第百十八話:<叶えたい夢>
遅れました。……六章の改稿は、順次、手の空いたときに進めて参ります。すいません。
ラルクとエアリスがやってきたのは、この街では珍しい、土の地面が露出した公園だった。
開発の進むアルケミの街の中、先代町長がどうしても残すべきと主張した土地だ。
並んで歩く二人の足元を鴨の親子や野生の狸が歩き去っていく。
思想家としても有名だったかの町長が言った「何でもかんでも土魔法で舗装すりゃ良いってわけじゃありません。土と緑、全てありのままという環境も残しておかなければ、我々は本来の自然の形を見失ってしまいます」との言葉通り、湧出する水源とそこから流れ出る川、枝を繁らす木々やその中に住まう動物たちの巣といったものが、手つかずのまま残されている。
足元を通り過ぎて行った斑模様のオオトカゲを見送ったラルクが「へえ」、と感心した風に呟く。
「この街にもちゃんと緑が有るんだね。ちょっと安心したかな」
「この町の緑の無さは、ちょっと異常だよね~。私はもう慣れちゃったけど、たまの休みに町を出て遠出したりすると、何だか急に原始林に放り込まれでもしたみたいな変な気分になるもん」
鞄を吊り下げた腕を頭の後ろで組んでいるエアリスが、感慨深げにそう言った。
アルケミの街は、ノワール王国ただ一つの独立都市である。
古代都市の跡地とされる、標高の高い盆地の中に広がった街並みは、王国設立以降この町に集った自由人たちの手で大きく改造を加えられ、現在は王国一の猥雑街として知られていた。
国家から独立と庇護を保障され、かつ山に囲まれて他の街から政治的にも地理的にも離された地。
研究者が腰を据えて好きなだけ研究を続けるには最も適した場所であり――その著名な研究者たちに師事を求めてやってきた好奇心旺盛な学徒や、変わった暮らしを好む多くの変人たちの手によって、他の街とは全く違った発展を遂げていくことになる。
街建造の黎明期、街の中心に建造された大時計塔を中心に、煉瓦造りの巨大為政講堂や最初の公立大学が建造され、それら施設の威容に負けじと多くの神殿や私立大学が後から徐々に徐々に並べられていった。
人が集まる場と聞いて商人たちがやってくるようになったかと思うと、今度は大学で研究された興味深い技術を知りたいと願う領主貴族などが訪れるようになる。
街の為政者たちはそれらが街の更なる興隆に繋がるであろうことを予見し、以前から集まっていた街の住人達との橋渡し役を積極的に果たし続けた。
人の出入りが増え、街のあちこちに看板の立ち並ぶ商店街が並び始める。
そして、街の内周にある行政施設のすぐ傍には学校区の固まった学区地帯が。
同じく内周近くに、国内最高クラスの研究施設とされる医療研究施設群が。
使用目的も定かでない実験的な巨大施設もこの時期多く建造され、未だ活用されているものもあれば、朽ちた外観をそのままに放置された建物なども残っている。
そしてそれらを幾重にも取り巻くように、街の滞在者や永住者たちの居住区、そして日用施設が築かれていった。
そうしてこの町は、気づけば王国最大と言われる都市、ノワール王都などとも違った、独自の大発展を遂げた場所となっていた。
商人や学生、旅人など、多数の人が常に行き交う賑やかな街。
それが今の『アルケミの街』だ。
「――あ。あそこの木陰なんてどうかな? 敷物があるから、制服を汚す心配は無いよ」
「おお! いいねいいね、ピクニックみたい! いやあ、こんなの久しぶりですな~」
腰を下ろせそうなスポットを小さな川の畔に発見し、そちらを指し示しながらラルクが問いかける。
問いかけられたエアリスは、ぱんと両手を打ち鳴らして賛同の意を示した。
返ってきた好反応に、ラルクがにこりと笑顔になる。
荷物を地面におろし、取り出した麻の敷物をばさりと広げてエアリスに座るよう促した。
「ありがと」と礼を言って腰を下ろしたエアリスだったが、そのままぱたんと背を地につけたかと思うと、ごろりと180°回転してうつ伏せになった。
「ふへ~。あ~、何か土の香りって感じ~。な~つ~か~し~い~。数週間前には嗅いだはずの香りなのになあ。やっぱり人って大地の子なんだなって実感しちゃうなあ」
鼻をすんすん鳴らして、そんな感想を笑顔で口にするエアリス。
制服のスカートから伸びた両足が無防備に揺れている。
その横に腰を下ろし、抱えていた焼き菓子をエアリスに「どうぞ」と手渡したラルクが、先ほどのエアリスの言葉にうんうんと嬉しそうに頷いた。
「そうだよね。やっぱり、この世界の生き物は自然と一緒にいるのが自然だよ」
