第百五話:艶々の長い黒髪、キリリと吊り上がった凛々しい目、高水準の戦闘能力 そんな彼女は……<侍少女の生い立ち>
side:薫
「拙者の生まれは、俗にエルフの隠れ里と呼ばれる場所でござった」
「あ、私聞いたことありますっ! 幻の種族エルフが住んでいるかもしれないって言われてる幻の幻のそのまた幻の秘境ですよねっ!?」
クズハが自身の生まれに関するエピソードを語り始めた。
内容に興味を魅かれたらしいノエルがぴょこんと耳を揺らしながら挙手し、自身の知識を披露する。
――そういえばノエルは意外と勉強家なんだったな。
結晶ハンターになるため、実家では毎日数時間は本とにらめっこする時間をとって、この世界の知識を吸収していたらしい。自分の夢を実現させるためとはいえ、大したものだと思う。
座学が苦手で、確認テスト直前になると俺に良く泣きついてきた紅あたりに、今度ノエルの爪の垢を煎じて飲ませてやろうか。
テスト当日になって「受験に行きたくねえ」とごねて動かない紅を抱えあげ、そのままASPの建物内を練り歩いて教官のところまで運んだのは良い思い出だ。顔を真っ赤にして「下ろしてくれよぉ……」と涙目で訴えられたが、お仕置きを兼ねてそのまま運び通したのだったか。
あの後、「随分とでっかい駄々っ子を運んでたそうだねえ。僕も見たかったなあ。君の子守り姿」などと、俺もからかわれてしまった。
そんな思い出を頭の片隅で一瞬の内に再生し終え、意識を眼前の氷漬け四つん這い娘に戻した。
先ほどのノエルの言葉にこくんと首肯を返した彼女が、言葉を続ける。
「確かにそう言われてるでござるな。因みにその幻の里という奴はこの森をずっと奥に進んだ先にあるこじんまりとした集落なのでござるが……、今はどうでも良い話でござったな」
神の敵対種族たるエルフの隠れ里の位置がどうでもよいはずが無かったが、確かに話の本流ではない。今は聞き流しても良いか。
「幻の里」に憧れを抱く冒険者や旅人が聞いたら噴飯ものの物言いだろうが、勘弁してほしい。
「ああ、因みに拙者の母は純血のエルフでござるが、父上は人間の冒険者でござる。我が母はのわある王国に密偵として入り込んでいた時に、縁あった男と一夜の関係を持ち、それがたまたま命中して拙者が誕生したという次第でござる。故に拙者は、その父の顔を知らぬ」
おや、割と重めの話になったな。
あっけらかんと喋っているが、本人はその出生に納得しているのだろうか?
いや、エルフの倫理観が俺の知っているそれと同じであるとは限らない。
先ほど生まれた里のことを「こじんまりとした」場所と言っていたこともある。ひょっとすると、外的種族との積極的な交配が推奨されている可能性も――
「拙者の母の懐妊は、一族始まって以来の醜聞だったそうでござる」
そんな可能性は、無かった。
「エルフは人間や獣人のように常時発情している種族ではあらぬ。このような事態、少なくともエルフの一族が外界と隔絶された暮らしを営み始めた数百年前からは例が無いと聞いているでござる」
「待て。先ほど、お前の母は”密偵”として王国に入り込んだのだと言っていたな? そのような仕事、今までお前の母一人だけが担当していた訳では無いだろう。何故、その一例だけなんだ?」
密偵というのが具体的にどのような役割を果たしていたのかは分からない。
だが、人間社会にある程度溶け込んだ暮らしをしていたことは想像がつく。
そして、クズハという”子供”がエルフと人間の間で生まれるのであれば、それはつまり、エルフという種は人間という種を恋愛対象として見られるのだということを意味する。
そうだとすれば、性欲の多寡はどうあれ、自然な流れで男女仲を深めていった者達だって存在したんじゃないか?
「ぅぐくっ……密偵達の仕事は、人間社会の情報を定期的に里に持ち帰ることでござる。その手段として、人間社会で生活基盤を築き、社会に潜り込む――つまり、現地で家庭を成す者は珍しくなかったそうでござるが……」
――ござるが?
俺のつっこみに、「余計なことを!」とでも言いたげな険しい視線を返しながらも、律儀に解説はしてくれるクズハ。
しかし段々と語るその言葉の、歯切れが悪くなってきた。
「……その密偵というのは、既に里にて家庭を築いた者の中から選ばれるのでござる。人間社会で選んだ伴侶についても、基本的には協力者として”家族としての外面”だけを取り繕ってもらうだけの相手。つまり、拙者の母上は、その……」
言いづらそうにするクズハの目が泳ぎ、その場に気まずい雰囲気が流れ始めた。
このままなら、彼女の言いたいことを察した俺かノエルかデューク氏が、それとなく話題を転換させていたことだろう。
だがこの場には、その空気をぶち壊すのが何よりも得意な馬鹿がいた。
「ああ、不倫したって訳ね~」
何を隠そう、ユムナである。
その無遠慮な言葉はクズハの心を痛烈に貫き、揺さぶってしまった。
「……うぅ、そうでごじゃるよ! 拙者は実家の敷居も跨がせてもらえぬ不義の子なんでごじゃるうぅ! ぅぅ、ぐすっ、ひっく」
「ちょっ! そんなに泣かないでよ~。あたしが悪いことしたみたいじゃない」
「みたい、じゃなくて、したんだよ、お前が」
「ユムナさん、正直、今のは私も庇えないよぉ……もお、ユムナさん、ちょっとこっち来てください!」
涙目になってしまったクズハの前でわたわたと慌てるユムナに、冷たいツッコミを入れる。
ノエルにまでも見捨てられたユムナが、流石に傷ついた顔になった。いい機会だ、反省しろよ、ユムナ。そして後でちゃんと謝れ。
――しかし、それにしても。
ノエルからお説教を受けるユムナの図から目を離し、再度氷漬けのクズハの方に目線を戻す。
外見年齢は10代半ばだが、こうしてしゃくりあげながらポロポロと涙を流す姿をみると、まだ幼子のようにも見える。
エルフは長寿だと聞くし、精神年齢の発育が遅いのかもしれないな。ちょっと、年齢を聞いてみるか。
「そんなに泣くな、クズハ。お前は今何歳なんだ? エルフの成人ルールは知らないが、俺の目から見たお前は、外見的には割と大人らしく見える。そんな風に泣きじゃくっているとあまりに子供っぽ――」
「5しゃいでごじゃるぅぅう! しぇっしゃ、まだお天道様をこの目で初めて見た日より、五年の年月しか過ごしておらぬのでござるぅぅぅう! 子供っぽいゆうなあああああああああああ!」
―――……5歳?
うえええええええん!
とうとう声を上げて泣き出してしまったクズハという少女を前にして俺は呆然と立ち尽くしてしまった。




