第百四十一話:<開……戦?>
ミシルは、普段通い慣れた商店街、その石畳の通りの真ん中をかつて経験したことの無い速度で走っていた。
見覚えのある店の看板や自分達と同じく駆けている人々の顔などが高速で視界の端に現れ鷹と思うと、あっという間に流れ去っていく。
――速い、速い! 速すぎる~~~っ!?
ミシルの口から、悲痛な叫びが漏れ出した。
しかし、その小さな叫び声は高速で移動中の彼女達にぶつかって来る風に流され、誰の耳にも届かないまま背後に消えていった。
顔にぶつかって来る風の圧力に目を瞑りながら、自分を先導しているユムナの腰をぎゅうと締め付け、地に足のつかない高速移動の中で安心感を得ようとする。
それを受け、ミシルの前方に座していたユムナが上機嫌そうに「ふふふ」と笑んだ。
若いミシルが自分にしがみついてきたことが自分を頼っているように感じて嬉しかったのだろう。
必死に両腕で締め付けてくる可愛らしい彼女の期待に応えるため、ユムナは手元のハンドルを握り締め、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
――いやあああああああ! 何これ!? 何これ!?
「どう~? この風を切る感じ、最高に気持ちいでしょ?」
「スピード緩めて! 危ッ! あぶあぶ!」
この世界初の三輪自走車に跨り、時速70kmで馬車道を走り去った二人の女性を見て、道の両脇を焦燥の表情で駆けていた市民たちが呆けたように足を止めた。
「下~ろ~し~て~~!!」
「今降りたら、二重の意味で危ないわよ~? まあ、お姉さんが責任をもって安全地帯まで届けてあげるから、安心しなさいな」
「むる無理、無理です! 安心とか出来な――、ひゃああああああ!?」
少女の可愛らしい悲鳴を後に残し、十字路で華麗な直角ターンを決めた自走車が通行人たちの視界から消えていった。
かつて建造された「船」の実働データを参考に作成された三輪自走車は、リスク過敏の気がある設計者の設計思想を忠実に守り、直角ターンでも揺らぐことの無い車体バランスを見せつけて危なげない走行を続けた。
シンプルな白い配色のボディに、流線型の車体。
業務用スクーターと一人乗り自動車の中間のような、二人乗り座席と屋根、そしてゴムモドキ製の青いタイヤを有する三輪の車だ。
正面に開いた窓から吹き込んで来る風を楽しみながら、ユムナは車の速度を上げた。
この世界の一般的な馬の速度はとうに超えている。充分な訓練を積んだ剣士の全力疾走にも迫る速さを得て、喜悦と恐怖、対照的な表情を浮かべる二人の乗客を目的地まで届けるべく、エンジンが唸りを上げる。
車体内の小箱サイズの小スペースにて、そろそろ動力回すの飽きてきたかもと寝転んだ風精霊呟き出した頃、ようやく自走車はスピードを緩め始めた。
「は~い、到ちゃ~く」
「……(うぅ、何でだろう、気持ち悪い。油断したら吐いちゃいそう)」
とある大きな民家の前で自走車を止めたユムナが、叫び疲れて元気を失ったミシルの、ずれ落ちかけていた眼鏡を直してやり、その背中を押して歩道に降りるよう促した。
猛り始めた自身の胃と戦うミシルの背後で、ユムナが、「取り出した時」と同様に、空間魔法で作り出した格納庫に愛用の三輪自走車を収納する。
ミシルの常識から外れたものを、ユムナは次々と見せつけてきた。
それを前にしてミシルは、目の前の女性が本当にこの町の運命を変えかねない人物であるという事実を、信じたいけれど信じ切れないというそれまでの半信半疑から脱却し、自然に飲み込むことができるようになってきていた。
「大丈夫~? そういえば、ノエルちゃんもこの"試作バイク"は『乗ると気持ち悪くなるから苦手』とか言ってたかしらね。乗馬酔いと似たようなものかしら」
「だ、大丈夫です……」
自分の顔を覗き込んで来るユムナに空元気で作り出した笑みを返してふらふらと立ち上がったミシルは、ふと今のユムナの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「あれ、そういえば今お姉さん、"ノエル"って――あ、それよりこの家、もしかして――」
しかし、聞こうと思った事象よりもさらに気になるものを目の前にして、ついついそちらに質問を移してしまった。
「流石軍事マニア。有名人とはいえ、個人の家まで知ってるなんて大したものね~。そうよ、ここはこの町の軍団長さんの私邸。見た目は少し大きめなだけの民家だけど、防衛設備は整っているわ。あたし達は何時でも好きに使って良いって言われてるの。知ってる? 軍団長の奥さんは結構な美人さんだったわ。じゃ、入りましょ、ここなら安全だから」
ユムナに促されるまま、邸宅の入口に向かおうとしたところで、ミシルがはたと気づいた。
この家の周りに、ミシルたち以外の人影が殆ど無いこと。そして、その事実が異常なことのはずだということに。
この町の混乱ぶりを見るに、街の防衛に関して責任を負う軍団長の邸宅には、そこに本人が居るか居ないかに関わらず、もっと大勢の人間が「責任追及」や「直訴」のために詰めかけているのが自然だろう。
突然立ち止まったミシルを不審に思ってその顔を覗き込んだユムナが、ミシルの視線を追ってあたりを見回し、「ああ」、と納得した風に頷いた。
「このあたりは軍の人間が封鎖してる『安全地帯』なのよ。この町のお偉いさんとかの自宅だとか、本人達が待機してる頑丈な防衛施設なんかも近くにあるはず」
「なる、ほど。でも、市民にこの場所は――解放しないんですか?」
聞き返しながらも、ミシルは既に理解していた。
既に街の上空まで的戦力がやってきているこの状況。
多くの市民の命を守りたいなら、うかつに一か所に集めてしまうより、町中に散らしておいたほうが「生き残れる」人数が増えやすい。
だが、その思考をミシルの曇った表情から読み取ったユムナは、敢えて質問への回答とは別の答えを述べ、それを以てミシルの不安を払った。




