第百五十三話:<反逆者の少女達>
「……ユーノ、どうする?」
エアリスの背に置いた手を優しく上下に擦っているクロエが、首をくるりと回し、ユーノに向かって問いかけてきた。
それは、結果的に彼女達が自分たちの揉め事に巻き込む形になってしまった一人の少女、エアリスの処遇を問う者だった。
ヒック、ヒックとしゃくりを上げながら涙に濡れた両目を袖で拭っているエアリスを前にして、ユーノは即座に答えを決めた。
「――連れてこうか。あたしにその子を任せてった奴はもういないけど、ここまで巻き込んじゃった責任は、取らなきゃねー」
寂しげな微笑みを見せたユーノは、懐をごそごそと漁り、白い物体を取り出した。
つい数時間ほど前にエアリスに装着させたばかりの、顔半分を覆う白仮面だ。
充血した目でこちらを見てくるエアリスの前に膝をついて、それをすっと差し出す。
「エアリスちゃん、状況は分かってるよね? ――これ、つけてくれないかな?」
「これ、は?」
「うん。これは”催眠作用”を持った仮面。あんたがこれをつけてれば、顔バレも防げるし、何より……あんたがあたし達に同行してたのは、その仮面で操られていたってことに出来るはずなんだ」
「……!?」
ユーノとて、自分達の計画――エルフ達がこの町を陥落させるだろうという未来が変わるとは思っていない。
街の防衛者達の作戦は、エルフ達の大半を町が元あった地に縛りつけさせることで、圧倒的な戦力差を少しでも埋めようとするものであり、確かに効果的だった。
だが、その程度で諦めるほど、彼女達の所属している”組織”はこの戦いを軽視していない。
エルフ側が自発的に増援を出してくれたのはありがたい話だったが、そんなものなどなくとも、必ずや”この国”に対しての牽制となり得るだけの「圧倒的な戦果」を上げるための戦闘部隊がすぐさま動き出すはずだ。
この町が、自分達に”勝利”することはあり得ない。
クロエに向けて、エアリスを同行させようと言ったのも、その方が彼女の身の安全を守れると思ったが故だ。
けれど、それでももし、万が一のことがあって、仲間たちがこの町から手を引くようなことがあれば。
あるいは、自分たちが街の防衛者達に捕えられるようなことがあれば、その時にせめてエアリスだけは助かるような小細工を一つ用意して置きたかったのだ。
「で、でも……私さっき、あの人たちに、顔を見られて――」
「――ああ」
そのこと――、とユーノが呟こうとしたところで、背後でゴトゴトゴトン! と、何か重いものが地を転げる音がした。
ユーノの眼前で、エアリスが口元を覆う。
ユーノの背後を今転げたものを目にしてしまったのだろう。
「……これで、余計な目撃者、居ない」
切断系の風魔法を放ち、氷像と化した軍人達をまとめて輪切りにし終えたクロエがエアリス達を振り向た。
その白い頬を、切断されて飛び散った、男たちの血が汚していた。
「――なんで?」
エアリスが、絞り出すような声で二人の少女に問いかける。
「――なんで、こんなことをするの?」
目の前の二人とも、今日会ったばかりの相手だ。
初対面の印象は最悪。
不審な黒づくめに、白仮面。
その奇抜な姿で寝起きのエアリスの度肝を抜き、警戒心を抱かされた。
さらには、偶然見つけた「干からびた腕」のせいで、その警戒心が一気に不信感に変換されたことにより、一度は彼女達の下から逃亡まで図っている。
けれど二度目の「目覚め」の後にようやくまともに言葉を交わし、その印象は覆った。
相手が”普通”の同年代の女の子達だと分かってほっとした。
二人とも、自分の一挙動一挙動にわたわたと取り乱し、ため息を吐いたり、頭を掻いたりしていた。
特にクロエとは、短いながらも互いの出自を語り合い、好物や特技、理想の恋人の話等で盛り上がった。
そんな、悪いことをするような人間だとは、思えなかった。
少なくとも、自分の目の前でこの町の防衛者である兵士たちを躊躇いなく殺すような人たちだとは、感じていなかった。
「……今の社会を否定して、それでも、成し遂げたいことがあるから」
「そ。そして、あの人たちみたいな軍人や、今のお偉いさん方、そういう人達は”今の社会”を守ることを”秩序を守る”ことだと考えて仕事をしてる人達。だから私達は何時まで経っても平行線だし、戦場で会えば、こうして……殺し合うしかないわけ」
「分かんない。私、全然分かんないよ……」
嫌々をするように首を振るエアリス。
「貴女達の目的って何? 何で、こんなことしなきゃいけないの?」
「後で答えてあげる。今は、ちょっと早く逃げなきゃいけないみたい、かなー」
友軍からの誤射を防ぐための「識別信号」を敵側に知られているという冗談のような事態。
首に鈴をつけられているようなものだ。
さっさとこの場を離れ、適切な処置をしなければいけないという焦りがユーノにエアリスの腕を取らせた。
しかし、その手はエアリスに振り払われてしまう。
「私の命は助けて、でもその他の街の皆は……殺すの?」
「……そう、なる。結果的に、だけど……」
クロエの簡潔な回答に、エアリスの表情が歪む。
ユーノは多少強引にでも引っ張っていくつもりで、エアリスの腕を掴み、体を引っ張り上げた。
「友達が巻き込まれるのが嫌? でも、それはあんたが生き残れる機会をふいにする理由にはなんないじゃん。――恨み言なら、いくらでも聞いたげる、何なら全部終わった後で、あんたに殺されても良いよ。だから今は――」
「友達……この町に、いるの? 私の友達が……?」
エアリスが困惑げに放った言葉を聞いて、クロエが眉を顰めた。
「……エアリス?」
先ほど、出てきた隠れ家で交わした会話内でも出てきたはずの”この町に居る友人”――恐らくは親友のことを聞かれておきながら、それに答えられない。
そんなエアリスの態度を不審に思ったクロエがエアリスに声をかけようとしたその時。
「……!! 誰か、来る!」
近づいてくる何者かの気配を感知したクロエが警告の言葉を発する。
「何者ー?」
「……分からない。でも、敵だったら危ない。ユーノ。エアリス連れて、逃げて」
ユーノの魔力回復速度は尋常なものではない。すでに一戦交えるには十分なほどの魔力を取り戻していたが、体力の方はそうはいかない。
クロエはユーノの罫線能力が大分落ちているらしいことを感じ取り、彼女達に逃げるよう訴えた。
「了解。――クロエちゃんも、すぐに逃げなよー? 逃げてりゃ勝ちな勝負で、馬鹿正直に戦うのなんて、阿保らしいじゃん」
どこか自虐的な笑いと共にそう告げ、クリエの肩をポンとたたいたユーノが、地面に座り込んだエアリスの顔に強引に仮面を張りつけ、抱え上げた。
「……ん」
了解。
エアリスは任せる。
互いに無事で。
また後で。
それらの言葉をただの一文字に集約して伝えたクロエは、ユーノが走り去った方向を確認することもなく、懐からユーノとおそろいの白仮面を取り出し、顔に装着した。
――……私は、立ち止まらない。
そして、まだ見ぬ何者かに対応するべく、ぎゅっと拳を握りしめた。




