第百五十五話:<見る者、見られる者>
昨日は、体調不良で更新を見送らせて頂きました
どうもすいません
(・・;)少々お待ちを
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「……来た」
家の陰に息を潜め、クロエは感知した者達達の接近を待った。
放置すれば高鳴りそうになる心臓の音は、仮面の感情抑制作用と鍛え上げた精神力とで強引に抑え込む。
聞き慣れない駆動音を撒き散らしながら高速でこちらに近づいてくる何者か。
その正体と対処を見定めるべく、灰白色の仮面で覆った顔の奥から、獲物を見定めた梟のような鋭い観察眼を通りに向けていた。
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薫達三人は、先ほど薫が「音」を感知した地点に辿りつく。
ユムナが停車させた三輪駆動車、その後部席から降りようとしたミシルを、その前に立った薫が後ろ手に押し留めた。
「出て来るな。中に居ろ。――その車の装甲は気休め程度だが、無防備な学生服姿で外に出て来るよりはましだろう」
「えっ? 何か危そうなものでも見つけたんですか? ここからだと、大きな氷の塊が転がってるなあってことしか分からな――」
「そうね、あなたは見ない方が良いと思うわ」
首を傾げたミシルの肩に手をかけたユムナが、厳しい表情を作って道路に足を下ろした。が、そのまま薫の傍に歩いて行こうとしたユムナを、当の薫が視線で抑えた。
「お前もだ、ユムナ。中に入っていろ。……嫌な予感がする。微速前進モードに切り替えて、ゆっくりついて来い。――後ろの窓は、締めてやれ」
「――あのモード、動力役の風精霊がすっごい嫌がるのよ~?」
「それでもだ」
薫が主張を曲げないと分かったユムナは、大人しく引きさがり、不安そうなミシルに微笑みかけながら、再度運転席に乗り込んだ。
普段はともかく、いつ戦闘が起こってもおかしくないと想定されている今の状況で、わざわざ逆らって見せるような真似はユムナといえどもすることは無い。
いや、ここは彼女だからこそというべきだろうか。
「……ユムナお姉さんも、人のいう事って、聞くんですね」
薫の判断に基本的には信を置いているユムナだが、それと普段の――周りを振り回す、あまりにフリーダムな行動とのギャップに、ミシルが驚きのあまり目を見張り、ついポロリと余計なことを言ってしまった。
「どういう意味かしら、ミシルちゃん?」
「あ!? いえ、すいません! え~っと、その……」
「”口が滑った”って言いたいのかしら~? ま、構わないわよ。あたしにとっては割と言われ慣れてることだし、ミシルちゃん自身、結構思ったことすぐ口に出すタイプでしょ? 遠慮が抜けてきたんだって好意的に捉えたげるわね」
クスクス――というよりは、いひひといった具合の笑みを見せつつ車を走らせ始めたユムナを見て、ミシルはほうっと安堵の息を吐いた。
そして、それまで続けてきた遠慮口調の喋りを、思い切って撤廃することに決める。
「あの、それで外には何があるの? 私には見せられないもの?」
「――ミシルちゃんなら、想像できるんじゃない? ヒントは、そうね~……。今この町はエルフの大隊からの攻撃は受けてないけれど、この町を攻撃する意思があるのは何もそうした”外部”からの攻撃だけじゃない」
「町の内部から、情報工作や、奇襲戦、その他遊撃、後は……諜報活動を仕掛けているような敵がいて、この周りの光景は、そんな人達と、街の防衛組織側との衝突の痕……ってことなのかな?」
「たぶん正解ね~。本来なら周到な下準備をしたあいつらがこの町を抵抗を許す間もなくドド~ン、と一気呵成に攻め込んで、それで終わってたはずの戦いだから、こういう小競り合いは向こうさんにとっても予想外でしょうけどね」
となると、今自分に外の光景を見せてくれないのは、外が危ないという他に、純粋に「悲惨な」、或いは「グロテスクな」光景を見せたくなかったからだろうか、とミシルは辺りをつけた。
――そんなとこに気を遣ってくれなくても、軍事教練中に暴発した火魔法に巻き込まれて大やけどを負った人達とか、私、見たことあるんだけどなあ。実家ではエアリスちゃんと一緒に治療院の手伝いをしてた時期もあったし……
刺激的な光景には慣れている……と言おうとも考えたが、せっかくの相手からの好意である。
ありがたく受け取っておくことにした。
その代わりに気になった別の問いかけをすることにする。
「それが上手くいかなかったのは、街側にも敵の情報が届いていて、対策を練る時間があったってこと、かな?」
「正解。今、その情報源の一人が敵さんの味方識別の仕組みについても入れ知恵してくれてるから、その解析も進んでて……もう、終わったのかしら? 終わったんなら、だいぶ楽に残党を処理できるようになるはずなんだけどね~」
