第百五十話:<薫とラルク>
虹色に染まった町が大きく揺れ、巨亀のごとく「動き出した」時、それを感じとり、反応を示していたのは、何も空のエルフ達だけではなかった。
「……成功したか、ユムナ」
「どこを見ている! いい加減に倒れろ、貴様ああああああ!」
「拒否する。それと――悪いが、もう手加減している時間的余裕がなくなった。そろそろ本気で狩らせてもらうぞ」
――まるで悪役のような口ぶりだな。
地上にて、自身の作戦が信頼する相棒の女性の手で実行されたらしいことを知った薫。
彼は思わず漏れた自分の物言いに一瞬だけ苦笑いを浮かべると、飛んできた大火球を正面から受け止めた。
肌にチリチリとした熱気を感じるのも束の間、体の奥から放った神聖魔法の波動を受け、火球は瞬く間に収縮。
マッチの灯程の大きさになって薫の足元に落ちた。
ぼしゅり。
焦げ跡一つ残さず、石畳の床に消える。
「ぬ! ぬ! ぬ! ぬ!? さっきからお前が使っているそれは一体なんだ!?」
「修行中の技術だ。技の詳細は教えられないがな。この戦いは実に良い練習になった。お前達には感謝している――おっと」
脳天目がけて天から降ってきた矢を、薫が即座のバックステップで躱した。
小規模の竜巻を纏った矢が地面に突き刺さり、周囲に意味なく粉塵を巻き上げる。
それら粉塵を飛び越え、傷だらけの民家の壁を蹴った薫が矢を放ったエルフの少年を視界に捉えた。
こちらを睨んで弓矢を構える、ラルクの厳しい目つきが見える。
「っ! 弱者をいたぶり、強さを誇示するのがそんなに好きなんですか、貴方は!」
再度、今度は風の鎌鼬を纏って飛んできた矢を薫は突き出した右手のナイフの「先端」で受け止めた。
自身の身を斬り裂こうと荒ぶる鎌鼬の一本一本を丁寧に、迎えるように壊していく薫を前にラルクが続けての問いかけをぶつけた。
「貴方が今、頭上の戦いで軍に加勢していれば、多くの死ななくても良い人の命が救われたはずだ! なんでこんな場所で僕たち相手に戦いを長引かせていたんですか!?」
「――その、”罪のない人達”を大虐殺するためにやってきたのはお前達だろう?」
微かに眉を顰める様子を見せた薫だが、ラルクの前に着地すると同時、ためらいなく斬りかかって行った。
素早く首を引いてその一撃を避けたラルクが、悲しげな、そして若干の怒りをにじませた表情で、薫の糾弾に応じる。
それは、多くの激しい感情が混じりあった、ドロドロとした声だった。
「ああ、そうさ! 僕たちは生ある者達に向けて、許しがたい侵略戦争を仕掛けている! それは、完全に僕たちの都合のためだ! でもそれは、明確な未来を見据えてのことでもあるんだ! 今回こそ弱者を蹂躙しているのは僕たちの側だけれど、これからは、国や世界そのものを敵に回す弱者が僕らだ! そこまでしても守りたいもの、成し遂げたいものがあるからこそ、僕たちは今、ここにいる!」
少しでも”この町の”非戦闘民の被害を軽減するために短い時間で走り回っていたエルフの少年が、胸の奥に詰まった思いを言葉に変え、碌に反応を示さずナイフを繰って攻撃を仕掛けて来る少年に向けて叩きつけた。
「えひゃひゃひゃ! そのとーりーッ! 神の居ない世界、万歳っ! この世界は何者の手にも縛られぬ世界として生まれ変わるのだよ! この――」
「黙れ」
薫は、もう何度目かもわからない狂った男からの火球攻撃を、ラルクとの打ち合いを続けながら伸ばした左手で受け止めた。
そのまま先ほどまで同様に炎の術式を散らすのではなく、新たな「ベクトル」の「法則」を強引に書き込む。
「おお? むうううんんんんン!?」
薫の掌に触れた火球は軌道を180°真後ろに変更させ、自身の生みの親たる男めがけて跳ね返って行った。
