第百十二話:OK、今すぐ爆発してこいやてめえらああああああ!<エルフの二人>
無茶なことをやってしまってすいません。大変遅れました。
「未来予知だって?」
突拍子もない能力自慢を始めた聖剣に、ラルクがひどく懐疑的な視線を向けた。
降って湧いた幸運に浮かれていたクズハは気づかなかったが、視線と共にラルクが放った問いかけには、多分に敵意や警戒心といったものが詰め込まれていた。
しかし、その問いかけを向けられた側はというと、随分と飄々とした様子であった。
なにせ、このような展開になった場合の対処は、既に神と打ち合わせ済みである。嘘を塗り固める道具の準備は万全だ。
未来を予知する能力は、彼を送り出した神には無かった。しかし、何者かが決めた「計画」や「予定」を知ることはその神にも可能であり、剣心は多くの情報を直接叩き込まれていた。
「おうよ。実際に見た方が早いか? 例えばそうだな――エルフの兄ちゃん。お前、近いうちにこの里を出ることになってるだろ?」
「なっ!?」
「何!? ラルク殿、それは本当でござるか!?」
聖剣が自信満々で放った一言を受け、ラルクが狼狽えた。
今日の今日まで言い出せず、伝えるのを延ばし延ばしにしていた事実を、伝えるべき当人の前で暴かれたのだ。その当人――クズハの驚愕と非難の籠った視線を受けとめ、耐え切れずに自ら視線を逸らしてしまう。
「ふうん? 一番の友人に対して隠し事とは感心しねえなあ。里の大人たちの命令を聞いて、そのまま黙~って出ていくつもりだったのか?」
それまで中の良い少女とイチャついていたラルクへのあてつけもあり、ここぞとばかりに追い込む剣心。
「ち、違う! その内話すつもりだったんだ! ただ、クズハに対して僕が里を出て人間の里に足を踏み入れるなんてこと、うかつに話すわけにはいかなかっただけで――」
聖剣の嫌味な追撃を受け、ラルクが弁明の言葉を返す。
しかし、釈明に焦りすぎていたのだろうか。口を滑らせ、余計なことまで言葉にしてしまったことにラルクは気づく。
だが、気付いたときにはもう遅い。
その言葉は聖剣を握っていた少女の耳に入っていた。
「え……? どういうことでござるか? まさか、ラルクが、ラルクまで、拙者を捨てて人間の世界へ行くと、そういうのでござるか……?」
――しまった!
クズハの震え声を聞いたラルクが自分の犯した失敗を悟る。
ラルクの見る先で、握力の失われたクズハの手元から、聖剣が滑り落ちた。
「おおう!? ちょっと、クズハ――さん? 俺を落としたりしないでくれよ。筏の床面に水が染みてきてんだって! 錆びる錆びる! 赤錆でボロボロびなっちまうって!」
クズハの手から落ちた聖剣が筏の床面に鞘ごと突き刺さった。突き立ったまま何事かを口やかましく主張しているが、それを気にしてやれる者はこの場にはいなかった。
展開は、その引き金となった剣心の手を離れ、クズハとラルク、その二人を巻き込んで大きく動き出していたのだ。
――ラルク……。
――クズハ……。
ちょうど床に刺さった剣を挟んで向かい合う形になった親しきエルフの二人が再度目を向け合い、視線合わせた。
クズハの目に宿るのは、怯えと不安。対するラルクの目に宿っていたのは後悔と諦念だった。
二人の間に流れる空気は、すっかり張りつめたものになっていた。
それを感じ取ったラルクが、申し訳なさそうに口を開こうとする。
しかしそれより先に、その言葉を遮る形で、クズハの幼い言葉が紡がれた。
「いやでござる! ラルクまでいなくなってしまったら、拙者はこの里で一人ぼっちになってしまうではないか! ラルクがいなくなったら、拙者は誰と大好きな本の話をすれば良いのだ!? いったい誰と、将来の――叶わぬ夢を語り合えば良い!?」
それは、首をぶんぶんと大きく横に振りながら放たれた、少女の必死な叫びだった。
強い感情の籠った、否定の言葉だった。
「クズハ。何度も言っているだろ? クズハの夢は、叶わない夢なんかじゃない。世界の皆がクズハの名前を覚えてくれるような、大きくて、立派なことを成す。クズハならきっと――」
「嘘でござる! そもそも拙者は生涯この里より出られぬ! ラルク以外の誰がこのような女を娶り、家族として迎えてくれると言うのでござるか!? 配偶者がいなければ、この里より出ることは許されておらぬではないか! いったい誰が――母上にさえ捨てられた、このような女を、好きになってくれるのでござる!? うぅ、ひっく……うああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
クズハの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出した。
声を上げ、狭いく薄暗い筏の上に蹲って咽び泣くクズハを前にして、ラルクは呆然とその様を眺めることしかできなかった。
