第百五十九話:<蝙蝠少女の語る世界⑵>
「俺の最大の疑問は、お前達は”どのようにして”神を打倒する気でいるのか、だな。”何故”のほうも気になるが、まずはそちらだ。少なくとも俺が今知る限りの情報では、お前達が神を超える力を持つのは不可能だ。どうやって目的を達成する?」
露骨に落胆顔を見せる薫を見て慌てたクロエが焦りから目をグルグルと回し出しかけたが、そうなる前に薫がいち早く議題を提示してやった。
話を前に進めるための処置であると同時に、実際に著しく重要な問いだ。
「……それは――っ!?」
薫への言葉を打ち切ったクロエが突然、不安げな顔を窓の外に向ける。
――む? ……ああ、なるほど。
薫はそのクロエの行動に心当たりがあった。
厚い布越しにクロエが見ているのは、金属鎧をガチャガチャ鳴らしながらこの家に近づいてくる、三人の人影だ。
クロエが所持する「識別信号」を追ってやってきた軍か憲兵の者達だろう。
結構な速度でかけて来る。あと、数秒もしないでこの家の扉を開けて押し入って来るはずだ。
「……! ……っ!」
薫と窓の間で視線を行ったり来たりさせ、焦りを見せ始めたクロエを安心させるように、薫は両手を広げて優しく微笑みかけた。
「落ち着け。俺はさっき、君と話をしたいと言っただろう。余計な邪魔は誰にもさせない。――俺に任せろ。少し、協力はお願いするが」
余裕をなくしたクロエは薫のその言葉に一瞬目を閉じ、逡巡を見せたものの、すぐにコクリと頷く。
この町を覆う大術式への慣れない干渉や、先ほどの薫との追いかけっこを通じて、クロエの体と精神には疲労が蓄積していた。
目の前の”希望”の少年を多少なり信頼がおけると判断した――誘導させられていたこともあり、「目の前の人物を信頼してみる」か「勝てるか定かでない4対1の突破戦に挑む」の二択にて、自然と前者を選び取ったのである。
「……お願い。私、何すれば――」
「ああ、こうする。――少しおとなしくしていてくれ」
「……!?」
そうして立ち上がった薫がクロエも交えてごそごそと準備をしている内に、家の扉が鉄鎧二人がかりの体当たりにて強引にぶち破られた。
何の罪もない築5年の一軒屋は、住人の身を守る唯一の防具たる木扉を粉々に粉砕され、生活臭を感じさせる小物だらけの部屋の内装と、その床の上で絡まり合う一組の男女の姿を白日の下に晒した。
「大人しくしろ! お前――達が”てろりすと”の一味であることは分かっている! 早々にお縄につくがいい!」
家の中に土足で遠慮なしに踏み込んできた背の高い男が、構えた剣先を二人の不審人物に向け、威嚇の声を上げる。
先ほど家の扉を破壊した二人の鎧兵たちも、すぐさま不審者たちに駆け寄り、逃がさぬための半円陣を組む。
剣一本に、槍二本、鋭く光るそれらの刃の先を向けられた二人の内、上に覆いかぶさっていた方の男が、ひょいと顔を上げる。
露わになった薫の顔を見ても、兵たちは緊張の態度を示すのみで剣を引く様子は無い。
しかし、顔を上げた薫の両手が、その下で仰向けに倒れていた少女の首に伸びているのを見て、兵士たちの表情が変わる。
薫がクロエの首を思い切り締め付けている――兵士たちにはその光景が、そう映った。
「なんだお前達? 仲間割れか?」
「違う。その様子だと、俺の顔は知らないようだな。俺の名は立花薫。今作戦におけるお前達の協力者だ。一時的に千人隊長級の資格も頂いている」
言いながら、薫は両手をクロエの首から離し、立ち上がった。
解放されたクロエがケホケホと苦しそうに咳き込むのを見降ろした薫が、彼女の腹に全力で足裏を振り下ろす。
「あぐっ!」
少女が上げた悲痛な叫び声を聞いて、兵達が顔を顰めた。
薫の踏撃を受けたクロエは力を失い、人形のように手足を投げ出してその場であおむけに倒れる。