血走った眼付きに焦りの表情を浮かべた男――メナスは、自身が放った火球をその胸で受け止め、炸裂した火球の圧力に吹き飛ばされ、宙を舞った。
「どげふッ!?」
およそ、普段は”感情の色を中々表に出さない気難しい軍師”などという評価を受けていたことなど想像もできないような悲鳴を上げて、ひび割れた石畳の路面に頭から叩きつけられた。
白目を剥いて泡を吹き、しかしまだ死んではいないことを示すかのように、ぴくぴくと全身を震わせている。
「メナスさん!!」
「よそ見している場合か?」
メナスの様子に一瞬目を奪われたラルクの手から、弓がもぎ取られた。
決して手放さないように固く握っていたはずのそれを奪い取られ、ラルクが呆然とした面持ちで目の前の眼鏡の少年を見やった。
「ぎあぅっ!」
無手になったラルクの腹に、強烈な前蹴りが突き刺さった。
咄嗟に構成した風の防壁は一瞬の内に吹き散らされてしまっている。
「……さっきの問いに答えよう。俺は弱い者いじめは好きじゃない。だが、結果としてそのような状況を産むことになったとしても、他の多くを助ける手段が手の内にあったとしても、それ以上に優先したいものがある。それだけだ」
薫は、崩れ落ちたラルクの前に、手に持った彼自身の弓をからんと放り投げなげた。
ズキズキと疼く腹を抑えながらラルクが立ち上がったが、自分の魔法が目の前の少年に届かないであろうことは悟っているようだった。
唇を噛みしめながら、これから自分に止めを刺すのであろう敵が語る言葉に耳を傾けるラルクを前に、薫は語る。
「例えば俺が、今上で行われている戦いに参加していれば、被害者は減ったのだろうか? そうだったかもしれない。そうでなかったかもしれない。……この戦いで家族を失った者を前にすれば、俺の心は痛むだろう――俺の作戦、俺の独断行動の結果だ、それは受け入れなければいけない」
ラルクの首元に、薫は輝く刃の切っ先を向ける。
頭を垂れたラルクは、ゆっくりと迫りくる刃を目で見ることなく、しかし感覚で理解しているかのようだった。悔しさを顔中に張り付けたかのようなその顔が、薫の眼下でゆっくりと上がっていく。
互いの息遣いすら聞こえてきそうな至近距離で、薫はラルクと睨み合った。
「この結界の境界を飛び越えられるのは、”この町”……あるいは、この町に住む人々のみだそうだ。その情報を受け、今回の作戦を提案した段階で、俺は彼らに”死の可能性”を押し付けたことになる」
――その”術”っていうのが、危険な敵である僕たちの排除ってことか。……ごめんよ、クズハ。僕はもう、ここまでみたいだ。せめて、もう一回生きて会いたかった――
ラルクはゆっくりと、諦めの息を吐き出した。
全身から力が抜けていくのを感じる。
「もう時は巻き戻らない。だから俺は今からのことを考える。今から、”より多くの命を救う術”を実行させてもらう。間接的に命を奪ってしまった彼らに報いるためにもな―――っ!?」
静かに目を瞑り、喉元のナイフが自分の命を奪う瞬間を身構えていたラルクだったが、いつまでたってもその瞬間は訪れない。
恐る恐る目を開けると、目の前の少年が、緊張に満ちた顔で空を見上げていた。
「これは、予想以上の大物が釣れたか……? おい、お前には少々聞きたいことがある。後で話を聞かせてもらうために――今は暫く眠っていてくれ」
目を細めてぽつりとつぶやいた薫が、訝しげなラルクの頭に片手を置き、用意していた強力な神聖魔法をそこに注ぎこんだ。
――殺されるんじゃ……ないの、か?
靄がかり始めた視界の中で、ラルクは慌てた風に駆け寄って来る軍装の男達と、彼らに応じ、何事かの相談を始めたらしい薫の背とが映り――そこで完全に意識が途絶えた。




