第百九話:人命救助のためなら、些末な事情なんて気にしてられないだろ?<壁ドンを望む聖剣>
遅れました、すいません(もはや定型文なのが心苦しい)
今回、ちょっとアレ目な描写が入ります。
「クズハ、クズハ、無事かい? しっかりして、クズハ!」
意識を失ったクズハを抱きしめ、水の底から引っ張り出したラルク。
水面に顔を出し、すぐそばに浮かんでいた木製の筏に取りついた。
以前、クズハと『加工魔法』で遊んでいた時に作った者だが、世の中、何が幸いするか分からない。
置き場に困って『書庫』の屋根に置かれていたそれは、二人を救う文字通りの「助け船」として暗い水面に佇んでいた。
「押し上げるよ! ――それっ!」
ぐったりと力を失って目を閉じたクズハを、ラルクが懸命に力を振り絞ってその筏に載せる。
自身も筏の上に這い上がると腕を一振りし、薄い氷の屋根をその筏の上にこさえた。
ピキピキと音を立て、氷の屋根が筏の上面を覆っていく。
魔法の苦手なラルクが作った屋根である。高さも厚さも大したものではなかったものの、屋根として用を成すだけのものが出来上がった。
それまでラルクとクズハの体を叩いていた雨粒の連打が屋根で遮られたことを確認し、ラルクはほっと一息を吐いた。
ラルクは細身の者が多いエルフ種族の中でも、とりわけ小柄な体格をしていた。その身長は160㎝程、今彼の前に横たわっているクズハとさして変わらぬ背丈である。
筏の床から天井まで高さ1mもない窮屈な氷の室の中でも、這って難なく移動することができた。
「ごめんよ、クズハ。危険な下での作業は僕がやるべきだった。僕の責任だ」
謝罪の言葉を告げつつ、ラルクの手は的確にクズハの蘇生作業を進めていた。
青ざめた唇から震える息を吐く少女の背に手を置く。
そして、その体内に自身の魔力を注ぎ込み始めた。
力強い魔力の流れが先端で葉脈のように枝分かれし、魔力を欠乏したクズハの全身に行き渡っていく。
その魔力の流れに反応するかのように、意識を失ったクズハが大きく喘ぎ、気管に侵入しかけていた水を吐き出した。
だがその作業は、順調には進まなかった。
「くうっ。こんな時は、生物の体に作用を及ぼせる神聖魔法が羨ましくなるな。自分のものじゃない魔力を体に定着させるのは難しいか。でも――」
抜群の魔力感知能力を持つエルフの少年の目には、クズハの体に流し込んだ自分の魔力の流れが見えていた。
可能な限り薄めて浸透しやすくしたはずの彼の魔力は、クズハの体に定着せず、網に流しこんだ水のごとく流出していく。
けれど、百を流した内の一が定着するのであれば、それは、一万を流せば百が定着するということだ。
幸いにしてラルクは、エルフ種元々の魔力量の多さに加え、エルフの”儀”を通じてそれを底上げしている。
魔法の扱いこそ苦手だが、魔力の扱いにはそれなりの自信がある。
そして何より、ここでクズハを救うのだという強い意志もある。
薄い睫の載った目を柔らかく細めたラルクは、クズハの生命の活力を呼び起こすべく、その体に温かい魔力を注入し続けた。
そうして、如何ほどの時が流れただろうか。
やがて、クズハの体に最低限の魔力が貯まった。
そして、自然な魔力循環が始まった。
先ほどまでは、そこに生物がいるとはとても信じられないほどに魔力を失っていたクズハの体。それが、明確な生ある存在としてここに復帰した。
安堵の表情がラルクに浮かんだのも束の間、顔を引きしめ直した彼はすぐに次の作業に取り掛かった。
今のクズハの状態異常は、何も魔力の有無だけでは無かったのだ。
低体温、そして酸素欠乏。それらの要因が、クズハの体を蝕む棘の鎖となっていた。
ラルクは、寒さに震えるクズハの服にてをやり、それを脱がせにかかった。
風魔術の扱いに自信の無いラルクは、男として最低限備えた腕力にものをいわせ、力技で少女の肢体に張り付く服を取り去る。
仕上げに水魔法で体に付いた水滴を跳ね飛ばすと、そこには真っ白い少女の裸身だけが残った。
続いて、ラルクはずぶ濡れになった自身の上着を脱ぎ捨て、染み一つない白い肌を外気に晒す。
そして、裸同然の姿をしたクズハを、その体でかき抱いた。
互いの体温を接する肌で混ぜ、冷え切って寒さに震えるクズハの体を温める。
誤解の無きよう追記しておくと、この時ラルクの頭に煩悩からくる劣情や色情からくる興奮は一切存在しなかった。
豪雨の中、薪も無しに継続的な炎を起こすには、彼の魔法技術も、残された魔力も不足しすぎていた上、仮に起こせたとしても天井として作り出した氷の屋根は無事では済まない。
そもそも、寿命の長いエルフはそういった欲求が普段から薄いということもある。
つまり、
氾濫した河川の水で沈んだ大地の上、氷の天蓋を備えた筏上で絡み合う半裸の男女というこの光景に、倒錯的な響きは一切もって含まれないのである。
ラルクは自身の身体の魔力を循環させ、代謝を促すことで体温を上げていった。
自身の腕の中にある少女が、寒さで凍えないように。
やがて、ラルクの視線の先にあるクズハの頬が、赤みを取り戻し始めた。
小さな唇から、「うぅん」、と声が漏れる。
「そろそろ、大丈夫かな? クズハ、ほら、起きて、クズハ」
ペちぺちと、自身の頬が何者かに叩かれていることを、目覚めつつあるクズハの精神が自覚した。
――この声……ラルク?
