第百七話:マイナージャンルの同好の士と出会えると、嬉しくなるよね<侍少女と髪、そして聖剣>
遅れました、すいません
side:薫
クズハの話は続いた。
聞き逃さぬよう、俺も頭を切り替えて聞き取りに集中する。
「そんな拙者の、里での立場はしかし、それほど悪いものではござらんかった。もっとも、拙者に近しい親族の者達からはだいぶ疎まれておったがな。母方の祖父に初めて引き合わされた時など、いきなり髪を掴み上げられ、危うく一生髪無しになる呪いをかけられるところでござった」
「……勿体ないこと考えるわね。せっかくこんなに綺麗な髪なのに」
力なく笑うクズハの髪を、背後のユムナが優しく梳き上げた。
頭上まで持ち上げられたユムナの手から、きめ細かなクズハの黒髪が、さらさらと流れ落ちる。
「うん、とっても綺麗。手入れのなってないあたしの蒼髪とは大違いだわ。きちんと毎日お手入れしているでしょう? しっかりしたものね~」
「……ありがとう」
ユムナに称賛され、クズハが嬉しそうに微笑んだ。
紅から聞いたことがあるが、長い髪の手入れというのは、男性が思う以上に大変なものらしい。
洗う時間は人並み以上を要し、乾かし方も適当では駄目、寝る時も蒸れないよう気に掛ける必要があるし、運動時に括るのも案外面倒とのこと。
ASP本隊入りし、日常的に動き回る仕事が多くなって必要にかられて髪を短くしたあいつが言うのだから、間違いないだろう。
『それでも女が髪を伸ばすのは、その髪を気に入ってるからなんだぜ? 綺麗になることに貪欲な世の女どもが、”髪を切るのが面倒で放っておいたらら伸びちゃいました~”なんてこと、まともな神経持ってんなら絶対に言わねえよ。言ってる奴は、馬鹿な子アピールで媚び売ってるだけだろ』
『随分と辛辣な意見だな?』
珍しく俺以外の第三者に対して明確な愚痴を吐いた紅の言葉を思い出す。
『はん。伸ばしたくても、伸ばせねえ奴だって世の中にはいるんだよ。髪質のせいだとか、仕事環境のせいだとかで。――そういう奴らに喧嘩売ってるセリフなんだよ、そいつは』
『……お前も、本当は伸ばしたかったのか?』
あれは、ASPの昼休憩の時間、場所は俺の個人執務室だったか。
紅お手製の弁当を突いていた俺の正面で、机の上にだらしなく上半身を載せ、テレビ画面の方を向いてブツブツ言っていた紅が、ごろんと転がって俺に視線を戻した。
『ま、そうだな。伸ばせるもんなら伸ばしたかったかもしんねえ。短髪が長髪に劣るとは言わねえけど、……やっぱり、女の綺麗さの一つだからな、長髪って』
前髪をちょいちょいと引っ張りながらそう呟いた後、勢いよく体を起こした紅が、俺に向けてにかりと良い笑顔を見せてくれた。
『……でも、いいんだ。今のあたしは兄貴の力になりたいってのが第一だ。そのために必要ってことなら、髪の数センチ、数十センチ、どうってことねえよ』
『そうか……ありがとう、紅。お前みたいな妹を持てて、俺は幸せだ』
『お、おい、何いきなりこっぱずかしいこと言ってんだよ。兄貴らしくねえぞ』
そこで紅が頬を染め、元々深かったおれの笑みが、一層深まったのだった。
そんな俺の回想が、ノエルの言で断ち切られる。
「綺麗な髪だよねぇ……少し、羨ましいかも」
切り株にちょこんと座ったノエルが、膝下で腕をパタパタとさせながら、クズハに向けてにっこりと笑みを見せた。
「う、うむ。純血エルフには有り得ぬ黒色の髪……要するに全ての元凶たる拙者の父が拙者に残したものであり、祖父がこれを見てそうまで怒りを露わにしたのもむべなるかなといったものでござるが、拙者は、この髪を嫌いにはなれなかったのでござる。この髪を綺麗だと言ってくれたものなど、今まで母上を含めて二人しかおらんかったというのに」
どこか恥ずかしそうに肩を竦め、頬を染めながら語るクズハ。
「あ、因みにそのもう一人というのは、数少ない里での拙者の友人でござる! 外の世界の書物が好きという変わり者で、拙者にもその中から幾つか紹介してくれた」
うきうきと、それはそれは嬉しそうに言葉を続ける。
「あれ? ひょっとしてクズハちゃんの言葉遣いって……そのせい? ひょっとして、あの人気物語を読んだんじゃない?」
