第十一話:男なら誰でも一度は強さに憧れるもんさ そいつが将来どんな道を選ぶかってことには関係無くな<激戦>
side:ザック→薫
全力で叩きつけた愛剣に期待した手応えは残らなかった。振り下ろした剣は地面に突き刺さり、じいんと腕に響く衝撃と共に幾多の土塊を空に巻き上げ――ただそれだけだ。
ばらばらと降り注ぐ土砂の雨の中。俺の眼前には、迫り来る斬線を如何なる方法かで躱した少年が、揺らがず立っていた。
「くぉぉおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオッ!!」
剣を引き抜く間すら惜しく、硬い地面を刃に突き刺したままの大剣を少年に向けてすくい上げ、叩きつける。巨木さえ両断する一凪ぎで少年の腹を真っ二つにし――たはずなのに、やはり剣には何の手ごたえも残らない。少年はまた、無傷でそこに立っている。
頭上で一回した刃に剣の重みの全てを載せ、再び斬りつける。少年に刃が食い込み、否、食い込んだかのような錯覚を残し、そのまま空をきる。
「ウォォォォォォォオオ!」
『その速さできちんと理のある剣筋と歩行術を保てるのか。凄いな。ASPの教官に雇いたいくらいだ』
せめて一筋の傷でも付けてやろうとがむしゃらに剣を振り回し、だがその全てが残像を裂くばかりだった。
冷や汗が噴き出す。何故当たらない? 目にも留まらぬ速さで動いている訳でも、奇想天外な軟体でこちらの眼を惑わしている訳でもないっていうのにだ。
少年の表情は変わらない。真剣にこちらに向き合う眼鏡面の向こうで、ただ一つ、右の目だけが狂ったように稼働していた。忙しなく動く黒色の眼球が俺の剣、腹、足へと縦横無尽に視線を飛ばす。
ふと、肉食獣に全身を舐り回されている羊のような、或いはまな板の上に案内された鮮魚のような気分を悪寒と共に味わい、身体がぶるりと震えた。見通されている、覗かれている感覚。
奥歯を噛みしめ、反射的に振るった大剣で再度地面を抉り、自分と少年との間に土煙のカーテンを作る。
「剣が通じなくともな! こちとら伊達に魔獣なんぞを相手してきたわけじゃねえのさ!」
その間に、足元の石礫に手を伸ばした。薄い土煙の向かいでぴくりと眉を動かした少年めがけ、握りしめた石礫を全力で投擲する。
下から襲いかかる石の弾丸を、少年は下から掬い上げた手で上方に弾き飛ばした。猛禽すら一撃で狩れる俺の自慢の石礫を相手にその余裕かよ。鼻先数サントの距離を通り抜けて行った土球なんて何とでもないってか?
『推定される限界筋力からすると、投石の速度が遅いな。やはり剣以外に集中を割くと、身体能力向上の恩恵自体が弱まるとみて間違いないのか?』
ゆっくりとこちらに視線を戻したその顔には動揺の息乱れも緊張のこわばりもまるで見えないのだからたまらねえ。何かぶつぶつと呟きながら、まじまじと意志を弾き飛ばした右手を見つめている。
つい昨日までは不遜とも思えていた余裕の態度。
それはしかし、こいつの確かな実力とこいつ自身が持つその実力への自信にあるものであったのだことを、今おれは全霊で感じ、確信していた。こいつは自分が、相手に強さを固辞する必要が無いことを分かっているのだ。誰よりも良く、自分の強さを知っているのだから。
――だが、まだまだ終わりにはしねえぞ、小僧!
剣を頭上に掲げ、この過去最大の強敵を睨み付ける。
まだ俺には奥の手がある。そして、狩りも荒事も散々経験してきて身に着けた得意技だって一や二じゃ効かない数だ。
――飲んだくれのバレット爺さん、今ばっかりは感謝するぜ。この技を俺にくれたことに!
剣を掲げたまま踏み込み、俺は右の回し蹴りを繰り出した。村にまだ十分な嗜好品が貯蓄されていた頃、だらしない酒漬の生活を送ってた村の馬鹿ジジイのどてっぱらにぶち込んできた技だ。
自然体で突っ立っていた少年の右腰に足の甲が吸い込まれていく。
よし、捉えた!
