で成長しろ。そもそもお前自身、妹と二年間会えないってのを了承したろう。他の訓練性も訓練中は普通、肉親には会えないんだよ。お前も妹のために我慢するんだな。それと、明日からお前に一週間ほど暇をやる。学校の人間でも、……お前の親でも、その他の知人でも、色んな奴に会ってこい。――間違ってもASPに来んなよ? 今はお前一人抜けた程度で回んなくなっちまうような雑魚くさい組織じゃないんだよ。お前が依存――っと、献身しすぎる必要はもうない」
「……それで俺に、何を学べと?」
「教えん。自分で考えろ。自分で悩め。自分で気づけ。もっと視野の広い、上等な人間になりたいのならな。覚えておけ。『ここはお前達が住んでた小さな村じゃない』、『村――一つの場所でなら正しかったことが、どこでも同じだとは考えるな』――っと、これはヒントの出し過ぎか? まあ、しっかり自分と向き合って、答えを出してみるんだな。それで出した答えは、お前が守りたいものを守る上で、大きな役に立つ」
結局、訓練期間中の紅との面会を叶えることはできなかった薫の前で、日本でも指折りの数奇な人生を送ってきた男が、煙草を口の端に揺らしながら、優しい激励の笑みを浮かべた。
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