「おお! 良く気付いたでござるな! その通りでござる。いやはや、あの浪人様の物語は本当に面白く、口真似をしている内に、いつの間にやらその口調が染みついてしまったでござるよ」
ぺろりと舌を出しながらそう語る、10代半ばの外見をした5歳の童女。
男児のヒーローごっこのようなものだろうか。
少なくとも中二病と呼ばれるそれとは少し違うようだ。
「貧民の生まれながらも世界最強の剣士を志した主人公。数多の戦場を駆け巡り、名のある剣豪を次から次へと下し、多くの悪をその剣で裁き、ついには惹かれあった姫を抱えて王国から脱出! その名声を妬んだ貴族や敵対する大組織が放った刺客や王国の追手の追撃をバッタバッタとなぎ倒し――」
「面白いわよね~。あたしは主人公は姫様より序盤で出会った貴族の箱入り娘ちゃんとくっついて欲しかったけど」
「おお! 拙者もあの娘は好きでござる! だが、やはり拙者はあの姫君こそが至高のひろいんだと思うでござるよ。初夜を迎えた姫君の――」
「すまないが、そちらの話は後にしてくれないか? このままでは遠からず夜が明けてしまうぞ」
話の内容が割と妙な方向に逸れそうになったところで軌道修正を図った。
どうでもいいが、5歳の少女が読んでも良い物語なのだろうか、それは?
「おお! すまんでござる。いやはや、里を出て降りて来てからも、拙者が出会うのは貴族やら大商人の息子やらその弟子やらばかりでしてな。そこのでゅーく殿などもそうですが、誰もこの話を読んだことが無いと言うので、話の通じる相手に会えて舞い上がってしまったでござるよ」
「じゃあ、あとでたっぷり語り合わない? クズハちゃん。あたしもその物語は全編何回も読み込んでるわよ~?」
頭を掻きながら謝罪するクズハに、ユムナがそう囁く。
お前達、数十分前までは敵意をぶつけ合う仲だっただろうに……。
まあ、仲良きことは良きことかな。これでしばらくの間はクズハが泣き出すこともないだろう。
「えーと、そうでござるな……。そんな具合に里の異物扱いであった拙者が里を出ようと決心するようになったきっかけについて、話を移すでござる。まあ、今から数ヶ月前のごく最近の出来事でござるがな」
――とうとう来たか?
心の中で身構える。
先ほどデューク氏が言った「クズハはエルフの裏切者」という言葉。
目の前の少女の姿は、「裏切者」といったイメージからは程遠い印象を受ける。
それほど暴力的な、あるいは陰険な性向には思えないのだ。
先ほど俺達に斬りかかってきた時も、”敵”だのなんだの言いながら、敵意や害意は向けてこなかった。
まあ、敵意の代わりに真剣は向けてきたし、戦闘行為そのものが暴力行為ではあるが。
ただ、先ほどのクズハの説明を聞いて、彼女が俺達に斬りかかってきた――というより”戦いを挑んだ”理由は、もしかすると分かったかもしれない。
となうと、これからクズハが語る内容は、そんなクズハを”利用し”、操る者の話かもしれない――俺は、そう予測した。
同様の予想を、ユムナも浮かべているようだ。
クズハの頭をゆっくりと撫でる手を止めないまま、若干険しい目になっている。
そんな俺達に気づかないまま、クズハがごそごそと腰元を探り、求めるものを見つけられず、訝しげに辺りを見回す。
彼女が探すものを察したノエルが腰を上げ、俺の下にやってきて伺いを立てた。
頷いた俺の背に隠してあった”それ”を取り出したノエルが、クズハの下に持って行き、それを手渡した。
「おお、いつの間に取っていったのでござるか……油断ならぬ奴でござるな。まあ、良い。この聖剣が拙者が里を出たきっかけでござる」
じとりとこちらを見やったクズハが、スラリと剣を抜き放ちかけ、思いとどまって中途でとどめた。
ランプの灯りを反射し、その鋭い刃が白く輝いた。
「より正確には、この剣と出会った時に言葉を頂いた、我が神との出会いが、でござるか」
自身も目を細めて刃の煌めきを鑑賞したクズハが、その聖剣を鞘に納め、話を再開した。
意外に話が長びいてるでござる……。
六章を二章に分けた方が良いのかもしれないでござるな。




