第百二十三話:<動き始めた役者たち>
さて、友人探しを決意したミシルが外出準備のついでに移動用日傘を購入していたそのころ。
捜索対象たるエアリスは、先ほどと同じ家で二度目の覚醒を果たし、自分を覗き込む大粒の瞳を持った黒髪の少女と目を合わせているところだった。
「……おはよう」「!? …………あれ?」
その少女が先ほど逃げる自分を追いかけていた黒コートと同一人物であることをエアリスの脳は理解していた。
しかし、何故だか自分の心の中に一切の動揺や不安、危機感が浮かばず、不思議に思って首を捻る。
目を覚ました自分の顔をペタペタと触って来る少女の手を受け入れながら、エアリスは酷く落ち着いた心持ちで上半身を起こす。
先ほどと同じ緑色のタオルケットが体からパサリと滑り落ちるのを、何だか遠くの国の物語でも聞いている時のような面持ちで見送った。
「……少し、効果ありすぎ? やっぱり、普通の人には良くないかも」
「それはどういう意味でしょうか?」
少女のつぶやきに、エアリスがかくんと首を倒して問いを返す。
無感情な瞳で少女に問いかけるエアリスを見て、少女の背後に立つ白仮面の少女が頭を掻きながら呟いた。
「うーん、クロエちゃん、”それ”、もう外しちゃわない? ま、もうある程度冷静に状況を分析できてるだろうから、今更暴れ出したりはしない……と思いたいなー」
「……ずぼらは、やっぱり良くない」
と、黒髪の少女がエアリスの右頬に向けて手を伸ばしてきた。
ちょうど寝起きで乱れた前髪を払おうとしていたエアリスの手を避け、エアリスの顔半分を覆っていた白仮面を掴む。
ピリッ!
仮面を外される際、エアリスの頭に軽いショックがあった。
しかしそのショックも次第に和らぎ、エアリスの瞳に元の元気旺盛な輝きが戻り始める。
「……具合、どう?」
それを確かめた少女が、恐る恐るといった具合にエアリスの顔を覗き込む。
と、不意に駆動を開始したエアリスが「どーん!」というおかしな掛け声と共に少女の体に抱き付いた。
「あはは、ごめん。こんな可愛い子たちを殺人犯と間違えるだなんて、どうにかしてたよ!」
「うーん。あたし達、そんな危険な感じに見えるー?」
「今は全然! クロエちゃんとか可愛すぎんだろ! さっきみたいなコート似合わないから、普段から普通にしてればいいのに。良いね、その翼、可愛いよ! 男の背中についてたら不気味だったと思うけど、女の子の背中だったら許せちゃうね。あ、ちょっと触っていい? モフって良い?」
今の少女は、相方の仮面少女の助言に従い、コートを脱ぎ捨て、自身の種族的特徴たる身の丈サイズの蝙蝠翼を晒していた。
“蝙蝠人間”という人種に対する嫌悪感こそ近年薄れてきたものの、普通の人間からは「気持ち悪い」だの「不気味」だの言われる翼に対して手をワキワキさせながら迫るエアリスに対して、蝙蝠少女が思わず「うぅ!?」、と身を引いた。
助けを求めるように背後を振り返るが、そこにいた仮面少女は手を差し伸べようとはしなかった。
「良いじゃん、クロエちゃん。友好を深めるのにスキンシップは有効らしいよー?」
「おお♪ ほら、クロエちゃん、お許しも出たところで……ぐへへへ、その体、わしの好きにさせてもらうぞえ」
「……ユーノ。この恨み、忘れない」
宣言通り少女の翼と、そのついでに黒髪やぷにぷにのほっぺたまで堪能したエアリス。
実に晴れやかな表情を浮かべた彼女には、先ほどまでの警戒心は一切残っていなかった・
「……うぐ。なんか、釈然としない」
「ああ、余はまんぞくじゃー。――そういえば、ちょいとそっちの仮面の人さん、この仮面って何なの? 人を冷静にさせる魔道具か何か?」
十全に少女の体を堪能したエアリスは、ふと思い出したように自分の顔を指さし、尋ねた。
エアリスの顔半分には、白い仮面がぶら下がっている。
それは、彼女が目を覚ましてから暴れ出さないように、ユーノが装着させたものだった。
万一のための貴重な予備の仮面ではあったものの、余計な騒ぎを起こすくらいならと迷いなく貸し与えた。
その仮面は素晴らしい威力を発揮し、感情を抑制されたエアリスは冷静な頭で「彼女達が自分を傷つける気なら、とっくに自分はどうにかなっている」という事を分析し、ひとまずの落ち着きを手に入れたのだった。
そして、一旦落ち着けば、場に馴染み、好き勝手に動き出すのがエアリスのエアリスたる所以である。
「似たようなもんかなー。その仮面には感情を抑制させる力が有るんだってさ。あたしのこの仮面は幾つか他の効果もあるけど、感情抑制機能はあたし達が持ってる仮面の共通効果だね。クロエちゃんも前はつけてたよー」
「え? それをずうっとつけてなきゃいけないなんて――ユーノちゃんって何か、良くないものに取りつかれてるとか、そういう感じ?」
