第十四話:あたし達は、人間だ<この世界で生きるには>
side:薫
(『お願いです。私もお二人の旅路に同行させてください!』)
俺達の目の前で、リーティスが頭を下げていた。14歳の少女がペコペコ頭を下げている姿は中々愛らしいものがある――ってそうじゃない。
突然の申し出に戸惑う俺の横で、紅がじっと俺の顔に視線を注いできた。
俺の額に突き刺さるその視線に、わずかばかりたじろいでしまった。
おい紅、なんでそんな目で俺を見る。
心中で問いかけるも、その視線がもたらすチクチクとした痛みは消えず、頭を下げ続ける村娘の動きが止まることも無かった。
何故、このような流れになったのだろうか。
相変わらずぴょこぴょこと頭を上下させる神官少女の前で頬を掻きながら、一つため息を吐く。
この状況に至る経緯――話は、十分程前にさかのぼる。
「まずは村の北路を封鎖している盗賊をどう突破するかだな。ここで下手を打つと、パシルノ男爵を刺激して、村に余計なちょっかいを出されかねない。慎重に行く必要があるだろう」
俺と紅は明日に迫ったこの村の出立を前に、王都行の方針を議論していた。所在はもはやすっかり馴染んだ、リーティスの家である。
この家に備え付けられている寝具の数から魔石の所在、備蓄食料の残存分まで目を瞑って諳んじることができるし、夜の闇の中でも室内を自由に歩き回れることだろう。
もう「俺達の家だ」と言ってしまいそうになるくらいこの家に馴染んでいるのが少し怖い。
まあ、それはそれとして今は直訴状運搬任務の方針決めだ。
いつも通り「プランナー」である俺が全て決めてしまっても良かったのだが、この世界にまでいつまでもASPの関係性を持ち込む必要はあるまい。
少数人数の意思決定では絶対の採択者の必要性は薄れるものだ。
「なあ。単純に、立ちふさがった奴らを全員ふっとばすってのは駄目なのか?」
「下策だな。残った奴らが異常を感知すればパシルノに連絡が行くだろう」
『そうですよね、倒された人達も怒ってしまうでしょうし、そのまま村までお礼参りなんてされたらたまりません』
この談義には、リーティスにも加わってもらっている。この世界の住人という立場からの意見も参考にしたいと思ったからだ。
紅との通訳が少々手間だったが、これくらい許容範囲だ。男の甲斐性の見せ所である。
それにしても、と一つ疑問を覚える。
今のリーティスさんの発言は、少々低声が必要じゃあないか?
『ああ、リーティスさん。大丈夫だ』
『?』
『その場合、つまり交戦が避けられなくなった場合であれば、こちらを襲った連中は殲滅すれば良いだけだ。まあ、それは正直避けたい。中途半端ではいかなくなるんでな。盗賊団全体にそれなりの被害を与えなければ報復は来る以上、交戦の最善手は一人残らず殺しつくす、という計画になる。だが手間を考えるなら……どうした、リーティスさん?』
説明の途中、リーティスさんが突然口元を押えて蹲ってしまった。
気なしか、顔色も悪い。
心配して近くに寄ろうとしたところ、後ずさりで距離を離され、足を止めた。
本当に、どうしたのだろうか。
「まあ、そちらの案は保留だ。東の湿地帯を通るルートも考えたが、地図も何も手に入らなかったからな。抜けた先の領主がもしパシルノ男爵と繋がっているようなことがあれば、パシルノ男爵領を経由しないというメリットも帳消しだ。何より、王都までかかる日数が増えてしまう。ここまで踏まえて考えると、一番良いのはそもそも盗賊たちに気づかれず北路を通過することだろうと俺は思う」
リーティスさんの変調も気にかかるが、今は会議の時間だ。
俺の案を披露し、目線を紅の方に向ける。
「なあ、兄貴」
と、腕組みした紅が何か妙な含みのある声で呼びかけてきた。
「……どうした、紅?」
こちらを見る紅の目がくっと細まり、視線が鋭くなる。
これはまさか、怒っているのか……?
しかし、ならば何故?