そう思い、その期待はすぐに裏切られた。風を受けた柳のように少年の上半身がふわりとしなり、絶対必中に思えた俺の蹴撃が空を切る。俺の足は少年の髪一本たりとも捕えられねえまま無様に宙に突き立った。
少年がすっと後方にステップし、距離を離す。
「まだだ!」
突っ込み、再度放つ追撃の太刀にはフェイントを織りまぜることにする。
体を巡る魔力の流れを一瞬断つことで、相手の目を欺く緩急のついた斬撃になるのだ。現役の剣士に師事した訳でもない、本で理論を学び、我流で磨き上げた技だが、俺が習得している数少ない王国上級剣技の一つ。対人は勿論、逃げ足の速い魔獣を倒すために有効な技で、紛れもない俺の切り札だ。
それまで全身に循環指せていた魔力の流れを一時だけ断ち、突然減速した俺を見て敵方の瞳に困惑が宿るが――さて、その余裕はどこまで続く? お前にこの攻撃に対処できるかな?
知らず笑みを浮かべていた俺の全身に、せき止めていた魔力が怒涛の勢いで満ちていく。この漲る力を、この一太刀に載せるのだ。
「どおぉあああああああああああああああああああ!」
両腕を振りぬくと同時に、ぐうっと歯を喰いしばる。全身を一つの投石器のごとく、剣を打ち上げる道具に変える。天を衝く勢いで猛加速する斬線を足元から打ち上げ、驚く少年の顔を両断するほどの勢いで剣を走らせた。
少年の、ぴくりと動いた眉が見えるほど間近にまで接近し、そこで初めて俺は気付いた。
少年の口元には微かな笑みの表情が、そしてまっすぐ俺の目を見つめる左目には真摯さと――敬意とも呼べそうな光が宿っていることに。
敬意? それは――俺に対してのものか?
突然、少年の体がぶんと横にぶれた。絶対必中を求めて振るった剣の横腹に少年の拳が突き刺さり、軌道が捻じ曲がる。舞うように剣を躱した少年の右目は、俺の腕、身体、目、剣、その全てを見つめていた。
空振った剣の勢いをいなし、相手の後退に合わせてこちらも一時、距離を空けることにする。
が、ここで大きく流れが変わった。観客席がザワリと揺らぐ。試合開始後初めて、奴の側から俺に接近してきたのだ。剣士相手に無手のインファイトを望むとは正気の沙汰ではないが、今更驚かん。
その心にあるのは「自信」ではあっても「過信」では無いんだろうからな。本気で俺の剣に無手で対処できると確信していることだろう。確かな実力と胆力に裏付けられた自信が、その確信を象っているに違いない
だが、俺の芸だってまだ尽きちゃいねえ。
俺とて幼い頃は、村の外での……己の実力一つで道を切り開いていく、冒険者という職業に憧れていた身だ。己の命、互いに命を預け合う仲間の命をも救えだけの力が欲しいと願って鍛えつづけたこの力。今日、今、ここで、この男に全部ぶつけてみようじゃねえか。
足に集中させた魔力を爆発させ、高速移動を開始する。流派によって「渡り」、「縮地術」、「瞬歩」等と呼ばれる間合い詰めの技法。
急加速、急減速を駆使し、直線攻撃の鋭さのみならず自在な間合いの構築こそがこの技の神髄だと言われている。敵の周囲を素早く駆け巡り、あらゆる角度からの攻撃を試みるのだ。
剣を降りおろし、突き上げ、切り払う。無数の斬撃を少年に向けて放つ。
だが、やはりというか少年には当たらない。縦の斬撃は正面への高速の踏み込みで、渾身の突きは一瞬伸びた右手による受け流しで対処された。
奴の横合いだろうが、背後だろうが、死角など無いのではなかろうかと思わせる、完璧な回避術だ。
――遊んでいるのか?