クズハの母がクズハを置いて里から脱走したのは、一年以上も前のこと。
原因は、エルフの里で行われた、村八分の差別に耐えきれなくなってのことだろうと、或いは、自分を捨てた男に未練を感じて全てを放り出して逃げ出したのだと、里ではまことしやかに噂されてきた。
そしてその女の所業にもっとも強く衝撃を受けたのが、まだ生後3年足らずで母と離れ離れになったクズハであったのだ。
ラルクは、そのような環境下で一人娘を三年以上育て上げた女が、今更になって娘を捨てて外に出るなどという話、にわかには信じられなかった。
しかし、それを証明できるだけの材料などあるはずもない。
沈みこんで家から出ようとしないクズハのために彼ができたことは、足繁くその下に通い、食事の世話や気晴らしの娯楽の提供で傷ついたその心をゆっくりと癒していくことだけだった。
このエルフの里で唯一、ラルクだけがクズハの友人になれたのには理由がある。
ラルクの両親はどちらも優秀な能力を持ったエルフであった。ただ、双方共に変わり者で、息子が自力で生活できるようになるとみるや、二人して全く別の地域への「密偵」任務を買って出るほどの人間世界好きでもあった。
二人は、自分たちが里を離れている間、息子たるラルクの世話をくれぐれもよろしく頼む、と族長たちを脅しつけていき、それを承諾させられた上層部の者達の目もあり、ラルクの里での行動は大凡ほとんどのことが許容されてきたのである。
もっとも、いかに特別扱いとはいえ、里に住む者として最低限他のエルフ達との関係性は良好に保たねばならない。
まだ幼いクズハはともかく、「一族の恥さらし」たるその母と親しく接することはラルク自身、自重していた部分がある。
しかし、エルフの里に暮らす他のどのエルフ達とも異なった感性や外見を持ったクズハという少女との付き合いは、自身もエルフの変わり者だと自負するラルクにとって、非常に好奇心を満足させてくれるものであり――気づけば、いつのまにやら、その少女といつも共にいるようになっていた。
目の前で泣き続ける少女を前に、ラルクは自身の唇を強く噛みしめた。
「母に捨てられた」と思って尚、その母のことを嫌いになることの出来なかったクズハ。彼女を今ここまで立ち直らせるために、一年以上の年月がかかった。
上の決定によってとうとう里を出ることになった自分の事情を説明するのを先送りしていたことを悔やむ。
そうしていると、突然二人の間を隔てる聖剣から、ラルクを野次る罵声が響いた。
「おい、何やってやがる、ラルク! お前のその口や手は飾りかよ!? 男なら、さっさと目の前で悲しんでる女の涙を止めに走れや! あと、この状況は俺の責任だわ。マジすいません!!」
「でも、僕が大事なことを隠していたのは事実なんだ! 僕にクズハを慰める資格は―ー」
「違うだろう!! 女に縋られた男がするべきは理屈をこねることじゃねえ! 安心させてやることだよ! 資格なんていらんわ! これはお前にしかできねえことだろうが!」
その言葉で、ラルクはハッと目を見開いた。
そして逡巡一つせず腰を上げ、クズハの下に這い寄った。
その過程で、進路上に合った聖剣が弾き飛ばされるが、聖剣から文句は飛んでこない。
涙を流していたクズハは、自分の体が突然、何か温かいものに包まれるのを感じた。
「ラル……ク?」
「ごめんよ、クズハ。こんな大事なことを話しておかないで。僕は、君を傷つけてしまうのが怖くて……いや、違う。僕が、君に嫌われるのが怖かったんだ」
少女の肢体をぎゅうっとその腕に抱え込みながら、目を閉じたラルクが少女の耳元に囁いた。
体を締め付ける力を一層強くし、言葉を続ける。
「でも、これだけは信じて欲しいんだ。僕は、君のことが好きだから。君を捨てるようなことはしない」
そして、一旦体を離すと、今度は充血して赤く染まった目を晒す少女の頬に手を伸ばし、その目を覗き込んだ。
「僕は、絶対君の下に帰って来るから」
労わりの笑顔と共に放たれたその言葉を聞いた少女の顔がぱあっと明るくなった。
しかし次の瞬間、顔を近づけたラルクから視線をそらすように、顔を俯けてしまう。
そして、ラルクの胸にスッと伸ばしたその両手を添えた。
彼女はそのまま両手でどんとラルクの体を突き飛ばし、尻餅をついて驚きに目を見張るラルクの前で、ふいと顔を背ける。
「クズハ!?」
自分の言葉を、信じて貰えなかったのか? そう考え、再度手を伸ばして思いを訴えかけようとしたラルク。
それを押し留めるように、クズハの小さな手が、彼の胸元に伸ばされた。
「ラルクは優しいでござるな……。きっとラルク殿なら、宣言通り旅を終えてから、また拙者に会いにきてくれるのでござろう」
――信じてくれてる? でも、それならどうして!?