「ん~。それも一理あるけど、私はこの町みたいにごちゃごちゃ~って良くわっかんない感じとかも好きかなあ。ラルクはそういうの、全然駄目な感じ?」
「ううん。僕も人が作った建物とか芸術だとかは好きなほうだよ。ただ、あんまりにも自然を蔑ろにしたようなものはちょっと駄目かな……」
「んじゃ、対症療法はいかがですかい? この街に暫く滞在してみるっていうのは? そしたら、自然の無い光景に嫌でも慣れちゃう。経験者は語るって奴ですよ」
「……。そうだね、それもいいかもしれない。でも、やっぱり僕は今のこの町は苦手だよ」
「ふうん、そっか~」
うつ伏せの体勢で手元の焼き菓子をもぐもぐと頬張っていたエアリスは、ラルクの声の調子が少し変化したことに気づかなかった。
ラルクは、川の水面に映る自分の姿を見つめながら、エアリスのものと同じ焼き菓子を口に運んで、一口だけ食べてみた。
「あ、美味しいや、これ」
思わぬ味の良さに、言葉が漏れた。
それを耳にしたエアリスが、にいっとなぜだか得意そうに微笑んでラルクの方を見た。
「でしょでしょ? まだ最近できたばかりの名物だけど、その内王国中で流行るんじゃないかと私は睨んでるんだ~。あ、でも最近は南の方が少し食糧難なんだったっけ? それだと、こんな贅沢品はまだ無理かも」
この町で開発された文化・技術は、目敏い商人たちの目に留まると街の外にも広がっていくのだ。
焼きたての白パンのように柔らかく、煮込んだサトウキビの汁のように甘いその菓子を口に運びながら、ラルクはエアリスの話を黙って聞いていた。
「あ~あ。後三年もすれば、私もこの町を出ちゃうんだよねえ。その時にはここの猥雑な街並みだとか、厳しい大学の教官だとか、離れ離れになる友達だとか、みんなみんな惜しく思うようになっちゃってるんだろうなあ。――ま! 別れは次の出会いの始まりでもありってね! ここを出たら私ね、王都に行って、知り合いの錬金薬作りのお姉さんのところで暫く仕事を手伝うの。そんで、充分な資金が貯まって、実地で培った技術が身についたなって思えるようになったら――ラルク?」
「ん? どうしたの、エアリス?」
「あ、やっ、何だかちょっと上の空な感じがしたから。私の話がつまんないのかなあ、なんて」
「そんなことないよ。……本当に立派だね、エアリスは。自分の将来のことを決めていて、そのための道筋もちゃんとつけている。うん、エアリスならきっと自分の夢を叶えられると思うよ」
笑顔でそんなことを告げるラルクが、唐突に右手を伸ばしてきた。
仰向けになったエアリスの右頬に、その手が触れる。
少年の柔らかな掌の感触を、エアリスは頬で味わうことになった。
「え? え? え? 何なの、いきなり?」
思わぬスキンシップと、間近に迫ったラルクの整った顔立ちを前に、困惑を表情に宿すエアリス。
「軍団長さんの家を教えてくれてありがとう。ここからなら、僕一人でも行けると思う。エアリス、僕とお話をしてくれてありがとう。そして……、本当にごめん」
優しげな声で感謝の言葉を告げられ、エアリスの心臓がどきりと高鳴る。
しかし、気分の高揚を感じるのも束の間。
そんな感情の動きを上から覆い尽くさんとする強い眠気が、エアリスを蝕み始めた。
――あれ、何で? 私、昨日そんな夜更かしとかしてないはず、なの、に……
エアリスの意識が、完全に睡魔の奥に沈み込んだ。
体を弛緩させ、両目を閉じてすーすーと寝息を漏らし始める。
それを確認し、エアリスの頬に触れていたラルクの右手が離れた。
催眠魔法の残滓が残る右手を、ラルクが自分の胸元まで引き寄せた。
「……エアリス。この街の一人一人が、君みたいに自分だけの大きな夢を持っているのかな」
少女の寝顔を覗き込んでそう呟いたラルクが、その体をそっと壊れ物を扱うような丁寧な手つきで抱え上げた。
そして、ポケットから取り出した杖を一振りし、透明化魔法を紡ぐ。
自分たちの姿を人の目に映らないようカモフラージュさせながら、ラルクは眠りこけた少女の顔に、再度視線を向けた。
「そんな君たちにとって、僕たちの――一族皆が共通して抱く"夢"っていうのは、どんな風に見えるんだろう? そんな夢のために、自分たちの夢を諦めてくれって言われて、どう思うのかな?」
やがて、二人の姿は完全に背景に同化した。
それを確認したラルクが、すうっと大きく息を吸いこんだ。
この街唯一の土の香りと共に、わずかに香る少女の臭いが鼻孔をくすぐる。
――でも、それでも僕は。僕たちは……。
拳を力を籠めてぐっと握ったラルクは、一瞬閉じた目を、かっと見開いた。
「――よし、行こう」
誰かに対して宣言するようそう告げ、ラルクは迷いの無い足取りで一歩を踏み出した。




