第百三十七話:<街を守る者達>
アルケミの町に響きわたる、中央広場の鐘の音。
それは壊れた木琴を鉄棒で叩き、無理やり奏でさせられているような、聞く者の不安を煽る音だった
そしてその鐘の音が意味するところ――街への危機の到来を知り、数百、数千の市民達が屋外で慌てふためき、アメーバの群体のごとく右往左往、離合集散を繰り返す。
広がり続ける混乱の波は勢いを増して街に伝播し、人波に揉まれて離れ離れになる親子や友人達の悲鳴がそこかしこに生まれている。
そして、そんな町の混乱を眼下に収める巨大な影が上空にあった。
悠々上空に浮かび、町を睥睨するは伝説の大鯨もかくやと思わせる巨大な箱船。
その船は、地を這う虫を見る空の鷹のごとく、攻撃対象たるアルケミの町を見下ろしていた。
これ以上無いと思わせる混沌とした状況。
その中で、看板に腰を下ろし、一人ぼうっと町の喧噪を眺めていたミシルは、台風の目に身を置いているような心持だった。
不思議なくらい気分が落ち着いている。
目の前に迫る街の危機に慌てるより未知の情報を知ることに興味を示す度合が強い。
「分かったかしら? ミシルちゃん」
それは或いは、教鞭片手に街の現状を「講義」してくれている、蒼髪女性の落ち着きように感化されたためだったからかもしれない。
目の前の女性が「せっかく足を運んだ学術都市。生徒は無理にしても、教師の真似事ができただけでも嬉しいわ~」などと危機感の無いことを考えているとまでは知らぬものの、その自然体を前に肩の力が抜けたのは事実だった。
「それで、お姉さんたちの目的はその”敵”――エルフ軍の撃退ですか?」
だからミシルは今、大学講義を受講する時のような気分で手を挙げ、この場における講師役に向けて質問を投げた。
騒がしい周囲から隔絶した静かな学びの空間の中、教鞭の先を口元につけた女性が首を捻る。
「あら? ちょっと勘違いしてないかしらね~? 町側の陣営の目的は”この町の防衛”。敵陣営の殲滅じゃないの」
「それってどう違う……ああ、上手く講和に持ち込むってことなのかな? 確かに、戦力の知れない相手とうかつに戦うよりは、その目的を可能な限り叶える方向で譲渡するというのも、一つの手ですね」
学校で習った軍事知識を元に、ミシルは自分なりの考えを組み立てた。
「これで正解ですか?」といった具合に顔を覗き込まれた女性はけれど、首を横に振って否定を示す。
「残ね~ん。ちょっと違うかしらね~。それと、前提条件も。ええとね、敵側の戦力なら大凡分かってるのよ」
「え! 戦力計算が、済んでる!? その上でこうして迎撃しようとしてるってことは……確実な、勝つ見通しがあるってこと――ですか?」
易々と上空を侵犯されていながらのこの落ち着きようはそのためかと納得しかけたミシルを、蒼髪女性から帰ってきた言葉が再び混乱の渦に引き戻した。
「いいえ。たぶん無理ね~。まともにやりあったら、99.999%負けちゃう。相手陣営が用意した戦力が多すぎるのよ」
「じゃ、じゃあ、何でお姉さんはそんなに余裕そうなんですか?」
割と衝撃的な事実を聞かされたミシルであったが、即座に自身の身の危機と結び付けて取り乱さなかったことは流石というべきか。軍事オタクとしての研究者モードに切り替わっていたミシルは、純粋に疑問の解消を目的とした質問を口にした。
もし仮にこれがミシルでなく、近くの人の輪で買ったばかりのマイホームの心配に身を焦がして役人を問い詰めている男性などであれば、即座に奇声を発してこの町の出口である閉ざされた門まで猛ダッシュを見せてくれていたところだろう。
ため息を吐く女性が、「これは受け売りなんだけど……」と前置いて解説を始めた。
「あたしが落ち着いてるのは、それでもあたし達が守るべきものを守り抜けると確信してるからかしらね~。戦い方なんて、なにも一つだけしかないって訳じゃないの。あたし達が今回実行する作戦は、凄い欲張りな男の子が立てたものでね? この一戦を通して”街の人間を殆ど傷つけず”、”敵に対して戦力を示して牽制し”、”これからの戦いにつなげる”ようなものにするって言ってるの」
「それって……街の全ては救えないってことじゃないですか?」
「ん~、そうとも言えるかもね~。でも、人的被害は殆どでないように立ち回るつもり。だ・か・ら」
空に浮かぶ敵の船を教鞭で指し示した女性が人を安心させる微笑みをミシルに向けてきた。
「貴方達は今回の件について、”戦争を目の前で見ることができた。実に学術的好奇心を満たされる経験だった”――ってな具合に思ってくれればこちらとしては万々歳~って感じね。この町の軍が演じるショーか何かだと思ってくれれば良いの」
「それって……”戦争”とは言わないんじゃ?」
「そうよ~。あたし達はこの町に訪れるかもしれなかった、血みどろで、残酷で、無残な運命を取り除くために来たの。そんなものを齎そうとしたエルフさん達はご愁傷様ね。思い通りにはさせない」
女性の口ぶりからすると、彼女は今回の戦争の関係者どころか、もっと大きな役割を担う存在であるらしかった。
しかし、流石にそこまで突拍子の無い話をミシルは一口には飲み込め無かった。
――エアリスちゃんなら、『お姉さん、ヤバいよ、カッコイイよ~!!』とか言いながら素直に受け入れるんだろうなあ。……でも、私は悪いんだけど、ちょっと信じ切れない、……かな?
「すいません。私、そんなこと気出来るなんて、とても……」
「いいえ、できるわよ~。あたし達が来たからには、安心して頂戴な。この町は、絶対に守って見せるから。ああ、因みに、今回の作戦の一番の功労者はあたしになるはずだから、良かったら覚えてて。この運命神アリアンロッド様の最高司教、”ユムニメシア”の名前をね」
腰に手をあて、さらに突拍子もない名乗りを上げた女性を見るミシルの目が丸くなる。
アリアンロッドといえばこの国が信仰を奨励する国神であり、この町にもその教義を伝える神殿があったはずだ。
その最高司教が、目の前のどこにでもいそうな外見をした女性だというのか。
「ええと、ユム……?」
「……ユムナで構わないわよ~? ……あたしの本名なんて、ちゃんと名乗ってもどうせ誰も知らないんだし」
少しいじけた風に呟く女性、ユムナ。
その自己紹介を聞いたミシルは、ふとあることが気になった。
今ここに、そんな大役を担い、社会的身分もある(?)彼女がいることには、看過できない大きな問題があるのでは、と。
「ねえ、ユムナさん」
「ん~? なあに?」
「貴女が今ここにいるのって、良くないことなんじゃありませんか? 例えばその――エルフ側の協力者達の刺客に襲われたりだとか――」
「ふむぅん? 計測装置の故障や読み取りミスではなかったようだねえ。そこの麗しい青髪をお持ちの君。少しお話したいことがあるので、自分達の下について来ては、もらえませんか?」
そのミシルの予想は、的中してしまった。
ざりっざりっと音を立てて、二人分の足音がミシルの背後に近づいて来ていた。
背後をがばっと振り向いたミシルの前に、見るからに怪しい、顔半分を覆う白仮面をつけた背の高い男性が、その後ろに背の低い色白の少年を引き連れて姿を現した。
このタイミング、姿、そして、一見尋ねかけているように見えて、有無を言わせぬ雰囲気を纏ったその様。
どう考えても敵側――この町を侵略するエルフの側の存在だ。