そんな俺の疑問に答えるように、紅は一言一言、諭すようにゆっくりと言葉を吐き出していった。
「ここは日本じゃねえんだぞ」
何が言いたいのだろう。それくらいは俺も分かっている。
「そしてあたし達は今、ASPの隊員じゃねえ」
厳密にいえば隊を離れてはいないが、まあそうだ。
事実上、俺達は隊から独立したユニットとして存在している。
「何で普通に「殲滅する」だの「殺す」だの言ってんだ? 盗賊とはいえ、相手は人間だぞ」
紅の言葉に思わず息を飲んだ。
目を見開き、妹の顔を見やる。
俺の顔を映す二つの黒の瞳が、強い感情の光を宿してこちらを睨み付けてきていた。
そして、事ここに至って初めて。
ここで初めて、先ほど俺の発言を聞いたリーティスさんが目に浮かべた感情がなんであったのかに、思い至った。
あれは、「怯え」だ。
リーティスさんは先の俺の言葉に、怯えていたのだ。
――そうか、そういうことか……。
この世界の事柄について、俺はここ数日でそれなりに知識をつけた。
この国の平民たちは、領主の行政しだいでは、満足な食物を確保できずに飢え死にすることもあるという。決闘騒ぎを起こした者、貴族に害をなした者は私法で裁かれ、実に簡単に死刑に処される。
命の軽い世界だ。
そう、思っていた。
俺達が生まれた現代日本のように「基本的人権の尊重」や「万人の平等」などという概念は無い。身分の低いものは身分の高いものに逆らえず、力の無い者は命を奪われても文句を言えない世界だ。
しかし、それでも。
「人が人を殺す」ことを平然と受け入れて良い訳じゃないのだ。
それは、生物の基本原則に背く行為だ。
どの国でも、恐らくどの世界でも、そこで示される道徳にて必ず批判される観念だ。
もしかするとリーティスの反応はこの世界の人間の標準ではないのかもしれない。
彼女は、優しい子だ。相手が悪人であっても、その身を害させることに心を痛められるのだろう。
だがそれは、「人間」として、決して異常な感情ではない。
異常であるはずが無いのだ。
ああ、俺は何時勘違いしてしまっていたのだろうか。
一体何故自分に好き勝手に人を殺す権利があると思い込んでいたのだろう。
日本にいた時はASPがそれを保証してくれた。ASPが判断した「世に害となる者」を組織の代行者として殺していたのだ。
今、俺は「自身の勝手な判断」で「盗賊たちはどうせ皆救いようのない悪人だ、殺しても問題ないだろう」と考えていたのだと悟る。
その考えが抱える、本当の意味を意識せぬままに。
どんな悪人も生きている権利はあるなんて綺麗ごとは言わない。だが、俺が自分の意思で人を殺そうと思うのであれば、それは決して軽い気持ちで成して良いものではないはずだった。
俺は、人を殺せるだけの力がある。命を奪った経験もある。しかし、自分の決断のみで人を殺したことは一度もないのだ。俺の「現場での判断」に対しては、必ずASPという組織が存在していたのだから。
戦争において戦果を上げたものが英雄視されるのは、軍や、その者に守られた民達がその殺人を評価するからだ。今回は恐らく、そうではない。
自分の判断に絶対の自信がある? そんなものは免罪符にさえならない。人を殺すことは、その者の命に関して絶対の責任を負うことと同義だ。
その責任を感じなくなった生き物は、人の世では生きてはいけない。そんな存在は化け物と変わらない。
そうだ、「機嫌を損ねさせられたから」という理由で他者の命を奪うような、自分勝手すぎる存在をこそ、俺達はASPで悪として裁いていたんじゃなかったのか。
『……悪かった、リーティスさん』
先ほどの、無神経な言葉に対して謝罪の言葉を述べる。
言葉だけでは足らじと、頭も下げる。
精一杯の、誠意の気持ちを込めて。
しかし、リーティスさんは俯き、床に向けた視線を上げてこちらを見てはくれなかった。
ズキリと胸に走る痛みを受け入れながら、俺はもう一人の少女の方を振り返った。
「ありがとう、紅。俺は危うく勘違いをしてしまうところだった。気づかせてくれて本当にありがとう」
紅は鼻を鳴らして答える。
それで十分だった。
きっと、俺の気持ちは伝わっているはずだと、それだけで分かった。
「しっかりしろよ、兄貴。人間でいられなくなったら「あたし達」は終わりなんだからな」
……ああ、分かっている、分かっているさ。
俺達は、誰よりも「人間」であろうとしなくちゃならない。
そういう、存在だった。
そう考えた俺の頭の奥で、何かが蠢いたような感触があった。
「――話を続けよう。どうしようも無くなった時、そうせねばならない時は盗賊の殺傷も視野に入れる。しかし基本的には盗賊にはノータッチだ。これでいいな?」
そう、盗賊の命よりは村の皆のことが大切だ。ここだけは間違ってはいけない。
紅が頷く。
「そして……、これからもだ。よほどのことが無ければ俺達は人を殺さない。そう誓おう」
リーティスさんにも俺の声は届いているはずだ。
彼女には、嫌われてしまったかもしれないな。
彼女は、この世界における俺達の最初の友人だ。その彼女に嫌われてしまったというのは非常に心が痛い。
せめて、この村を救うことで恩に報いなければ。
仮に王都に向かう道中で元の世界に帰る手段を見つけたとしても、俺だけは必ず務めを果たそうと決心する。
(『――ってください』)
ふと、顔を伏せっていたリーティスさんが何かを告げようと此方を仰いだ。
(『私も!お二人の旅に!連れて行ってください!』)
――そして話は冒頭の部分に繋がる。
リーティスさんの唐突な申し出に、俺は返答の言葉を見つけられなかった。
意味が分からなかったからだ。
何故、先ほどの流れがその申し出に繋がるのかが分からなかったからだ。
返答に窮して黙ってしまった俺の前で、リーティスさんが口を開いた。
(『私、この前アリアンロッド様から信託を受けたんです』)
信託を受けた? いや、そもそも“神託”とは何だ?