ゆっくりと、黒い睫の眼が開かれていく。
それを見たラルクが、明るい笑みを浮かべ、こちらを見る少女に起床の挨拶と謝罪の言葉を述べようとした。
「おはよう、クズハ。本当にごめ――」
「おはようでござ――なあっ!? ちょっ、 ラルっ? え? ど、どどどど、どういう状況でござるかあああああああああああああああああ!!?」
自分達が今置かれた状況を覚醒したての意識で把握しきれなかったクズハが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
慌ててラルクから体を離そうとするが、そのラルクの目線が下に落ちかけたところで思い直し、何を思ったか再度ラルクの背に両の腕を回して抱きつき直した。
「やっ! 見ちゃ駄目でござる! おおおおお願いでござるから、これ以上見ないでほしいでござるううう!」
「落ち着いて、クズハ。今ここに、君の裸を見ているのは僕しかいないから」
「だから駄目なのでござるぅぅぅ! はっ!? もしかして、いや、もしかしなくとも、拙者の服を脱がせたのは―― だだだ、駄目でござる! 今すぐ忘れるでござるよおおおおお!」
完全にパニックに陥ったクズハが今度こそラルクの体を突き離し、右手に握った刀をチャキリと構えて、ラルクの首筋に向けた。
「おわぁ!? クズハ、そんなものこっちに向けないでよ! 危ないじゃないか」
「あああああ! ……おや? こんな剣、拙者いつの間に――って見ちゃ駄目でござるよおおおおおお! ――痛っ!?」
胸元を抑えながら慌てて立ち上がったクズハの頭が、低い氷の天井をぶち抜いた。
「あ」
「わわわ、雨が、雨が入ってきたでござる! すまぬ、ラルク殿、すぐに塞いで――ってだから見ちゃ駄目でござるうううう!」
吹き込んできた雨に濡れ、先ほどまでずっと離さず握ったままだった剣を筏の床上に放ったクズハを見て、ラルクが笑い声を上げた。
「良かった、もうすっかり元気だね。あ、屈んで足を組んで座ると良いんじゃないかな。そうすれば、僕の視線からその綺麗な肌を守れるんじゃない?」
安堵の笑顔を見せるラルクを見て、慌てる自分の方がみっともないのではないかと思い至ったクズハが毒気を抜かれた表情でゆっくりと腰を下ろし、言われた通り床に座った。
その足元にずぶ濡れの自分の装束があることに気づき、水の滴るそれを両手で持ち上げた。
両手で握ったそれを雑巾のように絞ると、濁った水がぐちゃあっと搾り取られ、それを目の当たりにしたクズハが悲しそうに眉根を寄せた。
「ごめんよ、筏の上に放っておいたからすっかり水を吸っちゃった」
「構わんでござる。この服がボロボロになるのは既に覚悟の内でござった。それよりも、命を助けてくれて、本当に感謝の言葉もないでござる。ありがとう、ラルク殿」
海藻のような深緑色になった装束を胸に抱えたまま、クズハが座礼をする。
「いやいや、君だって、逆の立場だったら僕を助けてくれただろう? 今回はたまたま君の方が危険に陥ったってだけさ。それに、そんなことになってしまったのは、僕の指示がいい加減だったせいもあると思う。本当に、ごめんよ」
低頭したクズハに向け、ラルクも謝罪の言葉と共に礼を返した。
それに慌てたのは謝罪されたクズハの方だった。
「待つでござる! 拙者が溺れたのは拙者の不注意故! ラルク殿に謝られては、こちらの立つ瀬がないでござるよ!」
クズハは本気でそう思っていた。
もっと言うのであれば、友の間柄とはいえ、この恩はどうにかして報いなければならないほどの大きな借りであるとまでも考えていたのだ。
「じゃあ、お互いさまってことで。それに、僕がクズハを助けられたのは、その”剣”のおかげだ。その剣が光ってクズハの居場所を教えてくれなければ、その剣が強い魔力を宿して目印になってくれてなければ、僕はあの黒い水流の中でクズハを見つけることはできなかったと思う」
笑顔でそう告げたラルクが、目線を先ほどクズハが投げ捨てた刀のほうへと向ける。
「こんな剣、クズハはどこで手に入れたの? こんなに強い魔力――」
「ようようよう! リア充のお二人さん! いい加減にしろや! 俺は今なあ。いくら壁を叩きてえ、クラッシュ&デストロイさせてえと思っても叩くことのできねえ体なんだよ! 俺の精神が地球産自爆魔法炸裂させて消え去る前に末永く爆発しやがれ!」
腰を上げて剣を拾い上げようとしたラルクをびくりとさせる大声がいずこからか放たれた。
粗暴な、どこか苛立ちの籠ったように感じられる声である。
ギョッとしてクズハを見るも「拙者じゃない」とばかりに首を横に振られ、ではいったい誰がと視線を辺りに彷徨わせる。
「ああん? どこ見てんだ! ここだよ、ここ! 俺はここだよ!」
ひょっとして、まさか、いや、有り得るはずが無いけれど……と心中で冷や汗をだらだら流しながら、クズハがその"声の主"をそっと拾い上げた。
因みに「喘ぐ」というのはR-18的な意味だけでなく、苦しそうに、せわしく呼吸するだとかの表現としても使われます。
念のための補足でした。




