第百五十八話:<蝙蝠少女の語る世界>
「……もし。もし、貴方が私達を助けてくれるなら。私達は、ようやく希望を手にすることが、できる!」
思いがけず大きな反応を示して興奮気味にまくしたてる元・仮面少女。
期待の籠った眼差しを向けて来る彼女――クロエを前に、薫は疑問符を頭に浮かべた。
「お前は、俺のことを知っているのか?」
「……知ってる。私だけじゃ、ない。かなり多くの人が、少なくともあなたの存在を知ってる、はず。貴方は私達にとって――」
そこまで言いかけたところで、クロエが言い淀んだ。
勢いのまま、言わなくても良いことまで口にしかけたのではないか。
そんな疑いが彼女の口を閉ざしたのだ。
そして、ようやく冷めてきた思考にて、今の自身の体勢の防衛面・礼儀面双方における危うさに思い至る。
急接近させてしまった半身を薫から離し、薫の居るソファから一歩ほど距離を取った。
それを見た薫が腹筋に力を入れ、一旦上体を起こして、ソファに浅く腰かけ直す。
その仕草にクロエが一瞬ピクリと反応を示すが、後ずさったり身構えたりということはない。
薫と会話を続けたいという欲求に逆らえなかったのだ。
より正確には、巨大なチャンスの到来に、それを決して逃したくないという思いが彼女の体をそこに押し留めた。
唾を飲み込む音で喉をコクリと鳴らし、薫の視線を受け止めた。
足元に転がっていた手近な果物籠をひっくり返して床上に置き、薫の前に腰を下ろす。
「……ごめん、なさい。少し、焦り、すぎて。でも! 貴方には――」
クロエは自分の舌の回らなさに、歯がゆさを覚えた。
彼女は人と話すのがあまり得意なほうではなく、自分でもそれを理解している。
幼少期から彼女の兄の背に隠れて居ることの多かった少女だ。
生来の性格も、少ない対人経験も、彼女に雄弁という技能を与えることを許さなかった。
実質的に完全初対面の薫との会話、それも一対一の対話とあって、思うように口が回っていなかった。
だからクロエは、精一杯の必死な呼びかけで会話をスタートさせた。
まるで、引き留めなければ薫がどこかへ行ってしまうとでも思っているかのように。
「分かった。話を聞かせてもらおうか。特にお前達の目的と、大義については、是非とも直接聞かせてもらいたい。この場には、俺とお前しかいない。気兼ねなく話してくれて構わないぞ。だから、焦るな。おれはこの場から逃げたりしない」
そんな彼女を落ち着かせる意味も含めて薫が笑顔を添えて告げた一言の後、クロエは胸をさすりながらそっと呼吸を整える。
その両目には、この家に侵入してきた薫を見た時の剣呑な光は宿っていない。
代わりに、自分の気持ち、言葉を目の前の少年に届けたいと思う気持ちがあふれていた。
――しかし、いくらなんでも、俺を信用しすぎじゃないのか?
薫は張りつけた笑顔の仮面の下で、会話が順調に始まったことを喜びつつも、豹変した少女の様子を訝しんでいた。
自分の思惑通り絆を結んでくれた訳ではあるのだが、少々堕ちるのが早すぎやしないだろうか、と。
クロエの陣営が今の今までとある事情から9分9厘諦めていた”敵側についてしまった重要人物を説得できる機会”を思いがけず齎されて浮足立っているだけなのだが、事情を知らない薫からすれば、奇妙な行動であるのは間違いない。
――まあ、いい。
薫は意識を切り替え、会話に集中することにした。
薄暗い部屋の中、膝を抱え込むようにして果物籠の上に腰かけている黒髪の少女を見つめる。
彼女は膝の上で組んだ両手の指を、そわそわと落ち着きなく動かしていた。
場違いなお見合いのような空気を打破すべく、薫はクロエに向けてすっと手を伸ばした。
薫による無言の促しを受け、クロエが口を開く。
「……ええと。あの神官――女の人からは、私達のこと、どう聞いて、る?」
「ああ――。お前達が神を打倒するために団結した地下組織であること。そして、ユムナ達――神殿所属の者達とは敵対関係にあること。これまでは表立った活動は無かったが、今日この日をもってそれを破ったという事。今行われている作戦の目的は町を圧倒的武力をもって叩き潰し、武力を誇示することで国の介入を牽制すること。そして、……竜に関する何かしらの活動を行っていること。エルフ達とは――若干微妙な距離感での協力関係を築いていること、だな」
薫は、ユムナから聞いていた事実に加え、古都で調べた確度の高い情報や自分で見聞きした事柄から導き出した推測といったものを、思い切ってぶちまけることにした。
特段隠さねばならない情報という訳でも無し。
交渉事が得意そうには見えない目の前の少女から情報を引き出すには、弾は多ければ多いほど良いと判断したのだ。
「……!」
少女が目を見開いた。
その反応に、薫の背にも緊張が走る。
「どうした?」
「……ほとんど、正解」
薫は無言で先を待った。
しかし、少女がその先の言葉を口にすることは無いまま、気まずい沈黙が落ちる。
「……あんまり、付け足すことも、無い」
居たたまれなくなったクロエが、どこか恥ずかしそうに、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「――そうか」
薫が残念そうに呟く。
ソファから乗り出しかけていた上半身を引き、安物ソファに再度身を沈め直した。
クロエが話し上手な女の子なら、何かしらの補足事項を加えるといったサービスをしてくれたのかもしれない。
というより、それさえ無いのならば、ただの事実の確認にすぎない。
「待って! ……他にも! 他にも、その、貴方が知りたいこと、あるはず! その、あぅ、えっと――」
「俺の最大の疑問は、お前達は”どのようにして”神を打倒する気でいるのか、だな。”何故”のほうも気になるが、まずはそちらだ。少なくとも俺が今知る限りの情報では、お前達が神を超える力を持つのは不可能という結論に至る。どうやって目的を達成する?」