倒れたクロエの胸元に足を載せたまま、薫が”苛立たしげな”顔を兵たちに向けた。
「見世物じゃないんだが? ――これが俺の身分証代わりだ。確認すると良い」
薫は、最初にこの部屋に踏み込んできた背の高い男に、軍から貰った巻物――契約書を投げた。
男が慌てて広げ、目を通し始めたその契約書の中には、薫がこの町を救うために命を賭して働くこと、そして作戦行動中の薫の扱いを軍内における千人隊長級にすると認める旨が書かれている。軍団長、町長の署名と血判入りの代物だ。偽造は難しい。
「血判証明が必要とあらば、今すぐにでも用意するが?」
腰元のナイフを抜き、指に刃を走らせようとする薫を、代表の男が慌てて押し留めた。
「いえ、結構です! とんだ失礼を! ですが、その少女からは例の――”しきばつ?反応”が出ております。私どもにお引渡し頂ければと……」
部下の方を振り返りながら、男は薫にそう告げてきた。
魔法具らしき水晶を下げている部下を見るに、おそらく最初からこの家の中の”反応”は一つだけだと知っていたのだろう。
協力者の薫が、敵の身柄を捕えた――ひとまずはそう受け取って貰えたはずで、それが事実でもある。
しかし、薫はその提言に乗る訳にはいかなかった。
「いや、こいつの身柄は俺が預かる。俺の仲間に襲い掛かってきたこいつには、引き渡す前に、少々俺の手で躾をさせてもらわなければ腹の虫が収まらない」
「しかし――。いえ、分かりました。お前達、戻るぞ」
「感謝する」
現代の地球であればまず許されない私刑行為だが、この世界の国際法においては、未だ禁じられていない。
敵国籍の者のみならず、その概念をこの世界の歴史上はじめて薫が名づけたところである「テロリスト」に対する法整備など、言わずもがなだ。
恐らく"薫"が"クロエ"にどんな所業をするのか彼らは誤解して言ったことだろうが、それならますますそのような光景を見に戻っては来るまい。
「……何で、あんなに痛くした? えと、――カオル? ――すごく、痛い……」
痛む腹を片手でさすりながら、そのテロリストな少女は立ち上がった。
乱れた黒髪をもう片方の手で整えつつ、予想以上の攻撃を繰り出してきた薫に、抗議の視線を送る。
クロエが立ち上がったのは、軍の男たちが彼女の知覚範囲内から出たことを認識したからだ。
薫とクロエの即興劇の成果によって、彼ら二人は、この区域の探索を担当する彼らから実質上の滞在許可を貰った形となる。
しかし、打ち合わせた上でのこととはいえ、腹を蹴られて良い思いをする者など、ごくわずかな変態を覗いて存在しない。
クロエのむっとした睨み付けに、薫は肩を竦めて応じる。
「リアリティの追求だ。俺自身、この町にとってはよそ者なんでな。少々やりすぎなくらいでなければ、俺がお前達の敵対者であるという印象付けができない。――大体、当初の予定通り、倒れたお前に俺が寝技を駆けているという体にすれば、もっと直ぐに収まる痛みで済んだ。それを嫌がったお前にも責任の一端はある」
薫の抗弁を聞いてクロエはますます唇を尖らせる。
女性の腹を蹴る男が何を言っても、それは言い訳にしかならない。
しかし、いつの間にか薫が伸ばしてきた手が自身の腹に触れるやいなや、突然すうっと痛みが引いて行くのを実感して、クロエは目をパチパチとさせた。
「……これ、は?」
「神聖魔法だ。今では――俺の得意技の一つ、と言える程度には習熟している」
「……そう」
自分たちの敵であるところの神の名を関する魔法。
その力で自分が治療されているのだと知って、クロエはどこか悲し気に目を閉じた。
薫に言わせれば、「神が無理やり作り出した魔法」であるという出自さえ別にすれば、「神の魔法」といったネーミングが当てはまるものではないのだが。
「神聖魔法は嫌いか?」