疑問を覚えたが、今それを尋ねる場面では無いことは理解していた。
リーティスさんの言葉に、耳を傾けることにする。
(『“可能な限りカオルさん、ベニさんの力になってあげなさい”って。私は最初、この村でできる限りいろんなことをお二人に教えることがそのことだって思っていたんです』)
リーティスさんの黒い瞳が俺達二人を映し出した。
(『お二人は魔法なんか無くても青年団の皆さんを倒してしまえるぐらい強くて、私なんかの知らないようなことも色々知っていて、私にできることなんてそれだけしかないんだろうな、って思っていたんです』)
リーティスさんの声が震える。見ると彼女の目には小さな水玉が生じていた。
(『でも、さっきカオルさんがショックを受けているのを見て、私、思ったんです。お二人だってやっぱりまだ大人じゃなくて、色んなことに悩む子供なんだなって』)
リーティスさんは先ほどの俺の葛藤を察してくれていたようだった。
自分より年下の少女に子供扱いされたが、腹は立たない。
むしろ、俺のことをまっすぐ見てくれた彼女の気持ちを、たまらなく愛おしく思った。
(『私じゃ、ついていったところでお二人にご迷惑をかけてしまうかもしれません。いえ、絶対にお荷物になってしまうと思います』)
彼女の頬を一筋の涙がつたった。
(『でも、お二人から目を離したくないんです。今目を離したらそのまま私の知らないどこかに行ってしまう気がして、だから』)
彼女の口から出てくる声は完全に鼻声になってしまっている。魔法で脳内に伝わってくる言葉のほうも、彼女の心情を反映してか、どこか震えていた。
(『お願いします、カオルさん。私を一緒に連れて行ってください』)
自分が悲しいから泣いている訳じゃないだろう。
今、彼女は俺達のために泣いてくれているのだ。
「ああ……。ありがとう。リーティスさん」
渇いた下唇にくっついていた上唇を無理やり引きはがし、言葉を続ける。
「俺も、言葉はともかくこの世界の常識あたりについてはまだまだ不安に思っていたところだ。治癒魔術のこともあるし、リーティスさんがついて来てくれるなら、これほど力強いことは無い」
ああ、何故俺の口はこんな言葉しか紡げないんだ。本当は彼女の気持ちがたまらなく嬉しい癖に。その優しさへの感謝を伝えたいとも思っているはずなのに。
正直になれない自分へのもどかしさに苦悩していると、俺の顎から何かが滴り落ちた。
「え……?」
頬に手をやって驚く。
指先に感じる湿り気。
その正体は、俺の両目から流れ出した涙の滴だった。
自分の体を100%思い通りに動かせるはずの俺の意思に叛逆し、俺の両目は涙を切らすことなく生産し続けていた。
「あーあ。情けねえぞ、兄貴。年下の女の子に泣かされるなんてよ」
「い、いや、これは……っておい!」
「きゃうっ!?」
いきなり体を乗り出した紅が両の腕を広げ、何時になく震え声になってしまっていた俺と、すぐ傍にいたリーティスをまとめてその腕で抱えこんだ。
「まあ、たまには泣いても良いだろ。この世界じゃ知らないが、日本ではまだあたし達は未成年のお子様だ。大人だって甘えたい奴の下では素直に泣くもんらしいぜ? 今は泣きたいだけ泣いとけよ」
まさか、紅にこんなことを言われる日が来るとは思いもよらなかった。
紅のせいで俺とおでこをぶつけ合うことになってしまったリーティスさんが、ゆっくりと顔を上げてこちらを見つめる。
俺のことを安心させるようににこりと明るい笑みの表情を浮かべたリーティスさんは、涙を目に浮かべてなお美しかった。とても、綺麗だった。
女は得だな。男の涙なんてただそいつの情けなさを表すだけのものなのに。
心の中で、誰に向けた訳でもない愚痴が漏れる。
(ベニさんが、今何を言ったかは分かりませんが……)
リーティスさんが、紅と俺の背に手を伸ばす。
(カオルさんを気遣ってあげたんですよね? なら、私も同じことを言います。今ぐらいは、私に弱いあなたを見せてください。私はそのぶんこれから強いあなたに守ってもらいますから)
紅とリーティスさんの手が、俺の背をゆっくりと、優しく撫でるように滑っていく。
その温かさがあまりに心地よくて、――もう限界だった。
俺も、紅とリーティスさんの背中に両腕を伸ばして彼女達を包み込む。
そうして俺はしばらくの間、二人の少女の体温をその身に感じていた。
今回の要約:リーティス「あんたたちが情けなくて頼りないから、仕方なく私がついて行ってあげるんだからね!」
次回で一章が終了です 今晩投稿予定
今回の話には個人的に挑戦したかった色々な要素が含まれています。この話に対する感想、批評、罵倒、何でも受け付けておりますので、よろしければ感想をください。
それと、すいませんが明日より今作の題名を変更したいと思います。
内容自体は変わりません。どうぞご了承ください。




