第百三十三話:<彼女達の決着>
回避不能の速度で飛来する、黒剣の弾丸。
自分の刃が収まるべきはその場所だと言わんばかりに、ノエルの左胸目がけ、一直線に突き進んでくる。
――絶対に! 打ち破って見せるっ!
禍々しい赤黒の光を纏う剣の威容に対抗すべく、ノエルは自身の魔力を剣に集め始めた。
飛翔してくる剣の切っ先が、優れた動体視力を持つノエルに向け、信じられない速度で向かってくる。
あと僅かに残された迎撃準備の時間を無駄にするわけにはいかない。
全身の魔力を意志の力で強引に従わせるノエルの脳に、かつてないスパークが走った。
剣に纏わせていた炎魔法の術式すら解除し、ただ眼前の攻撃を打ち負かせるだけの力を、愛剣に与えることに全力を注ぐ。
主人の求めに応じるかのごとく、魔力を注がれた剣が、消えゆく炎より尚眩い、紅色の光を纏い始めた。
「―――――――――――てああああああああああぁっ!!」
轟音が生じた。
剣と剣がぶつかり合ったことで巻き起こったものとは到底思えぬほどに重く、腹の底にのしかかるような鈍い音だ。
主人を守る役目を担った長剣と、主人の敵をその命ごと穿ちぬかんとする使命を負った短剣の弾丸。それぞれの剣を覆う鮮やかな赤色と黒ずんだ赤色の光が、互いを喰い破ろうと競合し、火花を散らす。
時間にして1/10秒にも満たぬ刹那の間に、それら二つの剣の決着はついた。
長剣の赤光は既に黒剣の赤黒い光に押し破られ、その剣身にまで相手の浸食を許していた。
後一秒も持たぬうちに長剣は完全に相手の赤黒い光に侵食され、刀身を貫かれ、砕かれるだろうと思われたその瞬間。
――破った!
長剣の打撃で軌道を強引に逸らされた短剣は、ノエルの体を捕えられず、その脇腹の横ギリギリを通過し、背後へと飛んでいった。
大きく罅の入ってしまったノエルの愛剣は、無事主人の命を救うという役目を果たし終えたのだ。
突進の勢いを無駄にせず、ノエルは砕けつつある氷壁に全身をぶつけに行った。
柄を腰元に引き寄せ、剣をまっすぐ前方に突き出せるように構え直しながら。
砕けた氷壁の欠片と、魔力変換効率度外視で行使された氷魔法使用の余波として生じた白い霧。
それらに視界を遮られながらもノエルは迷いなく剣を振るう。
魔力の流れを感知できる彼女に、この程度の視界塞ぎは意味を成さない。
眼前に浮かぶ人影が先ほどから対峙していた仮面の少女であることは間違いないと感じ取っていた。
赤い残光を引くノエルの長剣が、白い視界を貫く杭となって力強く前に突き出された。
そして、白い霧の中に浮かぶその人影の腹に、深々と突き刺さる。
――勝った!
ノエルの心にようやくの安堵と、結局手加減の出来なかった自分に対する後悔の念が浮かぶ――その前に。
――えっ?
突き技を放った体勢で固まっていたノエルは、嫁縁、後頭部に強い衝撃を受けた。
ノエルの視界に火花が散る。
そして、驚愕の表情で地面にがくりと膝をついた。
――あれ、何? 私、立てな……
突然の出来事に適切な対処をする間もなく、ノエルの体から力が抜けて行く。
指から離れそうになる剣の柄を掴み取ろうと必死に指に力を籠めるが、その努力実らず剣は手から離れ、からんと音を立てて地面を転がった。
混乱するノエルの頭に、さらに二度目の衝撃が襲った。
とうとう意識を刈り取られ、腹から地面に倒れ行くノエルの視界に先ほど自分がお腹を貫いた人影――氷製の人型像が映った。
ざりっ。
倒れ伏したノエルの脇に何者かの靴底が落ち、石畳を覆う薄氷を削り取る音が響いた。
「……あたしの、勝ちだね」
敗者となったノエルを見下し、ぼろぼろの白仮面を顔に張り付けたユーノがそう呟いた。
――あんたは確かに強かった。でも、自分より技量の低い人間に負けた経験がなさそうだったよねー。たぶんそれが、今回のあんたの敗因。
ユーノはノエルの剣の腕を、「実戦稽古の経験が乏しい、殆ど訓練のみで培われた剣技」であると感じ取っていた。
ノエルの剣は基本に忠実で、技量の下回る相手を着実に追い詰めていけるだけのものを持ちながら、ユーノが最初に見せた、不意打ち気味に放った氷魔法との合わせ技などへの対応力は熟練者のそれにしては少々お粗末すぎた。