「……ん。神は、嫌い。……人間だけ優遇して、他の全ての種族を見捨てた神は、嫌い」
そう吐き捨てたクロエは「……ん。私の名、クロエ」と今更ながらの名乗りを上げると、自分の出自について語り始めた。
「……神と竜の大戦を知ってる人間が取沙汰するのは、滅んだ竜とか、あとはエルフのこととか、それくらい。……でも、他にも、私達みたいな少数種族にとっても、あの大戦は、大きな契機だった」
クロエは蝙蝠人間だ。
薫の前で自分の背から伸びる黒い翼や長い犬歯、そして全身いたるところに存在する独特の体毛といったものを披露しながら、彼女は話を始めた。
大戦の後、世界に訪れたのは――否、神の手によって作り出されたのは、人間が支配する世の中だった。
神が信仰者達に賜った最大の武器は、竜達を滅ぼした正体不明の魔法などではなく、竜達と戦うべく無理矢理作らせた、国と国との連携関係の方だ。
亜人種に比べ、身体能力的にも、魔法を扱う能力においてもごくごく平凡という評価が昔からなされていた人間種だったが、共同体を作り出し、その中で独自の文化や技術を磨いていく能力においては他種族より一歩ぬきんでたものがあった。
しかし、その能力故に時に人間同士で争う事も少なくなく、亜人種達の嘲笑の的になることも多かったという。
だが、大戦を通じてつながりを深めた小国家群は主に教会の主導によって巨大な一つの国家としてまとまり始め、人の行き来が活発になるにつれ、人口は爆発的に増大していった。
危険な魔力地帯を抜けた先に会った肥沃な土壌を次々と新しい人の居住地域に作り替え、多くの集落が生まれ、人の国家の力は飛躍的に増大する。
そして、数と力を手にした人間達は、次第に自分達にとって邪魔なものを排除し始めた。
それまで人間の商人をいいカモとして狙っていた亜人盗賊達が討伐されるケースが増え始め、後々に始まる人間の国家単位による亜人蔑視の風潮を作るきっかけとなった。
蝙蝠人間のような「人間にとって多大な害を産む種族」は、種族の一人一人が起こした小さな事件の積み重ねを理由に国家の討伐隊などが組まれ、大いに数を減らした。
蔑視の少ない地域で種族を隠すなどして、今も細々と子孫を残し続けているものの、大勢力を誇ったかつての恐ろしき「吸血鬼一族」などといった姿は微塵たりとも残っていない。
「種族差別、か」
「……今は、そんなに酷くない。それでも私のこの――真っ黒な翼とか、長い牙とか、首の腫れとか、暗闇で光る目とかを見ると、皆怖がっちゃう。……例外も、居る、けど」
つい数時間前に会ったばかりの一人の学生服姿の少女がクロエの頭に浮かんだ。
仲間の「ありのまま、クロエちゃんの全部見せちゃえばいいじゃん」という勧めを受けてやけくそ気味で晒した全身を「やっべ、めっちゃいい! すっごい可愛い!」などと褒めてくれたエアリスという少女。
――……無事であって、欲しい。ユーノがいるから、きっと、うん。きっと、大丈夫。
と、クロエがここにはいない者達に意識を飛ばしかけたところで、薫から声がかかり、現実に呼び戻された。
「大変だったんだな……。だが、すまん。お前の出自にも興味はあるが、それは今度じっくり教えてくれないか? こんなところでサラッと聞き流して欲しい話でもないだろう。それより、さっき答えて貰えていない質問が一つある。そちらの回答をお願いしたい」
「……分かった。お安いごよう」
今のクロエは、知らず知らずのうちに薫の術中にどっぷりはまり込んでいた。
それは初対面の者との会話に挑むクロエの口の滑りを良くし、クロエの中に芽生え始めていた危険な感情――現状、立場上は敵であるはずの薫に対する信頼の気持ちを、急速に成長させている。
クロエがそれが危険なことだと気づくのは、暫く後のことである。