自分を押し留めるのと逆側の手で涙をこぼす両目を塞ぎ、震える声で語るクズハを見ながら、ラルクは心中で問いかけを投げた。
その問いへの答えは、クズハの口から続けられた。
「でも、その優しさは、もう拙者に向ける必要は無いでござろう……。ティファフィリアでござるか? それともレアナトリーチェ? まさかユルナミールではあるまい? ラルク殿の優しさは、生涯愛すべき妻一人だけに注いでやるべきでござる。中途半端な優しさは、拙者を――くっ! なあ、ラルク! 今、この瞬間だけでよい! どうか聞いて欲しい! 拙者は今まで、今日この日まで、ずっとラルクのことが――」
「ちょっと待って! クズハ! 君、たぶん勘違いしてる! 僕はまだ、誰とも結婚しないよ!」
「……は?」
涙ながらのクズハの訴えかけを、その肩をがしりと掴んだラルクが遮った。
その言葉を聞き、クズハが混乱する。
「え? あの、ちょっと待つでござる。ラルクはさっき、この里を出ると……?」
「言ったよ。でも、結婚するとは言ってないよね?」
「いや、しかし、それはおかしいのではないか?」
頭の中が疑問符で満たされたクズハを前に、ラルクはほうと安堵の息を吐いていた。
どうやら、自分がクズハに否定されたのではなかったらしいと確信して。
「実はね、今回の僕の任務だけど、僕以外にも未婚の里の者達が多く動員されているんだ。詳しいことは知らないけど、これまで里が行ってきた密偵だとか研究実験だとかが、とうとう最終段階に入るらしい」
配偶者持ちのみを「密偵」として里の外に出すというエルフの里の制度。
その制度の趣旨は、その者に里への帰属意識を持たせること。
そして、最悪の場合村の者を「人質」に取れる状態を確保し、その者を従わせられるようにしておくこと。
要は、「最終目標」達成までの間に人間社会に染まった身内から「裏切者」を出してしまわないためのセーフティーネットとしての役割が大きかった。
しかし、「最終目的達成の見通しが見えた」この段に至っては、そのような安全策よりも、可能な限り多くの人出が欲しいという状態なのだ。
したがって今回のラルクの動員は、クズハが危惧したような「配偶者を得たラルクの出奔」ではなく、「エルフの義務を果たせと命令され、徴発されたラルクの出兵」と言った方が近いだろう。
その言った事情をラルクがかいつまんで話してやると、クズハは頬を真っ赤に染めて顔を伏せてしまった。
「うぅ……拙者の早とちりでござったか」
「ごめんよ。僕の説明が悪かったね。でも、クズハ。僕は今、少し気が変わった。やっぱりこの里の外に出るのだもの、この里に帰ってきたいというモチベーションのために、妻は居た方が良いかもしれない」
「そ、そ、それってせっ――! ああ、駄目でござる! 拙者はまだ成人ではござらぬ! まだラルクとは、一緒にはなれぬでござる!」
「うん。だからここは、こうしよう。僕がこの戦いを終えて帰ってきたら、けっこ――」
「うおおおおおおおおおお!! 馬鹿野郎! そんな特級の死亡フラグを立てようとするんじゃねえよ!」
それまで黙って二人のやり取りを眺めていた聖剣が、突然大声を上げた。
二人で醸成していた空気をぶち壊され、ラルクとクズハから非難の目が向けられるが、いきり立った聖剣はそんなことお構いなしにその片割れに声をかけた。
「おい、てめえ、ラルク! ちょっとこっちこいや!」
「いったい何? ――あ、クズハ、ちょっと待ってて」
「……あのなー。今このタイミングでプロポーズ、ってか婚約か? まあ、どっちにしても、今、この場で、というのは有り得ねえ」
「……どうしてだい?」
「死亡フラグ……っつっても分かんねえか。じゃあ、こう言い換えよう。お前はこれから危険な、命を落としかねない任務に就く訳だ。無事に終われば、それでいい。けど、もし無事じゃなかったらどうなる? お前の帰りを待ちわびてた奴は、それも一生をお前のために捧げようなんて思ってる奴は、そんな状況で、どうなっちまうと思う?」
――ッ!!
ラルクが息を飲んだ。
「……そんなことになったら、クズハはいよいよこの世界に絶望してしまうかも、しれない」
「だろ? この場でプロポーズはやめとけよ。婚約云々は匂わせる程度に留めとけばいいんじゃねーかね」
――まあ、俺の仕事はそもそもクズハちゃんにお前の帰りを待つような状態にさせないことなんだけどなー。悪く思うなよ、ラルク。クズハちゃんが上手くやれば……お前達を救ってやれるかもしれない。それに、賭けててくれよ。
目の前の聖剣がそのようなことを考えているとは露知らず、ラルクは先ほどから度々助言を投げてくれる聖剣のことを、信用し始めていた。
未来を――少なくとも自分の置かれている状況を見通しているらしい聖剣の力は、ある程度確かなものらしい。そう、思って。
その信頼が彼の――というより、エルフ種族全体の運命に関わる重大なものであることに気づかないまま、ラルクは目の前の聖剣に、感謝の念を向けはじめていた。
――ふう、何とか「計画通り」になったかね、これは? クズハちゃんだけじゃなく、こんな男まで信用させなきゃならんとは。
その聖剣が隠している、真の目的には気付かないまま。