獣人の身体能力・反射神経は一般的な人間より優れていると言われているが、戦いの駆け引きなどの技量に関しては、純粋に積み上げた経験がものをいう。
獣人としても高レベルな魔力感知能力や剣士の素質、魔法剣士としては十分以上の炎魔法に、一流の剣技。
それら全てを兼ね備えていながら、「実戦における対人戦闘」の経験の少なさは先ほどの戦いの中で、そこかしこに如実に表れていた。
技量と武器のリーチで劣るユーノが、未知の型や剣技を用いることである程度互角の戦いに持ち込めていたこともそう。
相手の手の内が分からない内からやたらと果敢に、或いは無謀に正面から突進攻撃を仕掛けてきたこともそう。
ユーノが最後、"多大な魔力を籠めて作り出した氷剣"を核に、その剣に自身の魔力の全てを委譲、人型に作り替えて身代わりにするという小細工にしてもそうだ。自身の魔力感知能力を敵感知において絶対の力が有ると過信していたからこそ、そして、「賭死の矢」が相手の最後の攻撃だなどと思い込むほどに、そのような甘い考えを持つ程に実戦を舐めていたからこそ、ユーノがつけこむ隙があったといえる。
「あ痛っ……!」
ユーノがうめき声を上げ、脇腹に手をやる。
見るとそこには、赤黒い染みができていた。
先ほどノエルの一太刀を受けた箇所だ。常人なら全治数週間といった具合の傷だろうが、剣士であるユーノは、剣を握り、魔力を体に循環させれば数時間で完治させられるだろう。
しかし、今のユーノには二重の理由でそれが叶わなかった。
一つは、先ほど「賭死の矢」を放ったことで自身の愛剣を失ってしまったこと。
ノエルに弾かれた黒剣は背後にあった教会施設の厚い壁を突き破り、その施設内の何処かへと姿を消してしまっていた。回収は容易でない。
しかしそれは、代わりの「剣」を用意すれば済むこと。
だが、もう一つの理由は代替品でどうにかできる類のことではなかった。
ユーノの足がふらつく。
危うくノエルの体の上に倒れこみそうになったところで両の膝をがしりと掴み、踏みとどまる。
今のユーノの体には、必要最低限体を動かす程度の魔力しか残っていなかった。
以前同様に自身の限界まで魔力を使い果たしてしまった経験を踏まえ、そういった調整ができる程度に魔力操作の腕を上げていたユーノだが、今回ばかりは魔力感知の力を持つ相手の目を欺いて背後に回り込むためにその他全ての魔力を人型氷に注いでしまったせいだ。
常人を遥かにしのぐ魔力回復量をも持ち合わせてはいるが、限りなく空に近い器を即座に満たすような芸当はできない。
戦闘の疲労も、魔力枯渇寸前の倦怠感と合わせてユーノの全身を襲ってきた。
油断すればふらりと倒れこんでしまうだろう状態にあって、ユーノは仮面の奥の唇をぐっと引き結び、大樹のように足を踏ん張らせて直立する。
まだこの場における最後の仕事と、これからの仕事とが残っているのだ。ここで立ち止まる訳にはいかない。
――ふう。で、なんであんたが「町の外」に向かうんじゃなくてわざわざあたしみたいな下っ端を狙ってきたかは分かんないけどさ。真剣を向けてきた以上、当然こうなる覚悟はあったわけだよね?
ユーノが足元に落ちていた、刀身に罅の入った長剣を拾い上げる。
どうやらこの少女のための特注品だったらしく、その剣の柄にはノワール王国の共通文字で「ノエル」という文字が彫り込まれていた。
良く見るとその剣、シンプルな外見ながらも柄ごしらえや鍔のデザインなど、細々(こまごま)とした部分で、そこらの武器屋で売られている無骨な鉄剣には無い様々な趣向が凝らされ、女性が持つにも良さそうな心遣いが詰まっている。
「……ふうん」、と無感情な声で呟いたユーノが、構えたその剣の先を本来の持ち主たる少女の首元に向けた。
――どうせ、ここに放置してても"巻き込まれて"死んじゃうんだろうけど。どうせなら最後まであたしが……、ね。じゃあね、「ノエル」ちゃん。許してくれなんて言わないけど、せめて次生まれ変わった時は女の子として幸せな人生を送れるよう、祈ってあげる。
少女の首を一思いに両断するべく、ユーノが剣を大きく振り上げる。
天を剣先で指して制止させた剣。その柄を、そのまま両手でぐっと握り込んだ。
ためらわず、即座に振り下ろす。
無防備に晒されたノエルという少女の白い首筋に、裁断の刃が吸い込まれていった。