そんなやり取りを交わしながら、ユムナはこちらに背を向けて通りを進む薫を追って車を走らせていた。
氷漬けにさせられた後、まだ心臓も脳も活動している内にバラバラの肉片に変えられた犠牲者達の脇を通り過ぎていく。
「そういえばお姉さん達、さっき『ノエル』って女の子? のことを話してたけど、それって――」
ミシルが本日何問目かの問いをユムナに投げている最中、”それ”は現れた。
それは、一瞬の内にユムナの座る運転席脇――その窓に接近してきた。
あまりの早さゆえ、或いは余りの隠密性ゆえに、ユムナもミシルも、その人物が手に持ったナイフを突きだし、窓ごとユムナの頭を貫こうとするまで、その接近に気付くことができなかった。
自分に向けて飛んでくる剣の切っ先と共に、ユムナは見た。
灰白色の仮面越の奥から自分を睨む、獰猛な眼差しを。
次の瞬間、灰白色の仮面の人物が繰り出した高速の突きは見るからに軟そうな透明な窓に衝突し、激しい金属音を周囲に響き渡らせた。
カラン、カラン。
衝突に敗れた剣の残骸が、氷ついた街の通りを転がる。
半ばからパキリと二つに折れた剣を仮面の人物が「信じられない」とでも言いたげに見やり――、ノーモーションで即座に真横に向けて投げつけた。
鎌鼬状の風魔法を纏った剣の残骸が弾丸の速度で飛翔する。
「中々信じられない反応速度だな――亜人か?」
その弾丸を左手のナイフを操って綺麗に弾いた薫が、仮面の人物にも負けない速度で肉薄してくる。
ちっと舌打ちした仮面の人物は、地を蹴り、真上に跳びあがった。
薫が放った牽制の一閃が空を切る。
灰白色仮面は瞬く間に最高点まで到達すると、背中から伸びた蝙蝠羽を振るって自分の体を後方に押し出した。
そのまま真下に落下し、通り沿いに立っていた建物の向こうに姿を消す。
その建物の方角をしばし鋭く睨み付けていた薫だったが、すぐに緊張を解く。
「別に俺達が目的じゃあ、無かったようだな。あの少女、建物の向こうに姿を消して、すぐに別方向に逃げて行った。おそらく、俺達の会話を盗み聞きして、『今ならばユムナを奇襲で倒せる』とでも踏んだんだろう」
車の中から心配そうな顔を向けてきたミシルたちを安心させるように、薫は告げた。
聴覚強化した薫の耳には、不要なノイズの奥に隠れた襲撃者の逃走の足音が届いている。
『彼女』が今、自分達から遠ざかっているのは確かだ。
ユムナ達が乗る三輪駆動車。
その装甲そのものは確かにありきたりな素材で作った柔な作りだ。
しかし、その装甲を薄く取り巻く魔法障壁は、凡百のものでない。この町の防衛に用いている障壁そのものを流用しているのだ。
ついでに言うならば、ユムナ自身も今はその障壁を身に纏っている。
今のユムナは、かつて身に纏っていた神殿秘蔵の結界を薫に破られる以前の、全盛期の力が有ると言っていいだろう。
当人がどれだけ運動音痴だろうが、反応速度が鈍かろうが、『絶対の防御力を持つ高威力の固定砲台』として振舞うことができれば、さしたる問題は無いのである。
薫が今ユムナの傍に居ることも、実際のところ、本当に『保険』程度の理由しかない。
――背格好、咽喉仏、かすかな息遣いから推測される声帯の形からして、あの仮面の性別は女で間違いないだろう。が、まだ若年の割には、結構な手練れのようだ。……この被害者たちも、彼女の仕業か? そうだとしてもこの町の軍全てを相手するには、個人の力では限界があるはず。大した脅威ではない、と見ていいだろう。
薫は、一瞬だけ対峙した相手の技量は認めつつも、町全体の戦況を動かすほどの脅威ではない――少なくとも、今結界の外でばかげた規模の炎魔法を連続で扱っているエルフに比べればただの一兵卒に過ぎないだろうと、そう分析した。
「ねえ、カオル。……あの仮面の――女の子? 追わなくていいの?」
と、そこで予想外の勧めが車窓を叩いたユムナから入り、薫が首を捻る。
「何故だ? 戦闘力は高そうだったが、そんなに重要な役柄を持つ者とも思えない。深追いしてまで捉える価値は――」
「あたしの――運命神の第一司教としての勘だって言ったら、信じる?」
ユムナがいつになく真剣な表情で、薫の瞳を見つめてきた。
「……まあ、相棒のお前がそこまでいうなら、追ってみよう。その子――ミシルは任せたぞ。いざという時は直ぐ俺を呼んでくれ」
ぐずぐず迷っていては、先ほど逃走した少女を逃してしまう。
一秒で15回の脳内会議を行い、結論を捻り出した薫は、はあと息を吐き、少女を追うべく地を蹴った。
先ほど少女が飛び越えていった屋根に着地するや否や、神聖魔法による全身の強化を一段階上げ、剣士以上の瞬足と亜人にも負けない体のばねを駆使しての追撃に移る。
それまで見る者と見られる者だった二人が、今、追われる者と追う者とに立場を入れ替えた。