絶対の実力者が、抗う力を持たない弱者を弄んでいるようにも思える回避続きの少年の動き。ちらりとそんなことを疑うも、ある時は演舞のような、またある時は風車のような独特のステップで回避を続ける奴の顔は、真剣そのもの。
まったく、なんというか……分かりやすい野郎だ。顔に描き炭で「自分は真剣です」って書いてあったとしてもここまで分かりやすくはあるまいよ。これで演技だとしたら逆に大したもんだ。賞賛を送ろう。
こいつは確かに何か明確な意図をもって回避に専念しているんだろう。ならば俺もそれに全力でぶつかるのが筋ってものさ。
「どあぁぁぁぁあぁぁ!」
まだ俺はいける。愛剣の柄を強く握り込む。俺の体も、限界を超えて動いている。いつの間にやら、額も背も、汗でびっしょりだ。最も、邪魔な汗じゃない。必死に動く今の俺の身体を濡らす潤滑油にすら思えて来るぐらいさ。
まだ、まだだ。まだ俺はやれる。俺はまだ、こいつに見せてやれるものがある。
そう、思うことができる。
だが、力や速度任せの攻撃じゃきっとこいつには届かない。ならば、どうするのが良い?
……「アレ」しかあるまい。
こいつに目にもの見せてやるには、「アレ」をやるしかねえだろう。今まで一度も成功したことのないあの「闘技」。
一流剣士の到達点の一つともいえる、あの技だ。
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百聞は一見に如かず。実地に勝る経験は無い。ああ、そうだ。こうして肌と肌がぶつかり合う生の場所で得られる情報の有益さは、決して紙面上、データ上だけで記しきれるものじゃない。
やはり、この世界の「剣士」と呼ばれる者達は凄い。戦士としての能力の特化具合は芸術的とすら呼べるレベルだ。
まずは「剣」を媒介に自身の肉体を強化する能力。その出力が凄まじい。その瞬発力に馬力は野生の熊ですら敵わないだろう。
尚、「剣士」と呼ばれてはいるが、その媒介は攻撃の意思を籠めやすいものなら何でもいい。斧や槍、棍棒でも良いし、極端な例を挙げるなら城でも良いそうだ。
剣士たちは自分が選び出した「剣」に自分の魔力を注ぎ、自分の体となじませる。魔力の通りが良くなっていくのに応じてその「剣」の硬度や攻撃の威力は高まっていく。そして完全に「剣」と剣士自身が一体と言える領域まで達すると、剣に注いだ魔力を自身の身体に通すことで今度は自身の身体能力を強化させられるようになるのだという。
俺達異能者のように筋繊維の一本一本が強化されるわけではなく、体を包む見えない強力な強化外装を動かしているような感覚のため、剣技との両立が難しいらしいが、馬力が向上すれば下手な小手先の技術は通じなくなる。それにこのザック氏のように、剣士としての出力を前提とした剣技やそれに見合った訓練を長年続けてきた者ならば、そんな弱点すら存在しない。
ザック氏は強い剣士だ。剣士が纏う魔力をより高度に操作して初めて使用できる「闘技」という技術まで使いこなして変幻自在の剣を見せてくる。ザック氏の戦いぶりは、この世界の剣士という存在の戦力を分析するための情報の宝庫だ。このような男とこうして出会えたことは実に素晴らしいことだった。
もっと見せてくれ、もっと強さを教えてくれ。
目に映る光景を最大一万倍以上に加速する高速思考、戦闘と同時に戦力分析を進める並列思考を行いながら、次々入って来る情報に心がどんどん湧きたっていた。
そんな中、ザック氏がまた今までにない動きを見せてきた。距離を取り、剣を中断に構えて静かな集中の姿勢を取ったのだ。
ザック氏は戦士として優秀な勘を持っている。視線誘導による回避術や攻撃選択肢を狭めるための間合い取りといった俺の技を、初見で見切れないまでも手を変え品を変えることで逃れようと試みている。
ならばそろそろ、線の動きでしかない斬撃と点の攻撃範囲しか持たない突き技が俺に通用しないことを理解し、それに応じた何かを見せてくれるだろう。
新たな得意技か。それともまだ見ぬ闘技か。
どちらにしても――面白い。
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「さあ、見事受けて見せろ、少年」
俺は、自分がこれから放つ闘技が成功するだろうと確信を持った。今までにない魔力の充実感と、愛剣との繋がりを感じる。これまでの日々では決して辿りつけなかった、新らしい境地だ。
「こいつを受けれりゃ、てめえの勝ちだ! 受けれるものなら、受け止めてみろ!」
そして俺は、全身に滾る力を一息に解き放った。
ザック氏は「相手が格上である」という確信の下、全力で真剣を振り回しています。良い子のみなさんは絶対に真似しないでくださいね。
次話で決着。今夜投稿します