エアリスが少し驚いた様子になる。
以前、そのような症状の人間がいるという噂を聞いたことがあったのだ。
その噂によると、その患者はアルケミの街全医学施設をもってしても治療が叶わなかったのだとか。
本人は「神が、俺の中に神が降りてきたんだよ! 本当だって! もうすぐこの町は――そして、その次はこの世界が滅びるんだよぉ!」などと言った終末論をうわごとのように繰り返し、やがて息を引き取ったのだそうだ。
「んー、ま、似たようなもんかなー。あ。あと、気になってるだろうから言っとくけど、この”右手”って別にあたし達の犠牲者の体の一部とか、そういうわけじゃないよー? これはあたしの友人が事故で失った右手。綺麗な形で残ってたから、貰ってきただけ。驚かせちゃって、ごめん」
「へえ、そうだったんだ」
「――んん? 信じてくれるんだ?」
「私、自分が信じたいって思ってる人が本当か本当じゃないか分からないことを言ってる時は、まず信じてみようって決めてるの。……さっきはいきなり逃げ出しちゃってごめんね。貴女達がそんなに”悪い人”じゃないってことは、今では分かってるから」
そう告げたエアリスに対し、二人の少女は二者二様の態度を見せた。
「……お人よし」
「うわっ、そう言われると傷ついちゃうなあ」
クロエと呼ばれた黒髪少女はベッドに体育座りをしながらどこか嬉しそうにそう言い。
「――因みに、エアリスちゃんが思う”悪い人じゃない人”って何?」
「えっ? まあ、法令を順守する人ってのが一般的だと思うけど、強いて言うなら、自分以外の人を気遣える人じゃないかな。なんで?」
そんなこと聞くの? 、と尋ねるエアリスは真意を掴めていなかったようだが、答えを聞いたユーノが仮面の奥の表情を歪め、ほうと息を吐いた。
――それは、あくまであたし達があんたに対して接する態度を見てのことなんだろーねー。
と、少々陰鬱な雰囲気になりかけたユーノの前で突如、エアリスがガバリと自身の膝を抱え込んだ。
いったい何事かと身構えるクロエ、ユーノの注視を受けたエアリスが、震える唇で声を放った。
「と……トイレ、貸して。やば、も、限界――漏れ――」
「クロエっ!」
「……!」
ユーノの呼びかけに無言で応答したクロエが青ざめたエアリスの体を滑らかな動きで抱え上げ、部屋の扉を蹴破って出て行った。
――そういえば、仮面の作用で一番長く失われてるのが危機感だったっけー。私は仮面有りがデフォルトなもんだから、すっかり忘れてたなー。
クロエが廊下を駆けるドタバタ音、扉をばたんと閉じる音を耳にしながら、部屋にポツンと取り残されたユーノがポツリとつぶやく。
乙女の危機が回避されたか否か、少し気になったものの、ふと別のことに思い至って、思考をそちらに移した。
――それにしてもあの娘。勘が良いのやら悪いのやら。むしろ、あてずっぽうが運よく当たってる感じかなー? ここに来てる時点で運が良いのは確かだけれど。
そのまま、ギシギシと木の床の音を鳴らしながら、先ほどまでエアリスたちが座していたベッドの下まで歩いていく。
ボフンと音を立て、柔らかいベッドの上に腰を下ろす。
そして、その下にある氷水入りの桶を皮肉そうに歪めた笑みの表情で見やった。
くすりと笑ったユーノが、その巨大桶の表面に手を伸ばす。
ユーノの手から、不可視の魔力の波動が放たれた。
放たれた魔力は氷の浮かぶ水面に落ち、蜘蛛の巣状に広がり始める。
表面を覆う不必要な氷が泡を出しながら溶け出した。
まるで硫酸に放り込まれた小動物の溶解みたいだなー、と少々えげつない連想がユーノの頭に浮かぶ。
やがて、表面近くに浮かんでいた氷は全て液化し、水に変態した。
そして、その氷で隠されていた桶の底面が露わになる。
そこにあったのは、巨大な氷の塊。
そして、その氷の中に浮かびあがる、深い眠りにでもついているかのように目を閉じた親子三人の全身。
手を繋いだ夫婦が向かい合い、その胸の中にまだ幼い幼児を抱えている。
我が子の眠る養育ベッドの両端で彼ら若い夫婦が眠りにつけば、このような光景が出来上がったろう。
しかし、その三人の体は硬く冷たい氷の中でピクリとも動かない。
睡眠中も生物として当然行われているはずの呼吸。それを示す胸の動きさえ見当たらない。
それもそのはず。
氷の棺に抱かれた彼ら三人は皆――息絶えた死体だったのだから。
――優しい人……? 全然、違うよエアリスちゃん……。
氷水から漂い出す冷気に満たされた薄暗い部屋の中。
死体を眺めるユーノが自身の身体を両手でそっと掻き抱く。
唇を強く噛みしめたユーノは、後戻りの出来なくなった自分の身をこの一時のみ震わせることを自分に許した。
――あたしは、人殺しだよ?




